著者
石川 巧
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.63-78, 2014-11-15 (Released:2017-06-01)

菊池寛は、大正後期に書き継いだ法廷小説のなかで、容疑者の陳述はもちろん、捜査担当者、裁判官、検事の心証から事件報道まで、多様な言説を駆使して法の矛盾や不備に迫ろうとした。裁判で勝つためにありとあらゆる戦略が練られる法廷のディスコースそのものが文学的レトリックによって構成されていることを的確に見抜き、文学という方法を用いて法の内実を問うた。また、菊池寛の法廷小説においては読者が陪審員の位置に立たされる。法廷において自らの言葉をもつことができないアウトサイダーが可視化され、公平性をめぐる基準線の引き直しが試みられる。語ることよりも語れないことに意味を見だし、語れない人々に言葉を与えること、語れないことを語ることが追求される。
著者
渋谷 百合絵
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.92, pp.48-63, 2015

<p>本稿は、小波お伽噺が宮沢賢治の童話に与えた影響について考察する試みである。昭和五年に成立した賢治童話「まなづるとダアリヤ」〔第五形態〕は、小波お伽噺「菊の紋」と展開や結末が酷似しており、〔第五形態〕への改稿に「菊の紋」が参照された可能性が高い。この二作を展開の構成や擬人化の手法に着目して比較し、〔第五形態〕に「菊の紋」の結末が組み込まれたことの意義を考察した。その上で、賢治がこの改稿の時期に積極的に関わっていた菊・ダリア品評会の岩手における社会的意義を探り、天皇賛美を主題とする「菊の紋」に対して、この〔第五形態〕が持ち得た批評性を論じた。さらに二作の比較から浮かび上がった、小波お伽噺と賢治童話の手法上の共通点と相違点について、大正期童話の小波お伽噺批判をふまえて考察することで、両者の融合として生み出された賢治童話の表現手法の特性を明らかにしている。</p>
著者
西井 弥生子
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.89, pp.64-78, 2013-11-15 (Released:2017-06-01)

菊池寛「東京行進曲」(『キング』一九二八・六〜一九二九・一〇)は、連載中に日活によって映画化(溝口健二監督)され、初の映画主題歌(西條八十作詞、中山晋平作曲)が制作された。先行論においては、文芸映画としての興業価値が考察され、脚色者が小説に忠実なあまりに映画・小説共に失敗作となったと結論づけられている。しかし、小説は未完であり、映画の後半部分は小説に準拠し得なかった。本稿では当時流行した小唄映画という形式に着目し、三者(映画・小説・主題歌)の関係性を改めて検証する。小説がむしろ主題歌(映画小唄)に牽引される形で生成されていった様相を、戯曲と照合することも含めて明らかにし、「無声映画」の音や語りとの有機的な結びつきから生まれたテクストとして、菊池寛の代表作「東京行進曲」成立の多層性について論究する。
著者
木村 洋
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.1-16, 2013-05-15 (Released:2017-06-01)

In 1903 a high-school student, Fujimura Misao, committed suicide, leaving a note stating that "The truth of all matters can be described in one word : mysterious." This strange incident stirred up a great deal of public discussion, and three years later, in 1906, a directive was issued by the Ministry of Education in an effort to chastise and control students sympathetic to Fujimura. This study sheds light on the way the Naturalist Movement reacted to the authorities' treatment of the incident. What is particularly noteworthy is the provocation supplied by conservative critics and educators who fiercely attacked Fujimura and the influence literature had on his suicide. Their attacks grew fiercer as they built close ties with the authorities. It seems that those who participated in the Naturalist Movement were keenly aware of this development: that encouraged them in carrying out their slogan, "Overcoming the Old Virtues, Destroying the Conservative Ideology." This also engendered a literary approach that valued depth of sympathy for Fujimura's mental struggle. Furthermore, this development was closely tied to the advent, as the leading author of Naturalism, of Kunikida Doppo, a writer who had previously overcome a great deal of adversity.
著者
岸川 俊太郎
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.33-48, 2014-11-15

社会から距離を置き、反時代的姿勢を強めていく荷風の大正期は、<江戸回帰>ないし<江戸趣味>時代と称される。しかし、この時期に荷風が発刊した雑誌『文明』、『花月』に連載された『毎月見聞録』には、荷風と同時代との関わりが刻まれている。本論の目的は、『毎月見聞録』を手掛かりに、同時代の荷風の文学活動を再検討することで、荷風の大正期をあらためて捉え直すことにある。『毎月見聞録』を精緻に分析することで、荷風がどのように同時代と向き合っていたか、そして、『毎月見聞録』が大正期の荷風文学においてどのような役割を果たすものであったかが具体的に明らかにされるはずである。さらに、『毎月見聞録』は『断腸亭日乗』とも執筆の期間が重なる。両者の比較から日記をめぐる荷風の文学的営為についても新たな視座が示されることになるだろう。
著者
富永 真樹
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.95, pp.1-16, 2016

<p>泉鏡花『日本橋』は書き下ろしのかたちで大正三年九月に刊行されたが、その装幀を担当したのは日本画家・小村雪岱である。本論の目的は小説、装幀の分析を通し『日本橋』の書物としての意義を考えることにある。鏡花による小説「日本橋」は女たちが重なり合うことによって展開する作品であるが、そこには女たちの「情」への意志があった。雪岱による見返し、表紙・裏表紙は一見すると自律したものとして成立している。しかし小説と照らしあわせてゆくことで、雪岱が特定の場面を描くことを避け、物語が持つ論理そのものの風景を描いていることがわかる。書物史に名を残す鏡花・雪岱の『日本橋』は、作品の論理及び時空を、見事に書物というモノとして体現してみせたのである。</p>
著者
吉田 恵理
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.89, pp.79-94, 2013-11

本論は、一九三四年に書かれた中原中也の「秋岸清涼居士」という未発表詩篇と、この時期に集中して書かれた<宮沢賢治>論との関連を考察するものである。本論はまず、<宮沢賢治>評価が急速に高まる没後の同時代状況に対し、中原がどのようにその作品を読むことで距離を取ろうとしたのかを明らかにする。「秋岸清涼居士」は、「原体剣舞連」からの引用があることで<宮沢賢治>と直接的に関連するのであるが、この詩篇の<道化調>といわれる言葉の身振りによってこそ、中原の<宮沢賢治>論と深い関わりを持つ。<道化調>の身振りと詩の一人称主格の位相の変化、そして<宮沢賢治>からの引用との関係を分析することで、この詩篇が構造として持つ名づけをめぐる問題を提示したい。