著者
野尻 裕子
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 = The journal of Kawamura Gakuen Woman's University (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.169-178, 2004-03-15

わが国には明治期に多くの西洋文化が移入された。近代欧米公園もその一つで,明治36年に開園した日比谷公園は従来の日本型公園を欧米型公園へ転換した画期的な公園といわれている。またそこに設置された児童用遊び場は,東京における初めての近代的児童公園とされている。本稿では,昭和初期に記された日比谷公園児童公園指導員末田ますの資料(『児童公園』昭和17年)から,当時の児童公園の存在の意味と指導員の役割を,健康観という視点から検討した。その結果,戦局下において「国民の体力強化」というスローガンが国中に鳴り響いていた昭和初期には,子どもの遊び場である児童公園もその対象となっていたと考えられる。また母子厚生運動を経験する場としても児童公園は存在していた。単に「子どもが遊ぶ場所」にとどまらず,子どもの遊びに母親が参加する中で,厚生指導を行うことが有効な手段と考えられており,その際の指導員の役割は大きかったと思われる。
著者
藤井 信行
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 = The journal of Kawamura Gakuen Woman's University (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.18, no.3, pp.37-53, 2007-03-15

観光学の中の一分野として「観光歴史学」の設立を試みた。私たちの時代に残る歴史的財産を,確実に次の世代に残していくための学問的な体系化である。その際「観光歴史学」に2つの目的を設定した。1つは,そうした歴史的財産を観光資源として再生することであり,いまひとつはその保存と活用を考えることである。保存・活用という問題はマネジメントの問題であり,もちろん歴史学にそんな分野はない。ここに歴史学にはない「観光歴史学」の存在意義がある。小論は,まず観光資源としての再生という点に関して,ケーススタディとして世界遺産トロイヤの遺跡をとりあげ,その観光歴史学的考察を試みたものである。
著者
石井 龍一
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.33-48, 2006-03-15

国際的な安全保障の枠組として,国連本体(安保理,総会)と地域主義の双方を考える必要があるが,これを国連憲章レジームと名づけることができる。この様なレジームに対する各国の国内世論上のイメージ,信頼度には差異がみられ,これが各国の政策面にも影響を与えている。同時に,戦後秩序の一部変更としての意味をもつ安保理常任理事国の再構成についての日本の国内世論上の支持は,強いナショナリズムと強いインターナショナリズムの複合を背景としている点で,他に見られない特色を持っている。しかし,アメリカ等は政策上その安全保障の枠組として,上記のレジームに依拠していることを背景として,安保理常任理事国の再構成をこのレジームから切り離して推進するインセンティブを特に有していない。従って,このレジームそのものを対象とした安全保障の再構築,特に中国等との東アジア地域での政治・外交的な調整が伴う場合にのみ,右の意味のインセンティブが現実化し得る。以上を,各国の世論調査等の動向を勘案しつつ,若干論じた。
著者
内海崎 貴子 安藤 隆弘
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 = The journal of Kawamura Gakuen Woman's University (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.193-209, 2003-03-15

「学制」の実施要領とされている『学制一覧』は, これまで, 学制取調掛長三洲の編輯によるものとされ, その刊行時期は不明であった。また, その体裁や内容についての詳細な研究はなされていない。 筆者らは『学制一覧』の現物を入手することができたことから, まず, その体裁を精査し刊行時期の特定を試みた。具体的には, 書誌学的観点から『学制一覧』の仕様, 版元を明らかにした。さらに, 『学制一覧』の掲載内容と「学制」関連文部省布達とを比較することによって, その編輯者と刊行時期について検討を加えた。 その結果, 以下の3点がわかった。1.『学制一覧』の編輯者は学制取調掛長三洲ではなく, 三洲の弟で, 「学制」発布の頃の文 部省職員長冰であった。長三洲と長冰は別人である。2.『学制一覧』の刊行時期は, 1873 (明治6)年3月18日から3月28日の問に限定するこ とができた。3.『学制一覧』は, 『学制』, 『小学教則』, 『中学教則略』と同様に, 首題はあるが尾題のな い木版印刷書籍であり, 書誌学的特徴として, 匡廓に凸廓が用いられている極めて稀な例 であった。
著者
鍾 清漢
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 = The journal of Kawamura Gakuen Woman's University (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.147-176, 2000-03-15

中国大陸でも,台湾でも,客家の人口は決して多くはないが,なぜか多方面に人材を輩出している。中華人民共和国で一1一も尊敬されている中華民国の国父・孫父と,革命に情熱をかけ,若き血を流した黄花山岡七十二烈士の半数以上は客家であった。中国史上はじめて直接選挙で選ばれた台湾総統の李登輝,中国を改革開放に導いた〓小平,シンガポール建国の父,李光耀(リーグァンユー),及び現首相の呉作棟(ゴーチョクトン),フィリピンのコラソン・アキノ元大統領はみな客家の血が流れている。台湾最大野党の前主席・許信良も台湾中歴出身の客家である。そして毛沢東とともに中華人民共和国をつくった朱徳,中国の前首相・李鵬,現首相・朱鎔基,副首相・鄒家華,前共産党総書記・胡耀邦,前国家主席・楊尚昆,四人組打倒の葉剣英元帥等,現在の中国の政治リーダーにも,客家出身者がきら星のごとく肩を並べている。また,歴史上の人物にしても,唐の名宰相・張九齢,名将・郭子儀,宋の兵飛,朱熹,欧陽修,文天祥,明の王陽明,袁崇煥,明末の遺臣で徳川光圀公の師匠として儒学を教えた朱舜水,清の洪秀全,楊秀清,石達開,黄遵憲,台湾抗日義士の唐景〓,劉永福,丘逢甲,呉湯興,徐驤,羅福星,清末抗清義士の鄒容,温生才,朱執信,廖仲〓らはみな客家の出身である。東南アジア等,海外で活躍した人材も多い。なかでも,大唐客長の羅芳伯,東南アジアの巨商・張振勲,タイガーバーム王・胡文虎,ハートヤイ開拓の始祖・謝枢泗,バンコク銀行の陳弼臣,在米フィクサー・陳香梅,マレーシア大蔵副大臣・黄思華,カナダ総督ゴービーンツの母親,ネクタイ王・曽憲梓らがよく知られている。また,著名な文学者の郭抹若,林海音,鍾肇政,音楽家の馬思聡,戴雨賢,映画監督の侯孝賢,サッカーの李恵堂など,枚挙にいとまがない。昨年(一九九九年)十一月四日から七日までクワラルンプールで第十五回世界客家懇親大会が催され,世界各地からおよそ二千人の代表が集った。大会の除幕式の挨拶に立ったマハティール首相は「クワラルンプールの発展史の中でもし華人『カピタン』(英植民地政府が華僑リーダーに贈った尊称)の貢献が歴史に記載されなかったらクワラルンプール発展史は完壁なものではない」と指摘した。とりわけ,客家人がマレーシア政府の部長(大臣)や各団体の要職に多く活躍していることについて高く評価した。たしかにこれらの優れた才能で世人の注目を集めた人々は,記念すべき先達である。本稿はきらめく客家の人物群像から,八名だけ取り上げて,簡単に紹介する。
著者
藤井 信行
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 = The journal of Kawamura Gakuen Woman's University (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.12, no.3, pp.47-61, 2001-03-15

小論は, 第一時世界大戦の勃発と当時のイギリス外交政策をヨーロッパ国際関係史の立場から考察したものである。具体的には, 研究史の考察をとおして第一次大戦の開戦原因を明らかにし, 開戦に至るヨーロッパ国際関係の中でボスニアとサライエボ事件に対するイギリスの外交政策を比較した。イギリスは, 不承不承ながら対ドイツ宣戦を行ない, 参戦した(1914年8月4日)。この時, イギリス帝国は即座の脅威を受けていたわけではなかったし, その参戦もドイツを打ち負かすことを目的としたものでもなかった。イギリスは, ロシアとの友好を維持し, フランスを救うために参戦したのであった。両国との協商政策の必然的結果と言ってよい。さらに, イギリスの参戦決定(8月3日)は, 閣内で充分に議論された上での決定であったとは言い難いものであった。このことは, ただ内閣にのみ責任があるということではなく, ほとんどの政治家や外務省スタッフも内閣とさほど変らぬ認識だったことを意味している。参戦に対するこの程度の認識がそのまま, 第一次大戦前10〜15年のイギリスのヨーロッパ国際関係に対する認識そのものだったのである。
著者
蓮見 元子 北原 靖子
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.71-84, 2008

心理学実験の学習案として,これまで「知能(発達)検査」(北原,2004), 「行動観察」(北原,2007)を報告したが,本稿では,学部3年次生に特殊実験演習の授業の一環として実施された「実験法」について紹介する。実験は,関連する2つの推理課題からなり,対象を特定できない相手のメッセージから子どもはどの程度推理できるのか,推理した理由をどのように説明するのか,さらに対象が特定できるヒントが加えられた時,それらを活用して正答に結びつけることができるか,幼児の推理能力,説明能力の特徴を明らかにする目的で行われた。同一の実験を大学生にも行った。その結果,幼児(3・4歳児)は与えられたヒントを使ってある程度対象を推理することができたが,推理した理由を客観的・合理的に説明することは困難であった。自己の要求や好みに中心化しか説明が多く,ヒント条件をあげての説明はほとんどみられなかった。さらに対象が特定できるヒントを加えて,選択用絵カードの8項目の中から正解だと思うものを選択させたところ,幼児が最も活用したのは視覚的に呈示された「大きさ」,および「丸い」という形に関するヒントであった。幼児にとって「丸い」というヒントは絵を見ればわかるものであったが,視覚的に呈示された「大きさ」は,絵に描かれた対象を実物に参照して判断する必要があった。「クリスマスプレゼント」というヒントは,さらに文化的慣習の知識を必要とした。選択用絵カードを使用したこともヒントの活用に何らかの影響を与えたであろうと考察された。最後に幼稚園を訪問して行われた「実験法」について,学部3年生に行う意義などが検討された。
著者
鍾 清漢
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 = The journal of Kawamura Gakuen Woman's University (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.187-210, 1998-03-15

近年来,中国は勿論,欧米からアジアに至る世界各地で,客家学の研究が急速に盛んになってきている。その原因はいろいろと挙げられるが,総じて言えば,二十一世紀を控えて,中国をはじめとするアジアの急激な発展によってもたらされたものである。顧みれば近代中国の政変や改革において大きな役割を演じてきた数々,例えば,太平天国,辛亥革命,五四運動,中華人民共和国の建国等,そのどれにも客家出身者の活躍が際立って見える。その中でも,洪秀全,孫文,宋慶齢姉妹,朱徳,彰徳懐,葉剣英,郭沫若,蓼承志,郵小平等各氏,現中国の李鵬首相,朱鎗基副首相等の指導者が客家である。また,東南アジアの指導者の中では,台湾の李登輝総統,行政院長の蒲万長氏,民進党野党第一党首の許信良氏,前国民党秘書長の呉伯雄氏,カンボジアのシアヌーク国王,フィリピンのコラソン・アキノ前大統領,シンガポールのリーグァンユー元首相とゴーチョクトン現首相も客家出身である。経済界をリードしているターガーバームの胡文虎氏,香サリムグループ港の李嘉誠グループ,インドネシアの林紹良財団,タイの経済を牛耳っている華人,とりわけバンコク銀行も客家系の陳有漢氏が率いている。本文はまず漢民族における客家とは何か,その開拓者精神と特質,続いて客家の分布,移住,発展を分析し,そしてその客家人英傑を輩出している素地として宗族社会の規律についても考察,分析し,論述しようと試みた。
著者
梅澤 嘉一郎
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.85-123, 2002

わが国の少子超高齢化が急速に進む中で, その実情を紹介する講義の際に, VTR等をまじえて理解を深めるとともに最近の共学大学生並びに女子大学学生につき少子超高齢化社会観について, 特に今回は, 少子化に焦点をあてアンケート方式で実施し, 共学大学生と女子大学生, あるいは共学大学における女子大学生と女子大学生との間にどのような相違があるかについて検討をおこなった。検討をおこなった結果, 少子化の進展にたいしては, 共学大学, 女子大学ともに共通して深刻に受け止めている。少子化に関わる, 原因, 影響及び対策について, 共学大学と女子大学, 共学大学女子大生と女子大学生とにおいて, その見方についての差が明らかにされた。すなわち, 原因では, 共学大学が子どもの養育費・教育費に重点をおいているのに対して女子大学生は, 女性の職場進出を養育費・教育費より重要視している。影響については, 共学大学は社会の活力低下や税負担への影響を重視しているのに対して子どもへの影響を重視している。また対策については, 共学大学が子育て環境の整備を一番に挙げているのに対して, 女子大生は子育てと仕事の両立を一番にとり挙げている。この調査結果から, アンケート項目を, 個人選択事項(意識, 生活スタイル)と経済的・社会的環境整備事項とに分類し, 考察した結果, 女子大学生と共学大学女子大生との間で顕著な差が認められた。すなわち, 女子大生は, より個人選択事項を重視し, 例えば, 少子化の原因についても「女性の職場進出」や「高学歴化」を重視している。これに対し, 共学女子学生は, 「女性の職場進出」や「高学歴化」よりも経済的・社会的環境整備事項とに分類される「養育費・教育費の負担」を重視している。以上, 共学大学では, 子育ての社会的環境面の充実面からの解決を重視しているのに対し女子大学生は, 個々人の自由に委ねられる意識や生活スタイルの選択をより重視する立場が顕著にみられ, 両者に重点の差が認められた。本調査から, 少子化問題は, 女性の多様化した価値観に呼応した対応の重要性も明らかとなった。
著者
小林 由利子
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.16, no.2, pp.1-11, 2005-03-15
被引用文献数
1

This paper analyzes the MA in Drama and Theatre Education at University of Warwick in England. The objective of this paper is to clarify the characteristics of Neelands' drama sessions. He is the director of this program and a leader in Drama Education in the UK and the world. This study found: (1) Neelands uses the drama technique of "Teacher in Role" to create dramatic situation effectively. (2) He structures the drama session to invite participants to go into the dramatic scene without their noticing it. (3) He brings out their insight.
著者
酒井 正子
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 = The journal of Kawamura Gakuen Woman's University (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.16, no.2, pp.123-142, 2005-03-15

日本本土の葬儀は一般に厳粛さを尊ぶ。対照的に琉球弧(奄美・沖縄)の島々では,死者に対して声をあげて泣き,うたい,語りかけることは別れに不可欠な行為とされた。声をかけることは情けをかけることであり,それにより死者も鎮まると考えられていたのである。本稿でとりあげる<葬送歌>とは,死後四十九日ころまで葬送に直接関わってうたわれる,無伴奏の歌謡群である。それらは葬儀での儀礼的な<供養歌>と,死後四十九日頃までの個人的な<哀惜歌>に分けられ,様式的には泣きじゃくりに近い不定型な弔い泣きから,有節的な短詞型歌謡までを含む。歌謡の生成と様式化を考える上でも,また「死の受容」を考える上でも重要なジャンルであるが,1970年代以降しだいにうたわれなくなっている。中でも最も廃れている沖縄諸島の<葬送歌>の習俗を,文献から検証する。幕末のフランス人宣教師の記録,国王やノロ(神女)そして一般庶民のための葬送のウムイ(神歌),ムヌイーナチ(物言い泣き),別れあしび(若者仲間の葬宴)などに言及し,琉球弧の他地域と比較しつつその位置づけをさぐる。また明治近代化による沖縄的習俗の撲滅運動の一環として「泣き女」がやり王にあげられた背景を,ジェンダー的な視点から考察する。
著者
鍾 清漢
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 = The journal of Kawamura Gakuen Woman's University (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.83-104, 2002

本稿は, 道徳教育研究を儒家思想に求め, その関わりを論ずるものである。孔子, 孟子, 荀子の儒学は2600年来, 東アジアの漢字文化圏の道徳理念の形成に大きく影響を及ぼしてきた。戦前, 日本の教育勅語には儒家思想が多く盛られている。ただ, 「忠」の解釈には違いもあったが, おおよそ日本国民の血となり, 肉となって, その精神文化を支えてきた。戦後はその「忠」の行き過ぎを正してきた。そして近年にみる道徳の頽廃をどう考えるかが, 道徳教育研究の大きな課題でもある。儒学では, 孔子の仁・忠恕と孟子の仁義・性善説が主として語られるが, 荀子の礼から発展した法規則は, 孔孟思想の偏りを正して, さらに一歩進めたものである。本論はこれを検証する紙数がなかったので, 後日の研鑽に委ねたい。なお, 四書の中の『大学』一書の「格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下」の八徳目は, 世界のどの哲学にもみられない最高の智恵である。
著者
若桑 みどり 栗田 禎子 池田 忍 川端 香男里
出版者
川村学園女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

(1)若桑の研究成果。インドの独立運動において、とくにベンガル地方の文学と美術において女神カーリの復活または興隆があったことを明らかにした。この精神的起源として宗教家Vive kanandaによるカーリ崇拝の復興を指摘し、その信仰が男性的原理、暴力と国家主義の原理に支配されるイギリス帝国主義の男性性に対立するインドの女性性という対立軸の形成にあったことを示した。黒いカーリは先住民族の人種的出自を示すものであり、男性支配以前の母系制的インドの再支配を意味する。これは岡倉天心によって、西洋対東洋の図式に置き換えられ、汎アジア主義へと変容した。(2)池田の研究成果。植民期の日本絵画には「支那服を来た女性像」が頻出するが、それは植民地化された中国の可視化であり、植民され中国を「女性」として隠喩するものであった。また同様に日本女性が支那服を着る画像も生産されたが、それは西洋に対立する日本と中国を汎アジア化するものであった。これらがすべて女性像であったことは、これによって男性による日本帝国主義が、植民地と女性を統治し、自己の卓越性を表象するものであった。(3)栗田の研究マフデイー運動に参加した女性戦士は男装してそのジェンダーを隠蔽した。指導者は独立運動の展開のために女性のエネルギーを最大限必要としたにもかかわらず、女性が性別役割の境界線を超えることを欲しなかったためである。このことはインドにおいてガンジーらが女性のエネルギーを主軸として不買抵抗運動を成功させたことと対照的であり、ヒンズーの文化の基層をなす母系制的土台と、イスラームの父権主義の差異を示すものである。
著者
谷津 貴久
出版者
川村学園女子大学
雑誌
川村学園女子大学研究紀要 = The journal of Kawamura Gakuen Woman's University (ISSN:09186050)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.57-67, 2000-03-15

反応時間の確率分布モデルをデータに適用する際, 複数のモデルを比較選択する方法としてAIC(Akaike information criterion)の利用が挙げられる。しかしAICによって常に真のモデルを選択することができるのかという疑問が生じる。本稿では, 対数正規分布・ガンマ分布・複合指数分布・指数正規合成分布・指数ガンマ合成分布・ガンベル分布・ワイブル分布・ワルド分布の8種の確率分布に対して, AICにより真の分布を正しく選択できるのかどうかを計算機シミュレーションにより検証した。その結果, 複合指数分布と指数正規合成分布が真の分布である場合にははAICによって正しく選択することができず, 試行数が100以下ではどの分布も正しく選択することが困難であることが分かった。また, 真の分布にかかわらずガンマ分布が選択される率が高いという結果も得た。以上より, AICのみによって反応時間の確率分布モデルを選択することには慎重になるべきであると結論した。