著者
永井 晋 永村 眞 山家 浩樹 岡本 綾乃 西田 友弘 高橋 悠介 西岡 芳文 山地 純 井上 和人 永山 由梨絵
出版者
神奈川県立歴史博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

「重要文化財 金沢文庫文書」4149通について、その本文の校訂、年代推定、紙背文書を利用した関連文書群の復元を行い、「重要文化財 称名寺聖教」との接続の関係をあわせて考察し、称名寺収蔵資料群の一群としての金沢文庫古文書の資料的価値を定める努力を行った。その成果は、「金沢文庫文書検索システム」としてデータベースを構築し、インターネットでの公開をめざしたが、接続のための環境整備が調わず、金沢文庫図書室でのスタンドアローンとしての公開となった。データベースでは、古文書本文・書誌情報・画像(古文書表裏)を金沢文庫図書室で公開した。

5 0 0 0 OA 鎌倉仏教

著者
永村 眞
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.66, pp._1-_30, 2017 (Released:2018-10-20)
参考文献数
7

本論ではまず「鎌倉仏教」とは何かを考えておく必要がある。この「鎌倉仏教」という概念が、如何に定義されてきたのかを確認するため、「鎌倉仏教」を前面に掲げた先行研究をたどるならば、まず赤松俊秀氏の『鎌倉仏教の研究』(1957年)・『続鎌倉仏教の研究』(1966年)があげられる。両著は、「親鸞をめぐる諸問題」・「一遍について」・「慈円と未来記」、「親鸞をめぐる諸問題」・「源空について」・「覚超と覚鑁」・「愚管抄について」・「神像と縁起」等の論文をおさめ、主に浄土門の研究が「鎌倉仏教」の柱とされ、遁世者を通して顕教を見るという研究視角をとっている。次いで佐藤弘夫氏の『鎌倉仏教』(1994年)では、「法然の旅」・「聖とその時代」・「異端への道」・「仏法と王法」・「理想と現実のはさまで」・「襤褸の旗」・「熱原燃ゆ」・「文化史上の鎌倉仏教」等の論文において、顕・密を意識しながらも、浄土・法華に傾斜した関心とその展開を図っている。さらに仏教学・思想史という立場から書かれた末木文美士氏『鎌倉仏教形成論ー思想史の立場からー』(1998年)には、教理史へのこだわりのもとで、「鎌倉仏教への視座」・「顕と密」・「法然とその周辺」・「明恵とその周辺」「本覚思想の形成」・「仏教の民衆化をめぐって」等、黒田俊雄氏が提唱した「顕密仏教」の概念に基づく一連の研究への批判と対案の模索がなされている。 これら三氏の先行研究のみで結論を導くことは憚られるものの、いずれも「鎌倉仏教」という要語について明確な規定はなされておらず、「鎌倉」時代に展開した「仏教」という枠を越えるものではない。また時系列で「鎌倉仏教」と連結する「平安仏教」と関連付ける試みについても、共通理解が得られたとは言えない。また先行研究に共通するものは、祖師・碩学の著述によって「鎌倉仏教」の性格付けが試みられており、その検討作業のなかで、厚みのある仏教受容の検討、つまり僧侶集団による受容の解明は必ずしも重視されてこなかった。 「鎌倉仏教」を規定する上で、時系列上の存在意義、教学的な特質、社会的な受容のあり方など、その特異性を見いだすための指標は想定されるものの、それらを明快に語り尽くした研究は見いだし難く、また容易に解明できる課題とも思えない。 この「鎌倉仏教」を内包する中世仏教のあり方を検討する上で注目すべき成果は、黒田俊雄氏により提唱された「顕密仏教」という概念である。日本仏教史において通説として根付いていた「鎌倉新仏教」と「鎌倉旧仏教」の歴史学的な評価を大きく変えたのが、同氏の『日本中世の国家と宗教』・『王法と仏法』・『寺社勢力』等の一連の著作であった。黒田氏は、「密教」を基調に顕教が教学的に統合されるという認識を踏まえ、宗派史を越えた仏教史の構想のもとに、実質的に聖俗両界で正統の位置をしめる「顕密仏教」(「旧仏教」)と、異端派(「新仏教」)との対照を顕示した。すなわち中世に受容された仏教の正統として「旧仏教」を位置づけ、政治史(国政史)と密着した仏教のあり方こそが「顕密仏教」の正統たる所以とする。ここに顕在化する「正統」と「異端」の両者が分岐する時代のなかに「鎌倉仏教」の特質を見いだしたとも言える。しかし「正統」と「異端」という二極化した理解に対して、「異端」とされた浄土宗・真宗研究の側からの反論に加えて、両極化では説明しきれない多様性が、伝来した膨大な寺院史料の中から明らかになっている。 そこで中世仏教、とりわけ「鎌倉仏教」を、黒田氏の提示した密教を基盤におくとする仏教継承の母体としての寺院社会という側面から見るとともに、その検討素材として寺院史料の中核をなす教学活動の痕跡とも言える「聖教」に注目したい。諸寺院に伝来する多彩な「聖教」から、二極化では説明しきれない幅広い仏法受容の有様が実感される。すなわち「寺」・「宗」派という枠を越えた「聖教」の実相から、中世における仏法受容の多様性を検討する可能性を見いだすことにしたい(1)。 ここで「聖教」の語義であるが、本来ならば釈尊の教えを指すが、併せて諸宗祖師の教説へと拡がり、さらに「諸宗顕密経論抄物等」(「門葉記」巻74)という表現に見られる、寺僧による修学・伝授・教化に関わる幅広い「抄物」等の教学史料という広い意味で用いられるようになり、しかもその語義は時代のなかで併存していた。そこで近年の研究・調査においても使われる、「寺僧の修学・伝授・教化等のなかで生まれた多様な教学史料」という広い意味で「聖教」を用いることにする。 本論では、諸寺に伝来する「聖教」を素材として、層をなす僧侶集団が修学活動のなかで如何に仏法を受容し相承したのか、特に真言「密教」を中核にすえ、一側面からではあるが時代に生まれた特徴的な現象に注目して「鎌倉仏教」の特質を検討したい。
著者
山岸 常人 平 雅行 藤井 雅子 坪内 綾子 永村 眞 中川 委紀子 冨島 義幸
出版者
京都府立大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2017-04-01

日本の密教寺院に関しては、事相中心の古義真言教団と、教相中心の新義教団という図式的区分がある。古義教団の醍醐寺では、灌頂や諸尊法の伝授だけではなく、教相聖教の作成・書写・修学・法会が行われていた。一方の新義教団の寺院の実態は、これまで史料が乏しかったが、既往研究を踏まえつつ、智積院所蔵史料を調査することによって一挙に実態が明瞭となった。これらの史料蒐集の結果、高野山・醍醐寺・根来寺、さらに周辺の多くの地方寺院の間での聖教の書写・貸借を踏まえた修学・伝授のネットワークが確認され、事相・教相を総合的に受容する中世密教寺院の実態が明らかになった。新義・古義の教団理解にも修正を加えることとなった。
著者
永村 眞
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.1-25, 2003
著者
岡野 友彦 永村 眞 漆原 徹
出版者
皇學館大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

本研究では、室町時代の幕府発給文書に焦点を絞り、古文書がその「もの」として有する料紙などの非文字列情報と、古文書の上に書かれた文字列情報との間に、どのような有機的関連性があるのかを検討した。具体的には透過光を用いた古文書の顕微鏡撮影などによって、不純物をきれいに除去した紙と不純物の残る紙、わざと米粉を入れた紙と入れなかった紙に大別できること、その二つの組み合わせから、4種類の料紙に分類できることを確定した。これら4種類の紙が、それぞれ文字列情報としてどのような古文書に使用されているかの確定にまでは至らなかったが、一定の見通しを得ることはできた。
著者
吉川 聡 渡辺 晃宏 綾村 宏 永村 眞 遠藤 基郎 山本 崇 馬場 基 光谷 拓実 島田 敏男 坂東 俊彦 浅野 啓介 石田 俊 宇佐美 倫太郎 海原 靖子 大田 壮一郎 葛本 隆将 黒岩 康博 桑田 訓也 古藤 真平 小原 嘉記 坂本 亮太 島津 良子 高田 祐一 高橋 大樹 竹貫 友佳子 谷本 啓 徳永 誓子 富田 正弘 中町 美香子 長村 祥知 根ヶ 山 泰史 林 晃弘 藤本 仁文 水谷 友紀 山田 淳平 山田 徹 山本 倫弘 横内 裕人 栗山 雅夫 佃 幹雄
出版者
独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009-04-01

東大寺図書館が所蔵する未整理文書のうち、中村純一寄贈文書と、新修東大寺文書聖教第46函~第77函を調査検討し、それぞれについて報告書を公刊した。中村文書は内容的には興福寺の承仕のもとに集積された資料群であり、その中には明治維新期の詳細な日記があったので、その一部を翻刻・公表した。また中村文書以外の新修東大寺文書からは、年預所など複数の寺内組織の近世資料群が、元来の整理形態を保って保存されている様相がうかがえた。また、新出の中世東大寺文書を把握することができた。
著者
永村眞著
出版者
塙書房
巻号頁・発行日
1989
著者
永村 眞
出版者
中世文学会
雑誌
中世文学 (ISSN:05782376)
巻号頁・発行日
vol.63, pp.38-47, 2018
著者
永村 眞
出版者
中世文学会
雑誌
中世文学 (ISSN:05782376)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.7-15, 2003 (Released:2018-02-09)
著者
松野 陽一 山崎 誠 新藤 協三 岡 雅彦 中野 真麻理 永村 眞 落合 博志 鈴木 淳
出版者
国文学研究資料館
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
1997

本研究は各時代を代表する個人言語資料が多数残存する作家の自筆資料を網羅的に収集し、高精度の画像として時系列的に整理保存するとともに、これらの資料を科学的に判定する方法と技術を開発することを目的とした。最大の研究目標であった『自筆画像研究支援ツール』 (これは自筆本画像の任意部分とその解読文とを任意に関連づけ、コメントを付けてデータベースとして格納し、キーワードや任意文字列から、複数の部分画像を検索比較し印刷することのできる画期的なデータベースソフトである)に実際にデータを格納する実験を行い、プロトタイプ版の改良を継続した。現在NT版のみであるが、ほぼ研究上の諸要求に応えるものとして完成していることを検証した。試行版として世阿弥自筆『能本集』と後白河院自筆『梁塵秘抄断簡』を材料としてCD-ROM版を作成した。自筆本の資料調査と収集は所蔵者及び保存機関の許可が厳しいことから、写真による撮影を東大寺と真福寺に限定し、凝然と能信の自筆資料を中心に、それぞれのかなりの年代的幅を持つ個人言語資料自筆資料を収集した。これによって、筆跡の経年変化を分析する上で有力なデータが得られた。研究成果『自筆画像研究支援ツール』の改良と普及のために、平成十四年度学術振興会科学研究費補助金『古典籍・古文書解読のための自習システムの開発』を引き続き申請した。本研究の成果を国文学研究資料館の近くホームページで公開する予定である。
著者
富田 正弘 湯山 賢一 永村 眞 綾村 宏 藤井 譲治 大藤 修
出版者
富山大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2006

本研究は、作成年代の明記のない紙を素材とする文化財(文書・典籍・聖教・絵図)の年代推定について、非破壊調査である光学的観察によって行う方法論を確立することである。そのため、これらの文化財特に文書の原本の料紙を所蔵機関に出向いて調査を行った。その主なものは、東寺百合文書(京都府立総合資料館)・上杉家文書(米沢市上杉博物館)・東大寺文書(東大寺図書館)・醍醐寺文書(醍醐寺)・東福寺文書(東福寺)・津軽家文書(国立国文学研究資料館)で、合計1万点ほどの調書を採った。また、前近代の文書等の料紙について、本研究グループが推定した製法で実際にその紙ができるのか確かめるために、高知県紙産業技術センターの協力を得て、大高檀紙の吊り干し製作等、前近代文書料紙の復元製作実験を行った。さらに、中国唐代以前の紙と日本の奈良時代のそれとの繋がり、宋代以降の紙と日本のそれとの関わりを考えるため、中国・韓国を訪問し、文書・聖教の料紙を調査した。その結果、まず成果として確認できたことは、前漢時代の紙は文字を書く素材としては未熟であるが、繊維を水中に拡散させ簀で漉き上げるという製法は製紙と同じ技法であること、蔡倫以後の紙は筆記用の素材として優れたものであること、宋代以降の宣紙・竹紙の白さと滑らかさは江戸期の製紙に与えた影響が大きいと思われること、等を確認できた。日本の文書等料紙の変遷としては、奈良時代の麻紙・楮紙、平安時代から南北朝時代の檀紙・引合、室町時代の杉原紙・強杉原、桃山時代から江戸時代の大高檀紙・奉書紙・美濃紙、南北朝時代と戦国時代の斐紙、戦国時代以降の椏紙等のそれぞれの時代の特徴的な料紙を捉えることができた。また、戦国時代の関東武士の発給文書の料紙は前時代に対し特異であり、それが江戸時代の製紙に与えた影響については、改めて考える必要があることが分かってきた。これらの成果は、料紙の時代判定の基準として充分に使えるものである。