著者
武内 樹治 高田 祐一
出版者
デジタルアーカイブ学会
雑誌
デジタルアーカイブ学会誌 (ISSN:24329762)
巻号頁・発行日
vol.6, no.2, pp.e16-e20, 2022-05-06 (Released:2022-04-04)
参考文献数
15

文化財の継承・保存・活用にはオープンデータの公開が有用であり、政府によって文化財情報の公開が推奨されている。本研究は、日本全国の文化財に関するオープンデータの取り組みや公開状況を調査し、現状分析を行ったうえで課題を明らかにすることが目的である。調査の結果、推奨フォーマットを利用したうえで指定の項目まで一致したデータセットを公開している自治体はかなり限られており、再利用性に課題があることが明らかになった。推奨フォーマットに準拠した文化財オープンデータ公開自治体を増加させるには、より分かりやすく文化財に適したデータセット作成の仕組みを整備する必要がある。
著者
馬場 基 中川 正樹 久留島 典子 高田 智和 耒代 誠仁 山本 和明 山田 太造 笹原 宏之 大山 航 中村 覚 渡辺 晃宏 桑田 訓也 山本 祥隆 高田 祐一 星野 安治 上椙 英之 畑野 吉則
出版者
独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所
雑誌
基盤研究(S)
巻号頁・発行日
2018-06-11

国際的な歴史的文字の連携検索実現のため、「IIIFに基づく歴史的文字研究資源情報と公開の指針」および「オープンデータに関する仕様」(第一版)を、連携各機関(奈良文化財研究所・東京大学史料編纂所・国文学研究資料館・国立国語研究所・京都大学人文学研究所・台湾中央研究院歴史語言研究所)と共同で策定・公表し、機関間連携体制の中核を形成した。また、上記「指針」「仕様」に基づく、機関連携検索ポータルサイト「史的文字データベース連携システム」の実証試験版(奈文研・編纂所・国文研連携)を令和2年3月に公開。令和2年10月には、台湾中研院・国文研・京大人文研のデータを加えて、多言語(英語・繁体中国語・簡体中国語・韓国語)にて本公開を開始した(https://mojiportal.nabunken.go.jp/)。なお、連携・サイト公開は、国内および台湾メディアで報道された。木簡情報の研究資源化として、既存の木簡文字画像(約10万文字)をIIIF形式に変換した。また、IIIF用の文字画像切出ツールを開発し、新規に約15,000文字(延べ)のデータを作成した。過年度と合わせて合計約115,000文字の研究資源化を実現した。文字に関する知識の集積作業として、木簡文字観察記録シートを約50,000文字(延べ)作成した。なお、同シートによる分析が、中国簡牘・韓国木簡にも有効であることが確認されたことを踏まえ、東アジア各地の簡牘・木簡文字の観察作業も実施した。国際共同研究・学際研究として、令和1年9月に、東アジア木簡に関する国際学会を共催した(北京)。当初、国際学会の開催は、研究計画後半での実施を予定していたが、本研究遂行にあたっての共同研究等の中で、学会共催の呼びかけを受け、予定を繰り上げて国際学会を共催した。また、人文情報学の国内シンポジウム等において、IIIF連携等本研究の成果を報告した。
著者
高田 祐一 昌子 喜信 矢田 貴史
出版者
デジタルアーカイブ学会
雑誌
デジタルアーカイブ学会誌 (ISSN:24329762)
巻号頁・発行日
vol.3, no.2, pp.99-102, 2019-03-15 (Released:2019-06-01)
参考文献数
5

文化財調査の現場においては、デジタル技術が浸透しつつある。デジタル機器によるデータ取得時の必要精度やファイル形式など、デジタルならではの留意すべき点がある。一方、デジタル技術の活用によって文化財に関する情報発信という点においては、広く周知するということが可能となった。特に発行部数に限りがあることから、閲覧環境の確保に課題のあった発掘調査報告書について、電子公開する事業が全国展開され、活発な利用がなされている。これらの動向に対応するため、文化庁はデジタル技術活用について、『埋蔵文化財保護行政におけるデジタル技術の導入について』にて対応指針を報告している。本稿では、行政における文化財情報の電子化と発信という点において、近年の動向を整理したうえで、課題と見通しを考察する。
著者
高田 祐一 野口 淳
出版者
独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所
雑誌
挑戦的研究(萌芽)
巻号頁・発行日
2021-07-09

高精度な地形デジタルデータ、機械学習の画像解析プログラム、既知の膨大な遺跡情報を組み合わせることで、GIS上で遺跡の新発見候補を自動抽出し、それをもとに現地調査することで遺跡を新発見する手法を開発する。遺跡は地域研究の基礎情報になるため、新たな遺跡の発見は、地域の歴史を詳らかにするうえで重要であり意義が大きい。効率的な発見手法は、歴史研究を加速させ、文化財保護にも貢献できる。実現するために、遺跡情報(位置と範囲)の整備(目的Ⅰ)、遺跡画像解析プログラム作成と処理(目的Ⅱ)、遺跡新発見と手法開発(目的Ⅲ)の3点を目的とする。
著者
吉川 聡 渡辺 晃宏 綾村 宏 永村 眞 遠藤 基郎 山本 崇 馬場 基 光谷 拓実 島田 敏男 坂東 俊彦 浅野 啓介 石田 俊 宇佐美 倫太郎 海原 靖子 大田 壮一郎 葛本 隆将 黒岩 康博 桑田 訓也 古藤 真平 小原 嘉記 坂本 亮太 島津 良子 高田 祐一 高橋 大樹 竹貫 友佳子 谷本 啓 徳永 誓子 富田 正弘 中町 美香子 長村 祥知 根ヶ 山 泰史 林 晃弘 藤本 仁文 水谷 友紀 山田 淳平 山田 徹 山本 倫弘 横内 裕人 栗山 雅夫 佃 幹雄
出版者
独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009-04-01

東大寺図書館が所蔵する未整理文書のうち、中村純一寄贈文書と、新修東大寺文書聖教第46函~第77函を調査検討し、それぞれについて報告書を公刊した。中村文書は内容的には興福寺の承仕のもとに集積された資料群であり、その中には明治維新期の詳細な日記があったので、その一部を翻刻・公表した。また中村文書以外の新修東大寺文書からは、年預所など複数の寺内組織の近世資料群が、元来の整理形態を保って保存されている様相がうかがえた。また、新出の中世東大寺文書を把握することができた。
著者
耒代 誠仁 高田 祐一 井上 幸 方 国花 馬場 基 渡辺 晃宏 井上 聡
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.351-359, 2018-02-15

古文書の研究者にとって,古文書デジタルアーカイブの活用を促すことは重要な課題である.本論文では,字形画像をキーとした横断検索技術による古文書Webデジタルアーカイブ活用への効果について述べる.字種は文書に対する現実的な検索キーの1つである.しかし,古文書において字形との対応は必ずしも確定しない.この課題を解決するために,私たちは字形画像をキーとした古文書Webデジタルアーカイブの横断検索を実装した.5カ月間の実験で入力されたキー数は合計で200,000件を超えた.これは字種による横断検索の件数と比較しても十分に大きい.また,私たちは古文書解読の専門家による評価実験を実施した.専門家は,使いなれた画像処理ソフトウェアを搭載したPCもしくは筆者らが作成した画像処理ソフトウェアを搭載したiPod Touch,またはその両方を使用した.「検索結果にキーと類似した画像が含まれるか」という旨の質問に対しては,すべての専門家が肯定的な回答を示した.検索精度と使い勝手の向上,および字形テンプレートの整備を通した活用のさらなる促進は今後の課題である.
著者
高田 祐一 たかた ゆういち Takata Yuichi 福家 恭
出版者
独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所
雑誌
奈良文化財研究所紀要 : 奈良文化財研究所紀要
巻号頁・発行日
no.2017, pp.14-15, 2017-06-30

慶長期の全国的な築城ラッシュにより日本の城郭石垣は、高石垣化と石垣石の規格化が進行した。元和・寛永期には、徳川幕府によって再築された大坂城の石垣構築技術は最高水準に達した。石垣石の規格化には、石割技術の進展が不可欠である。特に大坂城では石垣石が大型化しており、高度な巨石の石割技術があったと予想される。しかし、石材業が機械化された現代には、近世初期の石割技術および道具は残っていない。そこで本研究では近世初期の石割技術の矢穴技法に注目し、石割するための矢穴および道具を復元する。そして、慶長期の矢穴と元和・寛永期の矢穴形状において、石の割れ方の違いがあるか比較実験を実施する。割れ方の違いを考察することで、技術進展の本質をあきらかにできるだろう。なお矢穴技法とは、鉄製の楔である矢を矢穴に挿入し、石の割目を押し開けて石を割る技法である。
著者
廣瀬 覚 高田 祐一
出版者
独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所
雑誌
奈良文化財研究所学報 : 日韓文化財論集4
巻号頁・発行日
no.100, pp.1-43, 2021-03-31

本稿では、古代国家成立期の日韓の石工技術を比較し、その共通性と差異を確認する作業を通じて、古代日韓の石工技術の発展過程とその歴史的意義を追究した。古代日韓における石工技術の最大の相違は、矢穴技法による石材切断工程の有無にある。朝鮮半島では、三国時代には初源的な矢穴技法が出現するものの、その本格的な導入は7世紀中頃以降であり、統一新羅時代には特徴的な縦断面三角形の矢穴が登場する。高麗時代以降は再び方形矢穴に回帰することからも、三角形矢穴の展開は新羅の盛衰とほぼ軌を同じくしており、その背景には国家的造営事業を通じて専業化を遂げた石工集団の存在を推測することができる。また、新羅の矢穴技法は石材の成形を主目的とするものであり、採石自体は自然の節理や転石に大きく依拠するものであった。飛鳥時代初期に朝鮮半島から伝来した硬質石材の加工技術は、半島でも矢穴技法が未成熟の段階のもので、自然の転石・塊石をノミによる敲打で表面処理するだけの相対的に簡易なものであったとみられる。結果的に、7世紀中頃以降の石材加工の複雑化や消費の拡大に対して、半島では矢穴技法を用いて硬質石材を成形していくのに対し、同技法を欠く日本では軟質の凝灰岩を中心的素材とすることで、これに対処せざるを得なかったものと考えられる。そうした技術的相違が存在する一方で、日本、朝鮮半島ともに、国家の宗教的・政治的施設の造営事業を通じて7世紀後半に石工技術が急速に発達を遂げていく点では一致をみている。その背景には、強大な唐の圧力に対峙すべく、政治・文化諸制度を急ぎ整備していこうとする日韓に共通した国家的課題の存在を見て取ることができる。