著者
田中 雅一
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.93, no.2, pp.107-134, 2019

<p>本稿の目的は、セクシュアリティ・ジェンダー体制と呼ぶ社会システムと宗教との関係を考察することである。具体的な事例としてインドのデーヴァダーシーと呼ばれる女性たちと、その中核に位置するエッラッマ女神への実践と信仰を取り上げる。そこに認められる吉と不吉という女性を分断する宗教的観念が女性への差別を正当化していると同時に、宗教が既存のセクシュアリティ・ジェンダー体制を撹乱する要因にもなっていることを指摘する。差別をめぐる女性の分断は日本の文化や社会体制に馴染んでいる者にとっても他人事ではないという観点から、日本においては女性を分断する支配的な言説として貞淑な女性とふしだらな女性という対立が重要であると指摘する。そして、子宮委員長はるの著書を取り上げて、その撹乱的意義を論じる。</p>
著者
大貫 隆
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.205-226, 2010-09-30 (Released:2017-07-14)

グノーシス主義研究において、神話論的思考から哲学的・神秘主義的思考への変容は避けて通ることのできない重要な問題である。ナグ・ハマディ文書第八写本の『ゾーストリアノス』では、この変容が明瞭に起きている。他方、プロティノスが『グノーシス派に対して』で対峙している論敵も同名の書物を持っていた。プロティノスはその中に、魔術文書の「呪文」と同類の発語を見出して批難している。事実、『ゾーストリアノス』を初めとする後期グノーシス文書は魔術文書から多くの「呪文」を受容した。しかし、それは魔術文書の場合のように、神々やさまざまな霊力を強制的に人間の思惑に従わせるためではない。それは地上から至高の究極的存在へ向かって上昇した神秘主義者が、究極的存在に関する認識と自分自身の存在を合一させた瞬間に発する呻き、つまり「異言」(グロッソラリア)である。
著者
宮家 準
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.1083-1107,viii, 2005-03-30 (Released:2017-07-14)

日本の宗教的伝統はこれまで神道、仏教、道教など成立宗教の側から論じられることが多かった。けれども日本人は自己の宗教生活の必要に応じて、これらの諸宗教を適宜にあるいは習合した形でとり入れてきた。民俗宗教はこうした常民の宗教生活を通して日本の宗教的伝統を解明する為に設定した操作概念である。この民俗宗教は自然宗教に淵源をもつ神道と、創唱宗教である仏教、中国の道教、儒教、これらが混淆した習合宗教、さらに日本で成立した修験道、陰陽道、萌芽期の新宗教などが民間宗教者によって常民の宗教生活の要望に応じるような形で唱導され、彼らに受容されたものである。けれどもこれまでの研究では民俗宗教は単に形骸化した残存物と見られがちであった。本論文ではこの民俗宗教の成立と展開に関する先学の研究を特に民間宗教者の活動に関するものを中心に検討した。そして常民の民俗宗教史の中に日本の宗教的伝統の解明の鍵があることを指摘した。
著者
星川 啓慈
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.80, no.1, pp.1-24, 2006-06-30 (Released:2017-07-14)

宗教学・宗教哲学の分野では、これまで「宗教の真理・奥義・核心などと呼ばれるもの-以下では<宗教の真理>として一括する-は言語でかたることができるか否か」という問題が頻繁に議論されてきた。本論文では、否定神学者としてのウィトゲンシュタイン(W)とナーガールジュナ(N)の思索をとりあげ、二人がいかにこの問題と格闘したかを跡づける。「語りうるもの」と「語りえないもの」を鋭く対置させ、自分の宗教体験をその区別に絡めながら思索した前期W。世俗諦と勝義諦からなる二諦説に立ち、勝義をかたる言語の可能性を見捨てることはなかったが、そうした言語の限界をふかく認識したN。宗教の真理をかたる言語をめぐる二人の見解には、驚くほどの共通点と根源的な相違点とが見られる。本論文は、二人の相違点ではなく共通点に焦点をあわせて、議論を展開する。二人の思索からいえることは、言語によっては宗教の真理について直接に「語る」ことはできないけれども、間接にそれを「示す」ことはできる、ということである。いわば、言語は宗教の真理を「示す」という目的のための「作用能力」をもつのである。