著者
塚田 穂高
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
no.15, pp.67-90, 2009-06-06

近・現代日本の救済宗教において、ナショナリズムとユニヴァーサリズムがどのような形で存在しているのか。本稿では、2つの「新新宗教」-「真光」と「幸福の科学」の世界観ないし教えにおけるナショナリズムの論理を解明するとともに、特に90年代初頭という国際社会・日本社会の転換期・変動期に、同時代の宗教運動がどのような反応を示したかを見ていく。すなわち「新新宗教」が「時代社会論」であるかの検証の意義を持つ。分析の結果、真光は、『竹内文書』と通底する霊的な日本中心主義・人類日本起源説・天皇統治説といった起源神話をそのナショナリズムの中核としており、それが先進国・国際貢献といった時代意識と結合することで「霊的貢献」という宗教ナショナリズムが形成されていた。他方、幸福の科学は、経済的優位性と高級諸霊の存在に裏打ちされた選民・使命意識が、90年代初頭の国際情勢に反応する形で醸成された、独自の宗教ナショナリズムを有していた。
著者
吉永 進一 平野 直子 塚田 穂高
出版者
舞鶴工業高等専門学校
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2012-04-01

本科研では、明治末期より昭和初期にかけて全盛を迎えた民間の精神療法(あるいは霊術)について、同時代における身体技法の世界的な流行、国家主義的運動との関わりという両面から研究を行った。前者では桑原俊郎による催眠術の呪術化、ニューソートやラマチャラカのヨガ呼吸法の流入、後者では井上哲次郎による儒教の近代化、静坐法などの修養の流行という系譜を分析した。これらを元に田中守平の太霊道についての研究を進め、他方では臼井甕男の霊気療法、三井甲之のタナスエの道、そして現在のレイキヒーリングに至る歴史を明らかにした。また、その成果はIAHR(国際宗教史学会)を含む国内外の学会で発表された。
著者
塚田 穂高
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.67-90, 2009-06-06 (Released:2017-07-18)

近・現代日本の救済宗教において、ナショナリズムとユニヴァーサリズムがどのような形で存在しているのか。本稿では、2つの「新新宗教」-「真光」と「幸福の科学」の世界観ないし教えにおけるナショナリズムの論理を解明するとともに、特に90年代初頭という国際社会・日本社会の転換期・変動期に、同時代の宗教運動がどのような反応を示したかを見ていく。すなわち「新新宗教」が「時代社会論」であるかの検証の意義を持つ。分析の結果、真光は、『竹内文書』と通底する霊的な日本中心主義・人類日本起源説・天皇統治説といった起源神話をそのナショナリズムの中核としており、それが先進国・国際貢献といった時代意識と結合することで「霊的貢献」という宗教ナショナリズムが形成されていた。他方、幸福の科学は、経済的優位性と高級諸霊の存在に裏打ちされた選民・使命意識が、90年代初頭の国際情勢に反応する形で醸成された、独自の宗教ナショナリズムを有していた。
著者
塚田 穂高
出版者
東京大学文学部宗教学研究室
雑誌
東京大学宗教学年報 (ISSN:2896400)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.31-48, 2008-03-31

Takagi Hiroo (1921-2005), a sociologist of religion, who was awarded the 1st Anezaki Memorial Prize (now, The Prize of Japanese Association for Religious Studies), paved the way for studies on Japanese new religion in the 1950-60s and broadly informed the common citizens about it through his works such as Shinko-Shukyo (New Religion, 1958) and Nihon-no-Shinko-Shukyo (Japanese New Religion, 1959). But, at present, his studies and works do not seem to be appreciated properly. Some subsequent scholars have considered him simply as a thinker based in Marxism, who had a external, critical and enlightened stance towards new religion. However, his perspective towards new religion, I think, consists of two distinct aspects. One is that which presumes new religion to be generally affected by social or economical changes. Thus new religion is a dependent variable. The other is an understanding as to why and how a person may commit him or herself to a new religion and accept its dogma; the aim being to grasp the group-resident logic. The former aspect was gradually shaped and acquired with his experiences in numerous fieldwork researches. The latter was cultivated while in contact with philosopher Miura Tsutomu (1911-1989) and participants to the Magazine Shisou-no-Kagaku, who were deeply affected by Pragmatism. Therefore, though he might have kept his external, critical stance, he can be considered to have achieved a "sympathetic interpretation" of new religion in terms of the means and contents of his studies. It can therefore be said that his works continue to be instructive and illuminating for those who deal with present-dav religion.