著者
守屋 三千代 MORIYA Michiyo
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 = Studies in Japanese Language and Japanese Literature
巻号頁・発行日
no.30, pp.1-10, 2020-03-18

本稿は『星の王子さま』の和訳に現れた動詞「ナル」の意味・用法を分類し、英訳と対照するものである。原文がフランス語である『星の王子さま』を選んだのは、この原文および翻訳が筆者の主催する「ナル表現研究会」で行う通言語的研究の共通テキストであることに拠る。本稿で採用した『星の王子さま』では全50 例ほどの「ナル」を伴う用例が得られ、その英訳は変化表現・未来・状態表現・スル的表現、および義務表現に分かれる。このうち変化動詞があまり用いられない傾向と、未来形とスル的表現で訳される傾向が観察された。このことは日本語で時間幅をもってアナログ的に捉えられた事態が、英語では静的かつデジタル的に捉えられる傾向を示唆する。
著者
大塚 望 Nozomi OTSUKA
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.23, pp.15-33, 2013-03-20

「とする」と「にする」は,共起する格助詞がトかニかという一文字違いでありながら,両者が示す意味や用法また統語構造は,大きく異なっている。これまで両者を比較する研究は見られなかったが,本稿ではこの二つの表現を一緒に考察することによって,その共通点,相違点がさらに明らかにされると考え実例を収集し比較した。共通点は,決定と同定を意味する用法を持つ点。相違点は「とする」が引用,仮定,将前,決定,同定を,「にする」が決定,変化,実現努力,仮想同定の意味を表す点と構文の違いであった。その意味分類の基準として主語の存在と変化前の想定という特徴を引き出した。結局は「する」の持つ形式性がこのような多様な意味用法を示すのである。
著者
阮 毅 Yi RUAN
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.24, pp.29-43, 2014-03-20

『金瓶梅』は、明の万暦年間中頃に書かれた長編小説である。正保元年に日本に入り、儒者の間に流行した。優れた漢学素養をもつ森鷗外が、その『金瓶梅』にいかに影響され、また、どのようにそれを作品創作に生かしたのかを考えるのが小論の目的である。三好行雄氏をはじめとする先行研究では、森鷗外の『雁』と『金瓶梅』のかかわりを、西門慶、潘金蓮、武大郎三者の関係を岡田、お玉、末造の関係に見立てているが、そこから一歩踏み込んでの研究はされなかった。果たして、それは「見立て」の関係であるかどうかを考えなければならない。小論は鷗外のその他の作品をふれながら、比較文学見地から、『雁』と『金瓶梅』との関係をより綿密な考察によって、明らかにしていくものである。
著者
山下 由美子 Yumiko YAMASHITA
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 = Studies in Japanese Language and Japanese Literature (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.28, pp.57-71, 2018-03-18

学生のレポートにおける話し言葉の出現傾向を探るため,レポートの書き方に関する書籍で扱われる話し言葉を一覧表にまとめ,「学術文章作法Ⅰ」で課したレポートから出現数を調査した。最も多く出現したのは,接続表現の「そして」である。理由として,それを話し言葉と断定し,対応する書き言葉を明確に示しにくいことから,学生達は書き言葉であると認識し使用していると思われる。「じゃあ」「超」「~ちゃった」など口語としての話し言葉は全く出現していないため,ある程度は話し言葉と書き言葉の区別は身についていると言える。また,「ほとんど」「~と~」等,話し言葉と書き言葉の境界線があいまいなものも調査から明らかとなった。
著者
張 楠 Nan ZHANG
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.23, pp.89-107, 2013-03-20

本論文は『源氏物語』の中に出てくる上巳(三月三日)の行事を取り上げ,中国の歳時文化と道家の文化が重なっている事実で,古代日本の年中行事における道学思想の受容を考察してみた。具体的に三方面から展開する。一, 上巳の祓いと曲水の宴は,道家思想から生まれた行事である。二, 桃に避邪の呪力があるという道教の信仰に支えられて,桃の花は上巳の祓えの花としての位置を確立して行くのであると思われる。三, 桃の女性象徴は,女の子の無邪気と結び付いて,日本の桃の節供(女の節供)になるかもしれないと思われる。
著者
守屋 三千代 Michiyo MORIYA
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.26, pp.27-38, 2016-03-20

一般に日本語は「ナル的言語」であると言われ、「ナル表現」への志向性が顕著に見られるが、「ナル的言語」は日本語だけではない。例えば韓国語やトルコ語も「ナル的言語」であり、「ナル」に相当する動詞が存在し、「ナル表現」もよく用いられる。この三言語の「ナル」とナル相当語[tweda, olmak] のうち、日本語と韓国語では主に変化の意味を表すが、トルコ語ではそれ以外に誕生・出現・存在などの意味を表す。こうした意味を現代日本語に求めると、「実がナル」という例しか見当たらないが、『古事記』では神々や国の誕生の場面で誕生・出現の「ナル」が多数観察される。ナル表現
著者
山中 正樹 Masaki YAMANAKA
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.25, pp.1-12, 2015-03-20

近代の日本文学研究においては、伝記研究の成果をもと\nに作家の思想信条を明らかにし、作品はその表現だと位置\nづける〈作家論〉が主流であった。その後、三好行雄の〈作\n品論〉が登場し、近代文学研究の中心的位置を占める。\n この三好〈作品論〉を打ち砕いたのが、R・バルトの理\n論であり、そこから生まれた〈テクスト論〉である。しか\nし日本における〈テクスト論〉は、バルトの理論の中核で\nあった〈還元不可能な複数性〉の意味を正しく理解せず、\nバルトが退けた〈容認可能な複数性〉の範疇に留まるもの\nであった。そのため、多数の〈読み(解釈)〉がすべて容\n認されるという、アナーキーな状況が生まれた。\n それに加え、21世紀を迎える前後に巻き起こった「国文\n学者の自己点検/反省」は、日本の近代文学研究の息の根\nを止めることとなる。ここにいたって「〈文学〉を研究す\nることも教えることも不毛/不可能である」という考えが\n蔓延し、研究の主流は〈文化研究〉に移行した。\n こうした状況の中で、〈文学(研究)〉の復権を目指すと\nともに、〈「読むこと」自体を問い直す〉原理論の構築を標\n榜して提出されたのが、田中実氏の第三項論である。第三\n項論とは〈主体〉と〈客体〉の二項に加え、〈客体そのもの〉\nという第三項を立てる「世界観認識」である。〈客体その\nもの〉とは私たちの認識の源泉ではあるが、決して私たち\nの感覚や言語では直接的には捉えられないものである。し\nかしその第三項を措定することで〈還元不可能な複数性〉\nを潜り抜け、世界を私たちの手に取り戻すことが可能になる。それは私たちの世界〈認識〉の在り様を根本から問い\n直すものであり、新たなる文学研究の領域を切り拓いたも\nのであるといえよう。
著者
山岡 政紀
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.24, pp.27-39, 2014-03-20

日本語の動詞テイル形の解釈はアスペクトの視点から行われることが多いが,「ああ,腹が立つ」のように人称制限のある主観的感情表現をテイル形に換えると,「彼は腹が立っている」のように人称制限が解消される。このような現象を根拠として,テイル形のより本質的な意味をアスペクトではなくエビデンシャルであるとする主張がなされている。本稿では動詞ル形が持つ発話時への局在性とテイル形が持つ時間幅との意味対立が結果として <感情表出> と <状態描写> という文機能の対立を表していることを論証した。また,「私は腹が立っている」のような第一人称主語で感情表現のテイル文は <状態描写> ではあるがエビデンシャルとは言えないので,それを根拠の一つとしてテイル形の意味はエビデンシャルよりもアスペクトの方がより本質的であることを考察した。
著者
張 楠
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.23, pp.89-107, 2013-03

本論文は『源氏物語』の中に出てくる上巳(三月三日)の行事を取り上げ,中国の歳時文化と道家の文化が重なっている事実で,古代日本の年中行事における道学思想の受容を考察してみた。具体的に三方面から展開する。一, 上巳の祓いと曲水の宴は,道家思想から生まれた行事である。二, 桃に避邪の呪力があるという道教の信仰に支えられて,桃の花は上巳の祓えの花としての位置を確立して行くのであると思われる。三, 桃の女性象徴は,女の子の無邪気と結び付いて,日本の桃の節供(女の節供)になるかもしれないと思われる。