- 著者
-
片桐 雅隆
樫村 愛子
- 出版者
- 日本社会学会
- 雑誌
- 社会学評論 (ISSN:00215414)
- 巻号頁・発行日
- vol.61, no.4, pp.366-385, 2011-03-31 (Released:2013-03-01)
- 参考文献数
- 71
本稿の前半では,心理学化する社会論の前史として,社会学の歴史の中で,社会学と心理学/精神分析との関連を跡づけた.1.1の「創設期の社会学と心理学」では,創設期の社会学の方法の中で,心理学がどのような位置にあったかを明らかにする.1.2の「大衆社会論と心理学/精神分析との接点」では,媒介的な関係の解体による心理的な不安の成立が,社会学における心理学や精神分析の視点の導入の契機となったことを指摘する.1.3の「『心理学化』社会論の登場――戦後のアメリカ社会学」では,自己の構築の自己言及化という観点から,アメリカにおける心理学化社会のさまざまな動向を明らかにする.1.4の「ギデンズとベックの個人化論と自己論」では,高次近代や第2の近代における自己のあり方や,その論点と心理学社会論との差異などを指摘する.後半では,第2の近代が始まり出す1970年代以降について,個人化の契機における社会(「社会的なもの」)の再編成の技術として心理学化を分析した.その起点は「68年」にあり,古い秩序を解体して新しい社会を構成しようとした「68年」イデオロギーが「資本主義の新しい精神」(ボルタンスキ,シアペロ)となって共同性を意図せず解体しネオリベラリズムを生み出すもととなったこと,この社会の解体にあたって社会の再編技術として心理学/精神分析が利用されたことを見る.それはアメリカ社会で顕著であるとともに,アメリカ社会では建国の早い段階から心理学/精神分析が統治技術として導入され精神分析が変形された.日本においては,福祉国家化の遅れに連動する個人の自立の遅れのため,心理学化は周辺現象としてしか起こらず,90年代の個人化の契機は「欠如の個人主義」(カステル)のような過酷なかたちで現れ,心理学化は十分構成されないままポスト心理学化へと移行している.