著者
大川内 夏樹
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.16-31, 2015-11-15 (Released:2016-11-15)

北園克衛の初期の代表作である「記号説」には、映画のモンタージュを思わせる簡潔な言葉の羅列、あるいは語句や言い回しの反復といった特徴的な表現が見られる。これらの表現は、北園が強い関心を寄せていたモホリ=ナギの「大都市のダイナミズム」の受容を通して生み出されたものだと考えられる。また「記号説」と「大都市のダイナミズム」との間には、作品中に都市的な建築物のイメージを用いているという共通点もある。このような建築物のイメージに注目することで、これまでの研究ではしばしば〈意味〉の無い〈抽象画〉のような詩とされてきた「記号説」を、都市を描いた詩として捉え直す可能性が見えてくる。
著者
坂 堅太
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.81-95, 2012-11-15 (Released:2017-06-01)

This paper explains Abe Kebo's motives for writing "Henkei no kiroku," focusing on a variety of representations of the dead during the Second World War. First, it introduces his ideas from around the same period about the recording of facts, and analyzes "the dead" as an allegorical signifier. This leads to the conclusion that Abe was not so much trying to depict the War itself as the linguistic environment surrounding the representations of the dead. It also suggests that the corpses of the Chinese people depicted in the story invalidate the narrative inside Japan that held that Japanese are the war victims. The analysis shows that Abe wrote "Henkei no kiroku" as a criticism of the Japanese discussion of war responsibility.
著者
片野 智子
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.99, pp.64-79, 2018

<p>本稿では、『聖少女』における「ぼく」とその姉、未紀とその父による二つの近親相姦を比較することで、少女が実の父への近親相姦的欲望を諦めることで父に似た別の男性と結婚するという、女性のエディプス・コンプレックスの克服を無批判に描いているかに見えるこの作品が、実はマゾヒストたる未紀が自らの求める苦痛=快楽のために父への近親愛や近親相姦の禁止という〈法〉さえも利用するラディカルな物語であることを明らかにした。更に、未紀は苦痛=快楽を得るために「ぼく」との結婚をマゾヒズム的な契約関係へすり替えもする。そうした未紀のマゾヒズムは、近親相姦の禁止という〈法〉が実は父権的な家族を維持するためのシステムにすぎないことを暴くと共に、男性中心的な快楽のありようや結婚という制度を内側から解体していく契機を孕んでいることを示した。</p>
著者
片野 智子
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.49-64, 2017-11-15 (Released:2018-11-15)

ジュディス・バトラーによれば、主体ならびに身体・性とは権力が産出する構築物であるという。それ自体は確かに正しいが、そこで看過されているのは、妊娠・出産する女性の物質的な身体――〈妊む身体〉である。そこで本稿は倉橋由美子の『暗い旅』と初期短編における〈妊む身体〉の不随意性に着目し、それを見失うことなく権力に抵抗するあり方を提示した。まず初期短編を通して〈妊む身体〉をめぐって構築される男/女=主体/客体という権力構造を分析している。その上で『暗い旅』の考察に入り、匿名の語り手から呼びかけられることで主人公の「あなた」が女という性を否応なく引き受けさせられるも、〈妊む身体〉の不随意性を足がかりに、女の性を演ずる行為に転換する過程を論じた。更に、こうした「あなた」の演技性が主体を撹乱すると同時に、主体を根拠としない権力への抵抗にもなり得ることを明らかにした。
著者
田部 知季
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.1-16, 2017-05-15 (Released:2018-05-15)

本稿では、明治三十年前後の虚子俳論を日清戦後という時代相の中に布置し直し、その曲折の実態を明らかにした。当初俳句を叙景詩と定位していた虚子は、「大文学」待望論が加熱する日清戦後文壇の中、次第に人事句や時間句を支持し始める。そうした複雑な表現内容の追求は、定型を逸脱した「新調」を招来するが、虚子はその背後で俳句形式からの「蝉脱」をも提唱していた。当時の虚子は俳句を「理想詩」として擁立することに挫折した反面、自立化が進む新派俳壇において指導的な地位を確立していく。虚子が明治三十年中頃に至って定型へと回帰していくのも、そうした彼を取り巻く状況の変化に起因すると考えられる。以上の動向を描出することで、俳句というジャンルの通時的な実体性を批判的に問い直す、俳句言説史の一端を提示した。
著者
武内 佳代
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.143-158, 2014

田辺聖子の短篇「ジョゼと虎と魚たち」(一九八四)を取り上げ、主人公の女性障害者ジョゼのニーズのあり方について、障害学とジェンダー研究の観点から改めて分析を行った。それにより、結末で死と等価物として映し出されるジョゼの「幸福」にディスアビリティとジェンダーによって拘束された彼女のニーズの閉塞状況を読み解き、それが一九八〇年代の女性障害者の多くに課せられた閉塞状況そのものであることを指摘した。その上で、さらにそのように読み取ることそれ自体に、現代リベラリズムに抗する読者によるケアの倫理/読みの倫理の契機を見出し、文学テクストの表象分析とケアの倫理との接続を試みた。