著者
関口 安義
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.19, no.2, pp.120-89, 2006-03-01

東京上野の国立西洋美術館には、松方コレクションと呼ばれる西洋の絵画・彫刻・工芸品、特にフランス印象派の絵画とロダンの彫刻で知られた美術収集品がある。実業家の松方幸次郎が大正後期から昭和初期にかけて収集したものとされている。この松方コレクションは、すぐれた美術鑑賞眼を持つ成瀬正一の協力のもとになったことは、意外と知られていない。国立西洋美術館は開館当初こそ松方コレクションが成瀬正一の助力で形成されたことを小さく報じていたものの、一九九八(平成一〇)年秋の改築後は、そのいわれを記した案内板も消え、『国立西洋美術館名作選(1)』という立派なカタログの高階秀爾の「序文」にも、成瀬正一の名はない。本論では、芥川龍之介の友人成瀬正一の松方コレクションとのかかわりを中心に、同時代青年の文学と美術への関心に光を当てることとする。本論もわたしの芥川研究の一環である。
著者
舘野 由香理
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.23-51, 2012-09-29

「半濁音化」とは、漢語に関していえば「絶品ゼッピン」「審判シンパン」のように、入声音・鼻音の後でハ行子音がp音になることをいう。しかし、入声音・鼻音に続いたハ行子音がすべて半濁音化するわけではない。唇内入声音-p(例:「執筆シッピツ」)・舌内入声音-t(例:「吉報キッポウ」)および唇内鼻音-m(例:「音符オンプ」)・唇内鼻音-n(例:「散髪サンパツ」)にハ行子音が続く場合には規則的に半濁音化するのに対して、喉内入声音-k(例:「国宝コクホウ」)と喉内鼻音-〓(例:「公平コウヘイ」)にハ行子音が続く場合には規則的に半濁音化しない。助数詞の場合には「一発イッパツ」「七発シチハツ」、「三発サンパツ」「三本サンボン」のように、半濁音化するか否かには規則性が見られず複雑である。小論では、現代漢語における半濁音化の実態について調査し、それをもとに半濁音化の条件について分析する。
著者
遠藤 織枝
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.1-27, 2009-03-16

戦時中の日本語の一面を、ルビによって捉えようとするものである。 戦時中の家庭雑誌『家の光』は1942年8月号までは、記事全体にルビが振られていた。そのルビで「日本」に「ニホン/ニッポン」のいずれのルビがふられているのかをみると、1935年ごろまでは、すべて「ニホン」であったのが、戦局が激しさを増すと同時にほとんど「ニッポン」に替えられてしまっている。 また、「知識階級(インテリ)」のように、外来語が従来語・訳語のルビとして用いられる例が多い。そこから、外来語の定着の仕方をみるものである。つまり、外来語導入の過渡期的なものに、そのような外来語と漢字語の併記がされると考えられるので、当該の語句を当時の新聞・辞書、また戦後の新聞・辞書で使用の実情を調べた。その結果、外来語として、現在の新聞では「知識階級」はほとんど使われず外来語由来の「インテリ」が優勢になっている。一方で「空港(エアポート)」のように戦前の雑誌で併記されていた語の中には外来語でなく、「空港」が圧倒的になっているものがあることがわかった。導入された外来語の中にも、従来語・訳語の方が優勢になっていった語があることを示した。
著者
鈴木 健司
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.26, no.2, pp.172-145, 2013-03-15

「宮沢賢治文学における地学的想像力」というテーマのもと、「文学部紀要」を中心に十一本ほどの論文を継続的に書き、単行本『宮沢賢治文学における地学的想像力―〈心象〉と〈現実〉の谷をわたる―』(蒼丘書林、二〇一一年)として上梓した。しかしその後、新たに書き足したいテーマがあらわれ、調査、研究を続けてきた。それがまとまったので、「補遺二題」として発表することにした。第一章は、〈種山ヶ原〉に関し、賢治の岩石認識に異なりがあることを明らかにした上で、それが、〈種山ヶ原〉の体験時期の異なりや、その体験で受けたイメージと深い関連があることを指摘し、そのことが賢治文学の想像力の展開を考える切り口になるのではないか、という主旨である。第二章は、賢治テクストにあっても実在しない〈鬼越山〉を取り上げ、これまで、〈鬼古里山〉を想定していた先行研究に対し、〈燧堀山〉こそが〈鬼越山〉に当たるのではないか、という新見解を提示し、立証する。
著者
城生 伯太郎
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.87-98, 2010-03

言語学の1領域に社会言語学があるのと同様に、音声学の1領域に社会音声学(socio-phonetics)の有用性を訴える。定義は、「音声学の一分野で、音声の産出、伝播、受容・認知の3大側面に影響を及ぼす社会的・文化的な諸要因を探求することを、主たる研究目的とする」とする。方法論は、原則的に記述研究によるが、面接調査による資料収集の際に調音音声学的記述にとどまらず、高品位の録音(場合によっては録画)をも並行して実行し、後日それらのデータをことごとく音響解析して定量化することが不可欠である。さらに、場合によっては実験室まで被験者にご足労をお願いして、事象関連電位を用いた脳波実験を行うこともあり得る。理論的枠組みとしては、一般言語学が強い関心を寄せるラングと、音声学が強い関心を寄せるパロルとの中間に位置する「norma」や「音芯論的レベル」を、基本的単位とする。
著者
江種満子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, 2004-01
著者
川口 良
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.37-57, 2017-09

「断り表現」として用いられるようになった「大丈夫」の「新しい用法」に注目して、「大丈夫」の意味機能の歴史的変遷を明らかにし、現在の新用法をその変化の過程に位置付けることを目的とした。分析に当たっては、語用論的意味変遷のプロセスとして「文法化」「主観化」「間主観化」を援用した。まず、『日本国語大辞典』(小学館)の用例によって「大丈夫」の意味変遷をたどり、「大丈夫」が明治期までに二度の「主観化」を起こしたあと、「聞き手の懸念を打ち消す」という配慮表現となって「間主観化」を起こしていることを示した。次に、現在の「断り表現」としての用法を検討し、「大丈夫」が「聞き手の気遣いを辞退する」表現となって、相手の主観性にいっそう配慮した意味機能をもつようになったことを論じた。これは、話者の間主観性がより強まって、「大丈夫」が新たな「間主観化」の段階に進んだことを示すものと考えられる。
著者
江種 満子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.65-91, 2004-01

前稿で中断した「こわれ指輪」論を発展させ、テクスト全体の構造を、「女権」という主題軸と「指輪」によるレトリックの軸の相互関係としてとらえた。さらにこれらの二つの軸に埋もれるようにして、植木枝盛のいわゆる「歓楽」への視線が瞥見できる点を指摘。これはのちの紫琴時代のテクスト群がみせる粘弾性の強い人間観の貴重な兆しである。しかし紫琴時代に至るまでには、女権論者清水豊子を挫折させた二つの体験(大井事件による妊娠出産と古在由直との結婚)が介在する。この時期を、豊子書簡と古在書簡および掌篇「一青年異様の述懐」によって考えた。その後、夫の由直の留学によって僥倖のように訪れる紫琴時代をいくつかのテクストによって読み解く。なかでも「葛のうら葉」の位置は最も重要である。「葛のうら葉」は、構造的に清水豊子時代の「こわれ指輪」をなぞるかにみえて、じつはその後の豊子の体験と英知と想像力を結集して、異質な世界へ超え出た成熟の文学的達成である。
著者
浦 和男
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.149-191, 2010-03-10

笑いに関する研究が国内でも本格的に行われるようになって久しい。大学でも笑い学、ユーモア学の名称で授業を行い、笑い学という領域が確実に構築されている。笑いそのものの考察に限らず、笑いと日本人、日本文化に関する研究も少しずつ行われている。これまで江戸期の滑稽に関する笑いの研究はすぐれた専攻研究が多くあるが、それ以降の時代の笑いに関する研究は十分に行われていない。本稿では、基礎研究の一環として、明治期に出版された笑いに関連する書籍の目録をまとめた。本稿で扱う「笑い」は、滑稽、頓智などに限定せず、言語遊戯、風俗など、笑いを起こす要素を持つものを広く対象としている。目録としてだけではなく、通史的に編纂することで、明治期を通しての笑いの在り方を考察できるように試みた。また、インターネットで利用できるデジタル資料情報、国立国会図書館で所蔵形態についての情報も付け加えた。
著者
山本 卓
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.1-22, 1999-03-01

アラゴン後期の代表作『死刑執行』には、作者自身の自我の投影である「二重人間」が登場する。同一人物の公的な面と私的な面とを代表するアントワーヌとアルフレッドの二人がその二重人間だ。彼らはそれぞれに、作者の内面の対立する両極を具現化した存在である。この二人の対立を通して、後期のアラゴンの内的な葛藤が明らかにされていく。実はしかし、この、二重人間という認識のための仮説は、ロマネスクな世界に入り込むための出発点にしか過ぎないのだ。アラゴンはこうした対話の装置を媒介としつつ、より高度の多声的な構造を持った作品空間を構築していくからである。二つの声による対話は、副次的なさまざまの声を呼び寄せつつ、やがては数多くの声が語り合う多声的な空間を創造していく。本稿では、そうした多声的空間生成のプロセスを、パフチンなどの理論と対照しつつ考察する。
著者
佐倉 香
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.75-122, 2000-01-10

イタリア・ルネサンスの典型的な「万能の人( uomo universare )」として知られるレオナルド・ダ・ヴィンチ( Leonardo da Vinci ,1452-1519)の遺産には、芸術作品の他に、生涯を通じて記された膨大な頁数の手稿がある。手稿の内容は、絵画、彫刻、建築の他、解剖、天文、幾何、物理、数学、寓話など多岐にわたるが、彼はそれらの多くにおいて、最終的な表現手段である芸術、特に絵画表現に昇華させることを目論んでいたと思われる。こうしたレオナルドの諸活動は、観察に基づいた独自の方法によっている点でおおむね共通する。そして、レオナルドが最も注目し、多様な視点から観察、分析を続けた対象のひとつに「水」があった。本論文では、この「水」のモティーフに焦点を絞り、さまざまな記録や描写とその発展過程とを整理した上で、このモティーフに見るレオナルドの自然観察と芸術表現との関わりについて考察する。
著者
寺澤 浩樹
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.146-131, 2012-09-29

武者小路実篤の中期(大3〜6)作品群において、素材を同じくする戯曲「罪なき罪」(大3・3)と小説「不幸な男」(大6・5)の二作品は、他の諸作品を挟む時期に位置する。その中には、小説「彼が三十の時」(大3・10〜11)、戯曲「その妹」(大4・3)、戯曲「ある青年の夢」(大5・3〜11)など、戦争への作者の関心が反映された著名な作品が多く、この中期が「ヒューマニズムの時代」と呼ばれるゆえんである。しかし、小説「不幸な男」の特質として、戯曲「罪なき罪」から小説「不幸な男」への変容の根底には、〈死のリアルな表現〉の意図であること、その素材のデフォルメの意図には、モデルの〈苦境と苦悩の明確化〉があること、その主題は、〈神ならざる凡人には重すぎた運命〉であり、その情調は、〈厳粛な暗澹たる悲哀〉であることなどから、小説「不幸な男」という視座からは、この中期には、〈死の認識〉のモチーフが明瞭に見える。それが、「非戦」的と言われる諸作品を芸術として成立させる礎であり、武者小路独自の運命の観照なのである。
著者
加納 陸人
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.40-52, 2002-03

中国の中等教育では、ここ数年、従来の受験教育や詰め込み教育から脱却しようという動きが出ている。日本語教育においてもその動きに呼応し、時代に合った教科書が求められるようになった。本稿では高校教科書作成の指針になっている大綱(指導要領)の目的と教科書の編集方針、教科書の全体構成と作成意図・目的などについて触れ、教科書を使用した教師の感想や意見・問題点について言及する。現場の多くの教師には、当初、新しく作成された教科書を高く評価しながらも、新しい内容や大学受験との関係で、どのように対処したらいいか戸惑いも見られた。しかし、教師自身が教科書を使用していく中で、生徒のコミュニケーション能力の必要性や文化の大切さなどを強く感じるようになってきた。教科書が現場の意識に影響を与えているといえる。また、大学受験の出題項目にも変化がみられ、従来の暗記をすれば対応できるものでなくなってきている。ここにも教科書の意図が反映されている。
著者
芦田川 祐子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.45-65, 2018-09

本論文は、ウェルズのThe War of the Worldsについて、どのような諸世界の戦いが描かれているのかを、作品内に響く音を手がかりに考察する。火星人の立てる音は他者性が強調され、生身の軟らかい音もあるが、大部分は機械音で、生身と機械が一体化した存在として認識されることが多い。地球側を特徴づける音としては人声や車輪の音があるが、音声で意思疎通をする点では火星と必ずしも対立していない。火星人は武器を駆使して地球の音を圧倒し、死の静寂をもたらすが、バクテリアに敗れて自らも沈黙する。一方で火星人到着から侵略、死滅までを目撃する語り手の中でも世界の衝突が起きており、火星人に接近して音と沈黙、生と死の世界のせめぎ合いを体験した語り手は、現在の世界に過去と未来を重ねて見るようになる。こうして新たな世界の見方を獲得した語り手も、人間の限界を超えることはなく、それ故に世界の衝突が続くであろうことが示唆される。
著者
文教大学目録学研究会
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.108-80, 2016-03

本稿は、章学誠『校讎通義』の訳注である。今号では、巻三の「漢志諸子第十四」全三十三条のうち、第十一条から第二十三 条までを訳出する。樋口が担当した。前号に引き続き、底本には、葉瑛『文史通義校注』(中華書局、一九八五年)を用い、あわせて、嘉業堂本、劉公純標点の『文史通義』(古籍出版社、一九五六年、中華書局新一版、一九六一年)、葉長清『文史通義注』(無錫国学専修学校叢書、一九三五年)、王重民『校讎通義通解』(上海古籍出版社、一九八七年、傅傑導読、田映㬢注本、上海古籍出版社、二〇〇九年)、劉兆祐『校讎通義今註今訳』(台湾学生書局、二〇一二年)などを参照した。