著者
デッセィー ウーゴ
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.83, no.1, pp.93-114, 2009-06-30

宗教はグローバル化によって、進行しつつある価値観の相対化及び技術偏重の制度に対応するよう迫られている。それは、宗教の社会倫理に影響を与えているように思われる。これら二点が宗教の社会倫理に影響を与えていると思われる。浄土真宗の社会倫理とグローバル化について、(一)政治制度及び教育制度に対する姿勢と(二)宗教的価値観の相対化及び多元主義に対する姿勢という、二つの重要な側面を分析することで、異なる立場があることが分かる。浄土真宗は多くの場合、宗教社会学者のピーター・バイヤーが仮定する、グローバル化に前向きな「リベラル・オプション」を選ぶ傾向にある。これは靖国問題、教育基本法改正に対する取り組み、多元主義の重視、自己の宗教的伝統に対する認知的アプローチにおいて明らかである。その一方で、「ヒューマニズム」批判のように、グローバル化を危険視し抵抗するために、宗教的伝統の権威を力強く回復しなくてはならないと考えている。
著者
[ナガタニ] 弘信
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.87, no.1, pp.27-53, 2013-06-30

蓮光寺旧蔵本『親鸞聖人血脈文集』(現大谷大学図書館蔵)には、法然が親鸞に模写を許した自らの真影に元久二年(一二○五)に「銘文」とともに記した「名の字」とされる「釈善信」の記述がある。これが法然の記名を忠実に伝えているとすれば、親鸞が同年「綽空」から「善信」と改名したことを示す決定的証拠となる。古田武彦は『親鸞思想-その史料批判』(一九七五年)においてこの記述を、親鸞が建保四年(一二一六)に性信に与え、性信が『血脈文集』を編集した際に自らが親鸞面授の直弟であることの証拠として収めた「自筆文書」の一節である、と述べた。しかし、蓮光寺本の乱丁、当該文書の文面、『血脈文集』の構成を検討した結果、筆者は、この所謂「自筆文書」は、性信没後に『血脈文集』が編集された際に挿入された偽作に過ぎないとの結論に至った。筆者は、元久二年に法然が記した「名の字」は「釈善信」ではなく「釈親鸞」であると考えざるを得ない。
著者
矢内 義顕
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.2, pp.583-606, 2011-09-30

本稿は、西欧の共住修道制の父と言われるヌルシアのベネディクトゥスによる『戒律』と西欧の女子修道制にとって最も基礎的な戒律の一つであるアルルのカエサリウスによる『修道女のための戒律』をとおして、六世紀初頭の修道院・女子修道院における宗教教育を論じる。修道院の生活の中心となるのは、「聖務日課」と呼ばれる共同の祈りと労働だが、この聖務日課を充実するために、二つの戒律は、修道士・修道女が一日の一定時間を「聖なる読書」(lectio divina)にあてるよう定める。それは、世俗の書物ではなく、聖書、教父の著作、修道生活に必要な霊的な書物を読み、瞑想することによって、それらを学ぶことである。それゆえ、この「聖なる読書」の最終的な目的は、修道生活の完成を目指すことにある。そしてこの修道院を、ベネディクトゥスは「主への奉仕の学校」と呼んだが、それは、カエサリウスの女子修道院にもあてはまるであろう。
著者
阿部 善彦
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.3, pp.645-667, 2011-12-30

本稿は、エックハルトの「ドイツ語説教八六」(以下Pr.86)における「マリア」像を考察し、それとともに、エックハルト、タウラー、ゾイゼに通底する宗教的生の理解の解明を目指すものである。伝統的に、マリアは「観想的生」、マルタは「活動的生」の象徴として解釈されてきた。その中でも、Pr.86は、「マルタ」に完全性を見る独創的解釈を提示する説教として注目される。そのため、これまでのエックハルト研究においては、「マルタ」に示される宗教的生の完全性について論じられてきた。だが、「マリア」については十分に取り上げられてこなかった。本稿は、まず、(一)Pr.86で語られる「マルタとマリア」を、その解釈の基本線である「生」(leben)の観点から確認し、その上で、(二)「マリア」に固有の宗教的生の完全性が主題化される解釈伝統を説教内部に明らかにする。そして、(三)そこに示される「マリア」像とドミニコ会修道霊性との思想連関を考察し、これを踏まえて、(四)エックハルトから、タウラー、ゾイゼに通底する宗教的生の理解を明らかにすることを試みる。
著者
稲場 圭信
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.86, no.2, pp.219-242, 2012-09-30

本稿は、東日本大震災における宗教者の救援・支援活動、および、宗教者のそのような活動への宗教研究者の関わりを論ずる。東日本を襲った巨大地震と大津波は多くの犠牲者を生んだ。この未曾有の大災害に、多くの人が救援活動に駆けつけたが、宗教者の救援活動も迅速で、その力を示した。そこには、宗教者と宗教研究者との共同実践もあった。災害時に、寺社・教会・宗教施設は、緊急避難所・活動拠点としての場の力を発揮した。そして、精神面で心の支えとなる力も示した。宗教研究者自身も支援活動と調査を行い、その中で、被災地の宗教には、「資源力」、「人的力」、そして、祈り、人々の心に安寧を与える「宗教力」があることが浮き彫りにされた。本稿は、宗教者と宗教研究者の被災地への関わり方と共同実践の重要性をアクション・リサーチの観点から指摘した。宗教者、そして、宗教研究者にも息の長い関わりが必要とされている。