- 著者
-
宮崎 賢太郎
- 出版者
- 長崎純心大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2001
本研究は日本人のキリスト教(主としてカトリック)理解と受容に関する調査研究の一部をなすものである。日本人とキリスト教のかかわりは、キリシタン時代(1549-1644)、潜伏時代(1644-1873)、明治6年の実質的なキリスト教解禁以後の復活キリシタン(現在のカトリック)と、キリスト教解禁後も復活しなかったカクレキリシタンという4つのステージに分けて捉えることが適切と思われる。調査者は従来カクレキリシタンの実証的調査研究に20年あまり従事し、またキリシタン時代および潜伏時代に関する文献による考察もある程度進めてきた。本研究は明治6年以降復活したキリシタン伝統を受け継ぐ比較的郡部・離島地域に住む信徒と、都市部において新しくカトリックに改宗した比較的インテリ層に属するカトリック信徒の間に相違が認められるのか、認められるとすればどのような相違かという問題意識を持って取り組んだ。カクレキリシタンがあれほどまでに土着信仰と習合していることからして、キリシタン伝統を受け継ぐ信徒の信仰はかなりの程度日本的に変容しているであろうとの仮想の下に研究を進めたが、意外にも都市部のいわゆる新信者との間に大きな差異は認められなかった。その原因はカトリックというグローバルな普遍宗教の持つ一枚岩的な性格にもよるであろうが、明治初期からのフランス人パリミッション会の司祭団の日本における徹底した厳格な保守的カトリック司牧の影響が今にいたるまで強く残存していることである。日本人信徒たちも神への信仰というよりはむしろはるばる渡日し献身的に尽くしてくれた外国人宣教師たちの御恩に報いるために、いかなる厳格な教えであっても従順に従って見せようとした。それゆえ日常の信仰生活からは信仰の喜びは感じられず、司祭から与えられた義務を忠実に果たすだけの「お勤め信仰」となっている。新たなカトリック改宗者が少ない原因もここにあるといえよう。