著者
岩屋 隆夫 松浦 茂樹 望月 誠一
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.53, no.5, pp.44-67, 2009

扇状地河川の一つ、富士川右支川釜無川の扇頂左岸に築堤されたのが著名な信玄堤である。この信玄堤を原型とする釜無川左岸堤は、明治29年の洪水で建設以来、初めて破堤した。当該水害の問題点などは、既に岩屋が明らかにしているところであるが、この明治29年の時点で、釜無川左岸堤は、既に連続堤防となっていた。では、不連続堤また霞堤の代表格として各種論文等に記載されることが多い釜無川左岸堤は、どのような理由で連続堤防へと変貌したのか。本論は、かかる釜無川左岸堤の連続化の築造経緯を明示することによって、富士川明治改修の特徴を明らかにする。信玄堤の連続化の経緯等は、これまで明らかにされたことが無いから、この点において本論の意義がある。
著者
山口 晴幸
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.46, no.2, pp.78-105, 2002-06-01 (Released:2018-03-14)
参考文献数
10
著者
竹内 俊雄
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.36, no.2, pp.p14-45, 1992-06
著者
和達 清夫
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.7, no.4, 1963-10
著者
松浦 茂樹
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.143-168, 2014

明治43年(1910)8月,関東地方を中心に東日本で大水害が生じた。この対策として政府は北海道移住を呼びかけた。この呼びかけに,渡良瀬川支川思川下流部に位置する栃木県下都賀郡から66戸210名が応じた。彼らは,44年4月,現在の北海道常呂郡佐呂間町に入植し,その土地を「栃木」と命名して開墾を進めていった。明治時代,水害罹災者が北海道へ移住するのは珍しいことではなかった。明治22年の奈良県十津川災害では,十津川村から約640世帯,約2,600人が移住し,新十津川村を開いたことはよく知られているが,富山県の常願寺川水害,岐阜・愛知県の木曽川水害でも被害者は新天地を求めて移住した。また40年の富士川大水害後も,山梨県から200戸以上の移住者が北海道に向かっている。ところで栃木県下都賀郡は,明治20年頃から35年にかけて足尾銅山から排出された廃鉱(廃棄された銅分を含む土石)によって鉱毒被害が生じた地域であった。また,佐呂間町に移住した66戸の中には10数戸の元谷中村出身者がいた。このため今日,度々,この移住は足尾鉱毒事件と結び付けられて述べられている。たとえば,昭和57年(1982),開拓70周年を記念して「栃木のあゆみ」が栃木開基開校七十周年記念協賛会から刊行されたが,その冒頭に「(栃木集落は)栃木県人の皆様が足尾銅山の鉱毒に追われ,北海の新天地に永住の地を求めて移住されました」と述べている。つまり栃木集落に移住してきた人々を足尾鉱毒の被害者とし,その移住を足尾鉱毒事件の一環としてとらえている。さらに,政府による「強制移住」との主張もある。
著者
浜田 忠久
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.92-123, 2003

水利組織の原型は、江戸時代に形成された井組、水組などと呼ばれた村々連合だといわれるている。こうした旧慣に基づく組織を、法律で定めた新しい組織制度の枠組みに組み入れていこうとすれば、当然そこには摩擦や混乱が生じることになる。そうした事例は全国各地にみることができる。ここでは、制度と実態の不一致により生じた対立・紛糾事例として、待矢場両堰地区における堰総代人問題を取り上げ、新しく導入された法律制度に対する県の考え方や地元における期待、その間に挟まれた郡の対応などを追いながら、その混乱が何故生じ、それがどようなかたちで収束していったかについてみていくこととしたい。
著者
土屋 信行
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.55, no.6, pp.63-77, 2012-02-01 (Released:2017-07-24)
参考文献数
27

The history of water disasters and hazards characteristics in the part of Tokyo East lowland(below sea level area): In the present paper, the author has studied the history and characteristics of water disasters in low ground of east part of Tokyo, where the ground surface is almost below-sea-level. Tokyo East lowland was basically formed by transforming Tone River to the east and Arakawa River to the west in the Tokugawa era. Through the flood disasters from the Meiji to Showa era,Arakawa Chanel and Edogawa Chanel were newly opened and a reclamation land at Kasai was constructed to avoid flood disasters in Tokyo East lowland. However, the numerical simulations at present study reveals that the existing of fundamental risks of flood disasters in Tokyo lowland and Edogawa ward is still in danger by the lower height of dykes on the left side of Arakawa River. From a case study of numerical simulation assuming high tide with a supplemental high water by climate change around Arakawa River mouth,Edogawa ward might be easily flooded within 2 days. As there is now a high density population in Tokyo East lowland, the countermeasures against the coming flood disasters must be planned and conducted properly and urgently.