相模の社を呟く (@sagami_yashiro)

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90 0 0 0 OA 大日本地誌大系

まずは鶴巻温泉駅前のこちら。 この辺りは旧落幡村でした。 鎌倉の御家人であった善波太郎が飛んできた旗曼荼羅を射落とした先が地名の由来ともいわれる。 鶴巻は「水流」からくるとも言われている。 国立国会図書館デジタルコレクション「大日本地誌大系. 第38巻」 https://t.co/uIPDUNYc2Z https://t.co/iQfaDI6kvO

16 0 0 0 OA 大日本地誌大系

再び第二東名を潜って登っていくのですが、工事大丈夫かな? 新編相模国風土記稿の八澤村。 https://t.co/n5ajXFzjXW https://t.co/dXvIlUFkEb

16 0 0 0 OA 大日本地誌大系

上公民館で情報を頂きさらに北上すると柳川集落へ入ってきました。里山~。 新編相模国風土記稿の柳川村 https://t.co/t2dMRuIm7Q https://t.co/LX8J9iSWNS
先程、丹沢自然学校PRさん(@TES_PR)が呟いていた、山北町都夫良野の「頼朝桜」9年前に写真を撮ってました。開花はぜんぜんですが。 新編相模国風土記稿の挿絵が見たい方はこちら→https://t.co/Ube3WescVu https://t.co/NZfuIcZnp1

3 0 0 0 OA 吾妻鑑

四角四境祭とは吾妻鑑に出てくるのね。 https://t.co/cu58lHCbzw
新編相模国風土記稿にも絵図が。 https://t.co/NXuWsbYHOn

12 0 0 0 OA 吾妻鑑

マイマップの説明にも乗せていますが、吾妻鑑、建久三年八月小九日己酉のこれ→https://t.co/9wKplwkjur(国立国会図書館デジタルコレクション)です。
国立国会図書館デジタルアーカイブで読めるのはこの辺り。 神奈川縣神社寫眞帖 https://t.co/EuEG2bZn19 神奈川県神社誌概説 https://t.co/qqKPvl3SHK
国立国会図書館デジタルアーカイブで読めるのはこの辺り。 神奈川縣神社寫眞帖 https://t.co/EuEG2bZn19 神奈川県神社誌概説 https://t.co/qqKPvl3SHK
秦野の堀川辺りの新編相模国風土記稿はこちら。 https://t.co/f090EykS3N
私も思ってました。 https://t.co/mOHwGdYTx0 #相模国足柄下郡早川庄町田村 とはいえ、トレンドの方は原町田なのでしょうけども。 https://t.co/T8NUGpZ4kc https://t.co/Qx7lt0SNZo
私も思ってました。 https://t.co/mOHwGdYTx0 #相模国足柄下郡早川庄町田村 とはいえ、トレンドの方は原町田なのでしょうけども。 https://t.co/T8NUGpZ4kc https://t.co/Qx7lt0SNZo
RT @megalithmury: 磐座は依代であるという言説は今も通説ですが、民俗学や祭祀考古学の分野では、もうそれは過去のものとなりつつあります。 オンライン上に論文も公開されているので、今後はこの議論を通過して述べる必要があります。 時枝務氏「神道考古学における依代の問…

2 0 0 0 OA 日本地理志料

@arukajinja @mittutanuki 「アラカ」という読み方は【日本地理志料】https://t.co/BN3WFnglcQ に出てきます。ただ、どちらかというと「アリカ」説の方が多く取り上げられていますし、現在は「アルカ」ですね。

13 0 0 0 OA 群馬県吾妻郡誌

RT @HisadomeK: 合祀が一番多い神社はどこか知りませんが、群馬県吾妻郡中之条町横尾の吾妻神社はかなり多い方だと思います。 境内末社を含め合計151社が合祀されているそうです。 https://t.co/YrfQ4MUSh1
@mikagenomori 先生こんにちは! リンク先は絵葉書で間違いないと思うのですが、おっしゃっているのは昭和14年に発行された「神奈川縣神社寫眞帖」ではないでしょうか? https://t.co/abTgUAOVCD
「神奈川県神社写真帖」の #有鹿神社 のページ。写真は実際に本を見たいところですね。 https://t.co/abTgUAOVCD
@honami1 買ったら奥さんに怒られること確実なので国立国会図書館デジタルコレクションで見てます。https://t.co/djit71TmMz

1 0 0 0 OA 神祇志料

@d_asano こんにちは~。神祇志料は明治6年完成で、大日本史のうちの神祇志のためにつくられたとあります。 石楯尾神社の真偽は別にして、水引祭の史料としては面白いとは思ってます。 国立国会図書館デジタルコレクションにも。44コマ目です。 https://t.co/LCx1m0bAu4
RT @akirevolution: そもそも北関東・東北の太平洋沿岸の“防災神”で真っ先に取り上げられるべきは、常陸国安波の「大杉明神」を勧請した「大杉神社」や「アンバ様」の小祠だろう。 >「東日本大震災の津波被害における神社の祭神とその空間的配置に関する研究」 https:…
こちらを読ませていただいているのであります。 「有鹿信仰と一宮伝承」 https://t.co/6JPm4hDKqw

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たしかに地図には暴力性が付きまとうけれども、だからといってその手段が破棄されるのも惜しい。カウンターマッピング(=支配的な権力構造に対抗する地図作製)の可能性は考えていきたい。 西村雄一郎「カウンターマッピングと参加:東日本大震災後の事例から」 https://t.co/pWbCdM11p3
次世代ライブラリーの「諸国産石誌」(木内石庭)の相模国のページ。https://t.co/PJ3El6o78B 左端の頭、OCRは「石入り」になっているけれど、多分「石介(貝の意)」だと思う。何処かでコレクション受け付けているのかなぁ。ひとまず自力でも読んでみる必要はありそう。 https://t.co/oCWkiTPRCM
@sagami_yashiro はじめまして。三浦古尋録によると上宮田の鎮守は諏訪社になっていました。 https://t.co/AeyKhN7yC8
長洋一氏の「古代播磨の石と石神」(1979年)を読んでいる。 風土記の記述から、東播は石を加工する文化、西播は自然の石の文化とみなし、そこを基調に磐座、石神を論ずるが独特な論理が多い。 https://t.co/J6LZ40V1mi
論文はこちらに。 https://t.co/4f2lqOsZYs
古代東海道の変遷をまとめた論文には「海老名の国府の災害(878年の地震)と重なって国府が平塚へ移転し,駅路の変更により寒川神社が駅路の沿線に属すようになった」とあった 小方 武雄「神奈川における駅路に関する一考察」 https://t.co/LggPNIHcoA 土木学会論文集ってこういうのも載ってんのか https://t.co/DVcBHaxwDq
磐座は依代であるという言説は今も通説ですが、民俗学や祭祀考古学の分野では、もうそれは過去のものとなりつつあります。 オンライン上に論文も公開されているので、今後はこの議論を通過して述べる必要があります。 時枝務氏「神道考古学における依代の問題」(2015年) https://t.co/g6xKEQv5te
岡本耕平「行動地理学の歴史と未来」人文地理 50(1), 23-42, 1998 https://t.co/Y0gPs2Susc 1980年代に一度衰退した行動地理学が、心理学やGIS研究との関連の中で90年代以降に復活してきたことについて https://t.co/y29ivBwQkq

13 0 0 0 OA 群馬県吾妻郡誌

合祀が一番多い神社はどこか知りませんが、群馬県吾妻郡中之条町横尾の吾妻神社はかなり多い方だと思います。 境内末社を含め合計151社が合祀されているそうです。 https://t.co/YrfQ4MUSh1
そもそも北関東・東北の太平洋沿岸の“防災神”で真っ先に取り上げられるべきは、常陸国安波の「大杉明神」を勧請した「大杉神社」や「アンバ様」の小祠だろう。 >「東日本大震災の津波被害における神社の祭神とその空間的配置に関する研究」 https://t.co/xmEciE7vtc

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