著者
今枝 法之
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.319-332,383, 1984-12-31 (Released:2009-11-11)

Both 'the postulate of adequacy' (A. Schutz) and 'double hermeneutic' (A. Giddens) can be considered as critiques of positivism. I think positivism has two main components, the 'unity of science' and the 'rationality of science'. The 'rationality of science' is my coinage. It refers to the belief that scientific knowledge is rational and objective and much better than any other forms of knowledge epistimologically.Traditionally some social theorists have critisized solely the idea of the “unity of science”. That has depended on the dichotomy of 'Geisteswissenschaften' and 'Naturwissenschaften'. Schutz and Giddens refute the “unity of science”, too. Their views can be seen as up-to-date styles of criticism on positivism. But I argue that their critiques do not necessarily succeed. So I will suggest that to gain the post-positivistic self-understanding of sociology, sociologists must criticize not only the 'unity of science' but also the 'rationality of science' by reference to Feuerabend.
著者
大内 田鶴子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.49, no.4, pp.513-530, 1999-03-30 (Released:2010-11-19)
参考文献数
25
被引用文献数
1

「自治会」と呼びながら自治の要素の弱まっているのが, 現代の自治会・町内会の特徴である。米国のネイバーフッド・アソシエーションは個人の主体的参加によるボランタリーな組織であるのに対して, 日本の町内会は行政端末的で組織運営の方法も米国と異なるといわれる。このような相違点にもかかわらず, 現代社会の最小単位として住民の日常生活に果たす役割はきわめて類似している。本稿では, 日本の自治会・町内会が, 米国のネイバーフッド・アソシエーションから, 行政参加を促す「草の根レベルの自治の技術」として組織運営上の技術を学ぶために, 近隣団体の規約 (ポートランド市のサンプル・バイローと東海自治体問題研究所編纂のモデル規約) の比較考察を行なった。比較の結果, バイローは合意形成, 調整の公開性, 公平性を確保しようとする手続きの規定に重点が置かれるコミュニケーション型であり, モデル規約の方は「何をどう行うか」を規定している事業執行型であることが明らかになった。モデル規約には合意形成や公平性確保の技術 (広い意味での政治技術) が不足している。日本の近隣団体が自治の技術として, 米国のネイバーフッド・サンプル・バイローから学ぶべき要素は, 1. 活動会員という考え方, 2. コミュニケーション重視, 3. 役員が会員に奉仕する機構, 4. 少数意見の重視である。
著者
池田 太臣
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.51-67, 2004-06-30

支配は, 政治学および社会学において, 中心的なテーマのひとつであった.けれども近年, この支配についての関心は衰退し, その概念の有効性も疑われつつあるように思われる.この'支配概念の有効性の衰退'ともいえる現象は, 一体, いかなる理由によるものであろうか.<BR>この問いに答えるためには, なによりもまず, 支配研究の源流にさかのぼる必要があると思われる.というのも, 支配概念の導入の初発の関心を明らかにすることではじめて, その概念の社会科学上の存在意義を解明することができるからである.<BR>今述べた "支配の社会学の初期設定" を探るために, 本稿では, トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』を取り上げる.なぜなら, この書におけるホッブズの議論こそが, 支配の社会学の嚆矢であると考えることができるからである.<BR>上記の関心にしたがって, 本稿では, まずホッブズの議論の特徴として2つの点を指摘する.これらが, "支配の社会学の初期設定" である.さらに, このような設定を可能にしたホッブズの思想的前提を, 人間観と社会観との2つの観点から明らかにする.この指摘によって, ホッブズの議論の限界と可能性が明らかになると同時に, ホッブズ以降の支配論ないし支配の社会学の歴史を整理するための足かがりが得られる.そして最後に, 議論の簡単なまとめと今後の研究の展望について触れることにしたい.
著者
吉田 民人
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.46, no.3, pp.274-294, 1995-12-30 (Released:2009-10-19)
被引用文献数
1 1
著者
中井 美樹
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.699-715, 2009-03-31 (Released:2010-04-01)
参考文献数
36
被引用文献数
1 4

本研究では,性別役割分業と結びついたライフコースの特徴と職業の諸側面がどのように人々の権力・権限ある地位へのアクセスに影響しているかを,社会階層と社会移動の全国調査(SSM)データの分析により明らかにした.女性はもっぱら家庭との役割調整を行いながら断続的な就業パターンをとるという制度化されたライフコースは今なお優勢であり,女性の職業キャリア中断/継続の要因のイベントヒストリー分析からは,高学歴女性が必ずしもフルタイム継続しないことや若年女性の雇用流動化の傾向が示された.子どもや高安定高報酬の夫の存在といった家族要因もまた女性を無職化に導くことが確認された.また男性と女性がいかなる性構成の職業的文脈において昇進可能性が高まるのかを検討した結果,女性は男性職および女性職にフルタイム継続就業している場合に権限ある地位に接近しやすい傾向が明らかになった.ただし男性がマイノリティである職域でもむしろそれら少数の男性に権限への接近が有利な傾向がある.さらに,男性は同じ勤務先での就業経験が長いほど,高学歴ほど管理的地位に到達しやすい一方で,女性は自身の人的資本が職務権限への接近にほとんど意味を有しない.分析結果から,ライフコース的視座を組み込んだ職業政策の必要性が示唆される.
著者
松岡 雅裕
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.231-242, 2007-09-30 (Released:2010-04-01)
参考文献数
28
著者
松尾 信明
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.473-488, 2011-03-31 (Released:2013-03-01)
参考文献数
48

近年の身体論における「相互に同調する関係」にたいする関心の高まりをどのように位置づけることができるか?本稿の問いである.身体論におけるその受容と展開の社会学上の意義と位置を究明することをめざして,わたしたちは「相互に同調する関係」の受容史をふりかえり,〈西原和久の社会学〉に注目する.身体論に近づきながらも,しかし西原は身体論におけるその受容と展開を問題にしてはいないことがわかる.つぎに身体論の受容と展開の内容をみれば,これが〈西原以後〉にあることが判明するが,“growing older together”がそこではじゅうぶんに論じられてはいないこともはっきりする.この欠如を埋めるために〈西原以後〉のエイジング研究にふれながら“growing older together”の特質を明らかにするのである.以上をつうじて,身体論の受容と展開の位置づけを行うことができる.限定された主題に探究のねらいを定めてはいるが,本稿は「相互に同調する関係」の研究・〈西原の社会学〉・エイジング研究・身体論のあいだに成立するより広範なすじみちの存在を指し示すものとなるのである.
著者
清水 洋行
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.69-78, 2010-06-30 (Released:2012-03-01)
参考文献数
15

1 0 0 0 OA 転職

著者
渡辺 深
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.42, no.1, pp.2-16, 1991-06-30 (Released:2009-11-11)
参考文献数
37
被引用文献数
6 6

本研究の目的は、日本における労働者と職業のマッチング過程で構造変数が果たす役割を考察することである。グラノヴェターの弱い紐帯の仮説の検証を中心に、労働者のネットワークが年収、企業規模、職位、会社帰属意識、職務満足度などの転職結果に及ぼす影響を分析する。弱い紐帯の仮説とは、「転職者は、強い紐帯よりはむしろ弱い紐帯によって、多くの就職情報を得るだろう」、あるいは、「転職者は、強い紐帯よりはむしろ弱い紐帯によって、望ましい転職結果を得るだろう」という仮説である。東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県に在住の男性転職経験者を調査対象とし、弱い紐帯の仮説を検証した。回帰分析の結果より、前職の属性や労働者の基本的属性を統制しても、強い紐帯を通じて十分な就職情報に接近できること、また、強い紐帯が望ましい転職結果 (年収、会社帰属意識、職務満足度) をもたらすことが明らかになった。故に、本研究のサンプルでは弱い紐帯の仮説は支持されなかった。弱い紐帯の仮説とは逆に、日本では強い紐帯が転職において戦略的な機能を持っている。また、特定のネットワーク資源が特定の転職結果に対して特異的に影響を及ぼすことがわかった。また、紐帯の強さ、コンタクトの影響、仲介者の数などのネットワーク特性が情報収集度に影響を与え、情報収集度は会社帰属意識や職務満足度に作用することが観察された。この様に、情報がネットワーク資源と転職結果を結ぶ媒介変数であることが示唆される。最後に、日本における強い紐帯の使用に影響を与える文化的要因について考察する。
著者
松本 三和夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.30-43,123, 1992-06-30 (Released:2009-09-16)
参考文献数
35

科学者、科学者の行動、科学者のネットワーク、科学者集団、科学制度、社会システムのすくなくとも六つの活動水準を分析の単位として、どのような型の首尾一貫した科学社会学の理論が構成できるかを吟味し、理論の帰結を科学者集団の制度化論に関連づけて特定する。一九八〇年代以降、科学社会学は問題ごと、研究センターごとに研究スタイルの細分化が進むいっぽう、分野全体を基礎づける概念や理論にかならずしもじゅうぶんな見通しが得られていない。こうした状況に鑑み、本稿ではまず科学社会学の基礎概念を決め、研究前線における多様な研究動向間の橋渡しが可能なよう、科学社会学の外延を確定する。ついで、科学社会学の課題の内包を内部構造論、制度化論、相互作用論に分節して特定し、科学者集団の状態記述に関するかぎり、各課題が相互に共約可能であることを証明する。最後に、制度化論を見本例として理論の含意を例示する。とりわけ、制度化がじっさいにどのような起こり方をするかのパターンに関する規約 (制度化の規約) を理論に導入すべきことを提唱する。それを用いて理論を展開し、事実分析にとって有意味な、しかし直観だけではみえにくい逆説的な帰結 (専門職業化が制度化を伴わぬ事例 [ナチズム科学] の存在) が導けることを示したい。
著者
浦野 茂
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.60-76, 1998-06-30

物語を語ることは何よりもまずひとつのおこないである。すなわち, 物語を語ることは, それによって多様な道徳的含意をともなった具体的なおこないを相互行為の場面のなかでなすことなのである。ゆえに, 現実の代理=表象という観点に結びついた問いとは独立にそしてそれに先行して, まずそれが相互行為の場面のなかでなしているおこないに即して, 物語は理解される必要がある。物語についての相互行為分析はこの点に照準をあてるものである。本稿は, この認識を出発点にして, 新潟県佐渡島の人々によって語り継がれてきた「トンチボ」についての物語を例としてとりあげ, それが社会的に共有された「口承の伝統」として実際の相互行為のなかで成し遂げられていくそのしかた, およびそれが相互行為の経過に対してはたらきかけてゆくそのしかた, これらを記述してゆく。この作業をとおして, 口承の伝統というものが私たちの生活のなかでしめている脈絡のひとつを具体的に示す。
著者
浦野 茂
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.727-744, 2005-12-31
被引用文献数
1

集合的記憶への社会学的分析は, 記憶が集合的アイデンティティ形成の資源とされてきた姿を明らかにすることに, その批判的意義があると考えられている.しかし他方で, こうした分析がその分析対象である現実における集合的アイデンティティ形成の動きへと寄与していってしまう事態が, 問題として指摘されてもいる.<BR>おそらくこうした事態は, 集合的記憶への社会学的分析の根本的前提そのものを再検討する必要性をつよく示唆しているものと考えられる.すなわち, 記憶というものをある形で概念化することを通じて成立している社会学のあり方それじたいを, 検討することが必要となるのである.そして本稿ではその検討の場を, 19世紀末から20世紀前半にかけてのW I トマスがアメリカ合衆国の移民問題と接触するなかで行った議論とその変容に求める.<BR>実際そこに確認できるのは, 当初は遣伝概念と結びついていた記憶概念が, この結合を支えていた状況の消失とともに, 文化や伝統, 言語を具体的拠り所として新たな概念化をこうむり, それと相即して生物学から明確に区別された狭義の社会学的議論が合衆国において自律していく過程である.この結果として現れるのは, 一方で合衆国への移民の強制的同化の動きに対して移民の記憶を根拠にして批判しつつ, 他方で同化のために移民の記憶へと積極的に働きかけていく技術的装置としての位置づけをも担っていく, 社会学の姿である.
著者
野村 佳絵子 黒田 浩一郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.449-467, 2005-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
14
被引用文献数
1

日本では, 1970年代の半ば頃から, 人びとの健康への関心が高まり, それまでよりも多くの人びとが健康を維持・増進するための行動を心がけるようになったといわれている.周知のとおり, これらの現象は「健康ブーム」と呼ばれている.医療社会学では, このような「ブーム」の背景に, 「健康至上主義」の高まりを想定している.しかし, 「健康ブーム」も「健康至上主義」の高まりも, それらの存在を裏付ける証拠はいまのところ存在しない.そこで, 本論では, 書籍ベストセラーが人びとの意識や関心を反映しているとの仮定のもとに, 健康に関するベストセラーの戦後の変遷を分析することを通して, 人びとの健康についての意識の程度やあり方の変化を探った.その結果, 健康に関する本のベストセラーは1970年代の半ばに初めて登場したわけではなく, 1950年代後半から今日まで, そう変わらない頻度で現れていることが見出された.また, 「健康ブーム」といわれる時期の初期およびその直前には, 医学をわかりやすく解説する啓蒙書がベストセラーになっていることが発見された.したがって, 1950年代後半から今日まで, 人びとの健康への関心の程度にはそれほど変化がないということになる.また, 「健康ブーム」とされる時期に特徴的なことは, 健康への関心の高さではなく, むしろ, 健康に良いと信じられていることに対する批判的な意識の高まりではないかと推測される.
著者
田村 健二
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.44-52, 1972-07-30

E. Singer ("Identity vs. Identification", in Review of Existential Psychology, 1965, pp. 160173) states that identity is "a personal definition arrived at by attention to and cultivation of individual experience", whereas identification is "a self-definition by adoption, a self-delineation provided by others". On the basis of various theories and experimental data, Singer concludes that identity and identification are mutually incompatible. In my opinion, this conclusion is only partially correct and contains some important oversights with respect to the nature of human development. <BR>The first oversight pertains to the individual experience which he views as central to identity. In most instances of his discussion, he appears to regard individual experience as intra-individual experience which is separate from human relationships. However, I wish to point out that a human being cannot exist in separation from human relationships. That is to say, a human being has both intra-individual experience and joint experience shared with others. He exists by autonomously combining these two kinds of experience. The individual experience of a human being is precisely this autonomous experience which combines these two kinds of experience as its constituents. <BR>A second oversight pertains to the existence of two kinds of identification. The identification referred to by Singer signifies merely the adoption of a self-definition provided by others in joint experience with them. This should be designated as "identification within joint experience", and it certainly is incompatible with identity. However, this joint experience is not the sole type of experience in human relations. Rather, there is experience wherein all component experiences, including the above joint experience, are mutually accepted and contained. Human identity develops mostly in this experience in which all personal individual experiences are stably contained. This principle is often evident in the processes of child development and counselling. Therein we can find that a parent or counsellor, trusted by the self, may provide the self with a more stable, supportive definition. The self then adopts the stable self-definition provided by the other and thus grows more stabilized. It is then that the self, on the basis of this stability, undertakes to acknowledge and accept all of its own experiences genuinely and thus is able to develop its identity. This process should be designated "identification within over-all inclusive experience". Far from being incompatible with identity, it actually fosters identity. <BR>When the components mutually have this over-all, inclusive experience and identity is possessed, a reconstruction of new joint experience takes place. It is here that a true "I and you" solidarity comes into being.
著者
佐々木 交賢
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.16, no.2, pp.110-126,134, 1965-12-30 (Released:2009-11-11)
参考文献数
32