著者
盛山 和夫
出版者
公益財団法人 日本学術協力財団
雑誌
学術の動向 (ISSN:13423363)
巻号頁・発行日
vol.27, no.9, pp.9_35-9_38, 2022-09-01 (Released:2023-01-27)
参考文献数
11

アメリカ社会の分断やポピュリズム政治の広がりなどから、民主主義の危機が指摘されている。コロナをめぐっても陰謀論など、分断がさまざまに現れている。これは、冷戦の終了ののちに、こうした政治の深刻な問題状況が到来する可能性をまったく予期していなかった民主主義の理論あるいは政治理論そのものの危機でもある。今日のアメリカの分断は、大学などにおける歴史教育のあり方をめぐる対立に代表される文化戦争であり、文化戦争とは、人びとの意味世界を構成する世界知識のあいだの闘いである。ここ数十年の政治理論の失敗は、異なる世界知識のあいだの対立の深刻さに気づかなかったり、どのように対立を乗り越えることができるかについての議論が不十分であったりしたためである。他方、この文化戦争には、文系学問が広い意味での当事者として関わっている。民主主義理論は、こうした問題状況を視野に入れる形で再構築されなければならないだろう。
著者
盛山 和夫
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.71-86, 1986-11-20 (Released:2009-03-01)
参考文献数
17
被引用文献数
5

社会学の現状の“危機”は、その理論の欠如に由来しており、個別科学としての社会学の独立と安定のためには理論の創出という営為が不可欠である。社会学にはこれまで理論と言うよりも擬似理論の方が横行している。それらは例えば「視座」「概念図式や定義」「経験的一般化」「the more..., the more型言明」あるいは「パスモデルのような統計的モデル」などである。前二者は真偽性を欠いているし、後の三つは説明力に乏しい。 こうした背景には次のような方法的な誤りがある。(1)説明の持つ意義を否定して記述のみに満足する経験主義的バイアス、(2)小さな問題への理論的考察の価値を評価しない全体論的バイアス、(3)理論の正しさがそれ自体にではなくそれが生産される基盤の方にあると考える土台理論とそれと関連した方法的一元主義、(4)新しい知識がデータからのあるいは既存の言明からの積み上げによってえられるとする積み上げ主義。 我々の知識の拡大に貢献するような理論の創出にとって必要なのは、知的課題に対してさまざまな解を思い付く想像力とともに、それを自ら厳しく検討していく批判力である。

17 0 0 0 OA 中意識の意味

著者
盛山 和夫
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.2_51-2_71, 1990-11-01 (Released:2009-03-31)
参考文献数
14
被引用文献数
2

階層帰属意識は長い間研究者を魅了してきた「謎」であった。なぜかくも多くの人々が「中」と答えるのか。なぜ「中」の分布は1975年にかけて増大し、その後やや減少しているのか。それらについて「社会学者は、まだ明確な解答を出していないように思われる」(原,1986:247)。本稿は、求められている謎の解明の一つの試みである。それはまた、高度経済成長とそれにつづく低成長という戦後日本社会の歴史的体験の意味を読み解く作業でもある。
著者
盛山 和夫
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.92-108, 2006-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
27
被引用文献数
1

一昨年のアメリカ社会学会会長ビュラウォイの講演以来, 「公共社会学」に対して熱心な議論が交わされている.これは現在の社会学が直面している困難な状況を「公衆に向かって発信する」という戦略で克服しようとするものだが, この戦略は間違っている.なぜなら, 今日の社会学の問題は公衆への発信がないことではなくて, 発信すべき理論的知識を生産していないことにあるからである.ビュラウォイ流の「公共社会学」の概念には, なぜ理論創造が停滞しているのかの分析が欠けており, その理由, すなわち社会的世界は意味秩序からなっており, そこでは古典的で経験的な意味での「真理」は学問にとっての共通の価値として不十分だということが理解されていない.意味世界の探究は「解釈」であるが, これには従来から, その客観的妥当性の問題がつきまとってきた.本稿は, 「よりよい」解釈とは「よりよい」意味秩序の提示であり, それは対象世界との公共的な価値を持ったコミュニケーションであって, そうした営為こそが「公共社会学」の名にふさわしいと考える.この公共社会学は, 単に経験的にとどまらず規範的に志向しており, 新しい意味秩序の理論的な構築をめざす専門的な社会学である.
著者
盛山 和夫
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.199-214, 2006-09-30 (Released:2007-08-02)
参考文献数
20
被引用文献数
5

数理社会学は何の役に立つのか。経済学と比べると、社会学において数理の役割は依然として小さい。ここには、社会学という学問の特性が関わっており、数理社会学の意義はそれを踏まえて再定義される必要がある。そもそも、社会学が探究すべき社会秩序は、パーソンズが主張したように単なる事実的秩序ではなくて規範的秩序である。ただし、パーソンズの述べた理由によってではなく、社会的世界が人々にとって先験的な意味世界として構成されているからだ。規範的に秩序づけられている社会的世界を探究するのは「解釈」という営みであり、それは純粋には経験主義的ではありえない。なぜなら、「意味」は外的世界にモノとして存在するのではないからである。解釈による探究は、基本的に対象としてある意味世界に対して、新しい意味世界を重ね書きするような営みであり、それは新しい秩序構想の提示に等しい。この意味で、社会学は規範科学であり、数理社会学の意義も、経験的説明としてよりはむしろ規範的構想のための可能性の論理的探究にあるといえる。
著者
盛山 和夫
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.57-76, 1988-05-01 (Released:2009-03-06)
参考文献数
13
被引用文献数
6 5

理解社会学の基本的な理論仮説は、(1)社会的行為者は彼らを取り巻く自然的および社会的世界に関する彼ら自身の理論的知識を有しており、社会現象はこうした理解を媒介とする社会的行為によって形成されている、(2)社会科学的探求の対象は、このような行為者の理解およびそれによって形成される社会現象である、というものである。ギデンズ(1976)は、これを二重の解釈学と呼んだ。この理論仮説は社会学的探求の反照的性格を表現しているが、理解社会学者たちはこれに基づいて、いくつかの方法論的主張を行った。シュッツは主観的視点をとるべきことを主張したし、ウィンチは社会科学は所与の生活様式のもとにおけるルールを理解しなければならないと主張した。しかし、理解社会学者たちの理論仮説は妥当なものであるけれども、彼らの方法論的主張はそれから論理的に導かれるものではなく、不合理なものである。社会学的探求は、その反照的性格にもかかわらず、行為者の世界理解とそれがもたらす社会現象に関する「正しい」理解をめざしたものとして、自律した認識活動をなしている。
著者
盛山 和夫
出版者
日本行動計量学会
雑誌
行動計量学 (ISSN:03855481)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.1-10, 1997-09-30 (Released:2010-08-10)
参考文献数
40
被引用文献数
3 1

Quantitative studies of social stratification and social mobility have greatly contributed to the spread and popularization of statistical analysis among sociological researches. Various new statistical methods were promptly utilized in the field of stratification studies and this helped not only sociologists to analyse the stratification data with greater conceptual clarity and precision but statisticians to develop their methods with concrete empirical applications. However, in recent days the fever which in past days activated many stratification researches seems to have declined from its highest level. One reason for this is undoubtedly the general, both in academics and in populace, decline of concern over the class problems in modern society. Another reason seems to reside in the quantitative stratification studies themselves. This paper analyses the methodological problems which we the stratification researchers need to solve in order to reactivate the social stratification studies.
著者
盛山 和夫
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.3-16, 2000-06-30 (Released:2016-09-30)
参考文献数
37
被引用文献数
2

今日、社会学とその関連分野は深い混迷の中にあるといっていいだろう。1968 年を境に、それまで研究共同体を支えていた二つの信仰があっという間に崩壊してしまい、いまや何ら共通の信仰(形而上学、理念)も共通の言葉もないまま、公式組織(大学、学会)の中に共同体の形骸をさらすのみである。こうした中で、数理社会学がどのような意義を持ちうるのか、そしてそれはいかにして可能なのか(土場(1996)の問題提起を参照されたい)。1970 年代のはじめ、さまざまな新しいパラダイムが出現して注目されていった中に、数理社会学もその一つとしてあった。他には、現象学的社会学、レイベリング論、エスノメソドロジー、社会構築主義、フェミニズム、エスニシティ研究、カルチュラル・スタディーズ、文化的再生産論、従属理論、世界システム論、社会システム論、言説分析、ポスト構造主義など、枚挙にいとまがない。数理社会学はこうした他のパラダイムと比べるとやや特殊な位置に立っている。他の多くが、とりわけポスト構造主義が典型的にそうであるように、近代的な知のあり方の脱構築をめざしているのに対して、数理社会学は数学を用いた合理的な知識の体系という、見方によっては時代錯誤的な目標をかかげているのである。現象の数理的把握という方法は、ガリレオやニュートンによって近代科学が華々しく興隆していく上での基盤であったが、それは、脱構築派からみれば、単なる「現前」についての知識にすぎないということになる。 他方、数学は基礎づけ主義的思考の大いなる源泉であった。ホッブズもカントもユークリッド幾何学の華麗な体系に魅了されていた。自明で疑いえない真理から出発して正しい世界もしくは世界像を構築していくことがめざされていた。しかし今日、この公理主義的世界観はうさん臭く思われている。
著者
上野 千鶴子 盛山 和夫 松本 三和夫 吉野 耕作 武川 正吾 佐藤 健二
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2004

新しい「公共性」の概念をめぐって、公共社会学の理論的な構想を提示し、「自由」や「感情公共性」その応用や展開の可能性を示した。福祉とジェンダーについては定量および定性のふたつの調査を実施し、報告書を刊行した。その調査結果にもとづいて、福祉多元社会における公共性の価値意識を比較検討し、さらた具体的な実践の可能性を求めて、地域福祉、住民参加、協セクターの役割、福祉経営、ケアワークとジェンダー等について、経験データにもとづく分析をおこなった。ジェンダーと階層をめぐって、少子高齢社会と格差問題について、高齢者の格差、若年世代の格差、少子化対策とジェンダー公正の関係等についても、経験データにもとづいて、比較と検証をおこなった。福祉社会については、「自立」と「支援」のその理念をめぐって、その原理的な検討と歴史的な起源についても検討を加えた。文化と多元性の主題では、多文化主義と英語使用の問題、文化資源学における公共性、公共的な文化政策の実態と問題点について、研究を行ったほか、近代における宗教と政治の位置についてもアプローチした。また営利企業における公共性とは何かというテーマにも切り込んだ。環境については地球環境問題における「環境にやさしい」技術の関連を社会学的に分析し、新しい知見をもたらした。詳細は、科研費報告書『ジェンダー・福祉、環境、および多元主義に関する公共性の社会学的総合研究』を参照されたい。チームでとりくんだ4年間の成果にもとづき、現在東京大学出版会から『公共社会学の視座(仮題)』 (全3巻)をシリーズで年内に刊行するよう準備中である。
著者
盛山 和夫
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.26, no.2, pp.271-286, 2011 (Released:2012-09-01)
参考文献数
53
被引用文献数
2

数理社会学は,1950~60年代において理論社会学の主流派だったパーソンズ理論や機能主義に代わって,社会学により厳密で経験的な裏付けのある理論形成の文化が必要だという考えを基盤にして始まった.そのことは,コールマンやホワイトなどの初期の仕事からうかがい知ることができる.しかし,そうした数理社会学の目標は,必ずしも達成されていない.その一つの理由は,残念ながら,経済と違って,社会学が対象とする社会的世界は意味世界であって,本来的な数理性が保証されていないからである.他方また,数理社会学者自身が数理社会学の役割を誤解してきたという面もある.少なくない数理社会学者が,数理社会学は経験的一般化やフォーマライゼーションを通じて社会学理論の構築に貢献すると考えている.また,一部の人は,数理モデルの帰結への何らかの解釈を通じて理論が導かれると思っている.これらはいずれも,数理モデルの構築が本来的に創造的な営みであって,モデル構築それ自体が新しい理論を生み出す試みだと点に気づいていない.本稿は,数理社会学の基本的課題は,現象の「構造的エッセンス」に対する数理モデルの構築を通じて,現象の新しい理解の展開に寄与することだと主張し,そのことを,いくつかの数理モデルを紹介しまた説明することで,明らかにしようとするものである.
著者
盛山 和夫
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.3-19, 2009-05-25 (Released:2010-01-08)
参考文献数
15
被引用文献数
2

社会学の他の領域の場合と同じように、階層研究もまた規範的問題を主題化することを避けてきた。それは、今日の格差問題の華々しさの中でもそうである。格差の拡大や存在を指摘する研究は、暗黙のうちに格差を批判しているのだが、その場合、格差が望ましくないことは自明なものと前提されている。また、かつての機能主義的成層理論は、成層の存在を機能主義的に説明することを通じて、実質的に成層を正当化した。しかしどちらも、規範的問題を主題化しないという点で不適切である。他方、階層の規範理論は現代リベラリズムにおいて盛んに展開されているが、ここでは責任―平等主義に代表されるように、「生産局面の等閑視」と「帰結への無配慮」がみられる。これも含めて、望ましい分配ルールに関する議論は、分配されるべき財の存在を所与とする「マナ型原理」に陥っている。本稿は、階層の規範理論をめざす試みの一環として、生産局面と帰結とを考慮した望ましい分配ルールとは何かを考察する。すなわち、いかなる分配ルールが望ましいかは、ルールの内在的性質によってではなく、ある共同生産関数が与えられている社会にあるルールが設けられたとき、人々の生産活動を通じていかなる分配状態が実現するかという問いとして定立される。そして、この理論枠組みのもとで、さらに人々の合理的選択を仮定したとき、分配ルールの望ましさが、ナッシュ均衡として実現する分配状態の望ましさに帰着することを示す。
著者
盛山 和夫
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.111-126, 1994-10-01 (Released:2016-08-26)
参考文献数
34
被引用文献数
1

女性の地位や階層をどう位置づけるかは、今日の階層研究の最重要課題の一つであるだけでなく、階級階層理論の根本的再編を迫るものでもある。1980年代にイギリスのSociology誌上を中心に展開されたゴールドソープとその批判者たちとの論争は、表面上はどちらがデータ分析上より有効な階級概念であるかをめぐるたたかいであったが、実際上は経済秩序の中で女性が層としておかれている状況を従来の階級理論が無視していることに関するものであった。社会的閉鎖理論は階級、性、人種等の社会的亀裂を捉える統合的な概念図式を提供しようとしているが、その説明力は期待できない。本稿はこうした問題状況の中で、女性を位置づけるために階層理論がどのような変貌を遂げなければならないか、そしていかなる具体的な探求課題が存在するか、を示すものである。
著者
盛山 和夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.172-187, 2015

<p>少子高齢化の中で社会保障制度はさまざまな見直しを迫られており, 社会保障改革を主張する声は多い. しかしそのほとんどは主流派経済学に依拠した「社会保障の削減」にすぎない. そこでは「社会保障費の増大」は「国民経済への負担を増大させる」とのまことしやかな (実際にはまったくの虚偽でしかない) 論理に基づいて, 財政難を理由に公費支出水準の削減と受益者負担の増大とが叫ばれるばかりで, 「福祉社会の理念」は完全に欠落している. 本来, 社会保障制度をどう改革するかの議論は, 「あるべき福祉社会像」に基づいて展開されるべきであり, それは社会学が取り組むべき重要な課題である, ところが, 今日の社会学には, 財政難の論理を適切に反駁したうえで社会保障制度の改革構想を具体的に展開するという学問的営為が見られない. せいぜいのところ「社会的包摂」や「連帯」や「脱生産主義」などの抽象的理念が語られるだけである. これには (1) 社会学がこれまで経済学の論理と直接対峙することを回避し, マクロ国民経済的な視点の鍛錬を怠ってきたこと, (2) 「理念を語る際には, その実現条件は無視してよい」という空想的理念主義が知的鍛錬を避ける免罪符としてあったこと, そして (3) それらの根底に, 新旧の経験主義的な社会学自己像がある. 本稿は, そうした社会学の現状を批判的に考察し, 社会学がどのような道筋で社会保障改革の問題に取り組むべきかを明らかにする.</p>
著者
盛山 和夫 野口 裕二
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.113-126,en307, 1984-09-30 (Released:2011-03-18)
参考文献数
9
被引用文献数
4 1

The extra-school education by such as juku or private instructor is an important element in contemporary Japanese educational system. Those extraschool educations (abbreviated as ESE) are considered as producing undesirable effects on the public education, but there is a popular belief that the opportunity of educational attainment is enhanced by taking advantage of the ESE.In this paper we attempt to evaluate the extent to which this belief can be sustained on empirical grounds, especially the effect of parental socio-economic status on the difference of opportunity in senior high school entrance through the ESE investment during junior high school age. Samples are collected from graduates in 1982 of nine junior high schools in Sapporo. Questionaires were mailed to 2588 samples and returned from 470 male and 443 female respondents.Key variables in the analysis are family background factors (socioeconomic status of parents), amount of the ESE investment on jukti and private instructor, achievement test score (in terms of standardized score) at the age of seventh grade, change in the score from that time to the age of ninth grade, and ranking of senior high schools (trade school, for some respondents) which the respondents entered after the graduation.The analysis shows:(1) For male students, the ESE investment is positively correlated with parental socio-economic status, but no effect of the investment is found on either the change in the standardized score or the ranking of senior high school.(2) For female students, though the investment increases slightly the ranking of senior high: school through the change in the standardized score, the investment itself is not affected by parental socio-economic status.(3) Hence, for both male and female students, there is no causal chain from parental socio-economic status to the senior high school ranking through the ESE investment.(4) There are, however, for both male and female students, strong effects of parental socio-economic status on the senior high school ranking, directly, and indirectly through the test score at freshman age or the change in the score.
著者
盛山 和夫
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.143-163, 1999-09-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
61
被引用文献数
2 1

今日の階級・階層研究で「階級の死」が最大の理論的争点になっている。これは冷戦の終結を契機にしている。そもそものはじめから, 近代の「階級」は歴史的政治的な「主体」として想念されてきた。しかし, 階級がもしも「市場において出会う異なる種類の経済主体」として概念化されるならば, 彼らの経済的利害は本来的には対立的ではなく, 互酬的である。なぜなら, 市場において異なる人々は利益をめざしてのみ取引を行うからである。従来, 「階級対立」とみなされてきたものは, まず身分制に根ざしている。前近代の身分制社会は経済が政治に従属していた。近代社会は (漸進的に) 身分制を排除したが, 貧困が消滅したわけではない。貧困の継続こそが, 「階級闘争」とみえた諸運動の基盤であった。1970年代の終わりまでに先進産業社会は貧困を基本的に撲滅させ, したがって「階級」の存立基盤は基本的に失われた。しかし, 階層が消滅したわけではない。ただし, 基礎財の全般的普及のもとでそれは多元化し個人化している。それが, 後期近代社会の階層状況である。
著者
盛山 和夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.172-187, 2015 (Released:2016-09-30)
参考文献数
42
被引用文献数
2

少子高齢化の中で社会保障制度はさまざまな見直しを迫られており, 社会保障改革を主張する声は多い. しかしそのほとんどは主流派経済学に依拠した「社会保障の削減」にすぎない. そこでは「社会保障費の増大」は「国民経済への負担を増大させる」とのまことしやかな (実際にはまったくの虚偽でしかない) 論理に基づいて, 財政難を理由に公費支出水準の削減と受益者負担の増大とが叫ばれるばかりで, 「福祉社会の理念」は完全に欠落している. 本来, 社会保障制度をどう改革するかの議論は, 「あるべき福祉社会像」に基づいて展開されるべきであり, それは社会学が取り組むべき重要な課題である, ところが, 今日の社会学には, 財政難の論理を適切に反駁したうえで社会保障制度の改革構想を具体的に展開するという学問的営為が見られない. せいぜいのところ「社会的包摂」や「連帯」や「脱生産主義」などの抽象的理念が語られるだけである. これには (1) 社会学がこれまで経済学の論理と直接対峙することを回避し, マクロ国民経済的な視点の鍛錬を怠ってきたこと, (2) 「理念を語る際には, その実現条件は無視してよい」という空想的理念主義が知的鍛錬を避ける免罪符としてあったこと, そして (3) それらの根底に, 新旧の経験主義的な社会学自己像がある. 本稿は, そうした社会学の現状を批判的に考察し, 社会学がどのような道筋で社会保障改革の問題に取り組むべきかを明らかにする.