著者
浜田 雄介 石川 巧 山口 直孝 小松 史生子 谷口 基 志賀 賢子 金子 明雄
出版者
成蹊大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2019-04-01

探偵小説は〈近代〉とともに成熟してきた。政治的・社会的・性的存在として生きねばならない人間を微分し、欲望する主体としてのありようを的確に表象する方法のひとつとして、それはいまもなお拡大発展を遂げている。本研究では、「作家資料研究」「雑誌研究」「国際研究」「理論研究」の各部門から、作家の自筆原稿や雑誌を含むさまざまの資料について研究の基盤となるデータの集積を行うとともに、諸外国における研究や隣接領域の学術的成果や知見とも交流し、日本における探偵小説ジャンルの生成過程を明らかにする。
著者
石川 巧
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.61-72, 2014-01-10 (Released:2019-01-26)

本稿は、日本の高等教育機関において近代文学という学問が正式に承認され、汎用性のある教科書が編まれるようになったのはいつ頃からか? という問いを立てることから出発し、明治・大正期から昭和戦前期に至る教科書の変遷を追跡したものである。特に、大学講義用教科書の定義を明確にし、詳細な文献調査にもとづいてその起源を明らかにすることに力を注ぐとともに、それぞれの教科書がどのような目的と方法をもって学生の文学的リテラシーを涵養しようとしたかを考察している。
著者
石川 巧
出版者
立教大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

本研究の成果は、『「国語」入試の近現代史』(講談社メチエ、平成20年1月)にまとめているので、同書の内容に沿って研究概要を報告したい。本研究では大正期から戦前・戦後を経て現在に至るまでをフィールドとして二年間にわたって研究を継続したが、その成果は以下のように集約できる。【1】現代文にどのような文章が出題され、どのような設問が用意されていたのかを具体的に検証し、学校教育の現場で用いられていた教科書や読本、参考書との比較検討を行うことができた。【2】現代文の登場により擬古文、文語文、口語文などの文体にどのような変化がもたらされたのかを分析し、学生のリテラシー能力のあり方に対して現代文が果たしてきた〈正〉・〈負〉それぞれの役割を分析した。【3】現代文の普及と同時代における国文学の現代化との相関性を検証した。【4】リテラシー能力の育成という観点から文部省の政策や教育思想を検証し、現代文という科目の社会的・政治的な役割を明らかにした。【5】特に選択問題やマークシートの導入によって、文章の読解能力のあり方がどのように変化してきたかを検証し、将来の大学入試における現代文の問題作成に関する知見を示した。同書の刊行によって、入試現代文の歴史的経緯を明らかにするとともに、大正期から現在に至る「国語力」あるいは「読解力」というものの変遷過程を詳細にたどることが可能になったと考える。
著者
石川 巧
雑誌
大衆文化 = Popular culture
巻号頁・発行日
vol.2, pp.101-111, 2009-09-30
著者
石川 巧
雑誌
大衆文化 = Popular culture
巻号頁・発行日
vol.1, pp.21-36, 2009-03-25
著者
石川 巧
出版者
花書院
雑誌
敍説 (ISSN:13437542)
巻号頁・発行日
no.13, pp.183-192, 1996-08
著者
石川 巧
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.61-72, 2014

<p>本稿は、日本の高等教育機関において近代文学という学問が正式に承認され、汎用性のある教科書が編まれるようになったのはいつ頃からか? という問いを立てることから出発し、明治・大正期から昭和戦前期に至る教科書の変遷を追跡したものである。特に、大学講義用教科書の定義を明確にし、詳細な文献調査にもとづいてその起源を明らかにすることに力を注ぐとともに、それぞれの教科書がどのような目的と方法をもって学生の文学的リテラシーを涵養しようとしたかを考察している。</p>
著者
石川 巧
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.13-24, 2016-04-10 (Released:2021-04-30)

「羅生門」が国語教科書の定番教材になったのは一九七三年から高等学校で実施された新課程以降のことだが、当時の指導書をみると、その前後に「羅生門」に関する解説内容が大きく変化していることがわかる。たとえば、一九六〇年代から「羅生門」を継続的に採録していた筑摩書房版の教科書指導書では、吉田精一の『近代文学注釈体系 芥川龍之介』(有精堂出版、一九六三年)を校訂、注釈、解説の下敷きとし、「この下人の心理の推移を主題とし、あはせて生きんが為に、各人各様に持たざるを得ぬエゴイズムをあばいてゐるものである」という吉田精一の把握を「スタンダード」としている。だが、当時の研究状況においては、「彼ら(下人・老婆)は生きるためには仕方のない悪のなかでおたがいの悪をゆるしあった。それは人間の名において人間のモラルを否定し、あるいは否定することを許容する世界であるエゴイズムをこのような形でとらえるかぎり、それはいかなる救済も拒絶する」(『現代日本文学大辞典』明治書院、一九六五年)と主張する三好行雄の論が新風を巻き起こしていた。「羅生門」がいかに読者を深い読みの迷路に誘発する作品であるかを主張する三好行雄の作品論が浸透するなかで、「羅生門」は定番教材へとのぼりつめていくのである。また、近年の教材研究では、「下人のあらかじめ所有していた観念を観念として保証させるものの無根拠さを説き」「下人の生きる観念の闇というアポリアに立ち向かう」のは〈語り手〉であり、「羅生門」はその〈語り手〉が批評の主体を獲得していく物語であるとする田中実の論考(「批評する〈語り手〉――芥川龍之介『羅生門』」、『小説の力――新しい作品論のために』所収、大修館書店、一九九六年二月)がひとつの読解コードとなっているように思う。今回の発表では、「法・倫理・信心」というキーワードをもとに「羅生門」を精読し、この作品がなぜ定番教材としての人気を誇っているのかを検討したいと考えている。膨大な先行研究の間隙を縫うような論じ方ではなく、教室という場でこの作品が果たす〈ことばの機能〉そのものを考察するつもりである。