著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.36, no.1, pp.71-77, 1999-09

「滑稽の裏には真面目がくつ付いて居る。大笑の奥には熱涙が潜んで居る。雑談の底には啾々たる鬼哭が聞える。」(二)という「諷語」を作品に活かすことで、「趣味の遺伝」という「男女相愛」の「玄境」を現代に問いかける。作品の背景は、明治三十七年(一九〇四)から明治三十八年(一九〇五)の日露戦争であるが、読者と物語の時間を共有するということ以外で、漱石がこの戦争とかかわることはない。というのも、漱石には「生理的な『厭戦思想』はあっても、政治的な『反戦思想』はない。」からである。作品の主題は、あくまでも「天下に浩さんのことを思つて居るものは此御母さんと此御嬢さん許りであらう。」(三)という「余」が、「此両人の睦まじき様」に「清き凉しき涙を流す。」(三)ということ以外ないのである。ここに、「父母未生以前に受けた記憶と情緒が、長い時間を隔て、脳中に再現する。」(三)という漱石文芸の世界が開示する。
著者
リチャーズ ライン・S
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.38, no.3, pp.27-41, 2002-03

一般的に日本人はある種の英語の音を取得するのが難しいと言われている。英語教育に携わるほとんどの日本人教育者は [F], [L], [R], [V], と [TH] がそれらの音に当たるとしている。しかし、これらの音は繰返し練習することによって、取得できると言うのが私の意見である。しかしながら、大多数の日本人にとって取得するのにもつとも難しい英語の音は [YEAR] のような [YE] の音であると提案したい。そこで、私の提案が正しいことを証明する為に研究の資料と高度の機能を持つDATという録音システムを使い、16歳から62歳までの100人の協力者の音を録音をした。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.101-109, 1998-09

『坑夫』は、主人公が北へ北へとめざす坑夫になるまでの前半部と、銅山に着いてから坑夫としての生活を体験する坑内での後半部とでは、その運動の方向性だけでは語りつくせない、漱石の作家としての二極を見ることができる。前半は「〓徊」という立場で主人公の意識を追うことに全神経を集中している。しかし、後半で「シキ」という現実の生と死が向き合う世界に身をおいてからは、文学理論家としての漱石ではなく、生の暗部を追う作家漱石の鋭い目が見開かれ、「生涯片付かない不安の中を歩いて行くんだ」という「片付かない不安」の中を生きる人間を描くことになる。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.91-100, 1998-03

作品末尾の「憐れ」は「非人情」の対極にあるのではなく究極に存在するものである。「非人情」を追求してきた画工にとって、それは非現実的なものではなく、現実的な確かなものである。現実は何一つとして変わっていないが、画工の意識の中では変化が遂げられる。それは、那美の内面の変化でもある。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.39, no.1, pp.85-92, 2002-10

「舞姫」は、明治二三年 (一八九〇) 一月「国民之友」第69号付録に掲載された。鴎外二九歳の作である。太田豊太郎の一人称で語られるこの作品は、完成度の高さにおいて、近代文学史において重要な位置をしめている。本稿は、ここに描かれる太田豊太郎の近代知識人としてのありかたについて考えるなかで、その感性を導きだしたエリスの存在について考察する。明治日本の精神においては、異国での結婚を前提とした恋愛、官命への反抗、家の放棄は、倫理に反する重罪であった。たとえば、愛した女性を捨てるよりも、国家や家を捨てることのほうが、罪が深いとされる。明治日本の精神構造のなかでは、個人の精神は、抹殺される。そのなかで、エリスは狂い、太田豊太郎は痛恨の痛みを持続する。近代知識人太田豊太郎が超えようとした近代とは何だったのか。森鴎外「舞姫」について論及する。
著者
奥田 俊博
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.45, no.3, pp.43-55, 2009

国語科教育は文学的文章の読解を中心とする指導から、日常生活における的確な情報伝達に重点を置く指導へと変化しつつあり、現行の学習指導要領においても、これまでの「表現」と「理解」から、「話すこと・聞くこと」、「書くこと」、「読むこと」の3領域が設定されたように、読解の比重が相対的に低くなっている。とはいえ、文学的文章の表現技法を的確に読み取り、さらに、その技法を自らの表現活動に役立てることは、国語科教育の目標達成において必要である。本稿では、中学校国語科で学習する表現技法のうち、比喩を取り上げ、主な教科書に取り上げられている比喩の説明、ならびに、比喩の理解が指導項目に入っている教材に見える比喩表現や、比喩に基づいて作られている慣用句を対象にして、比喩表現の指導内容を検討するとともに、直喩や隠喩だけでなく、換喩に基づく表現についても指導する必要性について述べる。
著者
金丸 千雪
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.95-105, 1999-02

フェミニズムの主張を、文学の審美性を損なわずに表現するのは、ある意味で困難である。例えば、樋口一葉の『十三夜』は文学的には勝れているが、作品全体を支配するセンチメンタリズムは、女性に対する抑圧の言説を壊し変革する役割を果たさない。悲劇のヒロインの「涙」は家父長制社会において、究極的に女性が服従を受容するように促す性格や行動のイメージを強化する。しかし、一葉は、男性中心の知的伝統の文化が受け入れを許しもしない経験と感情を伝えるために、感傷の力を利用している。本稿は、小説におけるセンチメンタリズムがどのような力を発揮しているかを検討し、その意義を積極的に評価する一つの試みである。
著者
高橋 昇 大場 未希
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.15-33, 2008

In Kyogoku Natsuhiko's writing, there is a mystery that is commonly called "Kyogokudo series". It is a work with a peculiar outlook on the world not to be captured to the frame of a general mystery. We considered the factor that the Kyogokudo series cannot help being used to attract a person from various angles. Heroes' characters, the intimacies by continuance and the change, making to the pattern, tempos, the diversity of the development of the story, and an effect, various mysteries, and beginning the aspect are sprinkled in the Kyogokudo series. The charm of the Kyogokudo series was formed by these five elements and was able to make clear that it attracted a reader and cannot help attaching it.
著者
仲 潔
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.42, no.3, pp.15-32, 2006-02

JETプログラムは外国語教育の改善と国際理解という目的のために設けられた言語政策であると考えられている。筆者は仲(2002b)において、このJETプログラムの言語政策論的課題を明らかにした。続いて仲(2003)では、国際英語論と英語帝国主義論という2つの英語論の観点から批判的考察を行い、改善のための可能性を探った。さらにNaka(2005)において、学習者の異言語観や異文化観に与え得る要素を提示した。これらの分析により、現状のJETプログラムでは英語による植民地化、つまり英語を迎合的に迎える態度を促進するだけではなく、異文化理解の阻害ともなる「負」の要素を含んでいると考える。一方、JETプログラムには、その理念の一つである真の異文化理解に向けた可能性も持ち合わされているという「正」の側面もあると考える。そこで本稿では、言語政策論における評価的アプローチに基づき、JETプログラムの課題を克服するための提言を行う。
著者
吉田 清
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.29-46, 1999-02

D. H. Lawrenceは(古代)エトルリア民族に本能的な関心をいだき、彼等と彼自身を同一視した。Lawrenceが晩年の1927年に執筆したEtruscan Places (1932)はエトルリア地方の気候、風土、自然について述べると同時に、エトルリア民族の歴史、性格、芸術、宗教を考察し、彼の思想が端的に表われた紀行文である。本論はエトルリア民族の主要な芸術石棺像、奉献像、墳墓内の壁画、キマイラ等の考察を通して、彼等の死生観を分析し、その生の世界を探ることを目的とする。エトルリア文化はその初期段階において、死に直面し、死を意識した文化であった。しかし、一方において、彼等が生に目を向けた時、意識下より意識の表面へと湧きでた生の芸術、宗教が発達した。その結果、当時の地中海諸国はギリシヤ芸術、文明の影響を免れることは不可能であったが、エトルリア民族特有の芸術、宗教が生まれるに到った。エトルリア民族最大の関心は生の世界であり、生きることそのもの、つまり、生を鋭敏に意識することで彼等の芸術は表現された。生は喜びであると同時に驚異であり、死後も永遠、無限の生の世界へ永続すると言う考えのもとにエトルリア民族の宗教は生まれた。エトルリア民族の芸術、宗教を考慮する時、ローマのVilla Giulia博物館所蔵の石棺の夫婦像に認められる微笑はエトルリア民族の死生観を象徴し、彼等(夫婦)は死後、喜ばしき驚異の生の旅へ、生の始源、永遠、無限へと旅立つ姿を表わしていると考えられる。
著者
阿部 誠文
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.34, no.1, pp.29-43, 1997-09

旧ソ連抑留俳句のうち、欧露に抑留された高木一郎と桜井江夢の秀句・佳句を選び、解釈・鑑賞を交えながら分析し、俘虜の生活と心情を明らかにした。俘虜という絶望的な状況にありながら、祖国・故郷に帰るということに一縷の望みを託し、故郷を思いながら、それを心の支えとして前向きに生きたのであった。「誰か故郷を」という題も、そうした俘虜の心情を代弁したものである。まだ、俳句史のなかで位置づけられていない俘虜の俳句の、その文学的再検討をうながしたい。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.43, no.3, pp.63-76, 2007-02

漱石文芸における<狂気>とは、平常は人間の心の闇に潜み、突如として人間を襲う不可抗力としての歪みを発生させるものである。漱石文芸の主人公たちは、こうした恐怖と不安をともなう居心地の悪さのなかで人間の暗闇に潜む「人間の罪」のまえに佇立し続け、人間の関係性に悩む能力を高めていくのである。漱石は、「神経衰弱と狂気」(『文学論』序)を手がかりに、人間連帯への求道のなかで、<狂気>の超克の可能性を模索するのである。漱石文芸における<狂気>の諸相は、自己「本来の面目」と現実との歪みを認識し、「人間の罪」を自覚することで、その罪の前に佇立する人間の姿である。漱石は、自己の文芸創作をとおして自己の内なる<狂気>と対峙するなかで、「自然」に逃避するのではなく、「自然」を呼び覚ますことの重要性に気付きはじめる。漱石文芸の登場人物は、「自然」からの疎外に病んだ孤独を抱えながら、自己の内なる〈狂気〉と対峙し、「自然」に帰一するように、自己「本来の面目」にたどり着こうとするのである。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.67-75, 2001-09

賢治の童話は、その法華信仰に強く根差してはいても、それが決して説教臭くなったりすることはない。なぜなら、賢治自身が信仰であり、その心のさまをそのまま描いたものが「心象スケツチ」(「新刊案内」) という賢治童話だからである。それは、かりものではない、賢治の心身をかけた祈りそのものである。賢治にとっては、「きれいにすきとほつた風をたべ」(「序」) ることも、「桃いろのうつくしい朝の日光をのむ」(序) ことも、日常茶飯の出来事で、特別なことではない。しかし、賢治をとりまく社会は、「すばらしいびらうどや羅紗や、宝石いりのきもの」(「序」) に、現を抜かす。そうした社会の暴力や貧困に蝕まれていく純真無垢なこどものために、賢治は祈りを込めて、童話を書くのである。人間の生そのものが抱える不条理を、現代社会が抱える精神の危機を打開するために、「すきとほつたほんたうのたべもの」(「序」) の実現を、九つの童話に託すのである。童話集の三番目に収録された「注文の多い料理店」では、信仰によっても救いきれない人間の軽薄が、二人の紳士の顔がもとにもどらないことの原因である。賢治が、「都会文明と放恣な階級に対する止むに止まれない反感」(「新刊案内」) と書いたとき、その矛先を自分自身にも向けたに違いない。「イギリス風紳士」を迎え撃つ「山猫軒」は、その名のとおりすべてにおいて、西洋風にできた「西洋料理店」なのである。「山猫」も、巧みな言葉をつかって獲物をおびきよせる狡猾な頭脳犯なのである。「すきとほつたほんたうのたべもの」(「序」) とは、こうした現代社会に巣くうのっぴきならない根源悪に立ち向かうための唯一の武器であり、時代や社会に押し流された人間が、本来のすがたにもどるための解毒剤でもあったのだ。
著者
堀江 幸治 奥本 侑香
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.83-97, 2008

本研究では、筆者(奥本)が中学校の養護実習で出会った、保健室に頻繁に来室するが、室内で何も話さずにいた女子中学1年生(A子)への援助過程を、コミュニケーションの成立という視点から振り返り、検討した。関わりの初期では、A子が話してくれないことに筆者が戸惑ってしまった。そのことがA子にも伝わり、余計に話せなくなってしまったように思う。中期から後期にかけては、筆者はA子に何とか話してもらおうという気持ちよりも、A子を受けとめたい気持ちが勝った。A子もまた、必死に何かを伝えたい様子であった。そのときの『どうしたら伝わるんだろう?』という不安の裏に隠れていた『伝わりたい』という双方の思いが、はじめて筆者とA子を結びつけ、徐々にA子が筆者に話せる関係を作る要因になったように思う。
著者
長谷川 勝久
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.42, no.3, pp.51-66, 2006-02

本稿では、階層構造を持つ情報数学に関する学習課題において、一人ひとりの学習者が異なった情報を持ち寄って行うJigsaw学習に学習効果があることを示した。次に、学習中の言語記録簿をデータとして、そこで起きている学習者相互の会話の質を探った結果、以下のことが明らかになった。階層構造を持つ情報数学に関する学習課題を用いたJigsaw学習では、1階層構造の下位に位置する課題には学習効果が得られず、上位に位置する課題に学習効果が得られる。2自分が説明を担当する課題の成績と、他者から説明を受ける課題の成績との間には、統計的な有意差は見られない。3階層構造の下位、中位の課題において、説明者は、言い換え、メタファーなどを使って自分なりに再解釈を加えた深い思考を伴う説明の発話が多い。4階層構造の上位の課題において、説明を受ける者の質問は、単に内容や理由の説明を求めるだけではなく、自分の知りたいことを明確にし、資料にない内容についても、自分なりの仮説を持った質問の発話が多い。5質問に対する回答は、論拠を伴わない回答の発話頻度と、論拠を伴う回答の発話頻度に有意な差は見られない。6学習の進め方に関する発話は、質の高い相互交渉を引き起こすきっかけとなりうる。