著者
三友 健容
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.80, no.4, pp.1109-1110, 2007-03-30
著者
三木 英
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.4, pp.879-904, 2012-03-30 (Released:2017-07-14)

現代日本では外国籍の住民が増え、それに伴って日本人に馴染み薄い宗教の施設も増加することになっている。ブラジル福音王義キリスト教やイスラームがその宗教の代表であるが、それらの現状は日系人やムスリムだけが集う、孤立した信仰共同体にとどまっている。それら共同体に日本人信者は僅かしかおらず、教会やモスクの所在する地域の住民が、それらに出入りすることはない。とはいえ宗教的なニューカマーもホスト社会に無関心であるかといえば、そうではない。彼らは日本人・日本社会に向け活動し、メッセージを発信しているのである。その働き掛けは現時では一方的なもので、多くの日本人はその現実に気づいてはいない。しかし現代日本が多文化共生をその課題とする限り、日本人がニューカマーによる活動・メッセージを認識することは必要であろう。宗教的なニューカマーは国内に増加している。彼らと日本人との間の協働関係構築の可能性は、探究するに値しよう。
著者
木村 晶子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.345-368, 2003-09-30 (Released:2017-07-14)

平和の実現には、真の対話が必要である。フィリピンの状況においては、まずカトリック信者の間にあるイスラムに対する偏見や誤解、さらに強者の論理を取り除くことが必要である。また、これまでの対話はいまだキリスト教優位の姿勢が強いことを反省し、相互に聞き合い、ともにパートナーとして成長し、回心の道を歩むことが求められる。そして、単に理論的な対話ではなく、互いの信仰生活における霊的な交流を深め、ともに兄弟姉妹であるという意識を浸透させてゆくことが最も大切である。このためには、指導者レベルの対話とともに、イスラム教とキリスト教の信徒間の草の根運動やNGOなどによる民衆の意識改革、平和教育が必要不可欠である。このような運動の実践は根気と忍耐が要求されるが、このプロセスを経て相互に理解と受容が可能となるのではないだろうか。
著者
浅見 洋
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.317-340, 2008-09-30

思想史的意義をもつとみなされてきた宗教批判は、宗教そのもの、特定の宗教、ないしはある教派の真理性を否定することによって、真理性をもつと考えられる何ものかを肯定しようとする思想的な試みである。だとすれば、宗教批判は宗教に関する真理問題と関わっていくつかの立場に類型化することが可能だと思われる。本稿では無神論的立場、絶対主義的立場、包括主義的立場からなされた宗教批判として、L・フォイエルバッハの無神論的宗教批判、K・バルトの神学的宗教批判、西田幾多郎の哲学的宗教批判を取り上げ、各々の宗教批判の構造とそれらの関連性に論及する。それによって、フォイエルバッハの宗教批判は人間学の構築、バルトの宗教批判は神学の再興、西田の宗教批判は宗教の説明をめざした肯定的、創造的な作業であったことを明らかにする。
著者
葛 睿
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.1, pp.99-123, 2011-06-30 (Released:2017-07-14)

国民道徳の確立に際して、西村茂樹(一八二八-一九〇二)は宗教否定の立場に立った。宗教の非合理性を忌避するのみならず、宗派間の争いが存在することも危惧したからである。このように宗教一般に対して強い警戒感を示していた西村であったが、神道について低評価を与えながら、公の場で日本における宗教を論じる際に、仏教・キリスト教については常に言及する一方、神道については触れること自体を明確に避けつづけていた。このような消極的態度は、国民道徳論の展開に大きく寄与した人物としての西村の従来のイメージと少なからず齟齬するものであろう。すなわち道徳の源泉の一つに「皇祖皇宗」の神話的歴史を据えた後の思想家たちによる家族国家論とは、明らかに位相を異にしているからである。このように考えた時、彼の国民道徳論における神道の不在は、彼独自の神道認識の存在を窺わせるものである。本稿は、如上の問題意識をふまえ、彼の道徳思想において、神道がいかに位置づけられていたのかを検討するものである。
著者
堀江 有里
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.93, no.2, pp.163-189, 2019-09-30 (Released:2020-01-07)

「キリスト教は同性愛を受け入れない」としばしば表現されてきたように、性的マイノリティへの差別を牽引してきた宗教のひとつである。本稿は、キリスト教の性規範を問うクィア神学の観点から、性的マイノリティへの差別を醸成するひとつであるホモフォビア(同性愛嫌悪)を考察する。事例として、キリスト教の教義に基づいて形成される「家族の価値」尊重派の主張を批判的に検証する。かれらは異性愛の結合と生物学的なつながりのある子を「正しい家族」として措定し、終身単婚制の重要性を強調することで、同性婚への反対表明をおこなってきた。本稿では、合衆国において、「宗教右派」を中心とするかれらの主張が拡大してきた経緯を追ったうえで、聖書テクストの事例をとりあげ、そこから家族の「正しさ」を措定するのは困難なことをあきらかにする。このような作業をとおして、男性/異性愛中心主義の価値観のなかで奪われてきた性的マイノリティの「行為主体の可能性」を模索する。
著者
久松 英二
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.455-479, 2010-09-30 (Released:2017-07-14)

ビザンツ末期の一四世紀に正教修道霊性の中心地アトスで始まったヘシュカズムの霊性は、心身技法を伴う「イエスの祈り」の実践と、神の光の観想の意義および正統性弁護のための理論から成り立つ。体位法と呼吸法を伴った「イエスの祈り」は、ビザンツ修道制における静寂追求の伝統上に位置づけられるが、それによって得られる光の観想体験は「タボルの光」という聖書表現をもって解釈しなおされた。次に、ヘシュカズムの理論レベルにおいては、光の観想をめぐる東方キリスト教的な解釈が注目される。その特徴を端的に表現するのが、「働き」(エネルゲイア)という概念で、この概念は光の観想体験の意義および同体験の正統性の説明として機能する。よって、ヘシュカズムの理論は内在や本質の抽象論より、働きや作用のダイナミックな具体論を特徴としている。そのような理論に支えられたヘシュカズムの霊性は、「エネルゲイア・ダイナミズムの霊性」と称してもよかろう。