著者
吉原 達也 笹栗 俊之
出版者
福岡医学会
雑誌
福岡医学雑誌 (ISSN:0016254X)
巻号頁・発行日
vol.103, no.4, pp.82-90, 2012-04-25

2型アルデヒド脱水素酵素(aldehyde dehydrogenase 2:ALDH2)は,アルコール(エタノール)の代謝で生ずるアセトアルデヒドを酸化する酵素であり,人が酒に「強い」か「弱い」かは,この酵素の遺伝子多型に大きく依存することがよく知られている.しかし,ALDH2遺伝子多型は,単に飲酒の可否を決定するだけでなく,様々な疾患の発生や薬物の代謝と関連することが,近年明らかとなってきている.たとえば,低活性型の遺伝子型を有する人では,アルコール摂取後に血中や組織中に毒性を持つアセトアルデヒドが蓄積するため,高活性型の遺伝子型を有する人と比較して,消化管や肝臓などの癌化率が増加することが知られている.また2002 年以来,ALDH2がニトログリセリン(glyceryl trinitrate:GTN)を代謝(活性化)し,その薬効発現に関わることがわかってきた.今では,プロドラッグであるGTN をALDH2が還元代謝することで一酸化窒素(NO)が産生され,血管拡張反応が起きると考えられている.しかし,ALDH2遺伝子多型がGTNの血管拡張作用に及ぼす影響を調査する精度の高い研究は行われていなかった.そこで最近我々は,健康成人を対象とした臨床試験を実施し,GTN による血管拡張に要する時間はALDH2活性が低下するほど延長することを示し,ALDH2 がGTN 薬効発現に重要な役割を果たしていることを明らかにした.さらに,ALDH2が心血管保護作用を有する可能性が示唆されている.動物実験において,ALDH2は心筋虚血再還流後の心筋梗塞範囲を減少させることが示され,ALDH2が活性酸素種(ROS)や毒性アルデヒドを減少させることがその機序と考えられている.また,GTNはALDH2阻害作用を有することから,GTN の長期投与はALDH2を抑制することにより心血管障害を悪化させる可能性も考えられる.本稿では,ALDH2 遺伝子多型と臨床医学との関わりについて,最新の知見に基づき概説したい.
著者
太田 千穂 枩岡 樹子 原口 浩一 加藤 善久 遠藤 哲也 古賀 信幸
出版者
福岡医学会
雑誌
福岡医学雑誌 (ISSN:0016254X)
巻号頁・発行日
vol.98, no.5, pp.236-244, 2007-05-25

Our previous studies have shown that six metabolites, namely 3-hydroxy (OH)-, 3'- OH-, 4'-OH-, 3',4'-dihydroxy (diOH)-, 3'-methylsulfone (CH3SO2)- and 4'-CH3SO2-2,2',4,5,5'- pentachlorobiphenyl (CB101),were found in the serum and liver of rats,hamsters and guinea pigs 4 days after administration of CB101. In this study, the in vitro metabolism of CB101 was studied using liver microsomes of rats, hamsters and guinea pigs, and the effect of cytochrome P450 inducers, phenobarbital (PB) and 3-methylcholanthrene (MC) on CB101 metabolism was also compared. 3-OH-, 3'-OH-, 4'-OH- and 3',4'-diOH-CB101 were formed by liver microsomes of rats,hamsters and guinea pigs except that 3-OH-CB101 was not formed by hamster liver microsomes. In untreated animals, both 3'-OH- and 4'-OH-CB101 were major metabolites. By treatment of PB, 3'-OH-CB101 was increased remarkably to 140-fold of untreated in rats and to 79-fold of untreated in hamsters, and was also increased slightly to 4-fold of untreated in guinea pigs. Moreover,PB-treatment showed a significant increase of3', 4'-diOH-CB101 in rats and hamsters. In contrast, MC-treatment increased 4'-OH-CB101 to 2.0-,9.6-and 3.4-fold of untreated animals in rats,hamsters and guinea pigs,respectively. In all animal species,the formation of 3',4'-diOH-CB101 from 3'-OH-and 4'-OH-CB101 proceeded at much higher rate than that from CB101 and was accelerated by PB-treatment. Only in hamster,MC-treatment decreased 3',4'-diOH-CB101 from 3'-OH-and 4'-OH-CB101 to less than 50% of untreated. Addition of 5 mM reduced glutathione suppressed the formation of 4'-OHCB101 to 43% of control by liver microsomes of MC-treated hamsters, suggesting that 4'-OHCB101 can be formed mainly via 3',4'-epoxide from CB101. These results indicate that the metabolism of CB101 to 3',4'-diOH-CB101 is principally catalyzed by CYP2B enzymes, which prefer 4'-OH-and 3'-OH-CB101 to CB101.
著者
田口 智章
出版者
福岡医学会
雑誌
福岡医学雑誌 (ISSN:0016254X)
巻号頁・発行日
vol.97, no.4, pp.109-116, 2006-04-25

小児外科の近年の進歩はめざましく, 特に新生児外科の分野では, 以前はその国の医療レベルを反映するとまで言われ, 小児外科医がその救命に骨身を削ってきた「食道閉鎖症」の死亡率が著しく低下してきた. 小児外科学会の全国集計によると1973年では死亡率が約55%であったのが, 1983年では30%, 1993年には20%, そして2003年では12.3%まで低下し, 生存するのが当たり前の病気になってきた. 九州大学小児外科では1990年以後の食道閉鎖症は重症染色体異常を合併した1例を除き, 全例生存し元気に成育している. 九州大学における新生児外科疾患の疾患別死亡率の推移を経時的にみると, 症例全体での死亡率は経年的に低下し, 2000年代では新生児外科症例全体での死亡率は10%を切った. しかし, 疾患別にみると横隔膜ヘルニアと消化管穿孔の死亡率がまだ高い. これは横隔膜ヘルニアでは出生前に診断される重症例が治療の土俵に上ってきたためである. 出生前に超音波検査にて診断される横隔膜ヘルニアは左にあるべき心臓が右に変位していることで発見されることが多く, 肝臓や脾臓が胸腔内に脱出している. つまり胸腔内に脱出している臓器のボリュームが大きいため, 肺が極端に小さく生存が困難な症例が多い. また消化管穿孔は1000g未満の超低出生体重児が救命できるようになり, このような症例で消化管穿孔をおこす場合が多くなったためである. 容易に敗血症によるショック状態となり救命困難な症例も多い. 全身的な循環呼吸管理を最優先し手術侵襲は腹腔ドレージのみの最小限にとどめるのが救命率をあげるポイントと考えられる. 新生児外科の症例は出生率の低下にもかかわらず増加傾向にある. 九州大学では特に周産母子センター開設を機に症例が増加している. 小児の臓器移植では, 肝臓移植の進歩により救命困難であった胆道閉鎖症の末期の肝硬変の患者が, 食道静脈瘤の破裂や腹水でおなかがパンパンに張り肝不全でなくなっていたのが, 元気に退院できるようになった. また劇症肝炎で脳症に陥り意識不明になった患児が, 以前では血漿交換しか手の打ちようがなく, 血漿交換がはじまると「もうだめか」であったのが, 移植により普通の生活に戻れるようになった. まさに劇的な治療法である. 小腸移植も小児に多い短腸症候群の根治術として欧米では1000例以上に行われている. 本稿では, 新生児外科疾患のうち, まだ救命率の低い「先天性横隔膜ヘルニア」, さらに「小児の肝臓移植, 小腸移植」について, 我々の経験を中心に, 現状と今後の展望について述べる.
著者
徳永 章二 飯田 隆雄 古江 増隆
出版者
福岡医学会
雑誌
福岡医学雑誌 (ISSN:0016254X)
巻号頁・発行日
vol.96, no.5, pp.135-145, 2005-05-25

油症患者は「油症診断基準」により診断・認定されてきた.これまでに1800人以上が油症患者と認定された.1968年刊行の最初の基準は油症の症状・徴候に基づいていたが,1973,1976,1981年の改訂により,血液中のポリ塩化ビフェニール(PCB)とポリ塩化クアターフェニール(PCQ)の性状及び濃度が基準に加わった.しかし,ダイオキシン類の1群であるポリ塩化ジベンゾフラン(PCDFs)は油症患者の血液中の総毒性等量(TEQ)のうち最も大きな割合を占める事が示されているにもかかわらず,血液中ダイオキシン類濃度の測定が困難なため,これまで診断基準に入れられていなかった.近年,5gという少量の血液サンプルから高い妥当性と再現性でもってダイオキシン類濃度を測定できる方法が開発された.この改良された方法により,全国油症患者追跡検診受診者から得られた多数の血液サンプルでダイオキシン濃度を定型作業として測定する事ができるようになった.この論文では,全国油症患者追跡検診受診者と一般人口の血液中ダイオキシン濃度を統計学的に解析することで考案された,血液中ダイオキシン濃度を用いた油症の新しい診断基準を提案する.これは血液中ダイオキシン濃度をもとに油症患者を識別しようとする最初の試みである.
著者
古川 智一 須藤 信行
出版者
福岡医学会
雑誌
福岡医学雑誌 (ISSN:0016254X)
巻号頁・発行日
vol.103, no.1, pp.1-11, 2012-01-25

睡眠障害は現代社会において大きな問題となりつつある.例えば,日本人の5人に1人が不眠症など何らかの睡眠に関する問題を抱えているとされる1).我が国では産業の効率化を図るために交代勤務制をとる事業所も多いが,その結果交代勤務者の健康障害も問題となっている.世界に目を向けてみると,チェルノブイリ原発事故やスペースシャトルチャレンジャー号爆発事故などの大参事もその作業員の睡眠不足によるヒューマンエラーが原因であったとされている.睡眠に対する関心が高まるなか2003 年に新幹線運転士による居眠り運転が報道され,その原因とされる閉塞性睡眠時無呼吸症候群(obstructive sleepapnea syndrome;以下OSAS)が注目を浴びることとなった.OSASは有病率が高く,イビキという容易に観察される現象が発見の手がかりとなる.そのためOSAS を疑い睡眠外来を受診する患者も多く,睡眠障害の中で最も重要な疾患と言える.OSAS による障害は日中の過剰な眠気のみならず,高血圧や心血管障害,脳卒中を含む多くの合併症の発症,悪化因子であるというエビデンスが多くの研究結果から構築されつつある.本稿ではOSASとその主要な合併症との関連について概説し,OSAS の主症状であり日常的によくみられるイビキにも焦点を当てて述べてみたい.
著者
伊藤 浩司 竹本 真生 向井 靖 Inoue Shujiro Kaji Yoshikazu Chishaki Akiko Sunagawa Kenji
出版者
福岡医学会
雑誌
福岡医学雑誌 (ISSN:0016254X)
巻号頁・発行日
vol.100, no.12, pp.360-366, 2009-12-25

Radio-frequency catheter ablation (RFCA) was introduced for the treatment of reentrant tachyarrhythmias and has proven its usefulness, efficacy, and safety. It has gained the position of an early stage treatment option rather than being a 'last resort' option for certain groups of patients with supraventricular tachycardias including atrioventricular nodal reentrant tachycardia (AVNRT). The RFCA technique for AVNRT seems to have become established throughout these years and the right-side approach is considered to be the conventional method. However, in one percent of the patients with AVNRT it has been reported that they cannot be cured by the conventional method and a left-sided approach has been recommended. We experienced a case which presented with a fast/slow atypical AVNRT. We ultimately successfully treated the case with a left-sided (trans-aortic) RFCA approach. We believe the trans-aortic RFCA approach is a necessary alternative in the case of an unsuccessful RFCA via the right-sided approach even though the frequency of its need is very low.高周波カテーテルアブレーション治療は,様々な頻拍性不整脈の重要な治療オプションとなっている.房室結節回帰性頻拍症に対してもカテーテルアブレーション治療は,近年確立されたものになってきており,通常は右心アプローチにより行われている.しかし,1%の患者においては通常の右心アプローチでは焼灼できず,左心アプローチが有効である症例も報告されている.今回我々は,特に稀有型(fast-slow)房室結節回帰性頻拍症において左心からの通電が有効であった症例を経験した.症例は20歳代男性.頻回の動悸を訴え,Holter心電図で症状と一致して心拍数180 bpm のnarrowQRS tachycardia を認めた.12 誘導心電図は正常で,心エコーも器質的心疾患は認めなかった.電気生理学的検査では通常とおり,高位右房(HRA),ヒス束,右室(RV),冠静脈洞(CS)に電極カテを留置した.またEnSite 電極を右房内に留置した.RV 頻拍刺激にて頻拍刺激.160 ppmではearliest retro A=His(fast pathway;FP),160 ppm.でearliest retro A=CS 開口部(slowpathway;SP)の室房伝導を認めた.ATP 20mg で室房伝導の消失を認めた.RV期外刺激では室房時間は減衰伝導を認め,S1-S1=500ms, S1-S2=430 ms で室房時間のjump up と2 echo を認めた.HRA 期外刺激では,心房ヒス時間は減衰伝導を認めたが,jump up は認めなかった.イソプロテレノール投与下のプログラム刺激でもnarrow QRS tachycardia は誘発されなかったが,上記所見よりfast-slow の稀有型房室結節回帰性頻拍と診断し,SP への通電を行うこととした.先ずABL カテーテル(Fantasista)にてCS 開口部近傍およびCS 内をRV頻拍刺激下でマッピングを行い,最早期A 波興奮部位にて数回通電を行ったが,junctional rhythm は出現するもののSP の焼灼には至らなかった.さらにRV 頻拍刺激下でEnSite にてマッピングを行いSP のRA へのbreakoutpoint の同定を行った後に同部位で数回通電を行ったが,junctional rhythm は出現するもののやはりSP の焼灼には至らなかった.心筋深部あるいは左心側のSPの存在を考え,経大動脈アプローチにて僧帽弁輪上中隔寄りにて通電を行ったところ,SP を介する室房伝導は消失しその後再発を認めなかった.さらに,RV 期外刺激での室房時間のjump up の消失も認めた.SP の走行のvariation は多数報告されているが,本症例は稀有型房室結節回帰性頻拍症において左心からの通電を必要とした非常に稀有な症例と考えられ考察を加えて報告する.
著者
神庭 重信 Kanba Shigenobu
出版者
福岡医学会
雑誌
福岡医学雑誌 (ISSN:0016254X)
巻号頁・発行日
vol.95, no.11, pp.281-285, 2004-11-25

外傷後ストレス障害(PTSD)は,テロや阪神淡路大震災などを機に一般社会にも広く認識され,受診患者数も増加している.PTSDの中核症状としては,①過覚醒(交感神経系の亢進状態が続き不眠やイライラなどが認められる),②再体験(原因となった外傷的な体験が意図しないのに繰り返し思い出されたり夢に登場したりする),③回避(体験を思い出すような状況や場面を意識的あるいは無意識的に避け続ける),および④感情や感覚などの反応性が麻痺する,の4つが挙げられる.こうした臨床症状の生物学的本態は,強度の情動ストレスを受けたという記憶(情動記憶)が強く刻み込まれてしまうことにあると考え,動物モデルをもちいて,PTSDのメカニズムの研究を進めてきた.そのターゲットは,海馬における,CREBと呼ばれる遺伝子転写調節因子のダイナミクスと神経新生と呼ばれる現象である.ここではその一部の結果を紹介する.
著者
野々下 豪 塩山 善之 國武 直信 Nakamura Katsumasa Nomoto Satoshi Ohga Saiji Toriya Youichi Ono Minoru Honda Hiroshi
出版者
福岡医学会
雑誌
福岡医学雑誌 (ISSN:0016254X)
巻号頁・発行日
vol.100, no.1, pp.26-31, 2009-01-25

This study aimed to evaluate the efficacy and toxicity of concurrent chemoradiotherapy and adjuvant chemotherapy for T2N0 glottic squamous cell carcinoma. Between May 1993 and March 2004, 32 patients with T2N0 glottic squamous cell carcinoma received concurrent chemoradiotherapy as the primary treatment modality for larynx preservation. Radiotherapy was delivered five days a week using a once-daily fractionation of 2.0 Gy (median total dose: 70 Gy). The chemotherapy regimen comprised carboplatin in 4 patients, carboplatin and tegafur and uracil in 7, carboplatin and futraful in 2, and futraful in 19 patients. Twenty-four patients received adjuvant chemotherapy with tegafur and uracil. Initial local tumor control was achieved in 30 patients (94%). The 5-year overall survival and 5-year local control rates were 97% and 70%, respectively. Univariate analysis revealed adjuvant chemotherapy as a significant prognostic factor for the local control rate (P = 0.038). The 5-year local control rate in patients treated or not treated with adjuvant chemotherapy was 82% and 42%, respectively. No significant differences in the local control rate were noted in overall treatment time, total radiation dose, age, and disease extension to the subglottis. With regard to adverse reactions, grade 3 neutropenia and grade 3 hepatotoxicity were observed in 1 and 2 patients, respectively. We observed no severe late complications (RTOG/EORTC criteria Grade 3-4) related to this combination therapy. Concurrent chemoradiotherapy and adjuvant chemotherapy was effective but with mild toxicity, and adjuvant chemotherapy significantly improved local control. We suggest the use of this combination therapy for achieving a local control of T2N0 glottic squamous cell carcinoma.目的:T2N0声門癌に対する化学放射線療法,補助化学療法の効果,有害事象の遡及的検討.対象・方法:1993年5月から2004年3月に喉頭温存を目的に初回治療として化学放射線療法を施行されたT2N0声門癌の32例.放射線治療は1日1回,1回2Gy,週5回施行され,総線量の中央値は70Gy.化学療法はカルボプラチン単独が4例,カルボプラチンとUFT の併用が7例,カルボプラチンとフトラフールの併用が2例,フトラフール単独が19 例.化学放射線療法終了後24 例にUFTによる補助化学療法を施行.結果:一次治療効果でCRであったのは30例(94%).5年粗生存率,5年局所制御率はそれぞれ97%,70%.局所制御に関する単変量解析では,補助化学療法の施行により有意な改善を認めた(P=0.038).5年局所制御率は補助化学療法の有無でそれぞれ,82%,42%.総治療期間,総線量,年齢,病変の声門下への進展の有無では有意差は認めなかった.有害事象に関してはgrade3 の好中球減少を1例,grade3の肝機能障害を2例に認めた.重篤な晩期有害事象は認めなかった.結論:T2N0 声門癌に対する補助化学療法は局所制御に関して統計学的に有意な改善が認められ,また有害事象は軽度であり,有用性が示唆された.
出版者
福岡医学会
雑誌
福岡医学雑誌 (ISSN:0016254X)
巻号頁・発行日
vol.96, no.7, pp.311-318, 2005-07-25

感性融合創造センターは,芸術工学院が九州芸術工科大学時代から培ってきた「技術の人間化」に集約される理念と科学的手法を九州大学の各分野の研究へ応用・展開させることを目的として,平成15年10月の九州大学と九州芸術工科大学の統合時に設置された.第1回目のシンポジウムは平成16年3月に多くの部局が設置されている箱崎キャンパスの国際交流センターで開催したので,第2回シンポジウムは医学・歯学・薬学の各研究院と病院を擁する病院キャンパスの医学部百年講堂で開催することにした.平成17年3月開催の本シンポジウムは,「ユビキタス社会と感性」と銘打って,感性に関わる分野で活躍中の講師の方々に下記のような題目でご講演頂き,議論した.・都甲潔(九州大学大学院・システム情報科学研究院・教授)・小早川達(産業技術総合研究所・脳神経情報研究部門・研究官)「人間の味覚・嗅覚の脳内情報処理」・飛松省三(九州大学大学院・医学研究院・教授)「ユビキタス映像社会における脳の健康」・竹田仰(長崎総合科学大学・人間環境学部・教授)「VR環境と人間の心理・生理」・特別講演合原一幸(東京大学・先端科学研究所教授)「芸術と科学の融合」本書は,各講演内容を論文としてご提出頂き,取り纏めたものである.感性は,古くから匠の技に代表されるような美術工芸品だけでなく,日常品の中にも人々の生活に潤いを与える重要な要素として活かされてきた.しかし,感性を科学的に解析し,その成果を技術開発に応用する動きが大きくなってきたのは,比較的最近のことである.1970年代,製品開発に感性工学手法が取り入られるようになり,1990年代には国家プロジェク等として心理学と情報科学が融合した感性情報処理研究が盛んに行われたが,感性そのものに十分踏み込んだ研究がなされたとは言い難いようである.五感に代表される味覚,視覚等の感覚については,心理物理学や生理・生物学,医工学の立場から解析が進められている.とくに,嗅覚のメカニズムについて,分子生物学的手法により,においの受容体遺伝子を突き止め,受容体から脳へにおいの刺激が伝わる仕組みを解明した米国コロンビア大学のリチャード・アクセル教授とフレッド・ハッチンソンがん研究センターのリンダ・バック博士が16年度ノーベル医学生理学賞を受賞したことは特記すべき事である.本シンポジウムにおいても,味覚・嗅覚・視覚について,わが国の第一線の研究者による解析結果とその応用技術について紹介がなされている.一方,感性そのものについては,いろいろな立場から意見・見解が提示されているが,未だ共通認識が確立されたとは言い難い状況にあると思われる.感性が呼び起こされるメカニズムについても人間科学,心理学,生物学,情報科学等,いろんな切り口から研究が行われてきた.九州大学においても,部局を越えて研究者が相集い,学外からの研究者も交えて研究が進められている.本シンポジウムを契機として,感性の本性を知る上で重要な役割を担いうる医・歯・薬系の研究者の参画により,感性研究が一層展開することを念願する.
著者
福田 孝一
出版者
福岡医学会
雑誌
福岡医学雑誌 (ISSN:0016254X)
巻号頁・発行日
vol.97, no.6, pp.160-174, 2006-06-25

今からちょうど100年前の1906年11月11日, ストックホルムで行われたノーベル医学生理学賞の受賞講演は, きわめて異例のものとなった. その年の受賞者は, 脳のミクロの構造の解明に大きな業績をあげた二人の解剖学者, イタリアのカミロ・ゴルジとスペインのラモニ・カハールであった. ゴルジは神経細胞を突起の隅々まで染色する画期的な方法を発明し, それまで別々のものとしてしか染まらなかった細胞体と神経線維とを, 一続きの構造としてとらえることに初めて成功した. 一方カハールは, ゴルジの方法に依拠して脳のあらゆる場所から標本を作り, その詳細な顕微鏡観察を通して, 神経細胞が作るネットワークの正しい姿を次々に明らかにしていった. 同時代に成し遂げられた二人の形態学者の仕事によって, 人類の脳に対する理解は格段に深化したと言うことができる. ところがゴルジとカハールは, 神経細胞のネットワークの様式について全く異なる立場をとっていた. 受賞講演においても, 二人はお互い譲ることなく, 相いれない二つの説をそれぞれ披露して講演を終えたのである. 当日の講演の全文は, 現在ウェブサイト上で閲覧することができる. それによればゴルジは, 彼の講演のほとんどを, 既に時代遅れとなりつつあった網状説の頑強な擁護と, カハールらが唱えるニューロン説への攻撃に宛てた. ゴルジらの提唱する網状説においては, 神経細胞から伸びる軸索が互いに直接連絡し合いながら複雑な網目を形成し, 信号はそのネットワーク内を様々な方向に伝播すると考えられていた. それに対してカハールは, 細胞体・樹状突起・軸索からなる神経細胞が, 脳を形作る単位構造(ニューロン)として存在していること, 信号は樹状突起・細胞体から軸索へと一方向に流れて軸索終末に達すること, そして軸索終末と信号の受け手である細胞体・樹状突起との間にはすきまがあり, 信号は何らかの方法でそのすき間を越えて次のニューロンに伝達されるであろうことを唱えた. すなわちカハールは, 現在われわれが知っている神経細胞のあり方を, 驚くほどの正確さを持って見通していたわけである. 実は現在の最高水準の光学顕微鏡の解像力(約0.2ミクロン)をもってしても, そのすき間(約0.02ミクロン)を見ることは不可能である. しかし彼は脳のあらゆる場所から美しい標本を作製し, おびただしい数の神経細胞を観察し, また発生の過程で脳の中を伸びていく軸索の形態を詳細に検討した結果から, ニューロン説を確信する啓示を得たのであった. カハールの考えたニューロン説が正しかったことは, 約50年後の1950年代に, 電子顕微鏡がシナプスの微細構造を明瞭に描き出したことにより, ようやく最終的な決着をみた. 以後今日に至るまで, あらゆる神経科学は, 単位構造であるニューロンが, シナプスによる間接的な結合を仲立ちとしてネットワークを形成しているというセントラルドグマを基盤として発展してきたといっても過言ではない. このことは, たとえば神経生理学はシナプスにおける電気的応答を調べ, 神経薬理学はシナプスにある受容体を主な標的とし, また精神医学は, シナプス伝達の異常の是正を薬物治療の核心としてきたことからも, 容易に理解できるであろう. しかしいつも単純なコースをたどるわけではないというのが, われわれの科学のあゆみの, むしろ一般的な姿である. 電子顕微鏡によるシナプス構造の同定からさらに50年の時を経た今日, 現代の形態学と生理学は, ゴルジが完全に間違っていたわけではなく, 網状説が部分的には正しいかもしれないことを, しだいに明らかにしつつある. 大脳皮質にはもうひとつのネットワークがあり, それは驚くほどの密度と広がりをもって, 既知のニューロンネットワークと空間を共有している可能性を示しっっある. 本稿においては, われわれの最近の成果も含めながら, この新しいネットワーク構造についての概説を試みたい. (なお文中で大脳皮質という言葉を用いる際には, 新皮質と海馬を主な対象としている.)
著者
中武 将幸 寺石 俊也 井出 誠
出版者
福岡医学会
雑誌
福岡医学雑誌 (ISSN:0016254X)
巻号頁・発行日
vol.101, no.9, pp.198-206, 2010-09-25
被引用文献数
1

Electroconvulsive therapy (ECT) is primarily indicated for mood disorders and schizophrenia. Clinicians may encounter cases in which ECT is administered to patients with various kinds of complications. However, to our knowledge, no detailed medical guideline is available about the indications for ECT in psychiatric illness complicated with a concomitant brain tumor, which is one of the most likely physical complications that can directly affect ECT. We report a case in which 3 courses of modified ECT (m-ECT) were successfully administered without any neurological deterioration to a patient, who was frequently hospitalized for recurrent depressive disorder with stupor. We did not undertake any additional measures for reducing adverse events derived from the meningioma during m-ECT. In this report, we discuss the relation between brain tumor and depression.電気けいれん療法(ECT)は,気分障害や統合失調症に対して,良好な成績を上げている治療法である.実際の臨床場面では,様々な身体合併症をもつ患者にECT を施行しなければならないことがある.ECT に対して直接影響を及ぼす身体疾患の一つが,脳腫瘍である.脳腫瘍を合併した精神疾患にECT を施行するための,有用な指針は存在しない.今回我々は,髄膜腫を合併したうつ病性昏迷の患者に対して,修正型電気けいれん療法(m-ECT)を行った.有害事象は生じず,完全寛解した.その後うつ病が再発を繰り返したため,m-ECT を,合計3コース行った.その経過を報告するとともに,髄膜腫とうつ病の発症やECT のけいれん閾値の関係について,文献的考察を行った.
著者
辻 彰子 石河 淳 井上 裕匡 Kudo Keiko Ikeda Noriaki
出版者
福岡医学会
雑誌
福岡医学雑誌 (ISSN:0016254X)
巻号頁・発行日
vol.96, no.3, pp.76-80, 2005-03-25
被引用文献数
1

We performed a paternity test without the alleged father, who was deceased, and we found a mismatch in one of the alleles of the autosomal short tandem repeat (STR) locus D3S1358 in the illegitimate daughter. DNA genotypes of the dead alleged father were estimated from the DNA genotypes of his wife and their four children. The ABO genotype, the DXS10011 locus and the calculations using the 12 STR loci and the D1S80 locus, but not the STR locus D3S1358 suggested that there was a high probability that the dead alleged father was in fact the actual biological father. The genotype of locus D3S1358 of the dead alleged father, the illegitimate daughter's mother and the illegitimate daughter was 15/17, 15/17 and 15/18, respectively. PCR and sequencing after TA cloning of allele 17 of one of the children who had only a homozygote of allele 17, of allele 17 of the illegitimate daughter's mother and of allele 18 of the illegitimate daughter revealed that allele 18 which was considered to be a mutated allele had one more repeat of (GATA) within the first repeat region.擬父が既に死亡している親子鑑定を実施した.妻と4人の嫡出子のDNA型から推定した擬父の型と妻でない女性を母とした非嫡出子の12種類のSTR型においてD3S1358座位のみで不一致を認めた.ABO式血液型の遺伝子型とX-STR型のDXS10011座位およびD3S1358座位を除く他の座位におけるDNA型による父権肯定確率は擬父がこの非嫡出子の生物学的父親であることを示していた.D3S1358座位における遺伝子型は擬i父,非嫡出子の母共に15/17であったが,非嫡出子は15/18であった.i擬父の対立遺伝子17が遺伝していると考えられる娘と非嫡出子およびその母のD3S1358座位のクローニングおよびシークエンスにより,非嫡出子の対立遺伝子18は(GATA)の繰り返しが一回多い突然変異であることが判明した.