著者
寺田 征也
出版者
東北社会学会
雑誌
社会学年報 (ISSN:02873133)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.63-73, 2016-12-26 (Released:2018-09-25)
参考文献数
25

本稿は鶴見俊輔の「限界芸術」論に関する諸論文,「ルソーのコミュニケイション論」([1951]1968),「文化と大衆のこころ」([1956]1996),「芸術の発展」([1960]1991),「限界芸術再説」(1969)の読解を通じて,「限界芸術」を論じる上での鶴見の課題と目的,そして当概念の核心を明らかにすることを目的とする. 「限界芸術」は概して「芸術」に関する新しい分類法として理解されてきている.しかし本研究では,芸術の分類法だけでなく,デューイやモリスのプラグマティズムに影響を受けながら,日常的な芸術への参加と,それに基づく大衆の能動性,自主性の回復,美的経験の獲得が論じられていた.また60年代後半では,当時の社会運動の状況や後に論じられるようになるアナキズム論と関連しつつ,自らデザイン可能な自由な生活領域の確保と,それに基づく権力への抵抗の可能性が論じられるようになってきていた.鶴見の芸術論はプラグマティズムに影響を受けつつ,後にアナキズム論へと接続していく.
著者
寺田 征也
出版者
東北社会学会
雑誌
社会学年報 (ISSN:02873133)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.53-62, 2009-07-19 (Released:2013-12-27)
参考文献数
24
被引用文献数
1

本論文は,G.H. ミードにおける「思考(thinking)」の議論を取り上げ,「思考」概念の内実を検討する.これまでのミード研究において,「思考」とは相互行為過程における他者の身ぶりや態度を内面化した結果としてあらわれる,内的会話であるとされていた.しかし,本論文での検討の結果,「思考」とは内的会話であると同時に,内的会話を通じて考えられた事柄を表明する局面をも,ミードは視野に入れているということが明らかとなった. ミードによれば,内的会話で考えた事柄の表明は,個々人の「思想(thought)」の表明に他ならない.そしてこの「思想」は,言語や身ぶりという形態に限られない.例えば芸術家の作り上げた作品も,その芸術家の持つ「思想」の表明なのである.つまり,作品とはまさに作り手による「思想」の表現であり,ミードによれば,こうした「思想」の表現としての作品は誰しもが作ることができるのであった.その意味で,人間社会とは,「思想」の表明としての作品を通じて互いの「思想」を交換し合う世界なのである.
著者
寺田 征也
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.45-71, 2019-10-16 (Released:2021-10-24)
参考文献数
27

本稿はプラグマティズムの政治思想における二つの流れ――民主主義論とアナキズム論――の検討を通じて、今日の民主主義論に対する貢献可能性について考察する。 プラグマティズムにはR・W・エマソン、J・デューイ、R・ローティらによる民主主義論の伝統がある。かれらは、公衆間での協働と対話の文化、そして科学的な態度と文化の涵養を重視している。他方で、H・D・ソローや鶴見俊輔によるアナキズム論の系譜は、法に抵触することであっても自らの私的な信念に基づく正しい行為が、他者との協働的な社会運動への呼び水となることを論じる。そしてこの二つの流れを架橋し、プラグマティズムの政治思想を深める可能性を持つのが、C・ウェストによる「預言的プラグマティズム」である。 今日の政治状況は「反省か、抵抗か」「上か下か」といった選択が強いられているが、私的なものに依拠した下からの抵抗可能性を、プラグマティズムのアナキズム論は持つ。
著者
寺田 征也
出版者
東北社会学会
雑誌
社会学年報 (ISSN:02873133)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.63-73, 2016

<p> 本稿は鶴見俊輔の「限界芸術」論に関する諸論文,「ルソーのコミュニケイション論」([1951]1968),「文化と大衆のこころ」([1956]1996),「芸術の発展」([1960]1991),「限界芸術再説」(1969)の読解を通じて,「限界芸術」を論じる上での鶴見の課題と目的,そして当概念の核心を明らかにすることを目的とする.<br> 「限界芸術」は概して「芸術」に関する新しい分類法として理解されてきている.しかし本研究では,芸術の分類法だけでなく,デューイやモリスのプラグマティズムに影響を受けながら,日常的な芸術への参加と,それに基づく大衆の能動性,自主性の回復,美的経験の獲得が論じられていた.また60年代後半では,当時の社会運動の状況や後に論じられるようになるアナキズム論と関連しつつ,自らデザイン可能な自由な生活領域の確保と,それに基づく権力への抵抗の可能性が論じられるようになってきていた.鶴見の芸術論はプラグマティズムに影響を受けつつ,後にアナキズム論へと接続していく.</p>
著者
松浦 さと子 北郷 裕美 金山 智子 小川 明子 林 怡蓉 寺田 征也 志柿 浩一郎 川島 隆 松浦 哲郎 畑仲 哲雄 畑仲 哲雄 日比野 純一 橋爪 明日香 稲垣 暁
出版者
龍谷大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2012-04-01

1992年に制度化されたコミュニティ放送局は、2016年代に入り300局を超えた。それらは、地域の地理的環境や文化的・社会的・政治的・経済的背景に適応すべく多様な運営スタイルで放送が担われている。しかし共通しているのは災害対応への期待が高いことである。特に2011年以後は「基幹放送」としてその責任が重くのしかかる。国際的なコミュニティラジオが「コミュニティの所有、運営、非営利非商業」と定義されていることに対し、日本のコミュニティ放送は、資源動員、法人形態、ジャーナリズムや番組審議会等、独自の成立条件を形成してきた。本研究では長期のフィールドワークと日本初の悉皆調査によってそれらを明らかにした。