著者
佐藤 善輝 藤原 治 小野 映介 海津 正倫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.84, no.3, pp.258-273, 2011-05-01 (Released:2015-09-28)
参考文献数
29
被引用文献数
9 8

浜名湖沿岸の六間川低地および都田川低地で掘削調査と既存ボーリングデータの収集を行い,沖積層の層相・貝化石・珪藻化石分析・電気伝導度測定の結果や14C年代測定値に基づいて,完新世中期から後期にかけての堆積環境の変遷を明らかにした.その結果,両低地に共通した環境変化が認められた.すなわち,6,000~7,000 calBP以降は低地の発達に伴って海水の影響が減少する傾向が見られるが,3,500~3,800 calBP頃に汽水~海水環境の再形成や内湾での水位上昇が認められた.このことは,一時的に浜名湖内へ海水が流入しやすくなったことを示す.その後,3,400~3,500 calBP頃に淡水池沼へと急速に変化した.この時期には浜名湖の湖心部でも急速な淡水化が知られており,浜名湖全体で淡水化が進んだことが示唆される.この環境変化は,浜名湖の湖口部を塞ぐように砂州が形成されたために引き起こされた可能性が高い.
著者
佐藤 善輝 小野 映介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.86, no.3, pp.270-287, 2013-05-01 (Released:2017-12-05)
参考文献数
46

鳥取平野北西部に位置する湖山池南岸の高住低地を主な対象として,完新世後期の地形環境変遷を明らかにした.高住低地ではK-Ahテフラ降灰以前に縄文海進に伴って低地の奥深くまで海域が拡大し,沿岸部に砂質干潟が形成された.また,K-Ahテフラの降灰直前には砂質干潟から淡水湿地へと堆積環境が変化した.その後,湿地堆積物や河川からの洪水堆積物などによって湿地の埋積が進行し,5,200 calBP頃までには陸域となって森林が広がった.一方,埋積の及ばなかった低地の北部では5,800 calBP頃までに内湾環境が形成された.以後,内湾は河川堆積物による埋積によって汽水湖沼へ変化し,4,600 calBP頃に淡水湖沼化した.湖山池沿岸部では縄文時代後期までに内湾から淡水湿地への環境変化が生じたことが共通して認められ,閉塞湖沼としての湖山池の原型はおよそ4,000~4,600 calBP頃までに完成したと推定される.
著者
佐藤 善輝 小野 映介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.90, no.5, pp.475-490, 2017-09-01 (Released:2022-03-02)
参考文献数
43

伊勢平野中部の志登茂川左岸において,地質調査,堆積物の放射性炭素年代測定および珪藻化石分析を行い,完新世後期における浜堤の地形発達過程を明らかにした.当地域には4列の浜堤が認められ,内陸側の浜堤Iの閉塞完了時期が最も古く,海側の浜堤IVが最も新しい.浜堤Iは,5,700~6,000calBPまでに後背地の閉塞を完了した.浜堤IIは3,300calBP頃に形成を開始し,2,700calBP頃に閉塞を完了した.浜堤IIIは少なくとも1,500~2,200calBP頃までには閉塞を完了した.浜堤IVは現成の浜堤である.浜堤Iの形成時期には,対象地域南方の雲出川下流低地で浜堤の発達が認められない.これは両低地間における埋没平坦面の有無,河川営力の相対的な大きさの違いを反映している可能性がある.また,浜堤IIおよびIIIの形成完了時期は雲出川下流低地と一致しており,1,500~3,000calBP頃にかけて伊勢平野中部の広域でほぼ一様に浜堤の発達が進んだことを示唆する.
著者
佐藤 善輝 小野 映介 藤原 治
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
pp.60.2011, (Released:2021-02-15)
参考文献数
37

九十九里浜平野の中央部に位置する千葉県九十九里町(旧片貝村)を対象に,1703年元禄関東地震津波の痕跡について,史料調査と低地の掘削調査によって検証を試みた.元禄関東地震の前後に作成された絵図を現地調査で比定した結果から,津波は少なくとも九十九里町役場付近まで遡上したことが分かった.九十九里町役場に隣接する水田で掘削したコア試料の層相と珪藻化石の分析からは,海浜堆積物とそれを覆う堤間湿地堆積物が認められた.淡水性の湿地堆積物を明瞭な地層境界を介して覆う砂層が一枚認められ,堆積物の特徴などから津波堆積物の可能性が高いと考えられる.この津波堆積物の堆積年代は少なくとも1,664calAD以降と考えられ,史料などの情報も考慮すると1703年元禄関東地震による津波堆積物と考えるのが最も妥当である.
著者
澤 祥 坂上 寛之 隈元 崇 渡辺 満久 鈴木 康弘 田力 正好 谷口 薫 廣内 大助 松多 信尚 安藤 俊人 佐藤 善輝 石黒 聡士 内田 主税
出版者
Japanese Society for Active Fault Studies
雑誌
活断層研究 (ISSN:09181024)
巻号頁・発行日
vol.2006, no.26, pp.121-136, 2006

We conducted a tectonic geomorphological survey along the northern part of the Itoigawa-Shizuoka Tectonic Line (ISTL) with support from the Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology of Japan as one of the intensive survey on ISTL fault system. This survey aims to clarify the detailed distribution of the slip rates of this fault system, which provides the essential data set to predict the coseismic behavior and to estimate the strong ground motion simulation. In order to achieve this purpose, the active fault traces are newly mapped along the northern part of the ISTL through interpretations of aerial photographs archived in the 1940s and 1960s at scales of 1: 10,000 and 1: 20,000, respectively. This aerial photo analysis was also supplemented and reinforced by field observations.<BR>One of the remarkable results by using this data set is a large number of, here 84, photogrammetrically measured landform transections to quantify the tectonic deformations. We could calculate vertical slip rates of the faults at 74 points, based on the estimated ages of terraces (H: 120 kyrs, M: 50-100 kyrs, Ll: 10-20 kyrs, L2: 4-7 kyrs, L3: 1-2 kyrs). The vertical slip rates distributed in the northern part of the study area show 0.2-5.5 mm/yr on the L terraces (less than 20 kyrs) and 0.05-0.9 mm/yr on the M and H terraces (more than 50 kyrs). The vertical slip rates of the faults located in the central and southern part of the study area are 0.2-3.1 mm/yr.
著者
佐藤 善輝 小野 映介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<b>I </b><b>はじめに: </b>伊勢平野は養老山地,鈴鹿山地,布引山地によって区切られた海岸平野である.同平野中部(鈴鹿川~雲出川)では,丘陵・段丘の海側に東西約1 ~2 km幅の浜堤列平野が発達しており,雲出川などの河口部にはデルタタイプの沖積低地が広がる.雲出川下流低地では,3千年前頃に&ldquo;弥生の小海退&rdquo;(太田ほか 1990)に対応して浜堤列が形成された可能性が指摘されているが(川瀬1998),当時の海水準を復元する直接的な指標は報告されていない.本研究では志登茂デルタと,その左岸の浜堤平野を対象として,2~4千年前頃の地形環境を復元するとともに,相対的海水準変動について検討した.<br> <b>II</b><b> 調査・分析方法: </b>計3地域において電動ドロップヒッター,ポータブル・ジオスライサー,ハンドコアラーを用いた掘削調査を行った.コア中の試料20点について,AMS法による<sup>14</sup>C年代測定を地球科学研究所およびパレオ・ラボに依頼して行った.珪藻分析は各試料200殻を目安に計数した.珪藻の生息環境は千葉・澤井(2014)などを参照した.<br> <b>III</b><b> 結果: </b>3地域の層相と堆積環境は以下のとおりである.<br><b></b> <b>(</b><b>1</b><b>)志登茂川デルタ </b>細粒砂~砂礫層とそれを覆う砂泥互層から成る.細粒砂~砂礫層はデルタ前置層堆積物と考えられ,同層上部から3,175-3,275 cal BPの年代値を得た.砂泥互層はデルタ頂置層で,標高0.0~-1.7 mでは平均潮位~平均高潮位の指標となる<i>Pseudopodosira kosugii</i>(澤井 2001)が優占し,同層準からは3,230-3,365 cal BP(標高-1.3 m),2,920-3,060 cal BP(標高-0.2 m)の年代値を得た.<br> <b>(</b><b>2</b><b>)浜堤</b><b>I</b><b>の後背地 </b>有機質泥層とそれを覆う砂層が認められた.有機質泥層は標高1.6 m以深に分布し,基底深度は不明である.この地層中の標高-0.1 m付近は<i>Tryblionella granulata</i>を多産し,潮間帯干潟の堆積物と推定され,5,985-6,130 cal BPの年代値が得られた.<br> <b>(</b><b>3</b><b>)浜堤</b><b>I</b><b>・</b><b>II</b><b>の堤間湿地 </b>海浜堆積物と推定される砂礫層とそれを覆う泥層から成る.砂礫層最上部と泥層下部(標高-0.5 m付近)では<i>P. kosugii</i>が優占的に産出し,同層準から3,245-3,400 cal BPの年代値を得た.標高-0.15 m以浅は有機質な層相を呈し淡水生種が卓越することから,淡水池沼あるいは淡水湿地の堆積物であることが示唆される.<br> <b>IV</b><b> 考察: </b>四日市港の平均高潮位を考慮すると,<i>P. kosugii</i>の優占層準の標高から3,000~3,400 cal BP頃の海水準は標高-1~-2 m程度と見積もられる.さらに,雲出川下流低地の海成層中から得られた年代値とその標高値から(川瀬 1998),3,400~4,000 cal BP頃に1~2 m程度,海水準が低下したと推定される.3,000 cal BP以降,遅くとも1,600 cal BP頃までには標高0 m付近まで海水準が上昇した. 海水準が低下した時期は浜堤IIの形成開始時期と対応する.雲出川下流低地でもほぼ同時期に浜堤が形成され始めており(川瀬 1998),海水準の低下が浜堤の発達を促進した可能性が示唆される. 当該期における海水準低下の要因の一つには&ldquo;弥生の小海退&rdquo;が考えられる.また,対象地域が安濃撓曲と白子-野間断層(ともに北側隆起の逆断層)との中間に位置し,両断層が連続する可能性もあることから(鈴木ほか 2010),断層変位によって海水準低下が生じた可能性もある.白子-野間断層の最新活動時期は5,000~6,500 cal BPとされるが(岡村ほか 2013),陸域への断層の連続性や活動時期については不明な点も多く,さらなる検討が必要である. 本研究は,河角龍典氏(故人・立命館大学)と共同で進められた.<br> <b>文献:</b>岡村行信ほか (2013) 活断層・古地震研究報告13: 187-232. 太田陽子ほか (1990) 第四紀研究29: 31-48. 川瀬久美子 (1998) 地理学評論76A: 211-230. 澤井祐紀 (2001) 藻類49: 185-191. 鈴木康弘ほか (2010) 国土地理院技術資料D・1-No.542. 千葉 崇・澤井祐紀 (2014) 珪藻学会誌30: 17-30.