著者
張 珈銘
雑誌
オイコノミカ (ISSN:03891364)
巻号頁・発行日
vol.48, no.2, pp.19-41, 2012-02-29

本稿はグローバル市場の中で中国造船業の競争主体となる「船舶企業」成立への歴史的過程と到達点を検証しようとするものである.本稿の標題の「組織構成」は政府・企業間関係と企業集団の組織構造との両方を含むものとして使用している.このような意味での中国造船企業の組織構成についての先行研究は空白状態である.そこで中国造船業の発展3段階の時代区分に沿って,中国造船業の組織構成の歴史的変遷をはっきりさせた.改革開放後の中国では,経済主体としての「企業」をつくりだす運動は行政機関から企業組織への権限委譲(「政企分離」)としておこなわれてきた.第2の段階で,所有と経営の分離を目的として行った「工場長責任制」,「請負経営責任制」の改革は成果とともに限界があると言える.この段階では結局のところ経済主体としての「企業」は成立しなかったと確認された.1997 年に二大造船集団が設立した後の第3段階では,集団傘下に上場企業が誕生し,集団公司がその持株会社となって政府が間接的に所有するという重層的な構造が形成された.そこでは,持株会社が傘下の各造船企業に対する政府の直接介入を妨げる役割を果たす.これは造船企業の発展のためによい環境を作るので,現状の政府と造船企業にとっては必要である.
著者
大津 廣子
出版者
名古屋市立大学
雑誌
オイコノミカ (ISSN:03891364)
巻号頁・発行日
vol.42, no.1, pp.153-169, 2005-09-01
被引用文献数
2
著者
牧 幸輝
雑誌
オイコノミカ (ISSN:03891364)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.27-45, 2011-09-30

本稿は,「中京デトロイト化計画」として知られる戦前名古屋の自動車開発について,その経緯と内容,挫折した背景,関係各社の経営環境などを詳細に検討し,その全体像を明らかにした上で,同計画を1930年代の軍需工業化の流れの中に位置付けようとするものである.1930 年代には多くの企業が自動車事業への進出を企てた.ところが,国内で自動車工業を確立するために必要な技術,資本は十分でなく,米国型の大量生産システムをそのまま採用することは望めなかったため,車種の選択や製造方式についての考え方も様々であった.日本車輌製造,大隈鉄工所,岡本自転車自動車が主導した乗用車のアツタ号は,分担作業による国産化を目指した.一方,豊田式織機によるバスのキソコーチ号は,下請企業を活用しながら,機関部品は外国製を用いる国際的部品綜合ノ方式を採用したのだった.しかし結局,アツタ号もキソコーチ号も,本格的な生産に移行出来ないまま製造中止となった.名古屋財界を糾合した大資本による中京自動車工業設立計画も,関係会社間の調整がまとまらず頓挫した.自動車工業は,次第に国策工業の色合いを強め,最終的には,政府・軍部の要求を満たして,自動車製造事業法の許可を受けた会社のみが事実上,事業の継続を可能としたのであった.但し,中京デトロイト化計画に関わった企業は,自動車事業に失敗したことで,その後業績を低下させたわけではなかった.これらの企業は,工作機械や鉄道車輌,繊維機械,自転車といった分野では国内有数のメーカーであり,それ故に軍需生産の重要な担い手となったのだった.自動車事業を断念したというよりも,むしろ軍需を中心とした急速な重化学工業化の中で業容を拡大していったことが肝要であった.名古屋の機械工業発展を目指した中京デトロイト化計画は,軍需工業という形によって実現することになったのである.
著者
横山 和輝
雑誌
オイコノミカ (ISSN:03891364)
巻号頁・発行日
vol.47, no.3-4, pp.25-41, 2011-03-01

律令制が形骸化し,荘園公領制が形成されるとともに貨幣経済が進展し,14世紀までには交換手段として貨幣が普及していた.この貨幣経済の初期段階において,米価ならびに地価は低下傾向にあった.貨幣経済が進展するなか,貨幣価値が上昇することで,貨幣保有者の交渉力が増大し,売り手の提示価格に対する引下げ効果が生じたのである.
著者
張 珈銘
出版者
名古屋市立大学経済学会
雑誌
オイコノミカ (ISSN:03891364)
巻号頁・発行日
vol.48, no.2, pp.19-41, 2012-02

本稿はグローバル市場の中で中国造船業の競争主体となる「船舶企業」成立への歴史的過程と到達点を検証しようとするものである.本稿の標題の「組織構成」は政府・企業間関係と企業集団の組織構造との両方を含むものとして使用している.このような意味での中国造船企業の組織構成についての先行研究は空白状態である.そこで中国造船業の発展3段階の時代区分に沿って,中国造船業の組織構成の歴史的変遷をはっきりさせた.改革開放後の中国では,経済主体としての「企業」をつくりだす運動は行政機関から企業組織への権限委譲(「政企分離」)としておこなわれてきた.第2の段階で,所有と経営の分離を目的として行った「工場長責任制」,「請負経営責任制」の改革は成果とともに限界があると言える.この段階では結局のところ経済主体としての「企業」は成立しなかったと確認された.1997 年に二大造船集団が設立した後の第3段階では,集団傘下に上場企業が誕生し,集団公司がその持株会社となって政府が間接的に所有するという重層的な構造が形成された.そこでは,持株会社が傘下の各造船企業に対する政府の直接介入を妨げる役割を果たす.これは造船企業の発展のためによい環境を作るので,現状の政府と造船企業にとっては必要である.
著者
澤野 孝一朗
雑誌
オイコノミカ (ISSN:03891364)
巻号頁・発行日
vol.41, no.1, pp.79-95, 2004-09-01
著者
牧 幸輝
雑誌
オイコノミカ (ISSN:03891364)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.27-45, 2011-09-30 (Released:2014-07-25)

本稿は,「中京デトロイト化計画」として知られる戦前名古屋の自動車開発について,その経緯と内容,挫折した背景,関係各社の経営環境などを詳細に検討し,その全体像を明らかにした上で,同計画を1930年代の軍需工業化の流れの中に位置付けようとするものである.1930 年代には多くの企業が自動車事業への進出を企てた.ところが,国内で自動車工業を確立するために必要な技術,資本は十分でなく,米国型の大量生産システムをそのまま採用することは望めなかったため,車種の選択や製造方式についての考え方も様々であった.日本車輌製造,大隈鉄工所,岡本自転車自動車が主導した乗用車のアツタ号は,分担作業による国産化を目指した.一方,豊田式織機によるバスのキソコーチ号は,下請企業を活用しながら,機関部品は外国製を用いる国際的部品綜合ノ方式を採用したのだった.しかし結局,アツタ号もキソコーチ号も,本格的な生産に移行出来ないまま製造中止となった.名古屋財界を糾合した大資本による中京自動車工業設立計画も,関係会社間の調整がまとまらず頓挫した.自動車工業は,次第に国策工業の色合いを強め,最終的には,政府・軍部の要求を満たして,自動車製造事業法の許可を受けた会社のみが事実上,事業の継続を可能としたのであった.但し,中京デトロイト化計画に関わった企業は,自動車事業に失敗したことで,その後業績を低下させたわけではなかった.これらの企業は,工作機械や鉄道車輌,繊維機械,自転車といった分野では国内有数のメーカーであり,それ故に軍需生産の重要な担い手となったのだった.自動車事業を断念したというよりも,むしろ軍需を中心とした急速な重化学工業化の中で業容を拡大していったことが肝要であった.名古屋の機械工業発展を目指した中京デトロイト化計画は,軍需工業という形によって実現することになったのである.
著者
筒井 義郎
出版者
名古屋市立大学
雑誌
オイコノミカ (ISSN:03891364)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.1-34, 1986
著者
澤野 孝一朗
雑誌
オイコノミカ (ISSN:03891364)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.11-38, 2013-09-15

The aim of this survey is to discuss the results of economic research on pediatric care utilization. Our main conclusions are as follows : First, primary determinants are copayment, number of physician (pediatric care specialist) and parents’ opportunity cost. Second a rapid pervasion of its free care is observed. Finally the magnitude of its price response is very small.
著者
朱 徳峰
雑誌
オイコノミカ (ISSN:03891364)
巻号頁・発行日
vol.46, no.4, pp.119-136, 2010-03-31

本稿は中国の長期的な経済成長と自然災害の関係について実証分析を行った.中国31省をサンプルとし,出生率と一人当たり初期所得をコントロールした上で,長期的一人当たりGDP 成長率と自然災害の頻度の関係をパネルデータを用いて回帰分析を行った.その結果,地質的な災害(地震,地すべりなど)は長期的な経済成長に対しマイナスの関係があるが,気候的な災害(台風など)は経済成長に有意かつプラスの結果が得られ,気候的な災害は資本ストックの蓄積及びTFP の成長を通じて経済成長に影響を与えることが確認された.
著者
服部 恵 横山 和輝
出版者
名古屋市立大学経済学会
雑誌
オイコノミカ (ISSN:03891364)
巻号頁・発行日
vol.46, no.4, pp.105-117, 2010-03

本稿の課題は,貨幣鋳造政策の実施を通じて旗本・御家人の実質所得が引上げられるという効果が統計的に確認できるかどうかを,1791年から1854 年までの年次データを用いて,検証することである.実証においては,Yamamura(1974)の推計による旗本・御家人の実質所得指数,および明石(1989)の推計による実質貨幣流通量を用いる.旗本・御家人の実質所得は,明確な下方トレンドをとっていないことから,必ずしも彼らの窮乏化を示すものではないが,貨幣鋳造政策が,旗本・御家人の実質所得に正の影響を与えるという効果は観察できない.実質所得は負の自己相関をとり,なおかつマネーサプライの増大により負の影響を受けつつ推移していた.そのため旗本・御家人は,債務者として,進展しつつある貨幣経済に取り込まれつつ消費水準の円滑化を図った.
著者
藤本 真代 横山 和輝
雑誌
オイコノミカ (ISSN:03891364)
巻号頁・発行日
vol.52, no.2, pp.1-15, 2016-03-01

本稿の課題は,家族の絆に関する変数(合計特殊出生率,離婚率,婚姻率,自然死産率)が男女別の自殺率にどのような影響を与えているかについて統計的に検定することである.2001 年から2013 年の都道府県レベルのパネルデータを用いて,男女それぞれの自殺率を被説明変数とする連立方程式の同時推定を行なう.合計特殊出生率と婚姻率は,ともに男女の自殺率と負の相関関係にある.反対に自然死産率は男女の自殺率と正の相関関係にある.一方,離婚率は女性の自殺率にのみ負の効果が観察された.自殺抑止において家庭およびビジネス両面での対人関係が重要である,という主張に対し,本稿は定量的な根拠を提示するものである.
著者
神山 眞一
雑誌
オイコノミカ (ISSN:03891364)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.5-23, 2015-01-07
著者
東谷 仁志
出版者
名古屋市立大学経済学会
雑誌
オイコノミカ (ISSN:03891364)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.1-20, 2013-03

自動車市場では,新たにハイブリッド自動車や電気自動車が市場に登場している.これらの自動車では,高性能電池が必要で,主にリチウムイオン電池が使用される.この分野では,日本だけでなく韓国企業が大きなシェアを獲得している.本稿では,電気自動車で使用される車載用電池を供給する韓国電池メーカーとして,LG 化学,SB リモーティブ及びSK イノベーションの3社を取り上げる.一方日本の電池メーカーとしては,アドバンスト・エナジー・サプライ(AESC),リチウム・エナジー・ジャパン(LEJ)および,プライムアースEV エナジー(PEVE)の3社を取り上げて,日韓電池メーカーの競争力を比較する.従来自動車市場では,日本の自動車メーカーがサプライヤーシステムを構築し,インテグラルなもの作りが高い競争力を生み出してきたとされる.韓国のLG 化学は,GM,ルノーやフォードなど多くの企業にバッテリーを供給するが,日本の電池メーカーは,特定の自動車メーカーだけに電池を供給している.日本の電池メーカーは,これまで日本の自動車メーカーが築いてきたサプライヤーシステムを踏襲した垂直統合型の供給関係を維持し,電気自動車を従来の自動車と同じインテグラル型製品アーキテクチャと位置づけた取り組みを行っている.これに対して,韓国電池企業は,電気自動車における車載用電池をモジュラー製品と位置づけた戦略に特徴がある.韓国電池企業は,いずれも複数の自動車メーカーへの電池供給を行い,量産規模を拡大して価格を低減する戦略をとっている.自動車市場では,これまでサプライヤーを含めて日本のメーカーが高いシェアを獲得してきた.EV 市場でも高い競争力を維持するためには,日本の自動車メーカーや電池メーカーは,戦略の見直しが必要と考える.