著者
後藤 吉彦 木下 光 丸茂 弘幸
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 第38回学術研究論文発表会 (ISSN:1348284X)
巻号頁・発行日
pp.124, 2003 (Released:2003-12-11)

本研究は篠島における漁村集落の空間構成の特性および、その特性がどのように形成され、変容してきたかを考察するものである。また、全国的に多くの地方都市がその個性を失いつつある中で、篠島が現在でもその個性的な集落を維持している要因を考察する。篠島の漁村集落は特徴的な住居表層とセコと呼ばれる狭く曲がりくねった街路空間の形成に代表される。そして住居表層はカコイと呼ばれる壁面の板張り、デマドと呼ばれる街路上に突き出した開口部、色彩豊かな外壁塗装の三要素によって特徴づけられている。
著者
丸茂 弘幸 青木 太郎 木下 光
出版者
日本都市計画学会
雑誌
都市計画. 別冊 都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.583-588, 1999-10-15

東京市区改正委員会の甲武鉄道延伸計画審議の議事録から,当時の委員会の景観に対する姿勢を明らかにした。本件は,明治22年委員会に付議されたが,この時は景観には触れることなく決定された。その後,関係筋との協議を経て明治25年再度付議された。今度は,鉄道予定地の外濠の樹木保全,四谷・牛込間の眺望の保全等景観に関する議論がなされ条件を付して承認した。着工後も委員会は数次の現場視察を行い粗雑な工事が景観を害していると知事に改善方指示している。さらに明治33年万世橋への延伸の審議の際にも,お茶の水付近の景観保全等の議論がなされた。こうして完成した甲武鉄道の景観は,当時の「風俗画報」にも掲載され,市民からもかなり高く評価されていたといえる。この10年間の委員会の議論の流れの中には景観というものに関する時代の潮流が感じられる。
著者
大塚 一哉 木下 光 丸茂 弘幸
出版者
一般社団法人日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
vol.73, no.627, pp.1029-1036, 2008-05-30

This study aims to clarify the background of establishment and the development of policy about Hawker Centres in Singapore, and also the change of space of Hawker Centres. This study was analyzed on following 4 conclusions. (1) Hawker Centres were built to solve a problem of Hawkers who caused public health and a traffic problem. (2) Hawker Centres were designed building plan and section to maintain good hygiene environment. In addition, Hawker Centres are continued to improve the hygiene environment by "Hawker Centre Upgrade Programme" and various management policy. (3) Constructions of Hawker Centres were grounded on land-use planning. And Hawker Centres have various functions with different in location (Newtown or Industrial area or Inner City area). (4) Today, not only are Hawker Centres evaluated as a social welfare facility and a tourist facility, but also play important role as urban facilities.
著者
鈴木 充 阮 儀三 徐 民蘇 丸茂 弘幸 三浦 正幸 呉 凝
出版者
一般財団法人 住総研
雑誌
住宅総合研究財団研究年報 (ISSN:09161864)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.241-250, 1990 (Released:2018-05-01)

中国の住宅建築は明清時代を通じて大きな変化をみせなかったといわれている。蘇州市は前514年に建設され,それ以後城市の輪郭線を変えずに現在まで続いてきている都市である。特に1130年に兵火に遭い,再興されてからはほとんど都市構造を変えないまま,近代を迎えたといわれている。本研究はそのような蘇州市を文献資料と民居遺構の両面から解析して,中国都市住宅の歴史的背景を解明しようとするものである。研究は,まず,文献と1239年ごろ刻まれた〈平江図〉を資料にして,現地形に1229年時点の蘇州の市街を再現し,前街后河といわれる水郷都市としての特徴ある敷地割が,宋時代に始まったという推論を得た。従って唐時代以前の住宅地は現在大規模住宅の敷地になっている部分に集約されることになる。遺構面での追及は,民国時代に書かれた建築書〈営造法原〉の分析から,殿庭と呼ばれる富豪達の住宅も基本的には民居の構成方法と変らないことを確かめた。また,実際の住宅建築遺構では,しょう門西北の山塘街揚安浜で明初期から中末期にかけての遺構3棟と,清時代の遺構7棟を発見し,明時代から堂と天井(中庭)と廂防を組み合わせる三合院を基本単位(進)にして,その単位を奥行方向に繰返すことにより,第宅を形成していることがはっきりした。また,これら一串の住宅を落と呼び,主落の両脇に2落3落と並べ1屋を形成することによって大宅が形成され,各落は年代的に異なっているものもあり,周囲の住宅を買取することによって大宅が形成されて行くものと考えられる。山塘街は主として2進程度の小宅からなり,街路空間の構成は,十数メートルおきに道幅の狭広による節づけが成されており,その南に続く揚安浜には明清建築からなる5進3落の大宅があり,更に5進1落系の密集地もあり,前街后河の山塘街と合わせ,水郷都市蘇州の民居を代表する建築空間を有する地区であることが判明し,保存の措置が講ぜられることになった。