著者
山田 徹
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.123, no.9, pp.1644-1669, 2014

Goryosho 御料所, which are thought to have been the feudal estates under the direct jurisdiction of the Muromachi Bakufu shoguns, have been the focus of historians interested in medieval affairs beginning from regime of Ashikaga Yoshimasa on and have been characterized as being placed in the charge of the Bakufu's direct military vassals (hokoshu 奉公衆) and managed by its Bureau of Household Affairs (Mandokoro 政所). Due to this rather unbalanced image, it has become difficult to proactively evaluate various important aspects of Goryosho, such as its fiscal revenues. To begin with, if we focus on Goryosho during the Muromachi period as estates entirely prioritized as feudal holdings totally exempt from taxes and duties, the conventional characterization of them all having been placed in the hands of hokoshu becomes too limited, for such holdings had also been bestowed on kinsfolk of the Muromachi Shogunate Family, the patriarch of which the author of this paper refers to as Muromachi-dono 室町殿. Moreover, not only the Bakufu's hokoshu, but also its military provincial governors (shugo 守護) were the recipients of Goryosho holdings; and when we consider the Bakufu's golden age from the regime of Ashikaga Yoshimitsu, through that of Yoshinori, focusing exclusively on the estates managed by the Mandokoro becomes very problematic. Bringing into view such inconsistencies in the research to date, the author of this article attempts to reexamine what is known factually about Goryosho during the Bakufu's Yoshimatsu-Yoshinori golden age, in order to show that among Goryosho, there existed estates that were huge in terms of both capacity and the revenue they generated. The author also argues that the importance of Goryosho among the provinces should be reevaluated, indicating that the large scale revenues from its estates (shoen 荘園) were also generated in even the remotest regions, making the Ashikaga Shogun Family one of the elite among all shoen proprietors. Finally, turning to the fact that Goryosho estates were also bestowed upon kinsfolk of the Ashikaga Family, and often replaced and redistributed by each Muromachi-dono, the author again points to the importance of the Ashikaga Shogunate Family as a full-fledged shoen proprietor, a characteristic that has not been given sufficient attention in the research to date.
著者
早島 大祐 大田 壮一郎 衣川 仁 谷 徹也 坪井 剛 小原 嘉記 山田 徹
出版者
京都女子大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

中世後期の都鄙関係の実態を分析するにあたり、この時期に台頭した守護の動向を押さえる作業は重要である。 しかし近年進められた守護所研究などにおいて、守護所の国支配の中心としての機能は低いと指摘されている。本研究ではこれまで全く注目されていなかった、守護が分国に創建した菩提寺(国菩提寺)の役割に注目することで、守護の分国支配の実態、ひいては分国と京のあいだの都鄙交通の実態を解明することが目的である。具体的には禅僧の移動や荘園の代官請などを通じて、京ともつながっていた国菩提寺の実態を明らかにし、守護 所研究の成果ともつきあわせることで、守護による分国支配が複合的に進展していたことが明らかになると予想されるだろう。最終年度にあたり本年度は、成果の集約にむけて、報告会などを中心に活動した。(1)最終の調査旅行を8月23~24日にかけて行った。調査地は北陸方面だった。(2)成果執筆会議を9月1~2日にかけて京都女子大学にて開催した。(3)さらに上記日程で報告できなかった関係者には、10月9日に報告を行った。(4)以上、([2)~(3)の報告と質疑を経て、最終報告会を12月26~27日に開催した。以上の検討を経た上で、『中近世武家創建禅院の研究』(仮題)を2019年度に刊行予定である。
著者
荻堂 優子 山田 徹太郎
出版者
Meeting of Osaka Dermatological Association
雑誌
皮膚 (ISSN:00181390)
巻号頁・発行日
vol.40, no.4, pp.345-350, 1998 (Released:2010-08-25)
参考文献数
16

消炎鎮痛外用剤中に含まれるクロタミトンによるアレルギー性接触皮膚炎の3例を報告した。症例1は79歳の男性で, モーラス®を貼付し紅斑が出現した。48時間貼布試験でクロタミトンを含んだ経皮消炎鎮痛剤と10%クロタミトンに陽性だった。症例2は48歳の女性で, 経皮消炎鎮痛剤を貼付し, 紅斑が出現した。24時間貼布試験でクロタミトンを含んだ経皮消炎鎮痛剤と0.5%クロタミトンに陽性を示した。症例3は39歳の女性で, セルタッチ®を貼付し, 紅斑が出現した。24時間貼布試験でクロタミトンを含んだ経皮消炎鎮痛剤と0.5%クロタミトンに陽性を示した。3症例ともクロタミトンを含んでいない経皮消炎鎮痛剤では貼布試験は全て陰性だった。
著者
坂本 祐太 甘利 貴志 寄持 貴代 山田 徹 小野 美奈
出版者
日本ヘルスサポート学会
雑誌
日本ヘルスサポート学会年報 (ISSN:21882924)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.25-32, 2019 (Released:2020-01-11)
参考文献数
25

目的:地域在住高齢者の5 回立ち上がりテスト(Sit to Stand-5、以下、SS-5)におけるQuality Of Life (以下、QOL)低下のカットオフ値を算出する。方法:一次介護予防事業に参加した65 歳以上の参加者155 名を対象に、SS-5 とEuro QOL 5 dimension の項目で主観的にQOL を評価した。Euro QOL 5 dimension は項目を正常と低下の2 群とした。カットオフ値はReceiver Operating Characteristic曲線のAria under curve (以下、AUC)により算出した。結果:SS-5 のカットオフ値は、それぞれ「移動の程度」で10.0 秒(AUC=0.72)、「普段の活動」で10.0 秒(AUC=0.77)、「痛み/不快感」で8.3秒(AUC=0.77)であった。結論:この研究ではSS-5 のカットオフ値を検証した。SS-5 におけるQOL 低下のカットオフ値は下肢とQOL の関連を示し、運動の動機づけするための具体的な目標値となる可能性が有る。
著者
吉川 聡 渡辺 晃宏 綾村 宏 永村 眞 遠藤 基郎 山本 崇 馬場 基 光谷 拓実 島田 敏男 坂東 俊彦 浅野 啓介 石田 俊 宇佐美 倫太郎 海原 靖子 大田 壮一郎 葛本 隆将 黒岩 康博 桑田 訓也 古藤 真平 小原 嘉記 坂本 亮太 島津 良子 高田 祐一 高橋 大樹 竹貫 友佳子 谷本 啓 徳永 誓子 富田 正弘 中町 美香子 長村 祥知 根ヶ 山 泰史 林 晃弘 藤本 仁文 水谷 友紀 山田 淳平 山田 徹 山本 倫弘 横内 裕人 栗山 雅夫 佃 幹雄
出版者
独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009-04-01

東大寺図書館が所蔵する未整理文書のうち、中村純一寄贈文書と、新修東大寺文書聖教第46函~第77函を調査検討し、それぞれについて報告書を公刊した。中村文書は内容的には興福寺の承仕のもとに集積された資料群であり、その中には明治維新期の詳細な日記があったので、その一部を翻刻・公表した。また中村文書以外の新修東大寺文書からは、年預所など複数の寺内組織の近世資料群が、元来の整理形態を保って保存されている様相がうかがえた。また、新出の中世東大寺文書を把握することができた。
著者
山田 徹志 宮田 真宏 中村 友昭 前野 隆司 大森 隆司
出版者
一般社団法人 日本教育工学会
雑誌
日本教育工学会論文誌 (ISSN:13498290)
巻号頁・発行日
pp.44010, (Released:2020-11-27)
参考文献数
25

本論文では,保育分野(就学前教育・養育)において「子どもの育ち」を解釈する為の新たな方策として,子どもの位置・向き情報から関心を推定する分析手法の開発について報告する.我々はこれまでの研究から保育者が経験的に子どもの関心を読み取る際,子どもの位置・向きという行動特徴量を参照することを示した.同時に,人による関心状態の評価に対してベイズ推定を用いることで定量化できることが示唆された.これらをうけ本研究では,記録した保育活動場面の映像データ中の子どもの位置・向き情報と関心の対象について保育者によるアノテーションを実施した.その後,人手による関心記述の行動尤度と機械学習(HMM法,LDA法)による行動尤度を比較分析した.結果,取得した保育活動場面における幼児18名の関心の傾向は位置・向き情報から推定可能であることが示された.
著者
澤田 太一 山田 徹
出版者
公益社団法人 石油学会
雑誌
Journal of the Japan Petroleum Institute (ISSN:13468804)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.121-128, 2018-03-01 (Released:2018-03-01)
参考文献数
30
被引用文献数
4

反応時間の短縮 · 副反応の抑制 · 収率の改善などを目的としたマイクロ波の有機合成反応への利用が今日活発になされている。マイクロ波による加熱は反応系内部から迅速に起きるため,一般にこれらの利点は熱的効果によるとされる。一方で,単純な熱的効果のみでは説明が困難な現象も報告されている。最近我々の研究グループは,いくつかの不斉合成反応がマイクロ波照射によってエナンチオ選択性を保持したまま加速されることを報告した。これらの結果は単純な熱的効果では説明することができず,マイクロ波特異効果(非熱的効果)の寄与が実験的に明らかとなった。ここでは我々のマイクロ波特異効果に関する最近の研究成果,すなわちビアリールラクトン類の不斉開環反応,光学的に純粋なビアリールラクトン類のラセミ化反応,不斉Claisen転位反応,不斉Conia-ene反応,閉環メタセシス反応における検証結果を紹介する。
著者
山田 徹雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.172-150, 1982-03-15

帝制ドイツ建設期における国内市場の在り方をめぐる議論には, 二つの対立する見解-「統合」論と「地域分化」論-がみられる。国内市場形成の錠を握る鉄道建設の進展及びそれにともなう商品流通の深化は, なるほどドイツ経済の「統合」に促進的ではあったが, 地域間競争を排除するものではなかった。即ち, 長距離の幹線建設が地域的市場相互間の商品流通を促進し, 統一的な国内市場の形成に寄与したのに対し, ローカル線建設は工業生産の中心地を核に地域経済的循環を強化することすらあった。こうした脈絡のうちに帝制期フランケン地方の商品流通構造を確定すれば, 次のようになる。ニュールンベルクの工業生産と周辺地域の農業生産との間にみられる分業関係は, 同地方の再生産の基底をなしていた。しかし, 同地方は工業原料及び同製品の調達にあたり, 中部ドイツを始めとする国内のさまざまな地域と市場関係を結ぶ一方, 農産物の地域内自給率は相当高いにせよ, 南バイエルンの穀物生産との関係も無視できない。こうした流通構造は, フランケン地方に二種類の市場的な展望を開かせることになる。即ち, 同地方の農産物と中部ドイツの工業生産物の交換の可能性は, 前者の後者への市場的包摂を展望するものであり, またフランケン地方の工業製品と南バイエルンの農産物の交換は, 「バイエルン」市場をも展望しうる。にもかかわらず, 同地方は隣接地域の市場形成力が衝突し, 相殺しあうという緊張関係の為に, 地域内の分業関係が豊かに形成され, また逆に, 地域内分業の進展が隣接市場への包摂を阻止するという均衡状態にあった。その際, 流通の結節点であり, また地域的な生産拠点であるニュールンベルクの位置は, そこから放射線状に伸びる鉄道によって確固たるものとなっていた。
著者
山田 徹雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.89-102, 2004-03-15

産業革命期のバイエルンが「農業的・小経営的」経済像として描かれている一方, 現在のミュンヘンを中心とする地域はハイテク産業の発展によって特徴付けられている。この対立するバイエルン経済像を生んだ要因を検証するための一作業として現代のバイエルン, ミュンヘンを統計資料に依拠して把握した。その結果, バイエルンは現在のEUにおいて, 一国規模の経済力を有し, オーバーバイエルンの中心都市ミュンヘンは, ドイツの他の都市より抜きん出て経済が堅調であること, また, ミュンヘン地域の発展にとって周辺地域の雇用創出効果がその重要性を増していることが明らかになった。