- 著者
-
五十嵐 太郎
- 出版者
- Japan Association for Quaternary Research
- 雑誌
- 第四紀研究 (ISSN:04182642)
- 巻号頁・発行日
- vol.35, no.3, pp.247-252, 1996-07-31 (Released:2009-08-21)
- 参考文献数
- 14
亀田郷は越後平野のほぼ中央に位置し,かつては河川の氾濫による水害常習地帯であり,その大部分が湿地帯であったので,「葦沼」と称されていた.したがって,ここでの水田の開拓と稲作作業は,すべて過酷な水との闘いであった.しかし,大河津分水の開削(1927年),阿賀野川の河川改修工事(1933年)などの治水事業により洪水の被害からのがれ,さらに栗ノ木排水機の新設(1948年)と耕地整理の完了(1956年)により,統一的な地上水の排除が可能となり,ようやく近代農業の基礎が築かれた.ここでは,まず湿地帯すなわち「葦沼」での水田開発と「葦沼水田」の実態,ついで内外の治水対策,とくに内部治水対策,最後に耕地整理(全郷の統一的地上水排除)とこれに伴う稲作技術の対応について述べる.