著者
牧野 広樹
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.115-126, 2018

本稿では, フリッツ・イェーデの『青年運動か, それとも青年の育成か』(1917年)における指導者像を, 彼の教育観に影響を与えたルソーの消極教育(Negative Erziehung)における指導者像や, 20世紀初頭におけるドイツの改革教育を代表するグスタフ・ヴィネケンの指導者像と照らし合わせつつ明らかにする. フリッツ・イェーデの指導者像は, いわば「導かない指導者」ともいえる, 語義矛盾を含んだ指導者像であり, 指導者が青年を導くのではなく, 両者が対等に向き合って互いに関係性を形作るという共同体モデルを起点として考え出されたものであった.Das Wort „Führer" lässt auch heute noch an Adolf Hitler, der als charismatischer Diktator das Dritte Reich beherrschte, denken. Nach einem für das 20. Jahrehundert typischen Führerbegriff führt er mit Charisma und heldischem Wesen die Menschen an. Eine solche Auffassung herrschte im Laufe des 20. Jahrhunderts nicht nur in Deutschland, sondern auch in anderen Nationen oder Regionen weltweit vor. Fritz Jöde jedoch, einer der Vertreter der Jugendmusikbewegung, hatte andere als die damals typischen Ansichten zum Führerbegriff. Die vorliegende Abhandlung greift Jödes Führerbegriff und, im Zusmmenhang damit, seinen Gemeinschaftsgedanken auf und zeigt im Vergleich mit Gustav Wyneken, der Jödes Erziehungsgedanken beeinflusste und zugleich einen typischen Führerbegriff vertrat, die Gemeinsamkeiten und Unterschiede im Denken Wynekens und Jödes auf. Unter einem „Führer" wird im Allgemeinen jemand verstanden, der aus seinem ausgeprägten Führerwillen heraus im Zentrum einer Gemeinschaft steht und ihre Mitglieder anführt. Jöde andererseits hat das Idealbild des Führers ohne Führerwillen konzipiert. Der ideale Führer ist demnach nicht der Mensch, welcher der Jugend irgendeine Richtung weist, sondern derjenige, der im Verkehr mit der Jugend sich selbst sucht und ihr als Vorbild der Selbstwerdung dient. Nach Jödes Ansicht ist es genug, dass der Führer der Jugend eine Methode zur Selbsterziehung vermittelt, denn für ihn bedeutet Erziehung nicht, dass die Jugend den Anweisungen des Führers folgt, oder dass er sie über programmatische Inhalte wie etwa parteipolitisches Programm belehrt.
著者
町田 奈緒士
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 = Human and Environmental Studies (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.17-33, 2018-12-20

トランスジェンダーとは, 自らがある性別に属しているという自己イメージを意味するジェンダー・アイデンティティが, 出生時の性別に一致しない状態として定義されている. 従来のトランスジェンダーに関わる研究では, 性ないし性別違和は, 個人の内部にあるものとして語られてきた. しかしながら, 性とは, 他者との関係のうちに立ち上げられてしまうような側面があるのではないだろうか. 本論文は, 性ないし性別違和を関係論的な視座から捉え直すことを目的とし, 対話的自己エスノグラフィと語り合い法というアプローチを用いて調査を実施した. その結果をもとに, <器>という記述概念を導入し, それと類似概念との整理を行い, 他者とのあいだでどのように性別違和が体験されるのかについて論じた.
著者
藤原 征生
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 = Human and Environmental Studies (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
no.28, pp.81-92, 2019-12-20

『地獄門』(衣笠貞之助, 1953年)は, 戦後日本映画の国際的躍進の端緒として, あるいは日本映画のカラー化の嚆矢として, 映画史上に一定の評価を得ている. しかし, この作品の映画史的・音楽史的重要性は芥川也寸志による音楽にも見出せる. そこで本稿は, 『地獄門』の音楽的特徴を, 同時代の映画音楽からの影響による共時的要素と, 芥川の後年の映画音楽にも存在する通時的要素に分けて指摘したのち, 『地獄門』の音楽と芥川の代表作<<交響曲第1番>>が「モティーフの流用」という点で強い繋がりを持つことを示す. <<交響曲第1番>>は, 芥川が團伊玖磨・黛敏郎と結成し音楽史に大きな足跡を遺した「3人の会」の初回演奏会で初演された. 興味深いことには, 同曲は『地獄門』と同時期に成立しただけなく, 同根の音楽動機を持っていることが確認できる. かくして, 従来『地獄門』を巡ってなされた議論からは導き出され得なかった視点, すなわち戦後日本音楽史との繋がりから作品の再評価を提示する.As a landmark in Japanese cinema's overseas advance or as one of the earliest successful color motion pictures in Japan, Gate of Hell (dir. Teinosuke Kinugasa, 1953) has received a certain appreciation in the film history. However, its music composed by Yasushi Akutagawa has been overlooked. This essay firstly points out the characteristics of the music of Gate of Hell in both 'synchronic' features, that is, influences from other film music of the times, and 'diachronic' features which can be found in his later film music. Then I show how the music of Gate of Hell is strongly connected to his Prima Sinfonia (1954/55) in terms of the reutilization of motifs and the similarity of thematic. Prima Sinfonia was premiered at the first concert by San-nin no Kai (「3人の会」). Sannin no Kai, a collective formed by three composers, Akutagawa, Ikuma Dan, and Toshiro Mayuzumi in 1953, left big marks on post war Japanese music culture. What's interesting is that both Prima Sinfonia and the music of Gate of Hell, composed around almost same time, use the same motif. Thus this essay reevaluates Gate of Hell from a viewpoint of the connection with the history of music in post war Japan which has been scarcely mentioned by former studies.
著者
道下 敏則 髙橋 輝雄
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.1-15, 2018

この論文で、可搬型で自立型の小型フ―コーの振り子が理想的な振る舞いを実現する新しい方法が記述される。振り子の回転角の位相とその角作用に対する二次元の摂動ハミルトン方程式の解析結果から、フーコーの振り子はフーコーの回転時間以上にわたり平均化された角作用がゼロとなる場合に理想的な振舞いを呈することが新たに予測された。これは、角作用の詳細な観測実験によって、充分に実証された。フーコーの回転速度自身は緯度に依存するが、開発された装置で異なる緯度における観測結果から、理想的フーコーの回転を実現する制御パラメーターの最適化条件自身は緯度依存性がない事が確認された。さらに、制御用パラメーターに依存して、振り子の回転のリミットサイクル運動や位相のロッキング現象も観測された。これらの現象の発生条件は、アドラー方程式を用いて検討された。
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム (ISSN:13423622)
巻号頁・発行日
no.25, 2009-11-02

<巻頭言>星空を眺めながら真夜中の語るを聴く河合良一郎<特集 : 未知との遭遇>ウィルス感染症・パンデミック五十嵐樹彦<特集 : 未知との遭遇>岩石から探る未知なる地球小木曽哲<特集 : 未知との遭遇>宇宙での生活を目指して―宇宙環境という未知の世界と人間との遭遇―石原昭彦<特集 : 未知との遭遇>系外惑星探査と地球外知的生命阪上雅昭<リレー連載:環境を考える>独昏独悶記―「責任」概念をめぐって―安部浩<サイエンティストの眼>ガラス状態での異常結晶成長挙動について小西隆士<知の息吹>文字のざわめき鵜飼大介<社会を斬る>「冤罪」とフレーム・アップ――戦前の事例から江田憲治<フロンティア>高精度位置天文観測を支えるレーザー測距技術丹羽佳人<フロンティア>アイルランド語復興と「アイルランド人」自己意識の変容福岡千珠<世界の街角>ガルシア・ダ・オルタのインドの街角エンゲルベルト・ヨリッセン<わが町、わが大学>ヴァーモントと「エコロジカルな想像力」スティーヴン・フェスマイヤー<フィールド便り>「他者」と出会う/「偶然性」にさらされる松嶋健<フィールド便り>試される「多文化共生社会」吉富志津代<フィールド便り>死をめぐる知恵をもとめて井藤美由紀<書評>櫻井正一郎『最後のウォルター・ローリー』金城盛紀<書評>吉富志津代『多文化共生社会と外国人コミュニティの力 : ゲットー化しない自助組織は存在するのか?』窪田好男<書評>河崎靖『ドイツ方言学』髙橋輝和<書評>岡真理『アラブ、祈りとしての文学』西成彦<書評>山梨正明『認知構文論』鍋島弘治朗<書評>山田孝子『ラダック―西チベットにおける病いと治療の民族誌』林行夫<書評>片田珠美『無差別殺人の精神分析―人が鬼となること―』兼本浩祐<人環図書>松田清、フレデリック・クレインス著『杏雨書屋洋書目録』<人環図書>諸富哲、浅野耕太、森晶寿著『環境経済学講義』<人環図書>カール・ベッカー編著、山本佳世子訳『愛する者の死とどう向き合うか~悲嘆の癒し』<人環図書>廣野由美子著『ミステリーの人間学―英国古典探偵小説を読む』瓦版
著者
谷川 嘉浩
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 = Human and Environmental Studies (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.89-99, 2018-12-20

本稿は, 経験を書くこと, 生活を記録することをめぐる鶴見俊輔の思想を探索する. 彼の思想を貫くのは, 日本の知識人が状況変化に応じて態度転換していったことへの批判である. その場の解答をなぞるだけの優等生は, 知的独立性を失いがちなのだ. これへの対処として, 自身の経験に基づく作文に鶴見は注目した. 本稿の目的は, 自己を含む状況全体を相対化する契機を, 鶴見がどのように確保したのかを明らかにすることである. 彼の「方法としてのアナキズム」に基づき, 生活綴方論以降の彼の作文論で, 当初の想定と現実との齟齬への注目が重視されること, そして, 齟齬と対峙する人間の力を「想像力」に帰したことを明らかにする. さらに, 想像力が繰り返し立ち返る場となるように, 鶴見が提出した経験を書く際の基準について, 後年展開された彼の文章論を踏まえて論じる.
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム (ISSN:13423622)
巻号頁・発行日
vol.18, 2006-03-31

<巻頭言>二人の〈女性〉との再会三好郁朗<対談>四則のできない大学生西村和雄, 林哲介<特集 : 心理学 ― 実験室からフィールドまで>脳から心を探る―こころのかたちとしての感情をてがかりに船橋新太郎<特集 : 心理学 ― 実験室からフィールドまで>視覚認知の実験心理学 ― 行動実験、機能的脳イメージング、計算モデル齋木潤<特集 : 心理学 ― 実験室からフィールドまで>公平さと文化 ― 実験社会心理学のアプローチ渡部幹<特集 : 心理学 ― 実験室からフィールドまで>書を持ってフィールドに出る心理学杉万俊夫<リレー満載 : 環境を考える>わが国の年輪年代法最前線光谷拓実<サイエンティストの眼>素晴らしき、穴あき四面体立木秀樹<サイエンティストの眼>古くて新しいクロロフィルの研究 ― クロロフィルは毒である土屋徹<社会を斬る>一身独立して一国独立す西村稔<フロンティア>打とうか打つまいか…一瞬の判断に挑むスラッガーたち来田宣幸<フロンティア>生体内亜鉛イオンを捕捉する機能性分子の開発多喜正泰<京博便り>「曾我蕭白」展に寄せて狩野博幸<世界の街角>ネフスキーを折れてリチェイヌィ通りに入ると…木村崇<フィールド便り>富の所有と分配をめぐるインタラクション松村圭一郎<フィールド便り>北大西洋海底堆積物中の漂流岩屑が語る海洋環境の変遷川村紀子<書評>大澤真幸著『現実の向こう』安立清史<書評>田邊玲子著『Schӧne Kӧrper』弓削尚子<書評>河崎靖著『Eine graphematische Untersuchung zu den Heliand-Handschriften』嶋崎啓<書評>稲垣直樹編著『Fortunes de Victor Hugo』柏木隆雄<書評>片田珠美著『攻撃と殺人の精神分析』津田均<人環図書><瓦版><コラム>「お国の食べ物」国民的シンボルになった料理バイビコフ・エレナ<コラム>Language Trap中森誉之
著者
谷川 嘉浩
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.107-118, 2017

FD義務化を経て, 外来的なFDも日本国内に定着したように見える. しかし, 実際のFD実践・FD概念は多義的で錯綜しており, 交通整理を要する. 本稿では, FD概念を整理し, FDの根本目的を示した上で, それに適合的な思想を検討し, 効果的なFDの理論的条件を明らかにする. FDのミッションは「教育」であり, そこでは「柔軟な適応力」と呼べるような, 反省的探求を営む力の涵養が目指されている. 柔軟な適応力の内実を解明するために, 人間は現状に安定しない「未熟さ」があり, それが成長可能性を担保すると主張した, アメリカの哲学者ジョン・デューイの教育哲学を参照する. ここでは, 彼の「反省的注意」概念を検討し, その成果をアメリカの社会学者R. セネットのクラフツマンシップ論から捉え直すことで, FD活動それ自体が, 折り重なる反省的注意を大学全体に要求するような, 共同的な反省的探求の側面を持つことを示す. なお, 末尾では2017年度に義務化されたスタッフ・ディベロップメントにも一定の評価を行う.Faculty Development (FD) has become common in Japan. But it seems to be ineffective because the ideas of FD in Japan are lacking some holistic view. This paper aims at clarifying some theoretical conditions of the effective FD. The researchers have pointed out that its primary ends lie in education. I will define its educational ends in the light of the industrial world's need for FD. The capacity they need may be called the "power of the flexible adjustment", and this can be identified with the "reflexive attention" which John Dewey, an American psychologist, set up as the ends of his educational philosophy. According to his thoughts, I will elucidate some bases to develop reflexive attention which enables us to acquire the habits of reflexive inquiry. In The Craftsman, Richard Sennett, an American sociologist, insists that Dewey's philosophy has some practical implications. From his viewpoint, FD may be interpretedas the communal or cooperative craft of education that needs faculty members to have the reflexive regards for each. This view would imply the importance of having "a holistic view" by crafting the communities for FD.
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム (ISSN:13423622)
巻号頁・発行日
vol.14, 2004-03-05

<巻頭言>五〇年ぶりの修学旅行 / 佐野哲郎<対談>生と死のあいだ / 島薗進, カール・ベッカー, 司会 高橋義人<特集 : 京のまつり>葵祭 / 薗田稔<特集 : 京のまつり>「祇園祭」とわたし / 米山俊直<特集 : 京のまつり>時代祭と京都の近代化 / 上田正昭<フィールド便り>パラオの海洋生物 / 宮下英明<フィールド便り>低酸素環境と運動トレーニング / 橋本健志<フィールド便り>近代日本の「少女」のイメージ / 今田絵里香<リレー連載 : 環境を考える>良き場所からガイアへ ― カルロス・カスタネダとスターホーク / 田中雅一<フロンティア>菌類子実体の光と重力に対する反応 / 金子愛<フロンティア>四価の鉄イオンを含む酸化物 / 林直顕<サイエンティストの眼>部品学からシステム学へ 生物のエネルギー代謝系の進化を例に / 三室守<サイエンティストの眼>スイス連邦工科大学に見る研究環境 / 津江広人<社会を斬る>地域でオーラルヒストリーを聴くこと / 蘭信三<京博便り>柄鏡の製作地を求めて / 久保智康<世界の街角>ベルリンの花 / 宮崎興二<文学の周辺>鰻鱺綺譚 / 内田賢徳<書評>小岸昭著『隠れユダヤ教徒と隠れキリシタン』 / 上山安敏<書評>佐藤義之著『レヴィナスの倫理 ― 「顔」と形而上学のはざまで』 / 森秀樹<書評>山本茂樹著『近衛篤麿』 / 岡本幸治<書評>岡田敬司著『教育愛について』 / 土戸敏彦<書評>李愛俐娥著『中央アジア少数民族社会の変貌 カザフスタンの朝鮮人を中心に』 / 田中哲二<書評>西脇常記著『ドイツ将来のトルファン漢語文書』 / 木島史雄<書評>佐伯啓思著『貨幣・欲望・資本主義』 / 大黒弘慈<書評>有福孝岳著『哲学の立場』 / 池田善昭<書評>片田珠美著『オレステス・コンプレックス ― 青年の心の闇へ』 / 鈴木國文<人環図書><瓦版><コラム>right and wrong / 廣野由美子<コラム>素数ひとこと / 山内正敏
著者
小島 基洋
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.1-12, 2015-12-20

村上春樹の『羊をめぐる冒険』(1984)の基底には<再・拠失>の詩学がある. 本作では, 鼠と呼ばれる主人公の死んだ親友が, 羊男, そして幽叢として姿を現し, 再び姿を消す. また, 主人公の自殺した恋人が, 「誰とでも寝る女の子」, 「耳の女の子」として現れ, 前者は交通事故で死に, 後者は突然, 主人公のもとを去る. さらに, <再・喪失>の詩学は登場人物だけなく, 物や場所にも適応される. 時計の停止が, 鼠の<再・喪失>を, 再訪した海岸から立ち去ることが, 青春の<再・喪央>を表してもいる.
著者
喜多 野裕子
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.159-171, 2014-12-20

『ハムレット』におけるオフィーリアについては, これまでジェンダーやセクシュアリティ, あるいは女性の狂気の表象という観点から解釈されてきた. しかしBialo が指摘するように, そのような解釈は階級を見落としがちであり, さらにはオフィーリアの狂気の場がデンマーク王位の不安定さが繰り返し描写される『ハムレット』という芝居の構造の中で論じられることも少ない. 故に本論は, Bruce Smith によるシェイクスピア劇におけるバラッド・パフォーマンスに関する議論基づき, 4幕5場におけるオフィーリアのパフォーマンスの劇的機能を明らかにする. オフィーリアのバラッド歌唱は民衆による政治的危機下において行われる. 民衆は, レアティーズの父の殺害を隠蔽する王室に反抗し, レアティーズを王にせよと要求し宮廷に進攻する. この場を考察することで, オフィーリアのバラッド・パフォーマンスは, 初期近代イングランドにおいては舞台上で直接的に表出させることが許されなかった民衆の抗議を内在することを明らかにする.
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム (ISSN:13423622)
巻号頁・発行日
vol.22, 2008-03-28

<巻頭言>虚学よ、おまえもか! / 池田浩士
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム (ISSN:13423622)
巻号頁・発行日
vol.34, 2015-03-10

<巻頭言> 或る汽水湖の記憶 / 内田 賢徳
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム (ISSN:13423622)
巻号頁・発行日
vol.13, 2003-07-25

<巻頭言>専門の壁を超える学問 / 北川善太郎<対談>時間とあいだ / 木村敏, 大澤真幸, 司会 高橋義人<特集 : 大学はどうあるべきか>京都大学の過去と未来 / 岡本道雄<特集 : 大学はどうあるべきか>大学問題雑考 ― 「旧制度」下ヨーロッパの大学制度を手がかりに / 中川久定<特集 : 大学はどうあるべきか>幻の大学? ― 変わる大学・変わらぬ大学 / 木下冨雄<フィールド便り>路と住まい ― 台湾ヤミ族の住まいをとおして / 足立崇<フィールド便り>高島北海とエミール・ガレ / 鵜飼敦子<リレー連載 : 環境を考える>九州南部から南西諸島の自然環境と人々の暮らし ― 交流と重層と隔離の歴史 / 堀田満<フロンティア>分子のかたちをみる / 髙橋弘樹<フロンティア>原子の世界の三体問題 / 佐野光貞<サイエンティストの眼>愚か者の合理性 / 河野敬雄<社会を斬る>家庭の教育力の低下という言説 / 小山静子<奈文研の散歩道>法隆寺五重塔心柱の年輪年代と法隆寺論争 / 光谷拓実<歴史を旅する>ローリーのヴェネズェラ ― 黄金を求めた旅をたどる / 櫻井正一郎<書評>蟹江憲史著『地球環境外交と国内政策』 / 西井正弘<書評>鎌田浩毅著『火山はすごい』 / 諫早勇一<書評>田口義弘訳・註解『リルケ ― オルフォイスへのソネット』 / 伊藤行雄<書評>鯨岡峻著『〈育てられる者〉から〈育てる者〉へ』 / 遠藤利彦<書評>斉藤渉著『フンボルトの言語研究』 / 後藤正英<人環図書><瓦版><コラム>移動する民への想像力 / 板倉史明
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム (ISSN:13423622)
巻号頁・発行日
vol.24, 2009-03-20

<巻頭言>期待値と平均 / 河野敬雄
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム
巻号頁・発行日
vol.33, 2013-12-20

<巻頭言>大阪人と東京人と西洋人 / 高橋 義人<対談>大学の教養教育を考える[Part II] / 森本 あんり, 杉万 俊夫, 瀬戸口 浩彰<特集 : 大学と教養>総合人間学部の学生と教養教育 / 高橋 由典<特集 : 大学と教養>学生から見た教養・共通教育 / 石原 昭彦<特集 : 大学と教養>非母語話者は英語を教えられるか / 水野 眞理<リレー連載 : 環境を考える>職場環境・労働環境と法 / 小畑 史子<知の息吹>心と言語、心とメタファー / 谷口 一美<フロンティア>高温高圧実験で探る地球内部の含水マグマの振る舞い / 松影 香子<フロンティア>性暴力をなくすために : 刑事司法のあり方を考える / 牧野 雅子<奈文研の散歩道>遺跡における埋蔵文化財としての有機質遺物の保存 / 髙妻 洋成<文学の周辺>亡命の概念とアイデンティティーの(再)探究 / ベル・アッベース・ネダール<世界の大学>オックスフォードと意味の階梯 : 「総合人間学」という理念に寄せて / 丸山 善宏<国際交流セミナーから>中世における京外政治拠点と古代都城の概念 / マシュー・スタブロス<フィールド便り>チャルメルソウの起源を求めて : アメリカ西海岸の植物調査現場から / 奥山 雄大<書評>有元志保[男と女を生きた作家 -ウィリアム・シャープとフィオナ・マクラウドの作品と生涯-] / 井上 健<書評>櫻井正一郎[女王陛下は海賊だった 私掠で戦ったイギリス] / 芦津 かおり<書評>佐伯啓思[経済学の犯罪 ―稀少性の経済から過剰性の経済へ] / 百木 漠<書評>栗原俊秀[ヴィットーリオ広場のエレベーターをめぐる文明の衝突] / 菊池 正和<書評>元木泰雄[平清盛と後白河院] / 野口 実<書評>村上桃子[古事記の構想と神話論的主題] / 平舘 英子<人環図書>鎌田浩毅著 / 一生モノの時間術<人環図書>阿辻哲次著 / 漢字再入門 : 楽しく学ぶために<人環図書>河崎靖著 / ドイツ語学を学ぶ人のための言語学講義<人環図書>鎌田浩毅著 / 一生モノの時間術<人環図書>杉万俊夫著 / グループ・ダイナミックス入門 : 組織と地域を変える実践学総長裁量経費による出版物瓦版
著者
平井 克尚
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.13-26, 2011-12-20

ウルマーのイディッシュ期の映画『グリーン・フィールド』を論じる.これまでこの映画に関しては,文化的側面とフィルム・テクスト的側面の差異がさして意識されることなく調和的に論じられてきたが,本論では,これまで論じられてこなかった,イディッシュ文化とフィルム・テクストとの軋みの部分に焦点をあて,この観点を軸に論じる.それは,ウルマーによるこの映画がマイノリティの文化的共同性を単に補強するものではなく,様々な映画的記憶により織り成されたテクスチャーであることを示すことになるであろう.最初に,この期の映画を検証するにあたりイディッシュ,ウルマー,イディッシュ期のウルマーについて見る(I).次に,この期のウルマーの映画『グリーン・フィールド』の製作経緯を見る(II).引き続き,この映画の最後のシーンに着目する(III).最期に,この映画のフィルム・テクストを分析する(IV).
著者
廣川 祐司
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.97-109, 2011-12-20

平成21年10月27日に山梨県の甲府地方裁判所において,同県身延町における「入会権不存在確認請求訴訟」の判決が出された.係争事案は一般・産業廃棄物管理型最終処分場の建設計画をめぐり,建設賛成派住民(原告)が建設反対派住民(被告)を提訴したものである.建設予定地の一部にはK集落(K組)の入会地が含まれており,入会権の存在を根拠に反対派住民が建設反対活動を行っている.そのため,建設を推進する賛成派住民が,当該係争地には「入会権は存在しない」ことを確認するために提訴した.本係争地は記名共有によって登記されている土地である.このように入会地を記名共有で登記し保持し続けている地域は数多くあり,本係争事例を検証することによって,記名共有登記制度が入会を担保するための受け皿として十分でないことを提示するのが,本稿の主たる目的である.