著者
富田 正弘
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.192, pp.129-170, 2014-12

早川庄八『宣旨試論』の概要を章毎に紹介しながら少し立ち入って検討を加え,その結果に基づいて,主として早川が論じている宣旨の体系論と奉書論に対して,いくつかの感想めいた批判をおこなってみた。早川の宣旨論は,9・10世紀における諸々の宣旨を掘り起こし,その全体を誰から誰に伝えられたかという機能に即して整理をおこない,その体系化を図ろうとしたものである。上宣については,「下外記宣旨」・「下弁官宣旨」・「下諸司宣旨」に及び,上宣でないものについては,「検非違使の奉ずる宣旨」,「一司内宣旨」,「蔵人方宣旨」まで視野に入れて,漏れなく説明し尽くしている。ここに漏れているものは,11世紀以降にあらわれる地方官司における国司庁宣や大府宣,官司以外の家組織ともいうべき機関における院宣・令旨・教旨・長者宣などであり,9・10世紀を守備範囲とする『宣旨試論』にこれらを欠く非を咎めだてをすることはできない。強いて早川の宣旨体系論の綻びの糸を探し出そうとするならば,唯一天皇の勅宣を職事が奉じて書く口宣と呼ばれる宣旨について論及していない点である。それほどに,早川の宣旨論は完璧に近い。つぎに早川は,宣旨とその施行文書との関係を論じ,奈良時代に遡って宣旨を受けて奉宣・承宣する施行文書に奉書・御教書の機能を発見する。そのうえで,従来の古文書学が,宣旨や奉書・御教書を公家様文書として平安時代に誕生したと説く点を厳しく批判する。早川が説くように宣旨の起源も,奉書・御教書の機能をもつ文書の起源も,8世紀に遡るという指摘は傾聴に値する。しかし,宣旨を施行する公式様文書が全て奉書・御教書の機能をもつという点には疑問がある。上宣を受けて出される官宣旨は奉書としての機能をもつとしても,上宣を受けて出される官符は差出所である太政官に上卿自身が含まれているわけであるから,奉書的な機能はないというべきである。また,従来の古文書学で奉書・御教書が平安時代に多く用いられる意義を強調するのは,奉書的機能に関わって論じられているのではなく,奉書・御教書が書札様文書・私文書であることに意義を見出して論じられているのである。したがって,早川の批判にも拘わらず,従来の古文書学における公家様文書という分類はなお有効性をもっている。もちろん,これによっても,早川の宣旨論は,古代古文書学におけてその重要性がいささかも色褪せるものではない。
著者
吉川 聡 渡辺 晃宏 綾村 宏 永村 眞 遠藤 基郎 山本 崇 馬場 基 光谷 拓実 島田 敏男 坂東 俊彦 浅野 啓介 石田 俊 宇佐美 倫太郎 海原 靖子 大田 壮一郎 葛本 隆将 黒岩 康博 桑田 訓也 古藤 真平 小原 嘉記 坂本 亮太 島津 良子 高田 祐一 高橋 大樹 竹貫 友佳子 谷本 啓 徳永 誓子 富田 正弘 中町 美香子 長村 祥知 根ヶ 山 泰史 林 晃弘 藤本 仁文 水谷 友紀 山田 淳平 山田 徹 山本 倫弘 横内 裕人 栗山 雅夫 佃 幹雄
出版者
独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009-04-01

東大寺図書館が所蔵する未整理文書のうち、中村純一寄贈文書と、新修東大寺文書聖教第46函~第77函を調査検討し、それぞれについて報告書を公刊した。中村文書は内容的には興福寺の承仕のもとに集積された資料群であり、その中には明治維新期の詳細な日記があったので、その一部を翻刻・公表した。また中村文書以外の新修東大寺文書からは、年預所など複数の寺内組織の近世資料群が、元来の整理形態を保って保存されている様相がうかがえた。また、新出の中世東大寺文書を把握することができた。
著者
富田 正弘 湯山 賢一 永村 真 杉本 一樹 綾村 宏 田良島 哲 増田 勝彦 髙橋 裕次 池田 寿
巻号頁・発行日
1995-07

古代中世の文書料紙の歴史的変遷について、文献史料によって検討を加えてみると、檀紙・引合・杉原紙・鳥の子等の紙種が観察される。平安時代の文書料紙は、重要な公文書には紙屋紙が公紙として用いられていた。他方、軽微な文書や私文書などの料紙には、地方産の楮紙である檀紙が使用されていた。平安後期になると、檀紙が粗悪な紙屋紙を駆逐し、重要な公文書の料紙となるのである。鎌倉時代にはいると、京都においては、檀紙が公紙として発展し、大きく高檀紙と普通の檀紙とに分化する。後期には、普通の檀紙のうちから良質のものが引合と呼ばれ、上級貴族・僧侶の書状料紙として用いられた。鎌倉においては、幕府の下文・下知状等には御下文紙(後の鎌倉紙)が用いられ、他方幕府の御教書や武士の書状などには杉原紙が盛んに使用された。建武新政以後、関東武士が京都に大挙常住すると、鎌倉の紙使いが京に持込まれ、また武家が京都の紙使いの影響を受け、互いに混淆し合う。公家・寺社においては、高檀紙から大高檀紙・小高檀紙の種別が現れ、近世の大鷹檀紙・小鷹檀紙への繋がり見えてくる。武家では、幕府文書の料紙の主役から鎌倉紙が消え、その地位は普通の杉原紙に取って代られる。後期には、書礼様文書の料紙としては、公武ともに引合や鳥の子を使用し始める。高檀紙は、秀吉の朱印状・判物の料紙に繋がっていき、また、この時期に現れる奉書紙は、引合の系譜を引く文書と言われる。また、古代中世の現存の文書料紙から検討すると、料紙の縦寸法・横寸法・縦横比率・厚さ・密度・簀目本数・糸目巾の時代的変遷を跡付けることができた。また、これらの共通の画期が室町時代と確認され、杉原紙の普及との関係が浮き彫りにされた。これらの研究成果は、まだ中間報告の域を出ないが、今後もこの研究体制を維持し、別の形で研究を続けていくことにより、この試論的成果を検証・訂正したいと思う。
著者
富田 正弘 湯山 賢一 池田 寿 吉川 聡 大藤 修 本多 俊彦 大川 昭典
巻号頁・発行日
2010-04

本研究は、作成年代の明記のない紙を素材とする文化財(文書・典籍・聖教・絵図)の年代推定について、非破壊調査である光学的観察によって行う方法論を確立することである。そのため、これらの文化財特に文書の原本の料紙を所蔵機関に出向いて調査を行った。その主なものは、東寺百合文書(京都府立総合資料館)・上杉家文書(米沢市上杉博物館)・東大寺文書(東大寺図書館)・醍醐寺文書(醍醐寺)・東福寺文書(東福寺)・津軽家文書(国立国文学研究資料館)で、合計1万点ほどの調書を採った。また、前近代の文書等の料紙について、本研究グループが推定した製法で実際にその紙ができるのか確かめるために、高知県紙産業技術センターの協力を得て、大高檀紙の吊り干し製作等、前近代文書料紙の復元製作実験を行った。さらに、中国唐代以前の紙と日本の奈良時代のそれとの繋がり、宋代以降の紙と日本のそれとの関わりを考えるため、中国・韓国を訪問し、文書・聖教の料紙を調査した。その結果、まず成果として確認できたことは、前漢時代の紙は文字を書く素材としては未熟であるが、繊維を水中に拡散させ簀で漉き上げるという製法は製紙と同じ技法であること、蔡倫以後の紙は筆記用の素材として優れたものであること、宋代以降の宣紙・竹紙の白さと滑らかさは江戸期の製紙に与えた影響が大きいと思われること、等を確認できた。日本の文書等料紙の変遷としては、奈良時代の麻紙・楮紙、平安時代から南北朝時代の檀紙・引合、室町時代の杉原紙・強杉原、桃山時代から江戸時代の大高檀紙・奉書紙・美濃紙、南北朝時代と戦国時代の斐紙、戦国時代以降の椏紙等のそれぞれの時代の特徴的な料紙を捉えることができた。また、戦国時代の関東武士の発給文書の料紙は前時代に対し特異であり、それが江戸時代の製紙に与えた影響については、改めて考える必要があることが分かってきた。これらの成果は、料紙の時代判定の基準として充分に使えるものである。
著者
富田 正弘 杉本 一樹 綾村 宏 増田 勝彦 永村 真 湯山 賢一 黒川 高明
出版者
富山大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1992

古代中世の文書料紙の歴史的変遷について、文献史料によって検討を加えてみると、檀紙・引合・杉原紙・鳥の子等の紙種が観察される。平安時代の文書料紙は、重要な公文書には紙屋紙が公紙として用いられていた。他方、軽微な文書や私文書などの料紙には、地方産の楮紙である檀紙が使用されていた。平安後期になると、檀紙が粗悪な紙屋紙を駆逐し、重要な公文書の料紙となるのである。鎌倉時代にはいると、京都においては、檀紙が公紙として発展し、大きく高檀紙と普通の檀紙とに分化する。後期には、普通の檀紙のうちから良質のものが引合と呼ばれ、上級貴族・僧侶の書状料紙として用いられた。鎌倉においては、幕府の下文・下知状等には御下文紙(後の鎌倉紙)が用いられ、他方幕府の御教書や武士の書状などには杉原紙が盛んに使用された。建武新政以後、関東武士が京都に大挙常住すると、鎌倉の紙使いが京に持込まれ、また武家が京都の紙使いの影響を受け、互いに混淆し合う。公家・寺社においては、高檀紙から大高檀紙・小高檀紙の種別が現れ、近世の大鷹檀紙・小鷹檀紙への繋がり見えてくる。武家では、幕府文書の料紙の主役から鎌倉紙が消え、その地位は普通の杉原紙に取って代られる。後期には、書礼様文書の料紙としては、公武ともに引合や鳥の子を使用し始める。高檀紙は、秀吉の朱印状・判物の料紙に繋がっていき、また、この時期に現れる奉書紙は、引合の系譜を引く文書と言われる。また、古代中世の現存の文書料紙から検討すると、料紙の縦寸法・横寸法・縦横比率・厚さ・密度・簀目本数・糸目巾の時代的変遷を跡付けることができた。また、これらの共通の画期が室町時代と確認され、杉原紙の普及との関係が浮き彫りにされた。これらの研究成果は、まだ中間報告の域を出ないが、今後もこの研究体制を維持し、別の形で研究を続けていくことにより、この試論的成果を検証・訂正したいと思う。
著者
富田 正弘 湯山 賢一 永村 眞 綾村 宏 藤井 譲治 大藤 修
出版者
富山大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2006

本研究は、作成年代の明記のない紙を素材とする文化財(文書・典籍・聖教・絵図)の年代推定について、非破壊調査である光学的観察によって行う方法論を確立することである。そのため、これらの文化財特に文書の原本の料紙を所蔵機関に出向いて調査を行った。その主なものは、東寺百合文書(京都府立総合資料館)・上杉家文書(米沢市上杉博物館)・東大寺文書(東大寺図書館)・醍醐寺文書(醍醐寺)・東福寺文書(東福寺)・津軽家文書(国立国文学研究資料館)で、合計1万点ほどの調書を採った。また、前近代の文書等の料紙について、本研究グループが推定した製法で実際にその紙ができるのか確かめるために、高知県紙産業技術センターの協力を得て、大高檀紙の吊り干し製作等、前近代文書料紙の復元製作実験を行った。さらに、中国唐代以前の紙と日本の奈良時代のそれとの繋がり、宋代以降の紙と日本のそれとの関わりを考えるため、中国・韓国を訪問し、文書・聖教の料紙を調査した。その結果、まず成果として確認できたことは、前漢時代の紙は文字を書く素材としては未熟であるが、繊維を水中に拡散させ簀で漉き上げるという製法は製紙と同じ技法であること、蔡倫以後の紙は筆記用の素材として優れたものであること、宋代以降の宣紙・竹紙の白さと滑らかさは江戸期の製紙に与えた影響が大きいと思われること、等を確認できた。日本の文書等料紙の変遷としては、奈良時代の麻紙・楮紙、平安時代から南北朝時代の檀紙・引合、室町時代の杉原紙・強杉原、桃山時代から江戸時代の大高檀紙・奉書紙・美濃紙、南北朝時代と戦国時代の斐紙、戦国時代以降の椏紙等のそれぞれの時代の特徴的な料紙を捉えることができた。また、戦国時代の関東武士の発給文書の料紙は前時代に対し特異であり、それが江戸時代の製紙に与えた影響については、改めて考える必要があることが分かってきた。これらの成果は、料紙の時代判定の基準として充分に使えるものである。