著者
佐藤 らな
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部言語学研究室
雑誌
東京大学言語学論集 = Tokyo University linguistic papers (TULIP) (ISSN:13458663)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.279-293, 2019-09-30

「-すぎる」は、形態論的に非常に生産性が高く、動詞、形容詞、形容動詞に後接することが知られている。さらに、近年では「天使すぎる」ように、「-すぎる」が名詞に後接する例も主に口語的な表現においてしばしば現れるようになっている。本稿は、「-すぎる」が名詞に後接するものを「Nすぎる構文」と呼び、その意味を分析する。Nすぎる構文は名詞に結び付いた典型的な物語を背景に、そこに含まれる性質の過剰を表すことを主張する。論文 Articles
著者
平田 秀
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部言語学研究室
雑誌
東京大学言語学論集 = Tokyo University linguistic papers (TULIP) (ISSN:13458663)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.103-115, 2019-09-30

本論では、日本語歌謡曲における特殊モーラの自立性について、2010 年代に活躍した2 名の男性シンガーソングライター・星野源と米津玄師の対照を通して論じる。特殊モーラが独立した1 つの音符を付与されている割合は、星野の楽曲において高く、米津の楽曲では低いという結果であり、2 名のシンガーソングライター間で大きな差がみられた。その一方で、二重母音の第2 モーラであるイ音・撥音は自立性をもちやすく、長母音の第2 モーラ・促音は自立性を失いやすい点は共通していた。本論では、単独で独自の音色を有する特殊モーラである二重母音の第2 モーラであるイ音・撥音は自立性をもちやすく、独自の音色をもたない特殊モーラである長母音の第2 モーラ・促音は自立性を失いやすいことを指摘する。論文 Articles
著者
SAKAI Tomohiro
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部言語学研究室
雑誌
東京大学言語学論集 = Tokyo University linguistic papers (TULIP) (ISSN:13458663)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.247-270, 2017-09-30

Whereas Frege’s impact on modern semantics (and pragmatics) is uncontroversial, it is generally assumed that the scope of the Fregean framework is confined to formal semantics (and pragmatics) as opposed to cognitive semantics, or more broadly, cognitive linguistics. The purpose of this paper is to explore to what extent Frege’s notion of sense/thought (Sinn/Gedanke) is compatible with Langacker’s notion of construal. Appearances notwithstanding, it turns out that the two frameworks are largely compatible. As regards singular terms like “the morning star” / “the evening star”, the compatibility of the two models is indisputable; the sense/construal of a singular term corresponds to a particular way of thinking or viewing its reference. Even though Frege’s position on predicates like “horse” / “steed” is not so straightforward, his model can be, based on some textual evidence, construed in such a way as to be no less fine-grained than Langacker’s. The parallel between sense and construal finally collapses, however, when grammatical constructions appear on the scene. Although he detects differing meaning in pairs of truth-conditionally equivalent sentences, Frege relegates it to the realm of the tone, a realm which belongs to “what is beautiful in language” or “poetic eloquence”. If, despite Frege’s notorious dichotomy between science/logic and fiction/poetry, the integration of the tone with the sense is feasible, then Frege may count as one of the founders, albeit a marginal one, of cognitive linguistics, in that he explicitly provided, more than one century ago, detailed descriptions of those aspects of meaning that cognitivists are pursuing today.
著者
三好 彰
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部言語学研究室
雑誌
東京大学言語学論集 = Tokyo University linguistic papers (TULIP) (ISSN:13458663)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.295-305, 2018-09-30

『英和対訳袖珍辞書』 (堀達之助編 1862)は市販された最初の英和辞書である。そしてその原稿の一部が残っている。本辞書は改訂を繰り返したが最終版は『大正増補 和訳英辞林』(前田正穀・高橋良昭編 1871)である。原稿は手書き(手稿)であり、 『英和対訳袖珍辞書』 の英語部は活版印刷であるが日本語部は木版印刷である。そして『大正増補 和訳英辞林』は英語部も日本語部も活版印刷である。日本語の表現が手書き、木版印刷、活版印刷と三様であることに着目し、漢字の異体字の異動を検証した。手稿、『英和対訳袖珍辞書』 と『大正増補 和訳英辞林』の三者の間で異体字が使い分けられていることがある。この場合には手稿と『英和対訳袖珍辞書』とは同形の文字を使い、『大正増補 和訳英辞林』ではその異体字を使うケースが多い。手稿、『英和対訳袖珍辞書』 と『大正増補 和訳英辞林』のそれぞれの中で漢字とその異体字が混用されているケースでは、その件数がこの順に減っていることが分かった。これらのことから手稿では異体字の混用の意識が薄かったが、木版印刷の『英和対訳袖珍辞書』で少し絞り込み、活版印刷の大正増補 和訳英辞林』では大幅に絞り込んでおり、印刷技法が文字セットに影響を与えている実態が浮き上がってきた。The first commercial English-Japanese dictionary was published in 1862, and its partial manuscript is existent. The dictionary has been revised several times, and its final edition was published in 1871. This paper comparatively discusses usage of Kanji character variants in three documents; namely, the handwritten manuscript, the first dictionary of woodblock printing and the final one of letterpress printing. In cases where a set of Kanji variants is used within all three documents, the same character is mostly used in the manuscript and the first dictionary, while its variant character is used in the final one. And in cases where a set of Kanji variants is used within each document, numbers of set of Kanji in the manuscript are larger than those in the first dictionary, which are larger than the numbers in the final dictionary. This paper shows that writing /printing methods affect character sets used in documents.資料・研究ノート Source Materials and Remarks
著者
萩澤 大輝
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部言語学研究室
雑誌
東京大学言語学論集 = Tokyo University linguistic papers (TULIP) (ISSN:13458663)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.41-58, 2020-10-31

哲学における存在論研究では「語とは何か」という問いが議論されている。認知言語学的な観点からすると、その議論に見られる混乱はプロトタイプカテゴリー観を取ることで適切に整理することができる。そのうえで、哲学と言語学の知見を接続するには、語の典型をミームという存在者だと見なす説が有望である。ではミームはいかに発見されるだろうか。まず、人間は万物流転の世界を体制化している。語をはじめとする言語的ミームが立ち現れる過程は、その体制化の一環であるリンク発見ゲームとして定式化できる。そこでは同一性や実在論にまつわる素朴理論が採用されている。これを踏まえると、派生は客観的な変化ではなく「見え」としての変化である。This paper starts by showing that the confusion surrounding the philosophical discussion in recent years of the ontology of words can be sorted out by the prototype theory of categorization adopted in cognitive linguistics. It goes on to argue that the insights into words gained so far in philosophy and linguistics can be straightforwardly integrated into a theory that views a prototypical word as a meme. This leads to the question of how we identify memes as such. Living as we do in a world where everything is in flux, we have to create order in that world to make our experience coherent. Words as linguistic memes emerge as we participate in a game in which we form, drawing on naïve theories, links of similarity and association. Viewing words as memes allows us to think of morphological derivation as a process by which a link of partial identity is established between multiple word types, rather than as one producing an objective change.論文 Articles
著者
田中 太一
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部言語学研究室
雑誌
東京大学言語学論集 = Tokyo University linguistic papers (TULIP) (ISSN:13458663)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.271-285, 2017-09-30

Kuroda (1979) は、日本語の受身文はニ受身文とニヨッテ受身文に二分されると主張し、両者の違いを"affectivity"の有無によって説明した。しかし、"affectivity"に明確な定義を与えなかったこともあり、久野 (1983) において、誤解にもとづく批判を受けた。さらに黒田 (1985) では、著者自身による誤った"affectivity"解釈が提示されており、議論の理解が一層困難となっている。 本稿では、"affectivity"が誤解されて行った道筋をたどることで、論争に現れる概念を整理し、誤解の原因が何であったのか診断を与える。論文 Articles
著者
平沢 慎也
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部言語学研究室
雑誌
東京大学言語学論集 = Tokyo University linguistic papers (TULIP) (ISSN:13458663)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.71-102, 2019-09-30

英語の前置詞aboutは〈思考・発話〉を表す語句とともに用いられることが多い(e.g. think about …, ideas about …, talk about …, the statement about …)。aboutの補部名詞句の選定の仕方に関しては,(i)〈思考・発話〉の〈話題・トピック〉を補部名詞句に据える場合もあるが,(ii) 話し手が参照してい るセンテンス形式の〈思考・発話〉とほぼ同じ内容を表すセンテンスを聞き手が頭の中で復元できるように,元のセンテンスの全体または重要な一部を名詞化したものを補部名詞句に据える場合も ある。(ii)のとき,補部名詞句が結果的に〈思考・発話〉の〈話題・トピック〉に対応する場合もあるが,他にも〈思考・発話〉の〈内容〉など様々な要素と対応しうる。たとえば,Forget what I said about you being smart「あなたのこと賢いって言っちゃったけど,あれ,忘れて」におけるyou being smartは,You're smartという〈発話〉そのものを名詞化したものであるから,対応しているのは〈発話〉の〈内容〉であって〈話題・トピック〉ではない。日本語訳に関しては,補部名詞句が〈話題・トピック〉に対応するならば,堅い文体では「について」が,柔らかい文体では「の話を」や「のことを」などが妥当であるが,補部名詞句が〈話題・トピック〉に対応しない場合があることを踏まえると,万能の訳語は存在しないと考えるべきである。The English preposition about is often used with expressions associated with the concept of thought or utterance (e.g. think about …, ideas about …, talk about …, the statement about …). Its complement is either (i) a noun phrase referring to the TOPIC of the thought/utterance or (ii) a nominalization of (an informative part of) the sentential thought/utterance that the speaker expects the hearer to reconstruct. In the latter usage, the nominalized element sometimes corresponds to the TOPIC of the sentential thought/utterance—but not invariably so. It often corresponds to the CONTENT or some other part or facet of the sentence. Take for example: Forget what I said about you being smart ('I said you were smart, but forget it'). You being smart is a nominalization of the sentence You're smart, which is precisely what the speaker said in the past. Here, about is being used to introduce the CONTENT, rather than the TOPIC, of his/her utterance.The Japanese equivalents for the English about in formal and informal style seem to be ni-tsuite and no-hanashi-o/no-koto-o respectively, as long as the complement corresponds to the TOPIC of the thought/utterance. But in other cases these translations do not work. The conclusion has to be that there is no foolproof way to translate about into Japanese.論文 Articles
著者
髙城 隆一
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部言語学研究室
雑誌
東京大学言語学論集 = Tokyo University linguistic papers (TULIP) (ISSN:13458663)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.267-282, 2020-10-31

本稿では、先行研究によって「一型アクセント」であるとされてきた鹿児島県の大隅半島東部で話されている内之浦方言のアクセント体系を記述し、二型アクセントの痕跡が今なお残存することを指摘する。拡張語を2つ以上使用した文中での名詞の発音を観察すると、ある話者の発音では鹿児島市方言の二型アクセントと類似する、対立する2 種類のアクセント型が現れることから、この話者が鹿児島市方言と同じ二型アクセントに近い体系を意識下に持っていると考える。さらに、拡張語を単独で発音した際にはアクセント型の対立が見られない別の話者も、文中での発音においては2 種類のアクセント型が比較的安定して現れることが明らかになった。両話者の体系にはそれぞれ鹿児島市方言とのアクセント型の対応や語末音素による条件づけが想定でき、これは二型アクセントから変化したものであると考えられる。論文 Articles
著者
平田 秀
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部言語学研究室
雑誌
東京大学言語学論集 = Tokyo University linguistic papers (TULIP) (ISSN:13458663)
巻号頁・発行日
vol.41, no.TULIP, pp.103-115, 2019-09-30

本論では、日本語歌謡曲における特殊モーラの自立性について、2010 年代に活躍した2 名の男性シンガーソングライター・星野源と米津玄師の対照を通して論じる。特殊モーラが独立した1 つの音符を付与されている割合は、星野の楽曲において高く、米津の楽曲では低いという結果であり、2 名のシンガーソングライター間で大きな差がみられた。その一方で、二重母音の第2 モーラであるイ音・撥音は自立性をもちやすく、長母音の第2 モーラ・促音は自立性を失いやすい点は共通していた。本論では、単独で独自の音色を有する特殊モーラである二重母音の第2 モーラであるイ音・撥音は自立性をもちやすく、独自の音色をもたない特殊モーラである長母音の第2 モーラ・促音は自立性を失いやすいことを指摘する。
著者
鎌田 寧々
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部言語学研究室
雑誌
東京大学言語学論集 = Tokyo University linguistic papers (TULIP) (ISSN:13458663)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.105-116, 2020-10-31

石川県旧鳳至郡能都町方言は、旧七尾市徳田などに分布する能登主流アクセントの変形したアクセントをもつとされてきた。本稿ではまず、能都町の1~3拍のアクセントを記述する。次に、これを能登主流アクセントと比較し、能都町方言には能登主流アクセントの変形と呼ばれるほどの差はなく、同様の体系をもっていることを指摘する。最後に、上昇式の音調型に注目し、能都町の方言が式の対立を失う過程に入ろうとしていることを示す。特に、1~3拍の名詞の中では1拍のものから対立が消滅していくという可能性を指摘する。論文 Articles
著者
田中 太一
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部言語学研究室
雑誌
東京大学言語学論集 = Tokyo University linguistic papers (TULIP) (ISSN:13458663)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.295-313, 2019-09-30

中野 (2017) によって提唱された「認知言語類型論」は、ラネカーによる認知文法は認知D モードに基づいているために主体的表現の分析には適さないと批判し、日本語はその深層において文字を持たない言語であり、認知PA モードによって主体的に事態を捉える言語であるために、態や時制などの、英語には存在する文法カテゴリーは創発しないという結論を提示する。本稿では、本書を批判的に検討し、その主張が誤解に基づくものであり、多くの誤りを含むことを示す。論文 Articles
著者
松本 悠哉
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部言語学研究室
雑誌
東京大学言語学論集 = Tokyo University linguistic papers (TULIP) (ISSN:13458663)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.123-144, 2017-09-30

形容動詞語幹は格助詞を伴うことがあり、実際には多く使用されているものの、形容動詞という品詞について考察される際には例外的な用法とされてきた。これまで言及されることのなかった格助詞を伴う形容動詞語幹の用法を指摘すると共に、形容動詞語幹と格助詞の共起には容易には一般化できない語ごとの多様性が存在していること、形容動詞語幹と格助詞の共起を促す決まった語によってさらに多くこの用法を用いることができるようになることを示す。論文 Articles
著者
阪口 慧
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部言語学研究室
雑誌
東京大学言語学論集 = Tokyo University linguistic papers (TULIP) (ISSN:13458663)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.233-257, 2019-09-30

本稿では日本語形容詞「痛い」の多義性に対する考察を行う。これまで、形容詞の意味に関する研究においては意味分類に重きが置かれてきたが、多くは典型的な意味、用法のみを扱ったものである。これらの意味分類はそれぞれの語彙を提示する(また依拠する理論が提示する)タイプのいずれかに当てはめようとし、語の意味の豊富さを矮小化して記述してしまう恐れがある。本項ではこれを意味の極小主義的アプローチと呼ぶ。これに対し、語の参与項、及び参与項間の関係性の豊富さをありのまま記述するアプローチであるフレーム意味論を意味の極大主義と位置づけ、これを本稿における意味記述の方法的枠組みとして採用する。なお、本稿では日本語書き言葉均衡コーパス(BCCWJ)から採取した例を観察し、「痛い」には〈身体的苦痛〉〈金銭的損失〉〈精神的苦痛〉〈評価〉〈程度性〉といった様々な意味、用法を有することを示す。また、身体的苦痛を根源的意味と位置付けた場合、どのように他の意味に拡張したか考察する。論文 Articles
著者
田中 太一
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部言語学研究室
雑誌
東京大学言語学論集 = Tokyo University linguistic papers (TULIP) (ISSN:13458663)
巻号頁・発行日
vol.41, no.TULIP, pp.295-313, 2019-09-30

中野 (2017) によって提唱された「認知言語類型論」は、ラネカーによる認知文法は認知D モードに基づいているために主体的表現の分析には適さないと批判し、日本語はその深層において文字を持たない言語であり、認知PA モードによって主体的に事態を捉える言語であるために、態や時制などの、英語には存在する文法カテゴリーは創発しないという結論を提示する。本稿では、本書を批判的に検討し、その主張が誤解に基づくものであり、多くの誤りを含むことを示す。
著者
佐藤 らな
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部言語学研究室
雑誌
東京大学言語学論集 = Tokyo University linguistic papers (TULIP) (ISSN:13458663)
巻号頁・発行日
vol.41, no.TULIP, pp.279-293, 2019-09-30

「-すぎる」は、形態論的に非常に生産性が高く、動詞、形容詞、形容動詞に後接することが知られている。さらに、近年では「天使すぎる」ように、「-すぎる」が名詞に後接する例も主に口語的な表現においてしばしば現れるようになっている。本稿は、「-すぎる」が名詞に後接するものを「Nすぎる構文」と呼び、その意味を分析する。Nすぎる構文は名詞に結び付いた典型的な物語を背景に、そこに含まれる性質の過剰を表すことを主張する。
著者
松本 悠哉
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部言語学研究室
雑誌
東京大学言語学論集 = Tokyo University linguistic papers (TULIP) (ISSN:13458663)
巻号頁・発行日
vol.38, no.TULIP, pp.123-144, 2017-09-30

形容動詞語幹は格助詞を伴うことがあり、実際には多く使用されているものの、形容動詞という品詞について考察される際には例外的な用法とされてきた。これまで言及されることのなかった格助詞を伴う形容動詞語幹の用法を指摘すると共に、形容動詞語幹と格助詞の共起には容易には一般化できない語ごとの多様性が存在していること、形容動詞語幹と格助詞の共起を促す決まった語によってさらに多くこの用法を用いることができるようになることを示す。