- 著者
-
末崎 真澄
- 出版者
- Japanese Society of Equine Science
- 雑誌
- Japanese Journal of Equine Science (ISSN:09171967)
- 巻号頁・発行日
- vol.4, no.1, pp.1-23, 1993-09-30 (Released:2010-06-28)
- 参考文献数
- 54
馬の家畜化の始まりについては,ウクライナのデレイフカの遺物調査から,BC4,000年頃に馬が役畜として使用された可能性が高まつている。 一方,車馬の利用については,メソポタミアで,BC4,000年紀のウルクIVa層出土の絵文字にその車輪の表現が見られる。その後シュールのウル王朝の資料等には,板を用いた車輪が見られ,戦車にもう少し機動力をもたせたスポーク式車輪が登場するようになった。このような車輪の改良,方が多い。 ところでオリエントでは,伝統的にやロバに車を引かせており,馬への騎乗も,牛ロバへの騎乗に続くものであった。そしてBC1,500年頃から,騎馬の風習がユーラシアの草原士帯から伝播し,西アジアでもルリスタン青銅器戈化の金属の馬性の銜が発明されると,より力の強い馬の制御も一段と有利となった。 オリエントでは車行に遅れて導入された騎行も,しだいに周辺の文明圏,エジプト,ギリシア,そしてインドへと伝播していった。 これらの車行・騎行の様子は,アッシリアや古代ギリシアの美術・考古資料に数多く表現されており,また実際の車馬の遺物も出土している。 さてユーラシアの草原地帯では,BC2,000年紀には騎行が盛んになったと考えられているが,文献上に登場するのは,ずっと後のことである。BC8世紀頃からアッシリアの文献に記されたキンメル人,続いてBC7世紀には本格的な遊牧騎馬民族スキタイが登場する。このような遊牧騎馬民族は,ユーラシアのステップ地帯の東西に興り,黒海周辺ではスキタイ,サルマタイ,中央アジアにはサカ,月氏,そして東は匈奴などが勢力を奮った。これらの騎馬民族の生活,習俗は,黒海周辺やアルタイ山中の多くのクルガン(墳墓)出土の黄金製品などに見ることができる。 中国での馬の家畜化は,神話によると夏王朝以前にさかのぼるとされるが,殷商代(BC1,500年)以前に考古学的な証拠はないとされる。そして実際の馬車は,河南省安陽市から殷商代のものが見つかっており,また同時代の甲骨文字には,既に馬車の表現が見られる。 ところで東アジアの馬車は,基本的には西アジアの馬車と一致するが,馬車のスポークは東アジアのものに多数のスポークが見られ,とくにステップ地帯にはその古い証拠が発見されている。この馬車は,中国で周代に発展を遂げ,秦代にはその頂点とも言える始皇帝の銅車馬が出土している。この後,中国を統一した漢は,伝統的な重装歩兵と戦車から成る軍隊を改革,同様な騎馬軍団を組織,ついにBC101年には,西方の汗血馬,または天馬と呼ばれる名馬を入手する。その名馬の図像は,以降,壁画や俑に多く表現されるようになった。 朝鮮半島へも中国の影響が見られ,楽浪郡跡から車馬具が出土している。一方,半島北部は,北方からの騎馬民族の影響を受けていたと考えられるが,半島でも三国時代(高句麗,新羅,百済)に入ると騎馬の風習が盛んになる。その様子は高句麗壁画に見られ,実際の馬胄も出土。そしてこの馬胄やその他の馬具は,5世紀以降には,日本にも伝えられるようになった。こうしてもたらされた馬具は,その後の日本の馬具の文化を開花させることとなった。 最後に,このたび美術・考古資料により古代の騎行・車行について,紹介してきたが,馬と人間の織りなす壮大な歴史や文化を紹介するには,やや図版不足が否めなかった。但し,近年の研究成果も含めて,その一端なりとも紹介できたと思う。 ところでそれぞれの資料に表わされた馬の図像については,誇張されたり,形式化されたものも多い。また馬と人間の歴史を見ても,馬は,当時の支配者達によって求められ,何十回となく移動され,改良されたことが文献上からも推測される。 よって今後は,近年著しく発展を遂げた科学技術を用いた考古学的なアプローチと併せ,文献上による人の手に成る移動も抑えながら,古代の馬の実像と,騎行・車行の歴史に迫まれることを望みたい。