宮國 六三郎 (@Mi1Ya9Gu3Ni7)

投稿一覧(最新100件)

RT @takaoka_mm: 専修大学経済学部教授 小林昭裕氏「高岡古城公園の開設過程に対する社会文化的観点からの史的考察」がJ-STAGEに公開されました。 数年前から高岡に何度も足を運ばれ、本当に熱心にご研究なさっておられました。当館も少しご協力させていただきました。ぜひ…
上田市出身の自由党員龍野周一郎は北陸の自由党員(例えば高岡の上埜安太郎など)とつながりが強くよく遊説に行っている。日記『北信八州遊説日録』には北陸の方言がメモされており、方言の記録としても面白い。 https://t.co/bXTHRFDHSI https://t.co/QE8KHFuhv8
CiNii 論文 -  戦災復興計画における旧軍用地の転用方針と公園・緑地整備について https://t.co/N3GMYiRB5T
CiNii 論文 -  戦災復興期における東京の公園緑地計画に対する旧軍用地の影響について https://t.co/6SP4Prulqj
CiNii 論文 -  7186 旧軍用地の転用と戦災復興公園との関係について(地方都市の計画史,都市計画) https://t.co/rv3vhl8BaN
ということで今読んでるもの CiNii 論文 -  近世砺波地方のマチ・ムラ地域について https://t.co/19rdPUhW7m
浦田正吉「明治後期の農村の疲弊--富山県の場合」https://t.co/LxRKqKtepq
CiNii 論文 - 師団の立地と遊廓移転をめぐる地域社会と市政 : 日露戦後期の豊橋市の場合 https://t.co/twv8GOFn5o
RT @NDLJP: 『#外国の立法』No.284-1を掲載しました。 #小特集 #新型コロナウイルス感染症対策(2) 【イギリス】コロナウイルス法の制定 https://t.co/4qEwygjaEB
RT @frantuyozehu: そういえば正体不明の老教授()、嶋津先生の論文が出たらしいですね! 「近代における「七生報国」言説についての一概観」 https://t.co/jQEEu5jPCw

15 0 0 0 OA 昭和大礼記録

RT @simadu1123: NDLデジコレで鉄道省「昭和御大礼附図」なんてのをみつけた。昭和の御大礼の際につくられた御料車の詳細な図面や、駅での動線なんかの図が載っている。それにしても馬車を電車に積むのすごいな...。あと賢所御料車の図がとても面白い。 https://t.…
RT @Kokudai_kindais: 【書簡巻物「心香辤芳」 島崎藤村書簡 立川雲平宛】 明治44年5月27日 小説家島崎藤村が長野県会議員や衆議院議員を務めた佐久の政治家立川雲平に宛てた書簡。内容は藤村が小諸義塾の関係者の消息を訪ねている。立川は藤村の『破戒』に出てくる市…
RT @Kokudai_kindais: 【有栖川宮熾仁書簡 陸奥宗光・柳原前光宛】 明治9年7月24日 元老院議長有栖川宮熾仁親王が陸奥宗光・柳原前光らに宛てた書簡。内容は芝離宮(現東京都港区)に「三條(実美)岩倉(具視)之両大臣木戸大久保伊藤之三参議・・」を招いて宴会を開く…
RT @Kokudai_kindais: 【東郷平八郎書簡 大山巌宛】 明治40年6月 海軍軍令部長東郷平八郎が陸軍元帥大山巌に宛てた書簡。書簡では東郷が手に入れた露軍の秘密文章を大山に送るとの記述がある。日露戦役の功績においてこの二人はあまりにも有名であろう。 https:/…

9 0 0 0 OA 原敬書牘 巻六

RT @Kokudai_kindais: 【原敬書牘巻六 原敬書簡 井上馨宛】 大正3年6月18日 政友会の原敬が元老である井上馨に宛てた書簡。内容は政友会総裁の後任が自分(原)になったので支援をよろしくお願いしますとのこと。原はこの4年後大命降下し本格的な政党政治を築き上げた…
RT @Kokudai_kindais: 【大隈重信述「憲政ニ於ケル輿論ノ勢力」】 第二次大隈内閣の解散を受け、1915(大正4)年3月25日の第12回衆議院議員総選挙が行われた。この音声資料は大隈侯自身が演説を収めて全国に配布したレコードである。選挙活動にこうしたパフォーマン…
RT @Kokudai_kindais: 【山縣有朋関係文書 田中義一宛】大正10年2月12日「宮中某重大事件」に関する記述が確認できる。久邇宮良子女王(後の香淳皇后)の兄久邇宮朝融王に色覚異常が見られたため良子女王にもその遺伝子があるとして山縣有朋らが皇太子(後の昭和天皇)と…

お気に入り一覧(最新100件)

専修大学経済学部教授 小林昭裕氏「高岡古城公園の開設過程に対する社会文化的観点からの史的考察」がJ-STAGEに公開されました。 数年前から高岡に何度も足を運ばれ、本当に熱心にご研究なさっておられました。当館も少しご協力させていただきました。ぜひご覧ください! https://t.co/Jh20PAyb15
「山背国府」で検索したら、木下良先生の論文があった。 https://t.co/h2o642Q7cG https://t.co/A0Pkwdyss9
『立教大学日本学研究所年報』20号(2021年)に「卒業論文題目からみた近代歴史学の歩み : 東京帝国大学国史学科1905-1944の事例報告」を発表しました。レポジトリでPDFをご覧いただけます。データが膨大なので間違いなどあると思います。ご指摘いただけると助かります。https://t.co/WOmrAv2TVz
『有馬伯は何をなすか』 「貴族院の俊才。その若き日は『華族界の反逆児』として、多彩なエピソードに彩られたものだ」 「若き日の悩みは『人生とは何ぞや』との命題だった」 「純情にして果敢、几帳面にして否妥協的」 有馬伯かっこいい人なんだろうなぁ… https://t.co/gjtQGMcQNw
荘園を「私的大土地所有」として理解するのは間違い!という記事。歴史学ではとっくに覆された見解が今も生き残っている理由に関する考察もされている。大変勉強になりました。 岡野 友彦「日本の荘園はなぜ教えにくいか」 https://t.co/ZoB0NQwCbK https://t.co/jp5DgF5tfR
『#外国の立法』No.284-1を掲載しました。 #小特集 #新型コロナウイルス感染症対策(2) 【イギリス】コロナウイルス法の制定 https://t.co/4qEwygjaEB
そういえば正体不明の老教授()、嶋津先生の論文が出たらしいですね! 「近代における「七生報国」言説についての一概観」 https://t.co/jQEEu5jPCw
良いタイトルだ。 金子淳「交通戦争の残影 交通公園の誕生と普及をめぐって」 https://t.co/VsfIiFqvYH
https://t.co/2vEdkMOVHf 山村貧困史観の克服に成功したとするが、著者の説く山村の「生活文化体系」の構造的究明が不十分であることを指摘。

15 0 0 0 OA 昭和大礼記録

NDLデジコレで鉄道省「昭和御大礼附図」なんてのをみつけた。昭和の御大礼の際につくられた御料車の詳細な図面や、駅での動線なんかの図が載っている。それにしても馬車を電車に積むのすごいな...。あと賢所御料車の図がとても面白い。 https://t.co/fq21xjedA6 https://t.co/ZEZCftA1df
【書簡巻物「心香辤芳」 島崎藤村書簡 立川雲平宛】 明治44年5月27日 小説家島崎藤村が長野県会議員や衆議院議員を務めた佐久の政治家立川雲平に宛てた書簡。内容は藤村が小諸義塾の関係者の消息を訪ねている。立川は藤村の『破戒』に出てくる市村代議士のモデルである。 https://t.co/5PG0JT7jHA https://t.co/6pOFKsiFaD
【犬養毅書簡 牧野伸顕宛】 〈大正末期頃〉7月6日 犬養毅が牧野伸顕に宛てた書簡。書簡の中では犬養が原田庄左衛門という人物を牧野に紹介している。犬養は「憲政の常道」最後の首相であり、「五・一五事件」の様子は木戸日記、原田日記、牧野日記等から見ることができる。 https://t.co/rP9v7JJCm6 https://t.co/oRlDdDzGDI
【倉富勇三郎書簡 金子堅太郎宛】 大正15年5月12日 倉富勇三郎が金子伯に宛てた書簡。内容は倉富が枢密院議長となったが病の為ご挨拶が遅れたとのことを謝している。倉富の日記『倉富勇三郎日記』は大正末期から昭和初期の政治情勢を知る上で需要な史料である。 https://t.co/eXZ3noS7cF https://t.co/HchzOLHlbc
【蹇蹇余録草稿綴】 明治28年 日清戦争時の外相陸奥宗光が開戦から日清講和条約批准までの記録を綴ったのがこの『蹇蹇録』である。外交史・日清戦争に関する史料としては一級である。本史料は「草稿」であるため書き込みが多くみられる。 上巻https://t.co/EApdjvyrPS 下巻https://t.co/8cu5WEavL3 https://t.co/xkDNYxJbNx
【蹇蹇余録草稿綴】 明治28年 日清戦争時の外相陸奥宗光が開戦から日清講和条約批准までの記録を綴ったのがこの『蹇蹇録』である。外交史・日清戦争に関する史料としては一級である。本史料は「草稿」であるため書き込みが多くみられる。 上巻https://t.co/EApdjvyrPS 下巻https://t.co/8cu5WEavL3 https://t.co/xkDNYxJbNx
【有栖川宮熾仁書簡 陸奥宗光・柳原前光宛】 明治9年7月24日 元老院議長有栖川宮熾仁親王が陸奥宗光・柳原前光らに宛てた書簡。内容は芝離宮(現東京都港区)に「三條(実美)岩倉(具視)之両大臣木戸大久保伊藤之三参議・・」を招いて宴会を開くというもの。 https://t.co/r4yt2eXDTf https://t.co/v0Y2Op804I
【秋山真之書簡 斎藤実宛】明治35年1月25日 海軍軍人秋山真之が海軍総務長官斎藤実に宛てた書簡。史料には米国海軍拡張計画の経過を報告し「…吾海軍拡張案に対シ多少ノ御参考ト可相成ト存候…」と述べている。日本海軍拡張計画には日本海海戦で有名な「三笠」も含まれていた https://t.co/Pk0BQKUEVq https://t.co/kaEajFBG8I
【鳩山一郎書簡 安藤正純宛】 昭和15年9月2日 鳩山一郎が立憲政友会の政治家安藤正純に宛てた書簡。内容は「新体制」について不満を抱いていることが読み取れる。鳩山と安藤は大政翼賛会に参加せず非推薦で立候補し当選した政治家であった。 https://t.co/XI97zmeYKm https://t.co/aOP3nwTrMy
【岩崎弥太郎書簡 上野景範宛】 〔明治10年〕3月4日 三菱財閥の創始者岩崎弥太郎が英国特命全権公使上野景範に宛てた書簡。前半の内容は英国へ留学する三菱社員の子息2名の庇護について書かれており、後半は西南戦争の戦況について述べられている。また上野は薩摩出身である。https://t.co/8yplyu5xaL https://t.co/qpUtWjDfh4
【粛軍ニ関スル意見書】 昭和10年7月11日 この史料は、皇道派の村中孝次(陸軍歩兵大尉)・磯部浅一(陸軍一等主計)が士官学校事件やそれ以前のクーデター未遂事件を暴露した「怪文書」である。この「怪文書」は永田鉄山暗殺事件の犯行者相沢三郎にも影響を与えた。 https://t.co/qcuigB49Bg https://t.co/BhApvece24
【尾崎行雄書簡 森本確也宛】 〈明治25年〉5月17日 尾崎行雄が支援者の森本確也に宛てた書簡 「今回の事は立憲制度進歩の一段階と存候藩閥政府の命脈も日々に短縮致候ハ國家のため慶賀すべき次第に御座候」とある。今回の事とは政府による選挙干渉が問題化したのことである。 https://t.co/5EK359Kdzt https://t.co/s6789WL62i
【嘉納治五郎書簡 下村宏宛】 昭和13年4月4日 東洋初のIOC委員嘉納治五郎が大日本体育協会会長下村宏に宛てた書簡。内容は3月のIOCカイロ総会でひとまず東京開催継続が決定したことと日本の将来に懸念を抱いてるとのこと。5月上旬帰京とあるが嘉納は帰国中肺炎で亡くなった。 https://t.co/CsmhYJiwn0 https://t.co/CLHPX4dLdK
【渋沢栄一書簡 榎本武揚宛】 明治28年2月13日 実業家渋谷栄一から農商務大臣榎本武揚に宛てた書簡。内容は西洋紙の需要が増えたので、木曽か紀州大和あたりの山林を調査許可を求めている。渋沢が創立した王子製紙は輸入に頼っていた洋紙を国産化することであった。 https://t.co/NVLQM0tkAy https://t.co/OZ8Ahs54Su
【松方正義書簡 伊藤博文宛】 〈明治14年〉 10月28日 大蔵卿松方正義から参議伊藤博文に宛てた書簡。「去ル十一日之一挙者、誠ニ為邦家永遠ナル御尽力ニ御座候」とあり、これは開拓使官有物払い下げ中止と大隈重信の参議罷免決定した「明治14年の政変」のことだと思われる。 https://t.co/TZXfilE3MT https://t.co/ZOhPrq7vdT
【乃木希典書簡 石黒忠悳宛】 明治38年11月21日 乃木希典が石黒忠悳に宛てた書簡。内容は石黒からの書簡に答えているものと思われる。また、西南戦争、日清・日露で使用した軍銃についても記述がある。石黒は日本の軍医制度を確立した人物であり、森鴎外の上官でもあった。 https://t.co/uKr16ekN8m https://t.co/oeP0aYbjlt
【東郷平八郎書簡 大山巌宛】 明治40年6月 海軍軍令部長東郷平八郎が陸軍元帥大山巌に宛てた書簡。書簡では東郷が手に入れた露軍の秘密文章を大山に送るとの記述がある。日露戦役の功績においてこの二人はあまりにも有名であろう。 https://t.co/jzHVGdo1Ek https://t.co/DZlSNwWGkr

9 0 0 0 OA 原敬書牘 巻六

【原敬書牘巻六 原敬書簡 井上馨宛】 大正3年6月18日 政友会の原敬が元老である井上馨に宛てた書簡。内容は政友会総裁の後任が自分(原)になったので支援をよろしくお願いしますとのこと。原はこの4年後大命降下し本格的な政党政治を築き上げた。 https://t.co/juTGty07qA https://t.co/qfFPid5lSF
【上原勇作書簡 桂太郎宛】大正元年11月17日 上原勇作陸軍大臣が桂太郎前首相に宛てた「二個師団増設問題」に関する書簡。山縣グループは西園寺首相に師団の増設を求めたが、西園寺が拒否したため上原陸相が辞職。さらに陸軍が後任の陸相を出さず内閣が瓦解した事件。 https://t.co/y8JZ42flXQ https://t.co/WBv3OeAqT9
【近衛文麿書簡 有田八郎宛】昭和16年8月3日 日米交渉が難航していた近衛文麿首相が外交官有田八郎に宛てた書簡。なかには「・・仏印なれば大して故障なかるべしとの見通しが陸海軍共一致したる見解にて此見通しが誤り居り・・」とあり近衛が軍部に対し遺憾の意を示している。 https://t.co/u9wXNqke1b https://t.co/UYcmsIEWCQ
【大隈重信述「憲政ニ於ケル輿論ノ勢力」】 第二次大隈内閣の解散を受け、1915(大正4)年3月25日の第12回衆議院議員総選挙が行われた。この音声資料は大隈侯自身が演説を収めて全国に配布したレコードである。選挙活動にこうしたパフォーマンスも行うようになったと覗える。 https://t.co/opbdg0CaoU https://t.co/BIyQajRfjv
【山縣有朋関係文書 田中義一宛】大正10年2月12日「宮中某重大事件」に関する記述が確認できる。久邇宮良子女王(後の香淳皇后)の兄久邇宮朝融王に色覚異常が見られたため良子女王にもその遺伝子があるとして山縣有朋らが皇太子(後の昭和天皇)との婚約に反対した事件。 https://t.co/MAvIJvXLwI https://t.co/l1bqdiJ2NE

1787 0 0 0 OA 殖民地要覧

フォロー外から失礼します。 あなたの教科書への「訂正」に何点か誤りがありますので,指摘いたします。 ①「植民地」について 朝鮮および台湾は戦前の日本政府も植民地としてあつかっていました。 外地統治を担当した拓殖局が発行した『殖民地要覧』( https://t.co/vRiHcSDjjf ) の中で https://t.co/WjWcaFROye

フォロー(512ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)

フォロワー(414ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)