著者
小島 道裕
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.113, pp.113-134, 2004-03-01

永禄六〜七年(一五六三〜四)の旅行支出簿である表題の資料は、当時の旅行の実態や、都市的な場、そして物価やサービスの価格についての豊富な情報を含んでいる。これについては既に一度史料紹介を行ったが、地名比定は大幅に改善することができるようになり、また関係史料との比較などから、内容についても分析を進めることが可能になった。醍醐寺の僧侶と思われる記者の目的は、同じ醍醐寺の無量光院院主堯雅の東国での付法と関係があり、帳簿の一部で支出が見られない部分は、堯雅の滞在先とほぼ重なる。すなわち、帳簿に空白部分があるのは、関係する真言宗寺院を用務で訪ねていたため、支出の必要がなかったものと考えられる。それ以外の部分ではほとんど旅籠に宿泊しているが、旅籠代がかなり一定していることをはじめ、他の料金にもサービスの量に応じた相場があったものと思われる。このことは、広汎な旅行の需要と供給の結果としか考えられず、当時既に、経済的関係のみで旅行を行うことが可能なシステムが存在していたと見なせる。また、旅籠代はかなりの部分で一泊二食二四文であるが、これは一五世紀初めの史料とも一致し、その他の料金にも大きな変動がないものがある。本史料は、長期的な価格変動の検討にも道を開いている。旅籠や昼食を提供しているそれぞれの場について見ると、外来者向けのサービスを自立したものとして持っており、近世に引き継がれたものも多い。近世の交通体系は、このような中世段階で自然発生的に成立していた旅行のシステムを前提にしてできたものと言うことができる。
著者
小島 道裕
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.140, pp.201-211, 2008-03-31

筆者は,博物館におけるレプリカの意味について既に考察しているが,本稿では,歴史展示における模型の意味について考察した。歴史を展示する方法には,現存する過去の遺品を展示する方向と,展示テーマに沿って過去の情景を再現しようとする方向の2つがあり,模型は特に後者においてしばしば用いられるが,過去の再現としては不可避的に不完全なものであり,原理的にはそこから直接歴史を学ぶことは出来ない。しかし,実際の歴史,ないし現存する遺跡・遺物などへリンクするための,総合的・立体的な索引ないし入り口として考えれば,資料から歴史像を構成するという展示の本来的役割を促進させる意味で,その正当性を確保しうる。それは現実の歴史に対して歴史展示自体が持つ意味でもある。既存の模型を活用する実例,すなわち,復元模型の意味を,固定されたイメージ=「結論」ではなく,さまざまな情報へと開かれた「入り口」(索引)として読み直す試みとして,当館における「京都の町並み」模型にデジタルコンテンツを付加した事例を紹介した。またそこでは,模型の全体像を認識することの困難さという,作り手と受け手(観客)のギャップの問題についても考察することができた。
著者
小島 道裕
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.443-460, 1993-02-26

近年つくられた多くの歴史系博物館ではレプリカ資料の使用が盛行しているが,それが博物館において「何」であり,いかなる形で用いることができるのかについては十分な共通理解のないのが現状である。本稿はこれについて主に技術的な面からその性格と限界を明らかにし,それによって,レプリカ資料が研究に,また展示においてどのように用いることが可能かを考察した。レプリカは原品の持つ情報の一部のみを転写したものだが,その転写は,どの様な技法の場合でも製作者の主観にかなりの程度頼る方法で行なわれており,厳密な客観性が保証されているとは言えない。従ってレプリカは研究資料としては写本の一つとして,また展示では特定のシナリオの中においてのみその正当性を主張し得る。またレプリカの製作は,それ自体が資料研究の行為と位置付けることができる。
著者
小島 道裕
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.145, pp.317-347, 2008-11

京都とその周辺を描いた「洛中洛外図屏風」の内、室町期の景観を持つ「初期洛中洛外図屏風」四本は、大名上杉家に伝来した上杉本を除いて、制作事情が明らかでなかった。本稿では、屏風の中に「登場人物」と言える個人の像を検出することによって、その主題を明らかにし、初期洛中洛外図屏風全体についても統一的な理解を試みた。最も古い「歴博甲本」は、一五二五年に、室町幕府の実権を握っていた細川高国が、嫡子稙国への家督譲渡と新たな将軍御所の建設を契機として、自らの事績を描かせたものであり、作者は幕府御用絵師の狩野元信である。「東博模本」は、細川晴元の政権を中心主題として描いたものであり、「上杉本」は、細川氏の館を中心とする構図をそのまま用いながら、管領が細川氏から上杉氏に代わるというメッセージを表している。「歴博甲本」に始まる「権力者とその統治する都市」という主題の屏風は、その後も狩野派によって受け継がれていくが、「歴博乙本」にはそのような権力者を顕彰する主題は見いだしがたい。名所絵・風俗画として描かれたと考えられ、近世に量産される洛中洛外図屏風の先駆と位置づけられる。In the versions of "Rakuchu-Rakugai-Zu Byobu" (folding screens depicting scenes in and around Kyoto), except for the Uesugi version handed down in the Uesugi family of daimyo (feudal lords), the production background to the four early versions of "Rakuchu-Rakugai-Zu Byobu", which contain scenes of Muromachi Bakufu, had yet to be clarified. In this article, I clarified the works' themes by detecting within the folding screens the images of individuals that could be called "characters," and I have attempted to obtain a unified understanding of all early versions of Rakuchu-Rakugai-Zu Byobu.The oldest – the "Rekihaku A version" – was produced in 1525, when Hosokawa Takakuni, who was at the helm of the Muromachi Bakufu, had his achievements depicted by the Bakufu painter, Kano Motonobu, on the occasion of the transfer of responsibility for the family to his son Hosokawa Tanekuni, and the building of a new palace for the Shogun. The regime of Hosokawa Harumoto is depicted as the main theme in the "Tohaku replica," and in the "Uesugi version" and although the composition still has the Hosokawa residence at its center, there is an inscription stating that the office of the Kanrei (Shogun's Deputy) was taken over by the Uesugi family from the Hosokawa family.The theme of "the person in authority and the city ruled by him" first appears in the "Rekihaku A version" and was handed down in the Kano School; but themes that praise the authorities cannot be found in the "Rekihaku B version." The piece must therefore have been created as a landmark guide/genre painting, and can be identified as the pioneer of the Rakuchu-Rakugai-Zu Byobu commercially produced in early modern times.
著者
小島 道裕
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.180, pp.107-128, 2014-02-28

洛中洛外図屏風歴博甲本は、現存最古の洛中洛外図屏風として知られているが、制作された目的や、発注者については明らかでなく、作者についても定説を見ない状況が続いていた。これに対して筆者は、描かれた事物の分析によって、室町幕府の実権を握る細川高国が、将軍足利義晴のために御所を自邸の付近に造り、家督を嫡子稙国に譲ったことを契機として、絵師狩野元信に発注した、という仮説を立てた。しかし、発表後に、これに対する批判も出されたため、今回の共同研究での成果も踏まえて、それらについて検討を行なった。描かれた将軍御所が何であるかは、年代や制作目的の鍵となる問題だが、筆者が想定したとおり、細川高国が造った「柳の御所」であることが、文献史料の再検討から確定し、発注者は、細川高国ないしその周辺であることが明らかとなった。作者については、土佐派とする説は積極的な根拠がなく、狩野松栄とする説も時代的に無理があって、画風からも歴史的背景からも、美術史のこれまでの通説通り、狩野元信周辺に求めるのがやはり妥当である。筆者の説を否定する立場の黒田日出男氏は、この間いくつかの論考を発表しているが、結果的には筆者の説とほとんど変わらないものとなっており、異なる部分については黒田氏の方が誤っていることを指摘した。筆者の解釈や記述にも誤りや不十分な点があったが、本共同研究をはじめとするこの間の研究の進展で、総体的には学界としての定説に近づいていると言える。