著者
藤原 享和
出版者
同志社大学
雑誌
同志社国文学 (ISSN:03898717)
巻号頁・発行日
vol.73, pp.1-14, 2010-12

『万葉集』巻一五・三六八八番歌は、新羅への往路壱岐島で病死した遣新羅使(736年発遣)の一人雪連宅満を、「天皇の 遠の朝廷と 韓国に 渡る我が背」と詠う。白村江敗戦から70年以上を経、新羅が日本への朝貢外交を忌避しつつあった局面で、遣新羅使が敢えて「遠の朝廷」を使用した意識を考察。対新羅劣勢の中で逆に高まった新羅に対する強烈な支配意識の下に「都から遠方の天皇の支配地」の意で使用したと結論づけた。
著者
篠原 武志
出版者
同志社大学
雑誌
同志社国文学 (ISSN:03898717)
巻号頁・発行日
vol.75, pp.86-100, 2011-12

「高瀬舟」という小説は、中学校でも「読書」教材として採用され、そこでは、自分の意見を持つことが重要課題とされている。「高瀬舟」は一見多義的に見える可能性を含むような教材であるとも言える。中学生だからこそ、遠慮無くものがいえる空気の中で、やりとりを進めていくことが出来る場合がある。ここでは、生徒に書かせた論を中心にやりとりを進める形で生徒たちが到達していった過程を振り返り、また、「高瀬舟」の教材価値を考えてみる。
著者
植木 朝子
出版者
同志社大学
雑誌
同志社国文学 (ISSN:03898717)
巻号頁・発行日
vol.78, pp.53-66, 2013-03
著者
佐藤 未央子 Mioko Satoh
出版者
同志社大学国文学会
雑誌
同志社国文学 (ISSN:03898717)
巻号頁・発行日
no.90, pp.71-84, 2019-03

1920年代後半における谷崎潤一郎の小説や映画批評では、ドイツの俳優エミール・ヤニングス主演映画やアメリカの児童向け映画、ミス・アメリカを題材にした娯楽映画、ドキュメンタリー映画など、言及されるジャンルが多岐にわたっていた。また小説内には、映画館やテクニカラー(フィルムの部分彩色)といった、当時の映画文化が鏤められていることを確認した。
著者
李 春草 Syunsou Ri
出版者
同志社大学国文学会
雑誌
同志社国文学 (ISSN:03898717)
巻号頁・発行日
no.87, pp.41-53, 2017-12

本論は南京の都市イメージを分析しつつ、それが物語の舞台とされた理由を明らかにした。また登場人物と『板橋雑記』(清・余懐)のそれとの類似性などから、『板橋雑記』が「人魚の嘆き」の新たな典拠であることを指摘した。さらにヒロイン‐‐人魚の実像を解明する上、彼女が純粋な西洋美の象徴であることを論述した。最後に東洋的要素の役割や物語の結末を検討し、作家の意図や小説のモチーフを探ってみた。
著者
呉 艶
出版者
同志社大学国文学会
雑誌
同志社国文学 (ISSN:03898717)
巻号頁・発行日
no.75, pp.14-26, 2011-12

異類婚姻譚は古く、どの時代にも、諸民族の間に存在するものであり、日本と中国の同類のものは、時代的にも、距離的にも、互いに遠く隔たっているとは言え、一致するところが多く見られる。本稿は六朝小説などの中国の古典文学における異類婚の事例を取り上げ、日本のそれと比較しながら、その接点をめぐって考察を進め、更に、社会形態と宗教思想からの影響を考えながら、異類婚姻譚に表出する性差意識を検証するものである。
著者
桑原 一歌
出版者
同志社大学
雑誌
同志社国文学 (ISSN:03898717)
巻号頁・発行日
vol.75, pp.1-13, 2011-12

『枕草子』「五月ばかり、月もなういと暗きに」段では、当意即妙の応答に成功したかに見える清少納言が、竹の異名「この君」を知らなかったと言い続ける様が描かれる。「この君」の元となった王徽之による「此君」の故事には、俗物への皮肉が込められていた。知的な応答を試みるあまり故事の世界に肉薄しすぎた清少納言が、貴族の美意識から逸脱することを懸念しつつ描き出したのが当章段であると考え、かなの散文作品による表現方法として位置づけた。