著者
宮下 聡子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.80, no.1, pp.67-89, 2006-06-30 (Released:2017-07-14)

ユングは古来の難問、「悪の問題」に、神義論とは異なる立場から答えようとした。ユングは「キリスト、自己の象徴」(『アイオーン』第V章)で、彼の見るところ「悪の問題」へのキリスト教の答えである「善の欠如」の教説を批判している。ユングによれば、この教説は「最高善」である神の被造物の中に悪は存在しないと説いているが、それは誤りである。神は「最高善」ではないし、そのような神の被造物として人間にも悪は具わっている。ユングはまた『ヨブへの答え』で、神を「対立の一致」にして「無意識」と規定し、「人間化」を欲しているとする。ユングによれば、神は「対立の一致」として善だけでなく悪も含んでおり、しかも「無意識」で自己反省を欠くため、悪の面が現れ出ることがあり得る。そして神は「人間化」を欲し人間に宿ろうとするため、悪は神と人間の関係において解決されるべき問題となる。ユングはこのようにして「悪の問題」に答えようとする。ここに、人間悪を徹底的に見詰め、しかも神との関連においてその解決策を探ろうとした、ユングの思想的格闘の成果を見ることができるのである。
著者
ウェッシンガー キャサリン 粟津 賢太
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.86, no.2, pp.243-273, 2012-09-30 (Released:2017-07-14)

二〇〇五年八月二九日にニューオーリンズをはじめルイジアナ州やミシシッピ州のメキシコ湾岸地域を襲ったハリケーン・カトリーナによる災害は、さまざまなタイプのおびただしい宗教的応答を促した。個人化されたスピリチュアルな応答もあれば、特定の宗教教団の見解に沿ったものもあった。一方で、災害を罪に対する神の懲罰であるとみなすネガティヴな宗教的対応もあった。(なにゆえに神は人々が苦しむことを許したのかを説明する)懲罰的な神義論は、個人や会衆によって組織化された救済活動を阻むものではなかった。しかしながら、救済するつもりのない外部の者によって示された懲罰的神義論は、ある特定の政治的神学的な意図を普及させる手段であった。他方で、カトリーナ災害への宗教的応答のほとんどはポジティヴな宗教的対応を示しており、人々に高次の力からの慰籍を与え、他者を助けようと志向させ、被災者を非難しない思慮深い神学的な説明を受け入れさせた。宗教的観点から動機づけられているか否かにかかわらず、傍らに寄り添い、同情的かつ共感的に耳を傾ける存在はカトリーナの被災者たちにとって大きな助けとなった。
著者
川橋 範子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.93, no.2, pp.31-55, 2019

<p>本稿ではジェンダー論的転回(gender-critical turns)が明らかにする日本の宗教研究の問題点を概観し、それらを修正するいくつかの方向性を提示していく。この作業にあたり、筆者と個人的な交流があるウルスラ・キング(ブリストル大学名誉教授)とモーニィ・ジョイ(カルガリー大学教授)という二人のフェミニスト宗教学の開拓者・先駆者(trailblazer)の理論的テクストの重要性を、日本で文脈化していく。宗教はグローバルなジェンダー正義を保障するための重要で積極的な要因となりうる。宗教の象徴力と組織力が強大であるがゆえに、宗教はジェンダー平等に敏感なものへと再構築される必要があると主張していく。結論部では、宗教と女性の主体を巡る近年の言説の陥穽とそれが日本の宗教研究に及ぼす個別の影響について考察する。</p>
著者
髙橋 沙奈美
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.91, no.3, pp.25-48, 2017

<p>本稿はペテルブルグの聖クセーニヤに対する崇敬を事例として、人びとの日常生活の中で経験され、表現される「生きた宗教(lived religion)」が、社会主義時代にどのような主体によって維持され、いかに変容し、またいかに持続したかという問題を検討する。十八世紀末の帝都の下町に暮らしたといわれるクセーニヤは、十九世紀後半から二〇世紀にかけて、悩みや苦しみに寄り添い力を貸してくれる聖痴愚として、人びとに慕われ始めた。一九一七年の革命後、反宗教政策で教会が壊滅状態に陥り、祈?を依頼できる司祭がいなくなると、レニングラードの人びとはクセーニヤに「手紙」を書くことで崇敬を維持した。クセーニヤは過去の記憶ではなく、テロルや包囲戦の時期もレニングラードと共にある等身大の福者として意識された。また、帝政末期にすでに正教会にも認められていたクセーニヤ崇敬は、教会権力によって単なる民衆宗教として排斥されず、西側の世論を怖れたソ連政府も礼拝堂の破壊を思いとどまった。一九八八年の列聖は、信者たちにとって、革命以前の信仰生活の復活ではなく、ともに最も苦しい時代を生き抜いたクセーニヤの記念を意味したのである。</p>
著者
クレーマ ハンス・マーティン
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.88, no.3, pp.521-544, 2014-12-30 (Released:2017-07-14)

明治前期における宗教概念形成過程のなかで、浄土真宗本願寺派の僧侶・島地黙雷(一八三八-一九一一)が果たした役割の重要性は、先行研究においてすでに指摘されている。その理由の一つは、「信教の自由」の先駆者として捉えられてきた島地が明治五年、実際にヨーロッパを遊学したことであるが、彼がヨーロッパで具体的に誰と会い、どのような経験を通して「ヨーロッパ」の影響を受けたかは、必ずしも解明されていない。本論文の目的は、島地がフランスやドイツで明治五・六年に出会った人物とその思想を明らかにすることを通じて、帰国後の彼の思想展開を分析するための手がかりを得ることである。特にこれまでの研究において謎であった、島地がベルリンで面会した「リスコ」の人物像を解明し、プロテスタント牧師であった彼から島地が学んだ自由神学の影響を検討することによって、近代日本における宗教概念形成研究への貢献を目指すものである。
著者
熊谷 友里
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.94, no.1, pp.75-98, 2020

<p>近代カトリックの宗教としての性格を理解しようとするとき、教会の諸制度を含めた宗教実践の実定的側面が宗教的真理としていかに位置づけられてきたかは重要な論点である。本稿では、一九世紀フランスにおけるウルトラモンタニスムとガリカニスムの対立図式上に生じた「典礼論争」を背景に、ベネディクト会ソレーム修道院の院長プロスペル・ゲランジェがオルレアン司教に宛てた三通の書簡を考察対象とし、そこにおいて実定的性格をもつ典礼がいかに規定され意義づけられているか、さらにはそれらの議論のなかでカトリックの宗教としての性格がいかに捉え直されているかを検討する。内的事柄のみを宗教的本質とみる司教に対し、ゲランジェは典礼の意味と意義を多様に論じつつ、地上の教会に関わる実定的な事柄を、宗教的真理にとって不可欠な要素として本質的領域に再設定し、カトリシスムの真理構造とその宗教的性格をも再検討させている。</p>
著者
磯前 順一
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.89, no.2, pp.193-216, 2015-09-30 (Released:2017-07-14)

近代ナショナリズムに対する批判が、人間の歴史的真正さへの志向性を相対化することに成功し、宗教概念論という新たな研究潮流を生み出した。その背景には一九六〇年代後半に始まるフランス現代思想の、ポストコロニアリズムあるいは植民地主義を介した一九九〇年代の動きがあった。こうした流れの中で、近代を中心とする日本宗教史の言説が流布しているが、一方で近世以前の時期に対する研究は影を潜め、近代が作り出した過去の言説として、近世以前の時期は扱われるにとどまった。同時にそうした固定化された日本宗教史研究は、ポストコロニアル研究などのもつ社会に不平等性に対する批判力を抹消させ、形骸化された制度史研究に宗教概念論の批評性を無効化させてきた。本稿ではこうした近年の傾向に一石を投じるために、非近代西洋的な余白として近世の信仰世界や民俗宗教を研究する可能性を理論的に模索する。
著者
嶺崎 寛子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.93, no.2, pp.191-215, 2019

<p>本稿では、ジェンダー・オリエンタリズムという難問(アポリア)を示し、それをいかに乗り越えるかを論じている。西洋と東洋を二項対立的に捉え、西洋が東洋を他者化し、東洋に自分たちの世界にはない独特/特殊な女性差別や女性蔑視を見出し、それを「遅れている」「女性差別的である」ことの証左とするまなざしがジェンダー・オリエンタリズムである。ムスリム女性は、一貫してこのまなざしが注がれる、主要な客体の一つであった。これに抗する第三世界フェミニズムは、不均衡な権力構造や表象のポリティクスについて、丁寧に紐解いてきた。一方日本の宗教学はジェンダー・オリエンタリズムに反論しようとするあまり、結果的にそれを再生産するという罠に嵌っている。研究者としてすべきことは、構造自体を白日の下に曝し、問い自体を無化することである。多数派を巻き込みつつ、ジェンダー主流化の意義を共有し、具体的な方法論を提示することによって、この隘路を切り抜けられるのではないか。</p>
著者
岡本 亮輔
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.94, no.2, pp.57-80, 2020 (Released:2020-12-30)

二一世紀以降、サンティアゴ巡礼路には様々な背景を持った世界中からの巡礼者が集まるようになったが、その多くは信仰なき巡礼者である。彼らにとって大聖堂の聖遺物は巡礼の目的にはなり得ず、巡礼過程での交流体験とそれがもたらす気づきや自己変革が重視される。本稿では、こうした状況を伝統宗教の枠組みからの離脱という意味で、信仰の背景化として捉える。そして、サンティアゴ巡礼をモデルとして展開する日本の聖地巡礼にも、信仰を過去のものとし、現在についてはスピリチュアルな語りをするパターンが見出せ、さらに、この種の言説が、伝統信仰の担い手である宗教者によっても紡がれることを確認する。
著者
李 賢京 田島 忠篤
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.94, no.2, pp.3-28, 2020 (Released:2020-12-30)

本稿は、グローバル化する奄美大島の宗教と地域社会のかかわりについて、トランスナショナリズムの視点から考察することを目的とする。奄美を舞台に国際移住したカトリック信者・宗教者を手掛かりに、カトリックという宗教を軸に越境を捉え、出身地と移住過程、移住先とでトランスナショナル宗教的紐帯およびコミュニティが、どのように形成されるのかについて確認する。本稿では、具体的な事例として、奄美出身日系ブラジル人一世、日系ブラジル人二世、ブラジル帰国者のシスター、日本人女性と結婚した韓国人、中国人元留学生、ベトナム人司祭およびベトナム人たちを取り上げ、聞き取り調査および現地参与観察を通して検討した。結果として、奄美国際移住者たちは地域コミュニティを維持する人材として包摂されたため、教会を媒介とした出身国と奄美間の宗教的紐帯は見られず、トランスナショナル宗教的コミュニティとしてのディアスポラも確認できなかった。