著者
鬼沢 貞
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
Artes liberales
巻号頁・発行日
vol.6, pp.9-43, 1969-01-01
著者
高橋 和孝 家井 美千子 TAKAHASHI Kazutaka IEI Michiko
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
アルテス リベラレス (ISSN:03854183)
巻号頁・発行日
no.96, pp.1-18, 2015-06

本稿は,岩手大学図書館所蔵の古典籍(和本)のアーカイブ化をめざして2014年度までに進めてきた基礎作業について報告し,あわせて,これまでの作業で明らかになりつつまるこれらの古典籍群の内容について概観するものである。
著者
三浦 勲夫
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
アルテスリベラレス (ISSN:03854183)
巻号頁・発行日
no.19, pp.p43-68, 1976-12
著者
西牧 正義 NISHIMAKI Masayoshi
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
アルテスリベラレス (ISSN:03854183)
巻号頁・発行日
no.86, pp.107-117, 2010-06

最高裁判所第3小法廷平成10年2月10日判決以来(金融法務事情1535号64頁,金融商事判例1056号6頁),差押えを禁止された債権1)であっても,これらの差押禁止債権が受給者の預金口座に振り込まれ預金債権となると債務者(差押禁止債権の受給者)の一般財産として債権者による差押えが原則として可能になる。差押禁止債権も預金口座に振り込まれれば,預金債権として区別がつかなくなり,差押禁止債権と他の一般財産としての預金債権とを判別することができないことから,差押禁止債権が預金口座に振り込まれることによって生じる預金債権は,原則として,差押禁止債権としての属性を承継しないということがその理由とされる。
著者
樋口 知志 HIGUCHI Tonoji
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
Artes liberales (ISSN:03854183)
巻号頁・発行日
vol.82, pp.93-115, 2008-06-01

藤原清衡(1056 − 1128)はいわずと知れた奥州藤原氏の初代であり,平泉の地に開府を果たして奥羽両国に覇権を樹立し,80余年続いた絢爛豪華ないわゆる平泉文化の礎を築いた人である. 清衡が出生した天喜四年(1056)という年は前九年合戦(1051 - 62)の最中であり,康平五年(1062)に同合戦が源氏・清原氏連合軍の勝利=安倍氏の「滅亡」というかたちで終結したとき,彼は実父の経清を失っている.その後,奥六郡主安倍頼時の娘である彼の母は清原武則の長子武貞の許に再嫁し︑清衡も母の連れ子としてともに清原氏の人となった.彼はその後清原氏の一員として少年・青年期を過ごすが,永保三年(1083)に勃発した後三年合戦(1083 - 87)では清原氏当主の座にあった異父異母兄の真衡や異父同母弟の家衡︑オジの武衡と戦い合い︑合戦終結後は清原氏嫡系男子としてたった一人生き残った.かくして奥羽の二大戦乱を生きぬいた清衡はその後も弛まぬ歩みを続け,十二世紀初頭頃にはついに平泉開府を果たしたのである. 本稿では,そのような数奇な生い立ちと前半生をもつ彼の人生の軌跡について,文献史料の精確な読み直し作業に立脚しつつ,あらためて根本から再考してみたい.というのは,彼の生涯についてはこれまで諸先学によって数多く論及されてきたものの,巷間に流布している通説的見解にもあるいは史的事実に反する誤謬が少なからず含まれているのではないかと愚考されるからである. 平泉の世界遺産登録のことが頻繁に話題とされ奥州藤原氏に関わる平安末期の文化遺産に熱い視線が注がれている昨今であるが,近年そうした動きとも連動するかたちで,前九年・後三年合戦期や奥州藤原氏の時代に関わる諸遺跡の発掘調査が進められて考古学的知見がいちじるしく増大し︑また歴史学(=文献史学)の側においても『陸奥話記』『奥州後三年記』や『吾妻鏡』といった関連する諸文献の史料批判や読み直しにもとづき基礎的研究の拡充が図られるなど,かなりの研究成果の蓄積がみられた.本稿ではそれら数々の新たな成果を踏まえながら,奥州藤原氏初代清衡の全生涯について,時代の趨勢やその変遷との関連をも重視しつつできるかぎり詳細に論じてみたい. もしも本稿における所論の中に,今後の奥羽の古代・中世史研究や平泉文化研究の発展にいささかなりとも寄与しうるところがあるとすれば,まさに望外の幸いという他ない.
著者
西牧 正義 NISHIMAKI Masayoshi
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
Artes liberales (ISSN:03854183)
巻号頁・発行日
vol.86, pp.107-117, 2010-06-25

最高裁判所第3小法廷平成10年2月10日判決以来(金融法務事情1535号64頁,金融商事判例1056号6頁),差押えを禁止された債権1)であっても,これらの差押禁止債権が受給者の預金口座に振り込まれ預金債権となると債務者(差押禁止債権の受給者)の一般財産として債権者による差押えが原則として可能になる。差押禁止債権も預金口座に振り込まれれば,預金債権として区別がつかなくなり,差押禁止債権と他の一般財産としての預金債権とを判別することができないことから,差押禁止債権が預金口座に振り込まれることによって生じる預金債権は,原則として,差押禁止債権としての属性を承継しないということがその理由とされる。
著者
斎藤 彰一 SAITO Shoichi
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
Artes liberales
巻号頁・発行日
vol.69, pp.57-71, 2001-01-01
著者
三浦 勲夫
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
Artes liberales
巻号頁・発行日
vol.19, pp.43-68, 1976-01-01
著者
長野 俊一 NAGANO Shunichi
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
思想と文化
巻号頁・発行日
pp.403-416, 1986-02-05

エヌ・ゲー・チェルヌィシェーフスキイの長編小説『何をなすべきか』第3章29節は,「特別な人間」<Ocoбeнный челoвeк>という独自の表題を持つ。それは恋愛小説もしくは家庭小説仕立ての物語的展開(「開かれた筋」1))を中断するように嵌め込まれたひとつの挿話である。挿話あるいは挿話的人物は,『死せる魂』のコペイキン大尉の物語や『戦争と平和』のプラトン・カラターエフの例を持ち出すまでもなく,その属性の一部である偶発性・意外性によってしばしば異彩を放ち,読者の注意を惹きつける。「特別な人間」ラフメートフの挿話も例外ではない。さらに加えて,この場合,第29節とそれに続く第30・31節は,作者からの内報を担った「イソップ的筋」(革命的蜂起のアピール)の中枢を占め,小説の構造上不可欠の体系をなしている。これらの数節において,政治的暗示のかずかずを受けとめ,寓喩を解読し,ラフメートフその人にアピールの仲介者,革命的思想の具象化を見出すのはそれほどむずかしいことではない。実際,われわれの先人たちは,ピーサレフもプレハーノフもルナチャールスキイもレーニンも,みなそのように読んできたのだし,作品の注解者たちはこうした読み方の歴史的裏づけをとることに専心してきたのである2)。だが考えてみれば, どうやらこのような読みを可能にしているのは,作者の伝記的事実の知識でも,主人公のプロトタイプを特定することでもなく-だからといって私はそうした基本的作業の必要性を否定しているのではない-むしろ,作品の構造それ自体であるらしい。つまり,テキスト外的・言語外的事実,いわゆるレアリアrealiaの単なる寄せ集めではなく,挿話の言語芸術としての特質,なかんずくイメジャリー(イメージの集合体)構成のあり方とそれを支えているチェルヌィシェーフスキイのレトリックの独自性なのである。「特別な人間」のイメージの造形,彫琢に際しての作者の砕心ぶりは,「文学記念碑シリーズ」版『何をなすべきか』(1975年 3)) に収録されているテキスト・草稿・浄書原稿の断片のそれぞれを比較対照することによって明らかになるだろうが,ここでは本文批評そのものを取り上げようというのではない。個々のイメージとその集合体イメジャリーの構成原理が,挿話の構造内部でどのように機能しているかを探ってゆく過程で,さまざまのレヴェルの「暗示」をいくらかでも明示化することがこの小論のねらいである。本論に入るまえに,必ずしも統一され固定化しているとは言い難い「イメージ」なる用語の,本稿での用語法について一言しておきたい。ここでいうイメージとは,心理学でいう心象,美学・文芸学でいう形象の狭義に用いられるのではなく,比喩や象徴の転義を含めた,場合によってはフィギュアfigureをも含めた広義の概念として用いられるものである。それは当然,「暗号記法」<тaйнoпиъ>またはいわゆる「イソップの言語」<эзoпoвязык>をも包摂することになるだろう。
著者
竹田 晃子 TAKEDA Kōko
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
Artes Liberales = アルテスリベラレス (ISSN:03854183)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.129-145, 2016-06-30

要旨:本稿は,新村出による「東西語法境界線概略」と別図,大槻文彦による新資料の,あわせて三枚の地図を対照することで,成立を明らかにし,方言研究史における位置づけを行うものである。
著者
池田 成一 IKEDA Shigekazu
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
言語と文化の諸相
巻号頁・発行日
pp.349-365, 1999-03-10

さきに筆者は、「『消費社会の思想史』の可能性をめぐって」1)において、消費社会の問題に思想史的立場から本格的に取り組んだ数少ない著作の一つであるコリン・キャンベル『ロマン主義の倫理と近代消費主義の精神』2)を扱ったが、その際には紙幅の不足のために、主にその前半を扱うにとどまった。本稿においては、その後半をなす近代思想史のキャンベルによる再構成を紹介しその問題点を論じてみたい。