著者
碧海 寿広
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.84, no.1, pp.75-100, 2010-06-30

哲学から体験へ。明治三〇年代、近代真宗の思想界において、そう総括すべき大きな転換が起こった。本論は、その転換期が生んだ思想の意義を、近角常観(一八七〇-一九四一)という真宗大谷派僧侶の思想と実践の検討により再考する。近角は学生時代、哲学研究に執心したが、その後は哲学を放棄し、個々人の体験を重視する宗教家へと自己形成を遂げた。だが、自らの救済体験の意義を、仏教史を貫く普遍的な要素によって根拠づけるという彼の方法は、その転身の前後を通して一貫していた。近角は、親鸞や釈尊など、真宗仏教史における至高存在の体験に、自らの体験を重ねて語るという言語実践を遂行したが、こうした体験の語りを、自己の信徒たちにも行わせた。近角の体験談を中心として、一つの体験談がまた別の体験談を生み出す、という構造がそこにはあった。明治三〇年代の真宗思想に起きた転換は、近角によって、独自の体験の言語空間の創出へとつながったのである。
著者
碧海 寿広
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.1, pp.117-141, 2007-06-30 (Released:2017-07-14)

近年、仏教研究において「生活」の再評価が進んでいる。ゆえに、日本人の「生活」の歴史と仏教との関係をよく考えてきた仏教民俗学、特に五来重によるそれの思想的な意義を再検討する必要が出てきた。五来は彼の同時代の仏教をめぐる学問や実践のあり方に対して非常に批判的だった。特に仏教を哲学的なものとして理解する想定に疑問を抱き、代わりに仏教を受容する普通の人々の現実生活に即した彼の日本仏教観を提示した。その五来の仏教思想は、実践すなわち身体的・行為的な次元の仏教に主な焦点を当てた。彼の思想からは、人々の実践の中に存在するあらゆる形態の仏教を、その洗練度を問わず等しく認識し評価し反省するための視座を学ぶことができる。五来の思想には、「庶民信仰」に関する過度に理念化された論理の展開など問題もある。が、私たちが特定の学問枠組みから自由になって仏教をめぐる思考を深めようとする際、五来の思想から得られる知見はいまだに多大である。
著者
吉永 進一 安藤 礼二 岩田 真美 大澤 広嗣 大谷 栄一 岡田 正彦 高橋 原 星野 靖二 守屋 友江 碧海 寿広 江島 尚俊
出版者
舞鶴工業高等専門学校
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

本研究では、仏教清徒同志会(新仏教徒同志会)とその機関誌『新佛教』に関して、基礎的な伝記資料を収集しつつ、多方面からモノグラフ研究を進めた。それにより、新仏教運動につながる進歩的仏教者の系譜を明らかにし、出版物、ラジオ、演説に依存する宗教運動という性格を分析した。新仏教とその周辺の仏教者によって、仏教の国際化がどう担われていたか、欧米のみならず他のアジア諸国との関係についても論証した。
著者
碧海 寿広
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.1, pp.117-141, 2007-06-30

近年、仏教研究において「生活」の再評価が進んでいる。ゆえに、日本人の「生活」の歴史と仏教との関係をよく考えてきた仏教民俗学、特に五来重によるそれの思想的な意義を再検討する必要が出てきた。五来は彼の同時代の仏教をめぐる学問や実践のあり方に対して非常に批判的だった。特に仏教を哲学的なものとして理解する想定に疑問を抱き、代わりに仏教を受容する普通の人々の現実生活に即した彼の日本仏教観を提示した。その五来の仏教思想は、実践すなわち身体的・行為的な次元の仏教に主な焦点を当てた。彼の思想からは、人々の実践の中に存在するあらゆる形態の仏教を、その洗練度を問わず等しく認識し評価し反省するための視座を学ぶことができる。五来の思想には、「庶民信仰」に関する過度に理念化された論理の展開など問題もある。が、私たちが特定の学問枠組みから自由になって仏教をめぐる思考を深めようとする際、五来の思想から得られる知見はいまだに多大である。
著者
碧海 寿広
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
no.17, pp.17-30, 2011

近代真宗とは何か。その問い直しの作業を行う上で、キリスト教からの流用、というのは有意義な視点である。本論では近角常観(1870-1941)という真宗大谷派僧侶による布教戦略をこの観点から詳細に検討し、近代真宗の研究に新たな知見を提示する。近角は、西洋における宗教事情の視察からの帰国後、キリスト教を範とした宗教改革を推進した。日曜講話、寄宿舎経営、学生信徒の組織などの諸実践を、キリスト教界の後を追うかたちで展開し、明治後期の都市東京において若い世代からの熱烈な支持を獲得した。だが、この近角によるキリスト教由来の清新な布教実践において示された真宗信仰には、前時代からの連続性もまた読み取れる。在来の真宗信仰とどう対話し、これを近代社会に再適応させるには何をすべきか。それが近角の直面した最大の課題であり、こうした見識からは、個人の内面的な信仰とその探求に傾斜し過ぎる従来の近代真宗研究の再考が迫られる。