著者
坂 堅太
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.81-95, 2012-11-15

This paper explains Abe Kebo's motives for writing "Henkei no kiroku," focusing on a variety of representations of the dead during the Second World War. First, it introduces his ideas from around the same period about the recording of facts, and analyzes "the dead" as an allegorical signifier. This leads to the conclusion that Abe was not so much trying to depict the War itself as the linguistic environment surrounding the representations of the dead. It also suggests that the corpses of the Chinese people depicted in the story invalidate the narrative inside Japan that held that Japanese are the war victims. The analysis shows that Abe wrote "Henkei no kiroku" as a criticism of the Japanese discussion of war responsibility.
著者
坂 堅太 SAKA Kenta
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 = Bulletin of the Faculty of Humanities and Social Sciences,Department of Humanities (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.33, pp.21-30, 2016

戦後日本のプログラム・ピクチャーとして人気を博したジャンルに、サラリーマン映画がある。これを最も得意とした会社が東宝である。1951年に公開された「ホープさん」以降、プロデューサー藤本真澄、原作提供源氏鶏太という体制で東宝は数多くのサラリーマン映画を製作した。1956年公開の「へそくり社長」から始まる「社長シリーズ」が特に有名であるが、このシリーズの原型となったのが東宝サラリーマン映画第三作目の「三等重役」(1952年)である。戦前期に松竹が得意とした小市民映画など、「三等重役」以前のサラリーマンものでは、会社員生活の悲哀を強調するために、絶対的な重役とそれに媚びへつらう一般社員、というタテ関係の会社空間が描かれていた。それに対し「三等重役」は、戦後の民主主義的な価値観を背景として、重役と社員とが融和的で水平的な関係を結ぶ、家族のような会社空間を提示した。そしてこの作品が大ヒットした結果、小市民映画のような会社員生活の描き方は戦前的で時代遅れであり、戦後の現状を把握できていないものとして否定されてしまうことになる。「三等重役」の大ヒットは、サラリーマンの帰属すべき場所として「会社」というものが前景化されることにつながったが、それは夫=会社、妻=家庭というジェンダー規範を強化していくこととなった。
著者
山口 直孝 竹内 栄美子 福田 桃子 橋本 あゆみ 竹峰 義和 坂 堅太 木村 政樹 石橋 正孝
出版者
二松學舍大學
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2020-04-01

『神聖喜劇』で知られる作家大西巨人(1916~2014)の教養形成と作品の成立過程とを実証的に考察し、西洋の事例と比較しながら、現代の知識人のありようを探る。新日本文学会や記録芸術の会など、関係した文学芸術運動の活動の詳細を明らかにする。研究は、①資料調査、②聞き取り調査、③フィールドワークから成る。①は、大西巨人資料(二松学舎大学寄託)を核としながら、ほかの文学館や図書館についても行う。②はは、大西巨人の家族や知人に対して行う。③は、福岡や対馬で行う。成果は、公開ワークショップで報告する。資料目録や年譜など各種データベースを作成する。自筆資料をデジタルデータ化し、重要なものを翻刻する。
著者
坂 堅太
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.81-95, 2012-11-15 (Released:2017-06-01)

This paper explains Abe Kebo's motives for writing "Henkei no kiroku," focusing on a variety of representations of the dead during the Second World War. First, it introduces his ideas from around the same period about the recording of facts, and analyzes "the dead" as an allegorical signifier. This leads to the conclusion that Abe was not so much trying to depict the War itself as the linguistic environment surrounding the representations of the dead. It also suggests that the corpses of the Chinese people depicted in the story invalidate the narrative inside Japan that held that Japanese are the war victims. The analysis shows that Abe wrote "Henkei no kiroku" as a criticism of the Japanese discussion of war responsibility.