著者
中澤 潤 小林 直実
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要. I, 教育科学編 (ISSN:13427407)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.119-126, 1997-02-28

事象や行為の時系列的な知識はスクリプト(Schank & Abelson,1977)や一般的事象表象(Generalized event renresentation:GER; Nelson,1986)とよばれる。スクリプトは,「特定の時空間的な文脈に適切な,順序だてられ目標に組織化された行為の流れ」と定義される(Schank & Abelson,1977)。スクリプトは目標(例えばレストランスクリプトであれば,食事をする)の達成に関わる登場人物(ウエイターやウエイトレス,食べる人),行為(入る,座る,注文する,食べる,支払う),小道具(メニュー,食器,請求書,お金やクレジットカード)といった要素からなる。そしてスクリプトにはスロットが想定されており,登場人物や小道具,行為が明示されていないとき,これらを推論できるようなデフォルトがそのスロットに入っている。そのため,レストランの話を聞いた人は,明示されていなくてもそこにメニューがあることをデフォルトから推論できる。またスクリプトには状況に応じて多様なパスがある。外食スクリプトにおいて,支払は重要な要素だが,高級なフランス料理のレストランとマクドナルドのようなファーストフードでの支払い方は異なる。このようなスクリプトの差異を子どもは経験を通して形成していくものと考えられる。スクリプトは人が持つスキーマの一つである。それは他のスキーマと同様に,階層をなしている一般的な構造である。階層構造については,例えば幼稚園生活のスクリプトの中にはお弁当のスクリプトやお帰りの会のスクリプトが下位構造として埋め込まれている。またスクリプトは一般的であるが故に,多様な状況に適用可能である。一方,スクリプトが他のスキーマと異なる点は,その基本要素が行為であるということと,行為の間に時間的因果的結合があるという点である。さて,人はスクリプトを持つことにより,上述のように,情報の欠けたメッセージからもその背景を推測できる。スクリプトに従うことでごっこ遊びにおいてルーチン的なやり取りのパターンを構成することもできる。また,幼稚園や保育園などでは園生活のスクリプトの獲得が園での適応に繋がる(藤崎,1995;無藤,1982)。例えば,中澤・鍛治・石井(1995)は幼稚園のお弁当活動における教師の発語を分析し,教師は入園当初お弁当活動におけるスクリプト形成を促す発語が多いことを見出した。生活上のスクリプトを初期に形成させることで幼稚園生活への適応援助を行っているといえる。このようにさまざまな観点から,こどものスクリプトや一般的事象表象の形成やその利用に大きな関心が持たれている(Fivush & Hudson,1990;Hudson,1993;Nelson,1986)。幼児は抽象的な知識の伝達から学ぶ存在ではなく,具体的な日常体験から学ぶ存在である。中澤・小林・亀田・鍛治(1993)は遠足体験が重なることにより,幼児の遠足知識が次第に一般的事象表象化していくことを示した。このような,日常体験を基にした事象知識の獲得やスクリプトの形成過程は,その意味で幼児期の認知機能の解明にとって重要な課題である。幼稚園で初めて経験することに,集団で行う活動がある。入園以前,個々の家庭で過ごしていた生活は,入園と共にその園・クラスにおける集団生活に変る。例えば,「食事をする」ことは家庭でも幼稚園でも行われていることで,食べる行為そのものは共通している。しかし幼稚園の食事は自分たちで食べる準備をして,みんなでそろっていただきますのあいさつをし,食べ終わってからはお片付けをしなければならない。その内容は家庭での食事とは大きく異なるであろう。このように,子どもはそれまでもっていた家庭での生活パターンから幼稚園における生活パターンを作るために,新たな知識を獲得していかなくてはならない。Nelson(1978)は場面に不慣れな子どもがどのようにして経験を組み立てていくのかをスクリプトの観点から検討した。対象は保育園の新入園児(3歳児)7人と2年目の在園児(4歳児)7人であった。場面として保育園での昼食を取り上げた。実験者はインタビューによって「あなたが保育園でお昼を食べるときにどんなことがありますか。」「それから何がありますか。」と尋ね,さらに細かな点や,他者の役割についても尋ねた。このインタビューを新年度が始まってから1週間以内と3ヶ月後の2回行い、子どもが挙げた昼食時の事象数と系列的な長さが比較された。新入園児より在園児が,1回目よりは2回目の方が,事象数は多く,系列も長かった。また数値の比較に加えて個人の発話プロトコルを事象構造的に図示した。それによると,在園児は事象間の順序を接続詞を使って正確に述べ,昼食活動の基礎的な事象(手洗い,食べる,片付けなど)にも多く言及していた。それに対し,新入園児は系列化が少なく,食事よりも食事後の昼寝に言及する事が多かった。このように,在園児はより適切な昼食スクリプトを構成していた。しかし,この研究では在園体験と年齢とが交絡しておりスクリプトの形成における経験と一般的な認知的発達の効果を分解できていない。そこで本研究では,4歳新入園児,4歳在園児,5歳在園児を対象とし,年齢と経験の双方から子どもの事象知識の獲得をみていく。特に,初めての経験から5ヶ月後まで3回にわたり調査するごとにより,知識の広がりやスクリプトの形成過程を検討する。場面は,1.園生活の中で流れが明確である,2.毎日繰り返される,3.家庭に基盤がある,4.新入園児にとって初めての体験であるの4点を考え,幼稚園のお弁当場面とした。
著者
仲 真紀子
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要. I, 教育科学編 (ISSN:13427407)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.1-18, 1998-02-28
被引用文献数
3

記憶が変容し,再構成されるものであることは古くから指摘されている(Bartlett,1932; Loftus,1982; Neisser,1988; Spiro,1980)。だがこのような指摘は実際にあった出来事が幾分なりとも記銘され,保持されていることを前提としている。これに対し近年では,実際に体験しなかったことまでもが「記憶」として植えつけられ,「想起」され得ることが問題とされるようになった(Ceci,1995; Ceci, Leichtman & Gordon, 1995; Loftus, 1997; Loftus, Coan & Pickrell, 1996; Loftus, Feldman & Dashiell, 1995; Loftus, 1994; 高橋, 1997)。例えばCeciらは幼児に,幼稚園を訪問したサム・ストーンという人物について,実際にはなかったことの「記憶」を植えつけている。彼らはサムの訪問に先がけ,幼児にバイアスのかかった情報を与え,またサム訪問後,繰り返しバイアスのかかった質問を行うことで,サムが本を破いたり,熊のぬいぐるみを汚したりしたという偽りの「記憶」を作り出した(Ceci, 1995; Ceci, Leichtman & Gordon, 1995)。またLoftusらは児童から老人までを対象に,ショッピング街で迷子になったという「記憶」を(Loftus, 1997; Loftus, Coan & Pickrell, 1997; Loftus & Ketcham, 1994),Hyman, Husband & Billings (1995)は学生を対象に,ウェディング・パーティでパンチ・ボウルをひっくり返したという「記憶」を,またSpanosらは学生を対象に,乳児の頃,ベビーベッドの上にモビールがかかっていたという「記憶」を作り出している(Loftus, 1997の引用による)。このような記憶の形成には(1)何かを思い出すよう圧力をかけること,(2)その(実際にはなかった)「出来事」について繰り返しイメージを喚起するよう求めること,(3)そのイメージが偽である可能性を追究しないこと,そして(4)例えば「誰々もそれが事実だと言っている」などの補強証拠を与えることなどが重要な要因となっているという(Loftus,1997)。だが同時に,個人の傾向性も無視することはできない。例えばLoftus et a1. (1997)の引用によれば, Hyman & Billingsは催眠下での被暗示性傾向を調べるための尺度CIS (Wilson & Barber, 1978)と解離体験傾向を調べる尺度DES(Carlson & Putnam,1993)のスコアが偽りの記憶の形成と関わりがあることを見出している。このような記憶の変容に関わる個人差のひとつに被暗示性がある。Gudjonssonは面接や尋問において提示された事後情報が元の記憶に取りこまれ,統合されてしまう傾向性を被暗示性と定義し,被暗示性の源泉として2つの種類を区別した(Gudjonsson,1984a)。ひとつは暗示的,誘導的な質問の内容が元の記憶内容に混入してしまうというものでyield(影響の受けやすさ)と呼ばれる。もうひとつは,面接時の対人的圧力が記憶の内容に変遷を生じさせてしまうというものでshift(変遷)と呼ばれる。従来は被暗示性と言うと記憶の変容だけを指すことが多かったが,認知的な記憶の問題と社会的圧力との影響を分けて考えることは,偽りの記憶の形成や形成に関わる要因を調べていく上で重要なことと思われる(Ceci, Leichtman & Gordon, 1995; Loftus, et a1.,1995)。Gudjonssonは被暗示性を測定する尺度としてGSS(Gudjonsson Suggestibitliy Scale)を開発した(Gudjonsson,1984a, 1987)。そこではまず短い物語を提示する。そして(1)その内容に問する(誘導を含む)質問への反応によってvieldを,(2)1回めの反応と2回めの反応の変遷(被験者に「誤りが多いのでやり直すように」と教示し,再度質問に回答させる)によってshiftを測定する。GSSは本来,法廷に立つ者の被暗示性・迎合性を推定する尺度として開発され,虚偽自白との関連性などを調べるのに用いられた(Gudjonsson,1984b)。だがエピソード記憶の特性等,基礎研究においても有用な道具となり得ることが作者自身によっても指摘されている(Gudjonsson,1987)。ここではGSSの平行版A Prallel Form of the Gudjonsson Suggestibility Scale (Gudjonsson, 1987)を翻訳し,質問紙で大学生被験者に実施し,この尺度で得られる記憶のyieldやshiftについて検討する。併せて, CIS,DESも邦訳し,GSSスコアとの関連を検討する。
著者
三浦 香苗 渋谷 美枝子 土屋 明子
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要. I, 教育科学編 (ISSN:13427407)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.29-44, 1996-02-29
被引用文献数
3

小学校で学習する"算数"は,中学校では"数学"と教科名がかわり,より論理的で抽象的な内容になる。さらに,中学校で学習する数学は高校の数学へ,大学や専門機関で学ぶ数学という学問へと,より高度で複雑になり発展・深化していく。算数は,数学への入口としての教科であり,論理的思考・抽象的思考を学ぶものであると位置づけられる。学習指導要領によれば,算数科の目標は,「数量や図形についての基礎的な知識と技能を身に付け,日常の事象について見通しをもち筋道を立てて考える能力を育てるとともに,数理的な処理のよさが分かり,進んで生活に生かそうとする態度を育てる」(文部省,1989a p.38)である。中学校数学科の目標の設定についての部分では,「小学校算数の性格を受け継ぎ,心身の発達に応じて,算数の目標を更に十分に達成させるとともに,小学校のときよりも一層論理的,抽象的に思考することができ,数学的な理解を深め,数学的な考察や処理についての能力を一層高めるようにする」と,算数と関連させて数学の目標を位置づけ,数学科の目標は「数量,図形などに関する基礎的な概念や原理・法則の理解を深め,数学的な表現や処理の仕方を習得し,事象を数理的に考察する能力を高めるとともに数学的な見方や考え方のよさを知り,それらを進んで活用する態度を育てる」(文部省,1989c p.9)という算数科ときわめて類似したものである。平成元年に学習指導要領が改訂され,円周率などの複雑な計算については電卓使用を教科書に明記するなど,算数においても大幅な変更が行われた。算数科改善の具体的事項の4項目の1つとして「中学校との指導の一貫性を一層図る」(文部省,1989b p.2)が挙げられ,これまで6年生の比例・反比例で未知数にxyを使用していたものが,4年生で文字を使用して数量関係を式に表すことがとり入れられた。この学習指導要領は,小学校では平成4年度,中学校では5年度より施行されている。算数と数学の学習内容の関連について,小学校教員と中学校教員の認識を調べた結果(三浦 1994a)によれば,中学校数学の授業を理解する前提として,小学校教員は22項目の算数の基礎的知識・技能のほとんど全ての習得を期待していたのに対し,中学校教員はより限られた項目に対しては習得を重視していたものの,習得していなくとも中学校数学の授業に支障がないとする項目もみられ(渋谷・三浦,1994),小学校教員と中学校教員の算数の達成重要度認識がかなり異なったものであることが示された。このような点を踏まえ,中学校数学とのつながりという観点から,最低限必要な算数の基礎的学習内容を特定し,小学校卒業時およびその後の学習内容の達成状況を調べることが,本研究の第1の目的である。先行研究では,小学校卒業時には,算数の基礎的学習内容である四則演算計算は平均約83%,文章題は平均約64%の児童に習得されていることが確認されている(渋谷・三浦,1995a)。今回,中学生にも同様の内容の調査を行うことで,中学入学後もこれらの算数の基礎的な学力が定着しているか,また,その後の学力の向上がどのような問題にみられるかを検討する。第2に,既に行なった調査内容に,図形や関数等の内容を加えた,より広い領域の学習内容の「算数の基礎的学力診断テスト」を作成し,領域間の達成度の関連を検討する。我々は,小学生向け算数学力診断テスト作成のための調査を行ない,四則演算計算・文章題について,小学校卒業時の習得状況および誤答傾向,四則演算計算と文章題の関連について,以下の点を明らかにしている。(1)文章題解決においては主に立式過程で誤りが生じ,計算過程以降の誤りは1割以下と少ない。文章題解決においては,数量関係を把握して式に表すことが,誤りを生じさせ易い困難な過程である。(2)計算力が高いほど文章題の正答率が高く,計算力の高さによって,誤って立式する演算の種類が異なり,文章題解決過程で生じる誤りの種類には質的差異がみられる(渋谷ほか,1995)。今回の調査では,図形に関する知識などを問う図形問題をとり入れるが,計算力や数量関係の把握を必要としない図形問題は,計算力・文章題とどのように関連しているのかを検討する。さらに,数学の学習者である中学生自身が,算数の学習内容をどの程度中学校数学を理解する前提として必要と認識しているのかを調べることが第3の目的である。これについては,数学の学習内容を全て修了した時点の認識として中学卒業時の3年生,算数の学習内容についての記憶が比較的多いと思われる中学1年生に,小学校算数の学習内容である具体的な個々の問題について,"この問題ができることは,中学校の数学の授業についていくために必要かを尋ね,その差異を検討する。第4の目的は,学習内容の達成重要認識と達成度との関連を検討することである。算数で学習した個々の知識が数学の授業において必要だと認識するかどうかは,個々の知識を習得しているかどうかで異なるであろうか。算数のある問題を解ける生徒は,"この知識があったため数学のある部分が容易に理解できた"と考えるのか,あるいは"この種の知識がなくとも支障がなかった"と考えるのだろうか。逆に,ある算数の問題が解けない場合に,数学の学習においてその問題を解けることが必要と思わないのか,あるいは,"この問題が解ければ数学も容易に理解できるのに"と達成重要度認識が高いのだろうか。この点についても,第3の目的で検討する,算数の学習内容のどの部分が中学校数学の理解に必要と認識されているか,と関連させて検討する。
著者
笠井 孝久
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要. I, 教育科学編 (ISSN:13427407)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.181-189, 2001-02-28

不登校児童生徒の不登校の状態やそのきっかけは様々であり,彼らに対する援助的関わりには,個別的アプローチが必要となる。児童生徒個々の発達状況や置かれている環境によって,乗り越えるべき課題が異なると考えられているためである。不登校を理解する視点の1つとして,発達課題の視点がある。例えば,中学生には,新しい価値基準の獲得といった,その時期特有の課題があり(笠井,2000他),それが不登校のきっかけや原因になったりするという視点である。確かに,それぞれの発達課題は容易に達成できるものではなく,課題への取り組みの困難さや達成の失敗をきっかけに不登校になることも少なくない。不登校児を理解・援助する際に,発達課題の視点は,非常に有用である。ところが筆者が出会った不登校児の中には,実年齢以前の発達課題でつまずき,その課題は達成されないままの状態になっている子どもも少なくない。既に中学生の年齢になっているのに,対人関係の技術が実年齢の子ども遂に比べ,著しく未熟だったり,興味・関心が小学校低学年程度の生徒は,とても同年代の仲間集団には適応できないだろう。ある時期の発達課題の未達成が,後の発達段階で問題を生じさせるものと考えられる.故に,実年齢の発達課題についての視点,すなわち横断的に発達をとらえる視点だけではなく,それまでの発達課題で達成できていないものは何か,不登校になったために本来なら体験すべき教育経験や対人関係が限定されてしまい,本人の実年齢に即した発達が阻害されてしまったのではないか等を考慮して不登校児に対する理解・援助を行う必要がある。不登校により阻害された経験が,学校復帰への妨げになることは,不登校による学業の遅れを考えると容易に理解できる。不登校児童生徒が,いざ学校へ復帰しようとしたときに,学業の遅れが気になって,登校行動が妨げられることも少なくない。近年,不登校児童生徒への援助的関わりとしてに,グループ体験や野外体験活動が多く行われている(国立オリンピック記念青少年総合センター1998,笠井, 1999)。これらの活動は,集団生活の中で傷ついた不登校児童生徒に,緩やかなペースの小集団活動を通して,自己信頼感や自信,集団で活動する楽しさ等を取り戻させる機能だけでなく,不登校をしていたがために阻害された経験や対人関係を補う機能も有している。この経験補足的な視点は,これまであまり着目されていなかったように思われるが,不登校児童生徒が再び学校へ復帰する場合に,同学年の集団への適応をより円滑に行うためには,非常に有効な関わりであると考えられる。そのような関わりを行うためには,まず,児童生徒が不登校という経験から,どのような影響を受けているかを明らかにする必要がある。そこで本研究では,不登校児童生徒が担任や友人に期待する関わりについて,現在の年齢という視点に加え,不登校になった時期や不登校の長さ等を分析の観点に加えて検討する.それによって,不登校をしている間に阻害された経験や,反対に不登校だからこそできる他の児童生徒が経験することができない経験を検討することが,現時点での不登校児に対する適切な援助のあり方についての有用な視点となる可能性について検討する。
著者
伊藤 葉子 木村 恵子
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要. I, 教育科学編 (ISSN:13427407)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.129-136, 1999-02-28
被引用文献数
1 1

本研究では,乳幼児を保育中の親を対象に,「『親になるための教育』として高校生にどんなことを学んでほしいと思うか」,また「特に男子高校生について何を学んでほしいか」についてアンケート調査をおこない,高校生にとっての「親になるための教育」についての議論を重ねていく上での一資料を提示することを目的とした。その結果,以上のことが明らかになった。(1)「『親になるための教育』として高校生にどんなことを学んでほしいと思うか」「特に男子高校生について何を学んでほしいか」の両設問共,父親の回収数が少なく,また,無回答率も高かった。この結果が,乳幼児の父親の高校の保育学習に対する関心の低さによるのかという点については,アンケート調査という評価用具などの検討により,明らかにしていく必要がある。(2)「男女のあり方と性」に関する記述が,両設問共最も多かった。この内容には,結婚する前から子どもをもった後のことまでの男女のあり方にかかわるものが含まれており,特に「命の尊さ」と「性教育・避妊・人工妊娠中絶」という言葉が多く書かれていた。また,母親の回答者数の1/3がこのカテゴリーに関する記述をしており,男女(夫婦)のあり方と性について学ぶことの重要性を感じていることが示された。男子高校生に対しても,母親からの「性教育・避妊・人工妊娠中絶」に関する学習の要望が高い傾向が見られた。(3)「親になる前に培っておくべき資質」「子どもを特つということの意味」に関する記述が多く,「育児に関する知識・技能」に関する記述が少なかったことから,高校生という発達段階を,いわゆる親となるための準備期間としての精神的な成熟を目指す時期と捉えていることが示唆された。同時に,文脈から,乳幼児の親が感じている現代の高校生(若者)の精神的な未熱さへの批判が読み取れた。(4)「子どもと接することに対する心得」「子どもの心身の発達に関する知識」に関する記述内容から,高校の保育学習に対する要望を記述する一方で,日頃,親たちが子育ての中で感じている悩みや不安を同時に表現していることが示された。「男女のあり方と性」に関する記述にも同様の傾向が見られ,特に,母親が父親に対して,子育てをめぐる夫婦のあり方に不満を特っている現状が表出されていた。(5)「子どもと社会」のカテゴリーに含まれる記述がそれ程多く見られなかったのは,本調査対象の母親の就業率の低さと関係していると考えられる。女性の社会進出が進む現在,男女共同参画社会の実現を目指すために,保育環境の整備や社会的支援に関する教育内容について,より検討が必要であると思われる。(6)「育児に関する知識・技能」に関する記述は少なく,「子どもの衣服」という記述は1人も見られなかった。乳幼児の親は,子どもの世話をする上での具体的な知識,例えば食事・衣服などについては,高校という発達段階ではそれ程必要性を感じていないことが示された。(7)具体的な学習方法を提示した記述もかなり多く見られ,保育学習を通して,子どもに触れ合うような機会を持つことへの要望が高いことが示された。また,社会福祉施設など,必ずしも「子ども」に限定せずに,さまざまな実習を通して視野を広げることも,親としての資質を培う一つの方法であることが提示された。
著者
大熊 真由美 杉田 克生
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要. I, 教育科学編 (ISSN:13427407)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.181-192, 2000-02-29

千葉県内の養護教諭76名を対象に,てんかん児の学校生活における現状と対処法についてのアンケート調査を実施した。てんかん発作の発生場所,てんかんのイメージ,てんかん治療薬の副作用,保護者との連携,級友への報告,学校生活での配慮,発作の前兆・誘因,医師との連携についての現状を調査し,現在学校現場ではてんかんについてどのように扱われているのか把握し,てんかん児がよりよく学校生活を送れる為に養護教諭としてどのように配慮していけばよいのか検討した。1) てんかん発作を見た経験については約9割が「ある」と回答し,具体的な場所は「授業中」が約8割と多かったが,その他の回答も多く,てんかん発作は時と場所を選ばず起こり得ることが分かった。2) てんかんという病名のイメージは「不安」約3割,「特になし」約3割であり,社会的に残っているてんかんという病名に対する偏見は今回の調査ではほとんどみられなかった。3) てんかん治療薬の副作用については学校現場では「眠気」が約7割であった。またその他の副作用も少数ではあるがみられ,治療薬により様々な副作用が出現することが分かった。4) 保護者からてんかんであることの報告を受けた経験については「ある」と約9割が回答し,その後の配慮としては「発作時への処置をあらかじめ知ることで心構えができる」と約9割が回答した。逆に報告されずに困った経験としては約4割が「ある」とし,その具体的内容として「学校行事や授業中に発作が起こり大騒ぎになった」と約8割が回答した。てんかんらしいと思われる子供で保護者からの報告がないという経験については「ある」と約7割が回答した。またその理由として「変な目で見られ差別または特別扱いされるのではと過剰防衛的になっていると思われる」が約6割であった。5) 級友への報告については「話す」約4割,「話さない」約5割,「話す・話さない両方」約1割となった。これについてはてんかんの状態,年齢等によって回答は変わると思われた。6) てんかん児の学習傾向については特別な傾向はみられなかった。また,学校行事や運動への参加については「配慮しながら普通にしてよい」が約8割であった。さらに,宿泊行事については約5割が「全員参加させる」とし,その際の注意点として「薬の服用を確認してけいれん発作時の頓服薬を持参させる」が約7割であり,今回の調査ではてんかん児に対し,学校行事への過剰な制限はしていないと思われた。7) てんかん発作の前兆については約8割が何らかの変調を感じていた。また子供の異常に気づいた際の対処として約6割が何らかの対処を行っており,具体的対処法は「担任に連絡して保健室で体ませる」が約6割であった。てんかん児の普段の健康管理については約3割が何らかの指導を行っており,その具体的内容としては誘因と考えられる行動についてできるだけ排除させようとしていることがうかがえた。8) てんかん児の対応についての医師との連携については「とっている」約3割,「とっていない」約4割、「とっていないがとりたい」約3割であった。具体的にどのようなことで連携を図りたいとしているかについては「生活全般」,「発作時の対応」が約7割で多く,養護教諭が積極的にてんかんに対しての知識を深めていこうとする姿勢がうかがえた。
著者
中間 美砂子 中山 麻衣子
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要. I, 教育科学編 (ISSN:13427407)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.95-110, 2000-02-29

家庭科男女共学履修がジェンダー観,家庭科観にどのような影響をもたらしたかを明らかにするため,本研究を行った。研究にあたっては,まず,1 家庭科とジェンダー観のかかわりに関する先行研究にあたり,ついで,2 家庭科男女共学履修制度導入による家庭科カリキュラムの変化について学習指導要領の目標,内容の変化及び教科書の人物画像をジェンダー視点から分析した。そのうえで,大学生を対象に,家庭科男女共学履修によるジェンダー観,家庭科観の変化についての調査を実施した。結果の概要は次の通りである。1 家庭科とジェンダー観に関する先行研究では,「女子必修の家庭科はジェンダーに基づく偏向を伴った教科であった」,「家庭科は,ジェンダーにかかわるテーマを学習題材としており,性平等意識を育てる教科としての特性を持つ」の2点が指摘されている。2 男女共学履修制導入により学習指導要領の目標には,「主体的」「家族」という語が新たに取り入れられ,内容には,高齢者の生活と福祉,消費生活と消費者としての自覚,生活情報の活用,青年期の生き方と結婚,生命の誕生,子どもの人間形成と親の役割が新たに取り入れられた。3 男女共学履修制導入により発行された教科書の人物画像をみると,男性画像,平等場面が増加し,伝統的場面が減少しており,平等意識を育てる役割の一端を担っていると考えられる。4 家庭科男女共学履修によるジェンダー観,家庭科観の変化についての調査結果の概要は次の通りである。(1) ジェンダー観水準は,女子の方が男子に比べて高水準で,家庭科の学習内容の重視度も高い。(2) 男子の共学履修グループは,履修なしグループよりもジェンダー観は高水準で,学習効果の認識は高く,新設項目についての評価が高い。(3) 女子の別学履修グループは,共学履修グループよりも,ジェンダー観は高水準であるが,学習効果の認識度は低い。(4) ジェンダー観水準が高いグループは,男女とも学習効果の認識は高く,新設項目をより重視している。男子の場合,育成する能力の重視度は高く,女子の場合,学習希望は高く,新設項目を重視している。
著者
笠井 孝久
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要. I, 教育科学編 (ISSN:13427407)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.221-229, 2000-02-29

不登校児童・生徒数は増加の一途をたどっており,彼等に対する関わりも,従来からの学級担任による助言・指導,相談機関等での相談の他に,スクールカウンセラーによる対応や適応指導教室の設置,野外体験活動の実施など多様な形態となってきている。しかし,現職教員が不登校児童・生徒と直接関わる機会は,まだそれほど多くない。自分の学級の生徒が不登校になった場合や,校務分掌で生徒指導や教育相談の担当になった場合に限られている。そのような場合でも,教師は学校復帰を前提とした関わりをしがちであり,また,子どものほうも学校復帰を強いられるのではないかという不安や,登校していない罪悪感などから教師に拒否的な反応をしてしまうことも多いようである。筆者の経験から,相談室では元気だが,担任の家庭訪問の際には,担任と顔を合わせなかったり,うつむいて一言もしゃべらないといった児童・生徒も多く,学級担任には"元気がない","暗い","頑な"といった印象を与えている。白井(1992)は,青年,大人,教師を対象に不登校イメージについて調査を行い共感的態度と評価的態度の2因子を抽出し,全般的に評価的態度のほうが強いことを示している。この評価的態度項目には,「自己中心的」,「非活動的」,「悪い」,「劣った」等の内容が含まれ,不登校児童・生徒に対する一般的なイメージは,おおむねネガティブな傾向であると言えよう。このようなイメージは,上述のような「教師-生徒」といった学校での関係を基盤にしてできたイメージであるために,不登校児の「学校に拒否的である」という一面だけをとらえているのではないだろうか。このような一面的なとらえ方は,不登校児の実態とかけ離れたものになり,かっ固定化してしまう危険性を含んでいる。千葉大学教育学部附属教育実践総合センターでは,千葉県教育委員会の主催する「ハートtoハート・リフレッシュセミナー」(不登校児童・生徒のためのキャンプ)にボランティアの学生スタッフを派遣している。そこに参加する子どもたちは多種多様で,一般的にとらえられているような非活動的,自己中心的な子どもたちばかりではなく,明るく,活動的で,他者に配慮できる子どもも少なくない。キャンプのように学校とは関係のない場所で,教師という立場に縛られない関わりであれば,一般論として作られたイメージや教師-生徒関係において作られたイメージと異なる,個々の不登校児の実態や本質を知ることが可能になるのではないかと考える。本論文では,実際に不登校の児童・生徒と関わる経験が,不登校児のイメージ,原因の認識にどのような影響を及ぼすかを検討し,不登校児童・生徒の理解についての方策を提案する。