著者
戸田 潤也
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.65-78, 2009-12-20

『人倫の形而上学の基礎づけ』には定言命法および定言命法と見なされるものが様々な形で提示されている.それゆえ,定言命法全てを正確に数え上げ分類することは非常に困難である.こうした中,定言命法を五つの法式に大別するペイトンの解釈は,現在に至るまで多くの研究者によって踏襲されている.この解釈は同時に定言命法の「基本法式」を「道徳性の普遍的な最高原理」とするものであるが,このことは意志の自律を「唯一の」「道徳性の最高原理」とするカントの立場と相容れないように思われる.本稿では,ペイトンの解釈をテキストに定位して確認し(第一節),その解釈とは異なった角度から意志の自律の特性を明らかにし(第二節),その正当性を確保する(第三節).これによって,意志の自律の解明を行なうその後の同書の議論への道筋をつけることができる.
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム (ISSN:13423622)
巻号頁・発行日
vol.25, 2009-11-02

<巻頭言>星空を眺めながら真夜中の語るを聴く / 河合良一郎
著者
津田 壮章
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.135-151, 2020-12-20

本稿は, 京都府立鴨沂高等学校の学校行事「仰げば尊し」を主な題材に, 「自由な校風」という教育実践の意義と限界を考察するものである. 同校では, 戦後直後から表現の自由が重視されていた. 当初は仮装行列であった「仰げば尊し」は, 1960年代にデモンストレーションとなる. 1980年代には教育実践としても位置づけられているが, 2010年代の校舎改築及び校風改革によって廃止された. しかし, 主権者教育が推進される現代においてこそ, 自由で自立した市民を育てる校風として再評価できるのではないだろうか.
著者
大山 万容
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.121-132, 2012

本稿では, フランスにおけるニューカマーの子どもに対する受け入れ政策と, 雷語教育支援の特般について論じる. フランスは国際社会においては欧州評議会の言語政策部門が提唱する複言語主義(plurilingualism) を標榜するが, 国内の移民に対する政策にその主張はどのように反映されているのだろうか. 本稿ではフランスにおける移民の定義について概観した後, 政策の実践例として, フランスの「ニューカマーおよびロマの子どものための学校教育センター」(Centre Academique pour la Scolarisation des Nouveaux Arrivants et des enfants du Voyage :CASNAV) を取り上げ, その設立に至る背景, ニューカマーの子どもと学校教師への支援のあり方とその課題を明らかしその取り組みにおける複言語主義との組離を示す. 最後に社会統合のための複言語主義教育の可能性について考察する.
著者
篠原 資明
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
巻号頁・発行日
2011-03-25

まぶさび展 会場:京都大学総合博物館 会期:2011年1月19日(水)~3月13日(日) 主催:京都大学総合博物館、京都大学大学院人間・環境学研究科 共催:京都市、長浜市
著者
川北 天華
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.101-114, 2018

Charlotte Brontëの『ジェーン・エア』(Jane Eyre, 1847)は出版当初から傑作として高く評価された一方, 話の展開が不自然, また主人公Janeの行動が不自然で一貫性がないといった批判がなされてきた. 特に, Janeが一度Rochesterの元を去りながら, ある日突然遠く離れた彼の呼び声を聞き, 彼のもとに戻って結婚するという筋書きには反発が多い. これらの批判はJaneの行動原理が正しく理解されていないことに起因する. 本稿では, Janeの行動原理を分析する手掛かりとして, 第12章で彼女が口にする"power of vision"という表現に注目し, このvisionの力こそがJaneの求めるものであり, Rochesterとの結婚がその願望を充足させるという仮説を立てる. ここでのvisionは従来視覚の意味で捉えられてきたが, 本稿ではこれに留まらず, 予示, 想像という別の解釈を導入する. これにより, Janeの行動は一貫して不思議な予示の力に導かれていること, また, 彼女の成長は作者Charlotte Brontëの想像力の表現の発展と呼応していることが示される. JaneがRochesterと結婚するのは, 彼となら彼女が求めていたvisionの共有が叶うからであり, またそれは, 読者とvisionを共有したいという作者本人の欲求に根差すものである.
著者
細川 真由
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.201-217, 2018-12-20

第一次世界大戦後, 未曾有の大戦争を経験した世界は, 国際連盟の創設や多国間条約の締結を通じて国際平和の構築を図った. 中でも1928年に締結された「国策の手段としての戦争放棄に関する条約」(不戦条約)は, フランスとアメリカとの協議から生まれた条約であるが, 最終的には多くの国が参加し, 史上初めて「国策の手段としての戦争」を禁止した画期的な条約となった. そして, この条約の成立にはアメリカにおける戦争違法化運動が大きな影響を与えたとして, 多くの先行研究の対象とされてきた. その一方で, 不戦条約をめぐるフランス外交に関する研究はほとんど見られない. しかし, 条約成立に至る複雑な交渉過程におけるフランス政府の意図やその背景にあるものについて検討を加えてはじめて, 不戦条約の意義と限界を明確にすることが可能となる. 本論文では, 政府文書・外交文書・同時代の著作等の一次史料, および先行研究に基づき, 不戦条約をめぐるフランスの外交的背景を考察した. その結果, 不戦条約は, 従来考えられてきたような理想主義的性質とはかけ離れた, 現実主義的な交渉過程を経て成立したことが明らかとなった.
著者
細川 真由
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.201-217, 2018

第一次世界大戦後, 未曾有の大戦争を経験した世界は, 国際連盟の創設や多国間条約の締結を通じて国際平和の構築を図った. 中でも1928年に締結された「国策の手段としての戦争放棄に関する条約」(不戦条約)は, フランスとアメリカとの協議から生まれた条約であるが, 最終的には多くの国が参加し, 史上初めて「国策の手段としての戦争」を禁止した画期的な条約となった. そして, この条約の成立にはアメリカにおける戦争違法化運動が大きな影響を与えたとして, 多くの先行研究の対象とされてきた. その一方で, 不戦条約をめぐるフランス外交に関する研究はほとんど見られない. しかし, 条約成立に至る複雑な交渉過程におけるフランス政府の意図やその背景にあるものについて検討を加えてはじめて, 不戦条約の意義と限界を明確にすることが可能となる. 本論文では, 政府文書・外交文書・同時代の著作等の一次史料, および先行研究に基づき, 不戦条約をめぐるフランスの外交的背景を考察した. その結果, 不戦条約は, 従来考えられてきたような理想主義的性質とはかけ離れた, 現実主義的な交渉過程を経て成立したことが明らかとなった.
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム (ISSN:13423622)
巻号頁・発行日
vol.16, 2005-03-31

<巻頭言>自由と多様性
著者
西島 順子
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.153-167, 2018

本稿は, 1970年代のイタリアにおいて展開した民主的言語教育の複言語主義の概念と起源を, トゥッリオ・デ・マウロの言説をもって解明した. 民主的言語教育は欧州評議会の言語教育理念である複言語主義と親和性があるといわれているが, 両者は政治的な文脈も時代も異なるものである. 民主的言語教育を学界に提唱した言語学者デ・マウロは, それを提唱する以前の1960年代から1970年代にかけて, 論考などにおいて複言語主義を意味するplurilinguismoを使用していた. デ・マウロが使用するこれらのplurilinguismoを分析・分類したところ, 三つに分類された. 第一に「複言語状態」(ある領域において複数の言語が共存する状態, つまり多言語状態・一つの個別言語にさまざまな言語の性質が共存する状態・言語に多様な表現記号が存在する状態), 第二に「複言語政策」(多言語地域において政治的に複数の言語使用を認める政策), そして最後に「複言語能力」(個々人の言語体験によって蓄積された複数の言語を, コミュニケーションや創作活動において用いる能力)を意味していた. また, その起源を考察すると, 「複言語状態」「複言語政策」はソシュールの理論や記号学などの一般言語学, そして歴史的・地理的言語研究に由来することが判明した. その一方で「複言語能力」はデ・マウロの政治思想を内包しており, グラムシの言語哲学の影響を受け「複言語教育」としての民主的言語教育へと展開したことが明らかとなった.
著者
小島 基洋
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.17-28, 2017

村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』(一九七九年)は, 語り手の三人目の恋人を襲った悲劇的な死を隠蔽すべく, <<虚偽>>の詩学を用いて書かれている. この目的のために, 村上は「ハッピー・バースデイ, そしてホワイト・クリスマス」という<<虚偽>>のオリジナル・タイトルを付け, 最終的なタイトル「風の歌を聴け」が付けられた後には, カポーティの短編「最後のドアを閉めろ」という<<虚偽>>の出典を指示する. また<<虚偽>>のSF作家デレク・ハートフィールドの自死について語り, 物語の<<虚偽>>の焦点を当てるのは, 彼女が死んだ1970年4月ではなく, 8月である. 更に, 彼女への鎮魂の意味合いが強い「風の歌を聴く」という表現の代わりに, 「雲雀の唄を聴く」という<<虚偽>>のフレーズを使用する. 恋人の死という余りに重いテーマは新人作家であった若き村上春樹には表現することが困難であったのだが, 彼は後年, 『ノルウェイの森』(1987年)において, それを見事に表出するに至る.
著者
辰已 知広
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.39-48, 2020

本稿は, 1954年に映画製作を再開した日本の映画会社「日活」の歴史を, 衣裳の検証を通じて解明することを試みるものである. 映画衣裳については, 欧米の研究者が1970年代頃よりその重要性を指摘し, 直近三十年程で研究を充実させた経緯があるものの, 日本映画の衣裳そのものを詳細に分析した先行研究はほとんど存在しない. こうした状況に鑑み, 本稿では, 日活が一時中断していた映画製作を再開した1954年から62年までに公開された代表的な作品を取り上げ, 日活の歴史とその独自性を, 衣裳を通じて振り返るとする. 第1節では, 日活専属のスクリプターであった白鳥あかねの証言をもとに, 当時の日活が森英恵に多くの衣裳製作を依頼していたことや, 撮影所システムの下で衣裳がどのように扱われ, 最終的に決定に至ったのかを明らかにし, 整理する. 続く第2節では, 文芸作品からエンターテイメント路線への変更によるアクション作品までにおける, 特徴的な男女の衣裳をピックアップし, それらの機能や意味を, 日活衣裳部員の証言を交えつつ, 時代の流れや風俗と共に考察する. 最後に第3節では衣裳の変遷をジェンダーの観点から捉え, 当時の日活が「男性路線」と言われつつも, いかに女性観客を意識した男性像を視覚化していたかを論証し, 結論へと導く.
著者
平井 克尚
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.13-26, 2011

ウルマーのイディッシュ期の映画『グリーン・フィールド』を論じる.これまでこの映画に関しては,文化的側面とフィルム・テクスト的側面の差異がさして意識されることなく調和的に論じられてきたが,本論では,これまで論じられてこなかった,イディッシュ文化とフィルム・テクストとの軋みの部分に焦点をあて,この観点を軸に論じる.それは,ウルマーによるこの映画がマイノリティの文化的共同性を単に補強するものではなく,様々な映画的記憶により織り成されたテクスチャーであることを示すことになるであろう.最初に,この期の映画を検証するにあたりイディッシュ,ウルマー,イディッシュ期のウルマーについて見る(I).次に,この期のウルマーの映画『グリーン・フィールド』の製作経緯を見る(II).引き続き,この映画の最後のシーンに着目する(III).最期に,この映画のフィルム・テクストを分析する(IV).This article sets out to argue about the film Green Field directed by E. G. Ulmer in the yiddish period, from a viewpoint of the dissonance between the yiddish culture and the film text. This film is not just an attempt to reinforce the cultural community of the ethnic minorities. It should be seen as a landmark film for Ulmer with a whole array of cinematic memories behind it. First we survey the yiddish film, E. G. Ulmer and his yiddish period to examine his films in the yiddish period (I).Second the making process of the film Green Field in his yiddish period is examined (II).Third we take notice of the last scene of this film (III).Finally through a close analysis of the cinematic text, we try to place Green Field in the context of Ulmer's career as well as American film history (IV).
著者
早瀬 善彦
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 = Human and Environmental Studies (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
no.21, pp.175-190, 2012-12-20

政治哲学者レオ・シュトラウスの提示した論点は数多いが, なかでも, もっとも重要なテーマの一つが披のレジームをめぐる議論である. シュトラウスによれば英語の「レジーム」という言葉の語源はギリシャ語の「ポリテイアJにあるが, このポリテイアとは, 本来いかなる法律よりも一層根本的なものであり, また社会に性格を与える秩序であると同時に, その形態でもあった. 小論の日的は, こうしたレジームという観念がもっ原理の重要性を考察することである. はじめにレジームと社会の関係から, 善き生き方とレジームの関係をみつつ, レジームの起源が人為的力にあることを明らかにする.次に, 善きレジームの形成の問題についてシュトラウスの『国家』解釈を通し明らかにしていく. そして, 最後に, 哲学者がレジームを越えていくという論点を提示し哲学と政治社会の関係はどうあるべきかという問題に一定の結論を提示する.
著者
真鍋 公希
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.39-51, 2019

作田啓一は, 生の経験の中にあらわれる非合理性を捉えるための理論体系の構築に一貫して取り組んだ社会学者である. 先行研究では, 彼の生の経験への関心が中心的に論じられてきた. しかし, 作田の特徴は, 生の経験への関心だけでなく, それとは矛盾するように思われがちな体系化への志向性をも兼ね備えている点にあるように思われる. この問題意識に基づき, 本稿では作田の思想における理論の位置づけについて検討する. 本稿では, まず, 『命題コレクション社会学』の付論に注目し, 水平的関係と垂直的関係という二つの関係性を抽出する. 続いて, 現代社会学と小林秀雄に向けた作田の批判を検討し, 批判の要点が, 両者がともに, 現実を水平的/垂直的関係に還元して論じようとする点にあることを明らかにする. 最後に, 作田の犯罪分析を取り上げ, 彼が水平的関係と垂直的関係の両方を論じようとしていたことを指摘する. 以上から, 作田は社会学的な説明(水平的関係)と生の経験(垂直的関係)の二つを結びつけた理論的視座の構築を試みていたことを指摘し, その理論によって一つの「全体」を仮構していたと結論づける.
著者
ベレック クロエ
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.29-41, 2015

薙刀とは, 本来長い柄の先に反り返った長い刃をつけた武器であるが, 一般的には「なぎなた」が女子の活動としてとらえられており, 学校のクラブ活動として発展している. 日本全国で盛んに行われているが, 国際的には1990に国際なぎなた連盟が発足し, 現在は14ヶ国が加盟している. なぎなたは女子向けの武道として長い歴史を持っているため. 日本においては女子のものとして認められており, なぎなたには女性的なイメージが存在している. そして1960年代と1970年代にアメリカ・台湾・ヨーロッパにおいてなぎなたの稽占を始めたのも女性だった. ただ, 海外ではなぎなたが, 僧兵と武士が戦場で用いた武器としてのイメージを通じて普及したため, やがて男性に人気が高まり, 1990年代以降, なぎなたの愛好者は男性のほうが多くなっている. 全日本なぎなた連盟はこの現象に対して, 反対を表明しておらず, 男性のなぎなたを日本の伝統文化の活動として認め, 日本人男性にもなぎなたを奨励するようになっている. 本稿は, なぎなたの園際発展を通して, なぎなたのジェンダー・イメージがどのように変化したのか明らかにした.
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム (ISSN:13423622)
巻号頁・発行日
no.20, 2007-03-31

<巻頭言>植物の力奥田光郎<対談>エコ感覚とライフスタイル日高敏隆, 浅野耕太<特集 : 男と女>ルネサンス美術にみる妻と夫岡田温司<特集 : 男と女>性と生津田謹輔<特集 : 男と女>平安時代のお産の社会関係西山良平<特集 : 男と女>なぜ<男子>教育は論じられないのか小山静子<特集 : 男と女>動物における男(おす)と女(めす) ― 下等動物を例に ―松井正文<特集 : 男と女>明治の恋、大正の恋 ― 漱石とその弟子たち ―須田千里<リレー連載 : 環境を考える>二一世紀の課題と藻類の多様性宮下英明<サイエンティストの眼>見えるものと見えないもの田中真介<知の息吹>メディア問題の起源としての映画教育運動大澤浄<社会を斬る>フィロキセラと<生権力>多賀茂<京博便り>文化財の調査 ― 持続は力なり ―赤尾栄慶<世界の街角>占領とジハード ~ 救世主が生まれた街で ~岡真理<フィールド便り>非暴力ともう一つのチベット問題辻村優英<書評>宮埼興二著『「かたち」の謎解き物語』荒川紘<書評>福間良明著『「反戦」のメディア史』石田あゆう<書評>加藤幹郎著『映画館と顧客の文化史』山本佳樹<書評>櫻井正一郎著『サー・ウォルター・ローリー 植民と黄金』加藤行夫<書評>高橋義人著『グリム童話の世界』大野寿子<人環図書>『フロイト全集』<人環図書>日本応用心理学会編『応用心理学事典』<人環図書>田中昌人先生を偲ぶ教え子のつどい実行委員会編『土割の刻』<瓦版>
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人環フォーラム (ISSN:13423622)
巻号頁・発行日
vol.19, 2006-09-30

<巻頭言>究極の他者
著者
MICHISHITA Toshinori TAKAHASHI Teruo
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 = Human and Environmental Studies (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.1-15, 2018-12-20

This paper presents a new strategy which allows us to achieve a successful Foucault pendulum with a portable and free-standing device developed. A numerical calculation for the two-dimensional Hamilton's equations predicted that the pendulum realizes the ideal Foucault performance when the time-averaged action vanishes. Experimental results strongly confirmed the numerical prediction from measurement of the action as a function of the distance between the control magnets. The device has performed the Foucault pendulum with the sufficiently accurate and reliable rotation rates corresponding to the latitudes. Independency of latitude for the optimal condition to the device was verified by the measurement of the rotation rates of the pendulum at different latitudes. Limit cycle and locking phenomena for the pendulum rotation were observed depending on the distance between the magnets. A criterion for their occurrences was examined by using the Adler equation.