著者
亀井 啓一郎 原 美登里 鈴木 厚志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 = Proceedings of the General Meeting of the Association of Japanese Geographers
巻号頁・発行日
no.69, 2006-03-10
参考文献数
1

1 はじめに<BR> モノやヒトや自己との対話をとおし、協力・協働のある学びが提唱されて久しい。地理教育に関する文献では、古くから野外観察や野外調査に基づいて自ら情報を目的に応じて収集・処理し、それを解釈・判断し、自らの考えを述べる能力育成の大切さが指摘されてきた。自らの観察や調査によって構成された心象は、視聴覚教材等によって得られたものより狭い地域範囲にとどまるが、観察や調査に基づき得られた内容には深さと多角的側面が備わり、地域を認識する基礎となるためである。このようなことが指摘されてきたにもかかわらず、それらを実践する組織的な方法や、評価・展示のための仕組みを十分に構築してきたとはいえない。本発表は、4年目を迎えた「彩の国環境地図作品展」の実践報告である。これにより、地理教育の基礎・基本を視座に据えた、大学と地域社会との協働ネットワークづくりの一端を紹介したい。<BR><BR>2 「彩の国環境地図作品展」の組織と概要<BR> 「彩の国環境地図作品展」は、2002年度より埼玉県内の小・中・高・特殊教育諸学校に在籍する児童・生徒を対象として開始している。立正大学地球環境科学部と埼玉県北部地域創造センターは、県の推進する「職・住・遊・学」拡充戦略の一つにこの地図作品展を位置付けた。そのため、当初より埼玉県や埼玉県教育委員会、熊谷市教育委員会、地元の現職教員、生涯教育施設の長に実行委員として参加頂き、初年度の組織を立ち上げた。2005年度の実行委員は総勢17名、その内10名は県内諸機関から参加頂いている。 後援団体としては、埼玉県やさいたま市、教育委員会、公益法人、そして日本地理学会をはじめとする地理学・地図学系学会に協力を依頼している。また、東京電力(株)埼玉支店には、特別協賛という形で発表会・表彰式の会場を提供頂いている。 2005年度の「彩の国環境地図作品展」の年間日程は以下の通りである。5月から6月にかけて、埼玉県内の小・中・高校や生涯教育施設などに作品募集のポスター・チラシを配布し、作品応募を呼びかけた。作品の受付は9月2日から16日である。10月に作品審査となる実行委員会を開催し、11月から翌年2月にかけて、発表会・表彰式と作品展示会を開催している。 なお、この地図作品展の事業経費は、立正大学地球環境科学部予算と同大学院にて実施するオープンリサーチセンター経費から支出されている。<BR><BR>3 地域協働ネットワークづくり<BR>産官学協同事業の事例を示す。「彩の国環境地図作品展」の作品募集の一環として、「地図作り教室」を開催している。開催当初は、立正大学地球環境科学部の施設のみで観察・調査・地図作成のすべてを行っていた。2004年からは、北本市にある埼玉県自然学習センターとの事業として、7月の第3・4週の土曜日に開催している。「地図作り教室」では自然学習センターの指導員が中心となり、自然学習センターのある自然観察公園で観察・調査を行い、その翌週、立正大学地球環境科学部において地図化と発表会を行っている。さらに、2005年は熊谷市環境対策課と協働で「地図作り教室」を開催している。入賞作品については、発表会・表彰式を開催し公表している。発表会・表彰式は、東京電力(株)の普及施設であるTEPCO SONICを会場とし、実行委員や国土地理院や埼玉県などの授賞団体の関係者に出席頂いて開催している。作品展は巡回展示により行っている。展示会場はTEPCO SONIC・埼玉県自然学習センター・さいたま川の博物館・立正大学熊谷キャンパスで、入賞作品だけではなく、多くの応募作品を展示・公開できるように配慮している。このように、発表会・表彰式と巡回展示においても地域社会との協働体制を推進している。<BR><BR>4 作品の特徴<BR> 2005年度の応募は34作品であった。そのうち10作品を入賞作品として選出した。入賞作品を学年別にみると、小学生5作品、中学生3作品、高校生1作品、中学生と高校生のグループによるものが1作品である。このうち、国土地理院長賞を受賞したのは、熊谷市立佐谷田小学校元荒川環境調査隊H17の「がんばれムサシトミヨ!ムサシトミヨの食料編」である。また、埼玉県知事賞と日本地理学会長賞を受賞したのは、こどもエコクラブザ・すぎちゃんズの「ようこそ鳥さん元荒川へ」である。両作品とも埼玉県内を流れる元荒川をテーマとしてグループで観察・調査をし、その結果を図表や写真を用いて表現豊かにまとめた作品である。これらは、本地図作品展の目的の一つである、身近な環境や地域の姿を自ら観察・調査することを実践した質の高い作品である。また、このような作品は増える傾向にある。これは、われわれの取り組む事業の趣旨が出品者側にも伝わり、地域恊働ネットワークが少しずつ形成されている証拠ともいえよう。
著者
梶田 真
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 = Proceedings of the General Meeting of the Association of Japanese Geographers
巻号頁・発行日
no.64, 2003-10-11

1.はじめに 近年、公共投資が本来の社会資本整備という目的から逸脱し、土木業者の需要創出のために過大な事業が実施されているとの批判が強まっている。本報告では公共投資・土木業・環境管理の3者の関係の考察を通じて、公共投資改革のあり方について検討したい。2.わが国における土木業の歴史的展開と地場業者 受注生産を行う土木業では業者に対する信頼が業者選択に大きな影響を与えるため、一般に寡占的な受注構造とピラミッド型の分業体制が形成される。わが国の土木業では、高度経済成長期に中央のゼネコンが次々と地方圏のローカルな土木市場に進出し、地場業者の市場を侵食していった。こうした動きに対し、地場業者は「市場の棲み分け」を訴えて政治家などに働きかけていく。その結果、様々な保護制度が設置され、強化されていく。さらに公共投資における国から地方自治体への、大都市圏から地方圏へのシフトの中で、わが国の土木市場は工事の規模、内容そして発注機関の管轄域によって分断される。このような市場構造はわが国の土木業のコスト高構造、公共投資をめぐる様々な不正の温床を生み出す原因であると考えられている。 では、地場業者は必要ないのだろうか?答えはノーである。例えば、災害などが生じたときに迅速に対応することができるのは即座に施工体制を編成することができ、地域の地理的状況を熟知している地場の業者である。それゆえに中央のゼネコンとの役割分担を見直し、その上で現在の地場業者を適切な方向に再編成していくことが求められている。3.環境共生型の社会資本整備に向けた土木業の再編成 今後、環境共生型の社会資本整備を進めていく上で、その担い手である土木業を適切な形に再編成していくための鍵は何であろうか。報告者は政策の信憑性とインセンティブの問題を取り上げたい。 まず、政策の信憑性であるが、この概念は政府の政策を信頼できるものとして受け止め、対象となる主体の行動に影響を与えることができるかどうかを問題とする。例えば、将来的に公共投資を縮小させる、という将来ビジョンを政府が示したとしても、それが信憑性を持って受け取られなければ、業者は公共投資の縮小に向けた再編成のための努力にかわって、公共投資水準を維持するためのロビー活動に努力を注ぐことになるだろう。適切な将来展望の下で業者に合理的な判断をさせていくためには政府が政権交代や景気変動に左右されない、確固とした姿勢を示し、政策に対する信憑性を回復することが必要である。 次にインセンティブであるが、環境共生型の社会資本整備を進めていくためには、現在の新設工事中心の投資内容を維持・補修工事中心の内容に改めていくと共に、環境に配慮した工事技術などの導入を進めていく必要がある。そのためには、こうした工事技術を収得することが業者にとってメリットとなるようなインセンティブを設けることが必要である。これまで受注業者選定などにおいて環境への配慮などの取り組みが適切に評価されてきたとはいいがたい。今後、公共投資の量的・質的変化が進んでいく中で、政府には必要とされる業者像、工事技術を明確に示し、そうした業者を適切に評価していくための仕組みを確立していくことが求められる。
著者
上遠野 輝義 福岡 義隆
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 = Proceedings of the General Meeting of the Association of Japanese Geographers
巻号頁・発行日
no.64, 2003-10-11

1.はじめに これまでにも南関東地方から長野県東北部に至る大気汚染の長距離輸送に関する研究(栗田・植田、1986)や、南関東地方の小地域におけるオキシダント濃度と局地風についての研究(菊池、1983)などがあるが、関東地方全域のオキシダント濃度と局地風の関係についての研究例は、とくに最近10年間極めて少ない。温暖化にともなって最近、各地の光化学スモッグが高濃度化している。 そこで、本研究では、関東地方において特に注意報発令の多発した2000年夏半年について、全国的にみても高濃度日の多かった埼玉県に注目し、光化学オキシダント濃度分布と天気図型及び局地風(風向風速)の分布との関係について解析し考察を試みた。2.研究方法_丸1_使用した資料:2000年5月_から_9月夏半年における関東地方1都6県全域の大気汚染常時監視測定局の毎時データを用いた。オキシダント測定局数は約300局、風向風速は約350局であるが、栃木県の風データは欠測値が多かったのでアメダスデータを使用した。埼玉県における光化学スモッグに関しては1990_から_2000年についての傾向を調べてみた。_丸2_解析方法:光化学オキシダント濃度の分布図と風系図はArc View(GISソフト)を用いて1時間毎に描いた。全事例の中から、天気図型別に注意報発令日(120ppb以上)と非発令日(120ppb以下)の比較考察を行った。3.研究結果 今回は、全体的な傾向と事例研究として最も頻度の多かった天気図型(南高北低型)について、注意報発令日(7月23日)と非発令日(9月2日)とについて考察した結果を報告する。(1) 関東地方の月別光化学スモッグ注意報発令回数が最多県は埼玉(40件)で最少の神奈川の4倍である。(2) 過去5年間における埼玉県において注意報発令日の天気図型は、最も多かったのは南高北低型(33%強)で、移動性高気圧型と東高西低型(各12%前後)が次いでいる。(3) 注意報発令日7/23も非発令日9/2も南高北低型天気であり、後者では熊谷で39.8℃もの高温という残暑であったが、光化学オキシダント濃度分布と風系は異なる。前者では、海風の進入と気温上昇とともに埼玉県中部から群馬県にかけて120ppb以上の高濃度地域が発現している。一方、非発令日には海風などの風系は類似しているが陸風も強くオキシダント濃度は80ppb以下と低い。
著者
荒又 美陽
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 = Proceedings of the General Meeting of the Association of Japanese Geographers
巻号頁・発行日
no.69, 2006-03-10
参考文献数
2

1.はじめに<BR> 街区を保存すべきか、作り変えるべきかという判断は、既存の建造物の状態や固有の歴史性にしたがってなされているように見える。しかし、実際には、それは時代や社会情勢を反映しており、決して中立のものではない。同じ街区が、数年間のうちに、保存の対象となったかと思えば取り壊されることもある。<BR> パリのマレ地区は、1964年に歴史的街区として保護・修復の対象となった。根拠法である通称「マルロー法」(1962年成立)の審議の段階で、マレはすでに対象とみなされており、その歴史的価値が相当に認知されていたことを見て取ることができる。ところが、戦前には、マレ地区の南部は「不衛生街区」として取り壊しの対象となっていた。この転換の背後には何があったのだろうか。本報告では、パリ四区の住民を中心とする歴史協会が、現在のマレ地区にほぼ一致する領域を対象に研究し、1902年から39年まで発行していた『ラ・シテ』という機関誌を取り上げる。分析によって、地区の二つの表象が明らかになってくる。ここでは、それらと政策の関連について考察する。<BR>2.取り壊しに対抗する歴史<BR> フランスの都市計画は、19世紀中盤以降、入り組んだ街区を取り壊し、広い街路と設備の整った建造物を建設する方向で進められてきた。マレ地区の整備は遅れていたが、20世紀の初頭には、少しずつ取り壊しと再建が実施された。第四区の歴史協会は、地区の建造物やモニュメントについて、たくさんの研究を行った。詳しく見ていくと、それらは必ずしも美的・歴史的価値が見出されるにつれて増えたというわけではない。1902年の最初の論文から、対象となっているのは破壊されつつある建造物であった。また、歴史上重要な人物が地区でどのように生活していたかについても報告され、具体的な場に当てはめられた。『ラ・シテ』の歴史研究は、具体的な建造物や通りと関連させることによって地区の取り壊しに抗していたのである。<BR>3.排除すべき現状<BR> 他方、同じ『ラ・シテ』において、東方ユダヤ移民が批判すべき対象として現れていた。19世紀末から、ポーランドやロシアの弾圧を逃れて多くのユダヤ人がマレに住んでいたが、『ラ・シテ』では、言葉も通じず、好んで不衛生な状態にいる不可解な存在として描かれていた。行政に「不衛生街区」と指定されたマレ南部については、統計上移民が多いこととともに、19世紀のはじめにコレラの死者が多かったことも報告された。こうして、『ラ・シテ』では、街区の取り壊しにも理由を与える表象を提供していた。<BR>4.破壊から保存へ<BR> マレ南部の不衛生街区は、ヴィシー期に集中的な開発の対象となった。当初は取り壊しを目的としていたが、1942年に街区の歴史性を重視する方針に転換した。同じ時期にユダヤ人が強制移送の対象となり、地区の表象として歴史性のみが残っていたことと無関係とはいえない。戦後、不衛生街区事業を担当していた建築家がマレ地区保存のための調査にあたった。『ラ・シテ』に見られた保存と排除の思想は、60年代に引き継がれていくのである。<BR><BR>主要参考文献<BR>Fijalkow, Y. 1998. La Construction des &icirc;lots insalubres. Paris 1850-1945. L'Harmattan<BR>Gady, A. 1993. L'&Icirc;lot insalubre No 16: un exemple d'urbanisme arch&eacute;ologique. Paris et Ile de France m&eacute;moires publi&eacute;s par la f&eacute;d&eacute;ration des soci&eacute;t&eacute;s historiques et arch&eacute;ologiques de Paris et de l'Ile de France. Tome 44: 207-29