著者
吉川 聡 渡辺 晃宏 綾村 宏 永村 眞 遠藤 基郎 山本 崇 馬場 基 光谷 拓実 島田 敏男 坂東 俊彦 浅野 啓介 石田 俊 宇佐美 倫太郎 海原 靖子 大田 壮一郎 葛本 隆将 黒岩 康博 桑田 訓也 古藤 真平 小原 嘉記 坂本 亮太 島津 良子 高田 祐一 高橋 大樹 竹貫 友佳子 谷本 啓 徳永 誓子 富田 正弘 中町 美香子 長村 祥知 根ヶ 山 泰史 林 晃弘 藤本 仁文 水谷 友紀 山田 淳平 山田 徹 山本 倫弘 横内 裕人 栗山 雅夫 佃 幹雄
出版者
独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009-04-01

東大寺図書館が所蔵する未整理文書のうち、中村純一寄贈文書と、新修東大寺文書聖教第46函~第77函を調査検討し、それぞれについて報告書を公刊した。中村文書は内容的には興福寺の承仕のもとに集積された資料群であり、その中には明治維新期の詳細な日記があったので、その一部を翻刻・公表した。また中村文書以外の新修東大寺文書からは、年預所など複数の寺内組織の近世資料群が、元来の整理形態を保って保存されている様相がうかがえた。また、新出の中世東大寺文書を把握することができた。
著者
徳永 誓子
出版者
中世史研究会
雑誌
年報中世史研究 (ISSN:03888916)
巻号頁・発行日
no.27, pp.75-100, 2002
著者
徳永 誓子 トクナガ セイコ Seiko TOKUNAGA
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2013-03-22

「融通念仏縁起」は融通念仏の創唱者といわれる平安時代の念仏僧良忍の伝記と彼の勧めにより念仏に交衆した人びとの逸話をおさめた絵巻である。正和3年(1314)に制作された縁起原本は確認されていないが、14世紀後半から15世紀にかけて作られたものを中心に、田代尚光氏により30本弱の写本の現存が確認されている。本稿では、現存写本のうち、田代氏の分類でいう古様式形態本9点および新様式形態本2点、計11点の比較検討を通じて、写本転写過程の見直しと縁起原本制作背景の究明を試みた。具体的な考察は以下のように進めた。まず、本稿が正和原本に最も近しいと推察したアメリカ合衆国フリア美術館蔵本について、他写本と相違が大きい二つの段、第15段牛飼童妻難産段と第17段正嘉疫癘段を取りあげ、その内容を検討した。その際、「絵画史料論」を提唱した黒田日出男氏にならい、絵画に描かれた事物に対し詳細な分析を加えた。その結果、該当段のいずれについても、フリア本には詞書を的確に踏まえ、物語世界を重層的に深める図様が描かれていることを指摘した(第一章・第二章)。続いて、前記の二段について対象諸写本の図様を比較検討し、両段ともに、現存写本について次のような転写過程を想定するのが最も適切であるとの結論を得た(第三章)。フリア本――知恩院本――義尚本――根津美術館本――大念仏寺(A)本――聞名寺本――シカゴ・クリーブランド本――家高模本――明徳版本他なお、例外的に上記の転写過程が当てはまらない第18段光明遍照段を対象に、別途、考察を行った。そして、シカゴ・クリーブランド本の位置づけが異なる点を除けば、当該段についても上記仮説を概ね敷衍しうること、当該段のフリア本図には鎌倉幕府将軍庇護下での融通念仏勧進が表現されているとも推測できること、以上の2点を明らかにすることができた(第四章)。ついで、これまでの考察結果に基づき、正和原本の成立背景を追求した。まず、縁起に含まれる逸話のうち正嘉疫癘段のみが時代・舞台ともに他と異なり、そこに特別な意味が読みとられること、また、14世紀後半から15世紀前半にかけて写本の大量制作を進めた勧進僧良鎮が浄土宗鎮西派に近しい人脈に属したこと、この二点を指摘した。それらの点を踏まえ、縁起原本は正嘉疫癘段の舞台与野郷周辺、すなわち関東地方において浄土宗鎮西派周辺の念仏僧によって作られた可能性があると論じた。また、融通念仏をひろめる対象としてその地の土豪・有力農民を想定したからこそ、フリア本に残存する独特の図様が選ばれたと考えた(第五章)。以上の考察を通じて、本稿は「融通念仏縁起」に関し従来とは全く異なる説を呈するにいたった。その要点は以下のようにまとめられる。①現存写本のうち最も正和原本の形態を留めているのは、先行研究が「原本に忠実」な最古本と評価してきたシカゴ・クリーブランド本ではなくフリア本である。シカゴ・クリーブランド本は、古様式形態本の中ではむしろ比較的遅い時期に制作されたと推測できる。②原本が成立した14世紀初頭から15世紀の間に「融通念仏縁起」制作の勧進を担った人びとは、浄土宗鎮西派に近しい存在であり、熟さないながらも一宗派を形成しようという志向を有していた。ただし、彼らの動きは16世紀には断絶し後代に繋がることはなかった。本稿は、1980年代以後に確立した学際的な物語絵研究の視角に学び、従来の仏教史、美術史、日本中世史、民俗の各学問領域における関心の重なりとずれを意識し、それらが見落としてきたものをすくいとることを目指した。その視座によって新たな「融通念仏縁起」像を提示し、これまで看過されていた日本中世信仰世界の一端を明らかにしえたものと考える。