著者
八田 洋子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.16, no.2, pp.107-136, 2003-01

2000年1月、「英語公用語化」問題が唐突に出された。世界に生き残っていくには英語を日本の公用語にするほかはないと。本当にそうであろうか。「公用語」とはなにか。英語教育は機能しないのであろうか。「英語公用語化」の意味をさぐりながら英語教育改革をあわせて考える。
著者
三枝 優子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.31-50, 2014-09

近年、多くの大学で実施されている授業評価だが、そのあり方は授業形態によって異なるものである。本稿では文学部開講科目の日本語教育実習授業で実施した授業評価について報告する。この評価の特徴としてプログラム評価の手法を用い複数の関係者による複眼的評価を行った点が挙げられる。一般の講義授業とは異なり、教師と学生のみならず実習機関の教師や学生など様々な立場の人が関わる教育実習における複眼的評価の有用性について言及する。さらに評価結果を利用した授業活動についても報告する。この活動の結果、実習生は評価結果を共有することにより授業改善のための評価の仕方を学べただけでなく、実習授業を俯瞰的により深く理解することが可能となった。
著者
浦 和男
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.41-69, 2009-03

文明開化とともに西洋の笑話が原文で紹介されるようになる。新聞・雑誌類では明治10年以降の掲載が確認され、明治25年には福沢諭吉が「開口笑話」を出版し約350篇の笑話を紹介した。明治30年代後半になり、西洋の笑話を利用した英語学習書が相次いで出版され、英語読本類にも笑話が掲載される。その背景には、明治20年代後半からの英語教育の普及と産業発展による英語ブームと、文法に重点を置かない実用英語指向の高まりがある。また、この時期には新しい「笑い」を求める雰囲気があり、西洋の笑話の英語学習への利用が高まったとも考えられる。原文による笑話の学習を通じて、明治期の読者は多文化に接触し、日欧に共通する笑いの存在を知ることで、日本人が異質でないことを知ることができた。これらの英語学習書の英語教育的な意義、扱われた西欧笑話の日本の笑いへの定着、近代文学への影響など、今後検討しなけらばならない問題は多く残されている。
著者
Logan Richard
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.29-40, 2009-03

Endo Shusaku's first work of fiction was published in 1954 and describes a journey by ship from the French port Marseilles to Aden on the Arabian Peninsula. The main character muses on his inability to bridge the racial and cultural gap between Japanese and Europeans.
著者
GRAHAM Jimu
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.32, no.2, pp.1-38, 2019-03

This is a continuation of the discussion on how various types of school textbooks used in Japan and the United States lack a thoroughness that begs for supplementation or revision (Graham 67-93). In addition to virtually ignoring war's role in the social history of American racial relations by Japanese textbook writers, within the framework of history instruction, both countries' textbooks avoid authentic testimony by individual soldiers on what it feels like to kill another human being, whether combatant or non-combatant. While literature and popular culture aptly take up this theme for emotional and aesthetic effect, raw and artless accounts of war's most grotesque realities are seldom if ever juxtaposed with the names and dates textbooks offer students for rote memorization that can lead to success on examinations. A direct proximity of such recollections to the dry narrative of modern war's geopolitical ramifications would deepen an understanding of what war really is, at least where more sensitive students are concerned.
著者
GRAHAM Jim
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.67-93, 2018-09

This paper is a discussion of how the card-stacking technique has been employed in promoting historical understanding among youth, mainly where textbooks are concerned, but in the information mainstream as well. Both Japan and the United States have their unsavory histories, whether it be the enslavement of African Americans for the United States or the militarist past in Japan. Where it comes to Japan's understanding of how to teach modern American history, too, the domestic significance of World War II can get short shrift altogether. A particular widely respected Japanese publisher of textbooks for school age English language learners highlights and even celebrates the message of Martin Luther King's "I Have a Dream," but makes an error of omission revealing a stunning lack of historical perspective.
著者
笠井 勝子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.31-55, 2005-09-01

1884年のFeeding the Mind は、比喩と話の運びに注目したいルイス・キャロルの読書論である。この講話がどこで書かれたかについて考察する。Duncan Black (1996年)とSelwyn Goodacre (1984年)はキャロルがオールフリタンを訪問する前と見なしているのだが、訪問中に書いたのであろうと推測する。 グッデーカー(1984年)に入っている写真版からキャロルの講話を訳出し、内容に関する詳しい注を付けた。また、キャロルの日記とグッデーカーの冊子に基づいてオールフリタン訪問に至る経緯、およびイーディス・デンマン、ウィリアム・ドゥレイパーのこと、彼らを訪ねた1884年の選挙制度改革にキャロルが深い関心を持っていたこと、などに基づいて、ルイス・キャロルとドゥレイパーとの間にはこれまで注目されていない好感・共感が存在したことを考察する。
著者
藤井 仁奈
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.77-97, 2011-03-15

シェイクスピアの『ハムレット』に登場するオフィーリアは、「恋人への献身を最も完璧に立証する」狂気と死を表現する乙女として、19世紀の多くの画家によって描かれる。同時代に、ランボーは詩「オフィーリア」を完成させる。オフィーリアが(『ハムレット』にはない)百合やヴェールに喩えられ、純潔と死を象徴することは、この詩の1節を中心に読み取れる。続く2節では、彼女の狂気に陥った原因が、自ら夢を求めたことに由来することが明らかになる。彼女は、自ら夢を求めるがゆえに狂気に陥り、「黒い波のうえ」を永遠に漂う、ランボー独自の創造物として描かれる。彼女の狂気の原因が当時の倫理観や価値観から逸脱しているという意味で、ランボーのオフィーリアは、(「狂気の処女」を含めた)『地獄の季節』の語り手と軌を同じくする。この小論では、ランボーの「オフィーリア」の独自性を指摘し、後年書かれる『地獄の季節』へと通じる点を指摘したい。
著者
渡邉大
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, 2005-09
著者
早川 治子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.25-38, 2006-10-01

戦時下のラジオドラマの台本を電子化資料 とし、内容分析をするために「戦争キーワード」 という語彙群を設定した。それらの相互関係を分析することにより、強化しあいながらプロパガンダ効果を及ぼすやわらかい「戦争キーワード」の有り様を明らかにする。
著者
謡口 明
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.98-118, 2000-10

中国の戦国時代末期に韓非は儒家思想を批判・非難して独自の法思想を完成させたと言われている。しかしながら『韓非子』書中には孔子を引用した記述が多く、その記述内容を分析してみると批判ばかりでなく、孔子絶賛の記述が見られる。さらに孔子を用いた内容を詳細に考察してみると、孔子の思想及び『論語』について韓非は精通し、儒学者に匹敵するほどの知識をもっていることを見い出すことができる。韓非は『論語』を中心にして孔子の思想を受容し、韓非の政治思想の核に据えたと考えられるのである。しかし、韓非は自国韓滅亡の危機に直面し、儒家思想の限界を覚え、思想の転換をはかるのである。その転換にあたって荀子の思想が、韓非に多大な影響を与え、韓非の法思想の完成に貢献するのである。
著者
舘野 由香理
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.25, no.2, pp.1-21, 2012-03-15

中国語の音節構造はIMVF/Tで示されるのに対し、日本語はCVのような単純な開音節構造であるため、中国語原音を日本語に受け入れる際に、様々な問題が発生した。韻尾のうち、入声音は原則的に狭母音をつけて開音節化させたが、唇内入声音の受け入れ方は複雑である。例えば、「習シュウ(シフ)」のように語尾が「-ウ(-フ)」となるもの、「湿シツ」のように「-ツ」となるもの、「雑ゾウ(ザフ)・ザツ」のように「-ウ(-フ)」と「-ツ」の2通りあるものの3パターンの写され方が存在する。このうち「-ツ」は特殊であり、これは無声子音の前で起きた促音によるものとされる。小論では、現代漢語における唇内入声音の促音化について分析し、それをもとに歴史的実態についても推測する。合わせて、字音(漢字の音)と語音(漢語の音)の関係を明らかにしたい。
著者
沼ロ 勝
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.371-367, 1998-01

陶淵明の「乞食」の詩は、従来、作者の実際の体験を記したものであるのか、あるいは何らかの寓意をこめたものであるのか、論が分かれてきた。私の考察によれば、「乞食」の題は『焦氏易林』の一首の繇辞を典拠とし、それは伍子胥の故事に基く。したがって、作者が詩中漢の韓信と漂母の故事になぞらえるのは、事がらの真実を韜晦せんがための擬装であると考えられる。作者が韜晦した真実とは、後の江州刺史劉柳との間に交わされた友情-作者が抱いた理想を劉柳が共感し、秘匿しつづげたこと-であった。この詩は、劉柳が義熙十一年(四一五)六月に没した後、その友情に感謝して作ったものであろう。劉柳との友情は、「飲酒」其十六、「詠貧士」其六に形象を変えて表現され、また、作者の理想は、「桃花源記」として結晶していると考えられる。
著者
浦 和男
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.149-191, 2010-03

笑いに関する研究が国内でも本格的に行われるようになって久しい。大学でも笑い学、ユーモア学の名称で授業を行い、笑い学という領域が確実に構築されている。笑いそのものの考察に限らず、笑いと日本人、日本文化に関する研究も少しずつ行われている。これまで江戸期の滑稽に関する笑いの研究はすぐれた専攻研究が多くあるが、それ以降の時代の笑いに関する研究は十分に行われていない。本稿では、基礎研究の一環として、明治期に出版された笑いに関連する書籍の目録をまとめた。本稿で扱う「笑い」は、滑稽、頓智などに限定せず、言語遊戯、風俗など、笑いを起こす要素を持つものを広く対象としている。目録としてだけではなく、通史的に編纂することで、明治期を通しての笑いの在り方を考察できるように試みた。また、インターネットで利用できるデジタル資料情報、国立国会図書館で所蔵形態についての情報も付け加えた。
著者
平田 澄子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.124-139, 1999-10-01

『丹波与作待夜の小室節』は与作・三吉馬方親子の馬子歌を背景として、再会した家族の情愛や与作と恋人こまんの恋愛が、元禄期上方の歌舞伎狂言と同じような構成のうちに描かれているハッピーエンドの世話浄瑠璃である。近松は歌舞伎の子役の活躍や、自ら彼らを起用した経験を生かして、三吉という個性的な子供の描出に成功したと思われる。
著者
ハードスターク ユージン
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.71-78, 1990
著者
亀田 裕見
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.37-87, 2010-09-15

埼玉県東部における2世代の言語調査によって得られた文法事象の方言分布状態を、言語地図を作成することによって明らかにし、県東部の中での言語境界や近隣県との繋がりを明らかにする。また、世代差を見ることで方言の変化と共通語化の状態を捉えようとするものである
著者
亀田 裕見
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.1-59, 2010-03-10

埼玉県東部における高年層と中年層の2世代の言語調査によって得られた方言分布より言語地図を作成し、県東部の中での言語境界や近隣県との繋がりを明らかにする。また、世代差を見ることで方言の変化と共通語化の状態を捉えようとするものである。