著者
田中 圭 中田 高 松浦 律子 田力 正好 松田 時彦
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.127, no.3, pp.305-323, 2018-06-25 (Released:2018-08-02)
参考文献数
49
被引用文献数
1 1

Kambara Jishinyama (earthquake-mound) located on the west bank of lower reach of the Fujikawa river, is widely believed to be a mound that was tectonically formed at the time of the 1854 Ansei Tokai earthquake. Using old maps and aerial photogtaphs, geomorphological changes around Kambara Jishinyama before and after the earthquake are examined. The Fujikawa river frequently flooded and the course on its west bank changed especially after construction of the Karigane-zutsumi (big bank) in order to protect farmland on its east bank. The area around the lower reach of the river was surveyed in 1803 for the Dai Nihon Enkai Yochizu large-scale map, which is the so-called Ino-Daizu. On that map, the river was at almost the same location as its present course. The historical road map (Kaido-Ezu) of Tokaido, which was the trunk road connecting Edo and Kyoto, illustrated in the same period as Ino-Daizu, shows that the Fujikawa river shifted its course close to the foot of river terraces at the west bank. Due to lateral erosion of the river, part of the Tokaido between the towns of Iwabuchi and Kambara collapsed several times. Subsequently, the road was diverted to the new route via Shinzaka as shown on the 1:20,000 scale topographic map published in 1890. A micro-landform classification map of the alluvial lowland of the west bank of the Fujikawa river based on interpretations of aerial photographs taken in 1952 and 1953 reveals that Kambara Jishinyama was located on one of the former mid-channel bars in the braided channels of the river before the 1854 Ansei Tokai earthquake. The earthquake caused a large landslide that dammed the Fujikawa river for a short period at the foot of Shiratori-yama to the north of Iwabuchi. The discharged flood water changed the river course close to the present stream. Geomorphic evidence for tectonic uplift does not exist around Kambara Jishinyama. The Koike river, a small stream flowing in the former main stream of the Fujikawa river, abandoned at the time of the Ansei Tokai earthquake, concordantly flows into the present main stream of the Fujikawa river showing that co-seismic uplift did not take place at the west bank. We conclude that Kambara Jishinyama was not tectonically formed by the earthquake, but is a product of the river course change.
著者
安江 健一 高取 亮一 谷川 晋一 二ノ宮 淳 棚瀬 充史 古澤 明 田力 正好
出版者
一般社団法人 日本地質学会
雑誌
地質学雑誌 (ISSN:00167630)
巻号頁・発行日
vol.120, no.12, pp.435-445, 2014-12-15 (Released:2015-05-19)
参考文献数
28

本研究では,侵食速度の指標として,環流丘陵を伴う旧河道(以下,環流旧河谷)に着目した.環流旧河谷は,分布が乏しい流域があるものの,日本列島の各地に分布し,様々な比高を持つことから,侵食速度を算出する際の有効な指標になると考えられる.この環流旧河谷を用いた事例の研究を,熊野川(十津川)の中流域において行った結果,旧河床堆積物を覆う角礫層は,赤色化していることから最終間氷期以前の堆積物と考えられ,旧河床堆積物の離水年代は12.5万年前かそれより古いと考えられる.角礫層に含まれるK-Tz起源の粒子は,角礫層の堆積時に降下し,希釈されたものであり,角礫層を覆う表土に含まれるK-Tz起源の粒子は角礫層の離水後に斜面から再移動したものと解釈すれば,赤色化に基づく角礫層の年代観に矛盾はない.この離水年代と旧河床堆積物の現河床からの比高から算出した下刻速度は,約0.9 m/kyかそれより遅い可能性がある.このように,環流旧河谷は,河川の上流や西南日本などの内陸部における河川の下刻などの侵食速度の指標になるとともに,隆起速度を推定する際の有効な指標になる可能性がある.より確度の高い侵食速度の算出には,環流旧河谷に分布する旧河床堆積物や斜面堆積物などを対象とした年代測定が今後の課題である.
著者
松田 時彦 松浦 律子 水本 匡起 田力 正好
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.124, no.4, pp.657-664, 2015-08-25 (Released:2015-09-17)
参考文献数
18
被引用文献数
3

There are two emerged abrasion platforms on Enoshima Island, Kanagawa Prefecture, Southern Kanto district: the 4.0-meter-high Ryoshimachi surface, and the 1.0–1.3-meter-high Iwaya surface. Both emerged prior to the 1703 Genroku Earthquake. Considering uplift due to the 1923 Taisho Kanto Earthquake and non-seismic subsidence since the Genroku Era, uplift due to the 1703 Genroku Earthquake was 0.7 m or less, assuming that the height of Ryoshimachi surface before the Genroku Earthquake was 3 m or higher. This indicates that uplift of the Genroku Earthquake at Enoshima was smaller than that of the Taisho Earthquake, and the focal regions of the two earthquakes were different in the Sagami Bay. These two earthquakes are not repeating earthquakes at the Sagami Bay area.
著者
中田 高 渡辺 満久 水本 匡起 後藤 秀昭 松田 時彦 松浦 律子 田力 正好
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

富士川河口断層帯は,平均変位速度が7m/1,000年を上回る活断層によって構成され,駿河トラフのプレート境界断層の陸域延長にあたると考えられてきた(山崎,1979:地震調査委員会,1998など).一方,活動度が高く1回の変位量が大きい逆断層であるとされながら,多くの地点で実施されたトレンチ掘削や群列ボーリング調査によっても,断層運動を示す明確かつ決定的な証拠は発見されず(下川ほか,1996:静岡県,1996: 丸山・斎藤,2007,Lin et al. 2013など),大きな疑問となっていた. 富士川河口断層帯を構成する活断層のうち,東側の断層列は津屋(1940)が最初に指摘したもので,羽鮒丘陵の東縁を限る安居山断層とその南の星山丘陵の北東縁と南東縁をそれぞれ限る大宮断層と入山瀬断層からなり,富士山を中心として円弧を描く急斜面の崖下に北西側を低下させる断層が存在すると推定されている.西側の断層列は羽鮒丘陵の西の芝川に沿った芝川断層と蒲原丘陵の西縁を限る入山断層から構成される.羽鮒丘陵と星山丘陵は北西−南東方向に延びる背斜状の細長い高まり地形をなす.丘陵を開析する谷には小規模な河岸段丘や新規の富士溶岩流(大宮溶岩流(津屋,1940))が分布し,丘陵の長軸に直交する胴切り的な正断層によって上下変位を受けている.古富士泥流堆積面からなる丘陵の北縁に沿って丸みを帯びた急斜面が発達し,その下位の段丘面も富士山側に向かって撓んでいるが,古い面ほど急傾斜となり累積的な変形が継続していることが読み取れる.最近,筆者らはフィリピン・ルソン島中部のタール火山のカルデラ湖を囲む外輪山に,重力性の変形により形成されたと考えられる高まり地形を発見した(中田他,2016).この地形は羽鮒丘陵・星山丘陵と酷似しており,両者の成因が共通する可能性が高い. 駿河トラフの海底には,ほぼ南北に延びる急峻で直線的な東向きの海溝斜面が南海トラフの東端部のから連なり,その基部に活断層が発達する.活断層は,海溝斜面を開析するガリーが形成する小扇状地や谷底を変位させ比高数10mの低断層崖を発達させており,活発な断層変位が繰り返していることを示唆している.この急斜面は湾奥では北北西に走向を変え,由比川河口に達する(中田他,2009).大陸棚斜面上には,海底活断層が富士川河口に向かって分岐することを示す変動崖も存在しない。また,星山丘陵の南東縁を限る入山瀬断層は逆断層とされており,1854年安政東海地震の際に蒲原地震山・松岡地震山がこの断層に沿って出現したとされてきたが,その根拠は必ずしも明確ではない. 近年,詳細な空中写真判読から,富士川沿いの地域で南北性の活断層が次々と発見・確認されている.水本他(2013a,2013b)は,松田(1961)が西傾斜の逆断層と認定した身延断層に沿って,富士川の河岸段丘面の西上がりの変位や支谷の左屈曲を発見した.このうち,山梨県南部町原戸付近の支谷の系統的な左屈曲や,同町井出における河岸段丘面を西上がりに変位させる直線的な低断層崖は,身延断層が左横ずれ変位が卓越する活断層であることを示す確実な証拠である.また,渡辺他(2016)は富士川の東岸,身延駅南の角打〜樋之下に系統的な谷屈曲をもとに新たに南北性の左横ずれ断層を認定し,段丘礫層を変位させる断層露頭を確認した. さらに, 糸魚川−静岡構造線と富士川河口断層帯との間に発達する西傾斜の逆断層(松田,1961)のうち,根熊断層と田代峠断層に沿って河谷の左屈曲が複数発達することを新たに見出した.これらの断層は,「日本の活断層」(活断層研究会,1980)では確実度III(活断層の疑いのあるリニアメント)として記載されているものにほぼ一致する.このうち田代峠断層では,興津川上流の大平付近で認められる支谷の左屈曲が極めて明瞭である.伊藤他(2013)は地下構造探査の結果から,田代峠断層は逆断層成分を有する西傾斜の高角左横ずれ断層とした.また,野崎他(2013)は,田代峠断層の北方延長に当たる音下断層(松田,1960)の断層岩を解析し,この断層が高角西傾斜の横ずれ断層である可能性を指摘した.以上の結果から,南部フォッサマグナでは、糸魚川−静岡構造線と富士川との間の横ずれ変形帯が,駿河トラフにおけるフィリピン海プレート境界沿いの変動帯の陸域延長部にあたると考えることができる. 上述の新知見を考慮すれば,富士川河口断層帯、特にその東列をフィリピン海プレート北縁における陸域プレートの境界をとする考えには再検討が必要である.由比川沿いでは富士川河口断層帯の西列に当たる入山断層が活断層として認められてきた(活断層研究会,2001).しかし,由比川の支谷に左屈曲が複数認められるものの,活断層を連続的に認定するにたる明確な地形的な証拠は得られていない.また,入山断層の北方延長とされる芝川断層についても活断層であることを示す確実な証拠は得られておらず,さらに入念なフィールドワークと詳細な分析が不可欠である.
著者
池田 安隆 岡田 真介 田力 正好
出版者
一般社団法人 日本地質学会
雑誌
地質学雑誌 (ISSN:00167630)
巻号頁・発行日
vol.118, no.5, pp.294-312, 2012-05-15 (Released:2012-10-05)
参考文献数
100
被引用文献数
10 22 5

東北日本弧においては,測地学的観測で検出された水平短縮歪み速度が地質学的に観測される歪み速度よりおよそ一桁大きい.同様の不一致は垂直変動速度に関しても存在する;太平洋岸で急速な沈降が観測される一方で,第四紀後期の旧汀線高度は緩慢な隆起を示す.これは現在急速に蓄積している地殻歪みの大部分が弾性歪みであり,プレート境界の固着部分がすべることで解消されるということを示している.しかし,過去100年間に起こったMw 708級の海溝型地震は歪み解放に寄与していない.したがって,プレート境界の固着面全体がすべる巨大歪み解放イベントが存在するはずであり,2011年東北地方太平洋沖地震はこのような固着解放イベントであると考えられる.東北日本では幅広い固着領域の浅部のみが地震時にすべり,割れ残った深部固着域で余効すべりが起こるらしい.このような深部固着は,他の超巨大地震発生帯には存在しない可能性が高い.日本海溝に沈み込んでいるプレートの年齢は極めて古く従って低温であるから,このように深い固着域が存在するのは熱的な原因によると考えられる.
著者
田力 正好 安江 健一 柳田 誠 古澤 明 田中 義文 守田 益宗 須貝 俊彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.118-130, 2011-03-01 (Released:2015-09-28)
参考文献数
30
被引用文献数
3 2

岐阜県南東部および愛知県西部を流れる土岐川(庄内川)流域の河成段丘を,空中写真判読によりH1~4面,M1~3面,L1~3面の10段の段丘面に分類した.それらの段丘面のうち,L2面は,構成層中の試料の14C年代値,構成層を覆う土壌層中の指標テフラ(鬼界アカホヤテフラ),段丘面の縦断形と分布形態,段丘構成層の厚さに基づいて,酸素同位体ステージ(MIS)2の堆積段丘面と同定された.M2面は構成層と指標テフラ(阿蘇4テフラ,鬼界葛原テフラ)との関係,構成層およびそれを覆う風成堆積物の赤色風化に基づいて,MIS6の堆積段丘面と同定された.これらのことから,これまでMIS6の堆積段丘の報告がほとんどなかった中部地方南部において,その分布が確認された.M2面とL2面の比高から,土岐川流域の隆起速度は0.11~0.16 mm/yrと求められた.
著者
鈴木 康弘 杉戸 信彦 坂上 寛之 内田 主税 渡辺 満久 澤 祥 松多 信尚 田力 正好 廣内 大助 谷口 薫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.37-46, 2009 (Released:2010-02-24)
参考文献数
16

活断層の詳細位置・変位地形の形状・平均変位速度といった地理情報は,地震発生予測のみならず,土地利用上の配慮により被害軽減を計るためにも有効な情報である.筆者らは糸魚川-静岡構造線活断層帯に関する基礎データと,活断層と変位地形の関係をビジュアルに表現したグラフィクスとをwebGIS上に取りまとめ,「糸魚川-静岡構造線活断層情報ステーション」としてインターネット公開した.本論文は,被害軽減に資する活断層情報提供システムの構築方法を提示する.これまでに糸魚川-静岡構造線北部および中部について,平均変位速度の詳細な分布を明らかにした.この情報は,断層の地震時挙動の推定や強震動予測を可能にする可能性がある.さらに縮尺1.5万分の1の航空写真を用いた写真測量により,高密度・高解像度DEMを作成した.人工改変により消失している変位地形については,1940年代や1960年代に撮影された航空写真の写真測量により再現し,その形状を計測した.写真測量システムを用いた地形解析によって,断層変位地形に関する高密度な解析が可能となり,数値情報として整備された.
著者
田中 圭 中田 高 松浦 律子 田力 正好 松田 時彦
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地學雜誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.127, no.3, pp.305-323, 2018
被引用文献数
1

<p> <i>Kambara Jishinyama</i> (earthquake-mound) located on the west bank of lower reach of the Fujikawa river, is widely believed to be a mound that was tectonically formed at the time of the 1854 Ansei Tokai earthquake. Using old maps and aerial photogtaphs, geomorphological changes around <i>Kambara Jishinyama</i> before and after the earthquake are examined. The Fujikawa river frequently flooded and the course on its west bank changed especially after construction of the <i>Karigane-zutsumi</i> (big bank) in order to protect farmland on its east bank. The area around the lower reach of the river was surveyed in 1803 for the <i>Dai Nihon Enkai Yochizu</i> large-scale map, which is the so-called <i>Ino-Daizu</i>. On that map, the river was at almost the same location as its present course. The historical road map (<i>Kaido-Ezu</i>) of <i>Tokaido</i>, which was the trunk road connecting Edo and Kyoto, illustrated in the same period as <i>Ino-Daizu</i>, shows that the Fujikawa river shifted its course close to the foot of river terraces at the west bank. Due to lateral erosion of the river, part of the <i>Tokaido</i> between the towns of Iwabuchi and Kambara collapsed several times. Subsequently, the road was diverted to the new route via Shinzaka as shown on the 1:20,000 scale topographic map published in 1890. A micro-landform classification map of the alluvial lowland of the west bank of the Fujikawa river based on interpretations of aerial photographs taken in 1952 and 1953 reveals that <i>Kambara Jishinyama</i> was located on one of the former mid-channel bars in the braided channels of the river before the 1854 Ansei Tokai earthquake. The earthquake caused a large landslide that dammed the Fujikawa river for a short period at the foot of Shiratori-yama to the north of Iwabuchi. The discharged flood water changed the river course close to the present stream. Geomorphic evidence for tectonic uplift does not exist around <i>Kambara Jishinyama</i>. The Koike river, a small stream flowing in the former main stream of the Fujikawa river, abandoned at the time of the Ansei Tokai earthquake, concordantly flows into the present main stream of the Fujikawa river showing that co-seismic uplift did not take place at the west bank. We conclude that <i>Kambara Jishinyama</i> was not tectonically formed by the earthquake, but is a product of the river course change.</p>
著者
澤 祥 坂上 寛之 隈元 崇 渡辺 満久 鈴木 康弘 田力 正好 谷口 薫 廣内 大助 松多 信尚 安藤 俊人 佐藤 善輝 石黒 聡士 内田 主税
出版者
Japanese Society for Active Fault Studies
雑誌
活断層研究 (ISSN:09181024)
巻号頁・発行日
vol.2006, no.26, pp.121-136, 2006

We conducted a tectonic geomorphological survey along the northern part of the Itoigawa-Shizuoka Tectonic Line (ISTL) with support from the Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology of Japan as one of the intensive survey on ISTL fault system. This survey aims to clarify the detailed distribution of the slip rates of this fault system, which provides the essential data set to predict the coseismic behavior and to estimate the strong ground motion simulation. In order to achieve this purpose, the active fault traces are newly mapped along the northern part of the ISTL through interpretations of aerial photographs archived in the 1940s and 1960s at scales of 1: 10,000 and 1: 20,000, respectively. This aerial photo analysis was also supplemented and reinforced by field observations.<BR>One of the remarkable results by using this data set is a large number of, here 84, photogrammetrically measured landform transections to quantify the tectonic deformations. We could calculate vertical slip rates of the faults at 74 points, based on the estimated ages of terraces (H: 120 kyrs, M: 50-100 kyrs, Ll: 10-20 kyrs, L2: 4-7 kyrs, L3: 1-2 kyrs). The vertical slip rates distributed in the northern part of the study area show 0.2-5.5 mm/yr on the L terraces (less than 20 kyrs) and 0.05-0.9 mm/yr on the M and H terraces (more than 50 kyrs). The vertical slip rates of the faults located in the central and southern part of the study area are 0.2-3.1 mm/yr.
著者
松浦 律子 田力 正好
出版者
公益社団法人 日本地震学会
雑誌
地震 第2輯 (ISSN:00371114)
巻号頁・発行日
vol.71, pp.103-116, 2018-07-10 (Released:2018-08-09)
参考文献数
30

After the Russo-Japanese War, too little information about earthquakes was published by the Central Meteorological Observatory, and it has made us left in difficulty to examine earthquakes of the Taisho era precisely. Among such earthquakes, the M5.7 destructive earthquake on August 6th, 1916, in Ehime Prefecture was re-examined by the excavated same age documents. Irazu weather station and other stations, which were operated by the company of Besshi copper mine, reported the detail of this earthquake. Identification of reported places about cracks and falling rocks was done, in addition to the examination of the seismic intensity distribution left in newspapers and the Official Gazette. It is proposed to move the epicenter of this earthquake to (33.95°N, 133.4°E), where is six-km south from that in Utsu-catalogue, and closer to the Ishizuchi fault, which belongs to the Median Tectonic Line active fault zone. It is also found that this event has a felt foreshock a half day before, and a felt aftershock an hour later. This event is the first candidate of destructive earthquakes of the MTL active fault zone in the written history.
著者
田力 正好 水本 匡起 松田 時彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.232, 2013 (Released:2013-09-04)

活断層(縦ずれ)の断層崖は,その成長と共に比高を増大させ,重力的に不安定となる.その結果,断層崖では地すべり・崩壊などのマスムーブメントが発生しやすくなると考えられる.縦ずれ断層が多く,新第三紀以降の固結度の弱い岩石が多く分布する東日本(糸魚川-静岡構造線(糸静線)以東)においては,特に高頻度で発生していることが予想される.本発表では,東日本のいくつかの活断層帯において,断層崖に生じたマスムーブメントの実例を示し,その形態や変形の特徴,断層崖の形態に及ぼすマスムーブメントの影響,活断層のマッピング・変位量の測定等の際に注意すべき点などについて述べる.断層崖沿いに重力的な変形(マスムーブメント)が認められることは珍しくない.断層崖に地すべり等のマスムーブメントが生じている場合,重力的な変形の影響を受けてテクトニックな要因のみの変形の場合に比べて低断層崖の位置がずれたり,変位量が大きくなったりする可能性がある.このため,活断層のマッピングや変位量の測定の際には,重力的な変形の影響の有無を検討することが必要である.特に大規模な地すべりや,地すべり地形が不明瞭な場合には,断層近傍の地形のみに着目すると地すべり地形を見落とす可能性があるため注意が必要である.