著者
小島 基洋
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.1-12, 2015-12-20

村上春樹の『羊をめぐる冒険』(1984)の基底には<再・拠失>の詩学がある. 本作では, 鼠と呼ばれる主人公の死んだ親友が, 羊男, そして幽叢として姿を現し, 再び姿を消す. また, 主人公の自殺した恋人が, 「誰とでも寝る女の子」, 「耳の女の子」として現れ, 前者は交通事故で死に, 後者は突然, 主人公のもとを去る. さらに, <再・喪失>の詩学は登場人物だけなく, 物や場所にも適応される. 時計の停止が, 鼠の<再・喪失>を, 再訪した海岸から立ち去ることが, 青春の<再・喪央>を表してもいる.
著者
喜多 野裕子
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.159-171, 2014-12-20

『ハムレット』におけるオフィーリアについては, これまでジェンダーやセクシュアリティ, あるいは女性の狂気の表象という観点から解釈されてきた. しかしBialo が指摘するように, そのような解釈は階級を見落としがちであり, さらにはオフィーリアの狂気の場がデンマーク王位の不安定さが繰り返し描写される『ハムレット』という芝居の構造の中で論じられることも少ない. 故に本論は, Bruce Smith によるシェイクスピア劇におけるバラッド・パフォーマンスに関する議論基づき, 4幕5場におけるオフィーリアのパフォーマンスの劇的機能を明らかにする. オフィーリアのバラッド歌唱は民衆による政治的危機下において行われる. 民衆は, レアティーズの父の殺害を隠蔽する王室に反抗し, レアティーズを王にせよと要求し宮廷に進攻する. この場を考察することで, オフィーリアのバラッド・パフォーマンスは, 初期近代イングランドにおいては舞台上で直接的に表出させることが許されなかった民衆の抗議を内在することを明らかにする.
著者
平井 克尚
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.13-26, 2011-12-20

ウルマーのイディッシュ期の映画『グリーン・フィールド』を論じる.これまでこの映画に関しては,文化的側面とフィルム・テクスト的側面の差異がさして意識されることなく調和的に論じられてきたが,本論では,これまで論じられてこなかった,イディッシュ文化とフィルム・テクストとの軋みの部分に焦点をあて,この観点を軸に論じる.それは,ウルマーによるこの映画がマイノリティの文化的共同性を単に補強するものではなく,様々な映画的記憶により織り成されたテクスチャーであることを示すことになるであろう.最初に,この期の映画を検証するにあたりイディッシュ,ウルマー,イディッシュ期のウルマーについて見る(I).次に,この期のウルマーの映画『グリーン・フィールド』の製作経緯を見る(II).引き続き,この映画の最後のシーンに着目する(III).最期に,この映画のフィルム・テクストを分析する(IV).
著者
廣川 祐司
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.97-109, 2011-12-20

平成21年10月27日に山梨県の甲府地方裁判所において,同県身延町における「入会権不存在確認請求訴訟」の判決が出された.係争事案は一般・産業廃棄物管理型最終処分場の建設計画をめぐり,建設賛成派住民(原告)が建設反対派住民(被告)を提訴したものである.建設予定地の一部にはK集落(K組)の入会地が含まれており,入会権の存在を根拠に反対派住民が建設反対活動を行っている.そのため,建設を推進する賛成派住民が,当該係争地には「入会権は存在しない」ことを確認するために提訴した.本係争地は記名共有によって登記されている土地である.このように入会地を記名共有で登記し保持し続けている地域は数多くあり,本係争事例を検証することによって,記名共有登記制度が入会を担保するための受け皿として十分でないことを提示するのが,本稿の主たる目的である.
著者
平野 拓朗
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.13-25, 2009-12-20

本研究の目的は,教師および生徒たちの学級への参加を捉えるために,ディレンマを被る観察者の立場を提示し,検討することである.本研究では,学習が,実践共同体(community ofpractice)への参加のプロセスとして捉えられるとする状況的学習論,とりわけレイヴとウェンガーによって提唱された「正統的周辺参加」(Legitimate Peripheral Participation : LPP)論を基軸として,学級への参加が,そこで期待される「成員性」(membership)を身につけていくプロセスと関連していることに注目した.さらに,LPP理論を踏まえ,学級において,その「成員性」を引き受けるさいの当事者の経験を,そこで「期待される成員像」(所定の参照枠)から記述するのではなく,それに関与しながらも,疑問を感じずにはいないディレンマを被る観察者の立場から捉える必要を示唆し,検討した.その結果,1)学級における「期待される成員像」が,教師や生徒たち,ボランティアなどの意図や願いにおいて合意されているため,外部者の「批判」においては変容するこのない強固さを持っていること,2)学級への参加が,「期待される成員像」には回収されないかかわりをも生じさせること,3)参与観察者のディレンマに注目することで,そのかかわりを「見る」ことが可能であることが明らかとなった.
著者
石岡 学
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.1-12, 2009

本研究の目的は,戦前期の小学校における職業指導を対象とし,適職決定・就職先決定における論理・実態の分析を通して,そこにいかなる教育的眼差しがあったのか,またその教育的眼差しにはいかなる意味・機能があったのかを明らかにすることである.これは,移行問題が「教育問題」化していく過程で学校がいかなる主体的役割を果たしたのかを解明するうえで,きわめて重要な課題である.第1章では,上記の研究課題の背景・意義について述べた.第2章では,適職決定のプロセスにおける教育的眼差しとその機能について明らかにした.学校において主流となったのは「消極的指導」というあり方であった.その背景としては,求人市場の状況や適性検査への疑義に加え,児童の「可塑性」「弾力性」を重視する「教育的観点」があった.こうした「消極的指導」においては児童の「自発性」や「自己省察」が重視されていた.その理由としては,新教育的主張との連続性に加え,指導者側の責任回避という側面もあった.第3章では,就職先決定のプロセスにおける教育的眼差しとその機能を解明した.小学校が自ら求人開拓・就職斡旋を行うことは原則からの逸脱であり, 「職業精神の涵養」を重視する立場の小学校からは批判された.しかし,職業紹介所の弱体性などの現実的状況ゆえ,それは全否定されえないものであった.このような小学校における求人開拓・就職斡旋という営為は,保護者からの信頼に応えるためなどという理由づけもあって,職業紹介所のような「事務的な処理」とは異なる「教育の仕事」として積極的に肯定されてもいた.第4章では,本研究で明らかとなった知見をまとめ,総合考察を行った.The purpose of this study is to clarify the meaning and the function of the educational view in the decision of suitable occupations and places of employment for students, focusing on the vocational guidance of primary schools in the prewar period. This is very significant to examine what kind of role schools played in the process of regarding transition as a problem of education. Section 1 explains the background and the significance of this study. Section 2 clarifies the educational view and its function in the process of the selection of suitable occupations for students. The results are as follows : "Negative guidance" became the mainstream in the way of guidance of primary schools. The dominance of negative guidance was according to the situation of the job market, the doubts about vocational aptitude tests and "educational view" that regards the trainability and the flexibility of students as important. "Initiative" and "reflection on one's self" by students were also regarded as important in the "negative guidance". In the background, there were not only the continuity to the assertion of "Shin-Kyoiku (New Education)" but also the purpose to evade guides' responsibilities. Section 3 clarifies the educational view and its function in the process of the selection of places of employment for students. Teachers who made much of the "cultivation of spirits of enterprise" were critical of helping students to find jobs by schools, because it was the departure from the principle. However, it couldn't be entirely denied due to the imperfect system of the employment agencies. Teachers who had helped students to find jobs thought it positive. The logic was that they had to come up to the expectations of students' parents, and also that it was the "duty of education" which was different from the "businesslike management" as the employment agencies. Section 4 is a summary and discussion.

1 0 0 0 OA 博士学位一覧

出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.127-180, 2010-12-20
著者
石岡 学
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.1-12, 2009-12-20

本研究の目的は,戦前期の小学校における職業指導を対象とし,適職決定・就職先決定における論理・実態の分析を通して,そこにいかなる教育的眼差しがあったのか,またその教育的眼差しにはいかなる意味・機能があったのかを明らかにすることである.これは,移行問題が「教育問題」化していく過程で学校がいかなる主体的役割を果たしたのかを解明するうえで,きわめて重要な課題である.第1章では,上記の研究課題の背景・意義について述べた.第2章では,適職決定のプロセスにおける教育的眼差しとその機能について明らかにした.学校において主流となったのは「消極的指導」というあり方であった.その背景としては,求人市場の状況や適性検査への疑義に加え,児童の「可塑性」「弾力性」を重視する「教育的観点」があった.こうした「消極的指導」においては児童の「自発性」や「自己省察」が重視されていた.その理由としては,新教育的主張との連続性に加え,指導者側の責任回避という側面もあった.第3章では,就職先決定のプロセスにおける教育的眼差しとその機能を解明した.小学校が自ら求人開拓・就職斡旋を行うことは原則からの逸脱であり, 「職業精神の涵養」を重視する立場の小学校からは批判された.しかし,職業紹介所の弱体性などの現実的状況ゆえ,それは全否定されえないものであった.このような小学校における求人開拓・就職斡旋という営為は,保護者からの信頼に応えるためなどという理由づけもあって,職業紹介所のような「事務的な処理」とは異なる「教育の仕事」として積極的に肯定されてもいた.第4章では,本研究で明らかとなった知見をまとめ,総合考察を行った.
著者
劉 志偉
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.157-167, 2009-12-20

本稿は「姉小路式」の写本である「手耳葉口伝」をもとに,第五,第六の巻に当たる「か」と「かは」の巻を考察するものである中世に入って,テニヲハ意識が一層高まり,詠歌する際に個々のテニヲハの用法を説く専門書が現れ始めた.とりわけ,それを代表するものとLて「姉小路式」と呼ばれる一群の写本が挙げられる.この書には「ぞ」「こそ」「や」「か」といった係助詞に対する高い関心が認められる.本稿では「姉小路式」の著者による「か」「かは」の記述を解説した後,それを「や」や「ぞ」「こそ」の区分と比較した.その結果,「か」と「や」について,著者は両者をともに「疑ひ」の表現と認識したのみで,近世のように両者を区別する捉え方は見られなかった.また,「ぞ」「こそ」が係り結びの視点から促えられているのに対し,「か」と「や」は疑問表現として区分されている.こうした相違について従来の研究では,「姉小路式」に先行する最初のテニヲハ秘伝書『手爾葉大概抄』の影響によるとされている.しかし,本稿で見る通り,爺者は初期の連歌論者がテニヲハ論に及ぼした影響をも考え合わせなければならないと主張する.