著者
星野 晋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.460-481, 2002-03-30
被引用文献数
1

本研究は、エホバの証人の輸血拒否を、新しい医療技術の開発によって医療現場で生じた文化摩擦であると位置づけ、この問題をめぐる日本の医療環境の変化の過程を見ていくことにより、医療と技術と文化の関係を検討することを目的とする。エホバの証人(法人名、ものみの塔聖書冊子協会)は、19世紀末にアメリカで誕生したキリスト教系の宗教団体であり、血を食べてはならないという聖書の記述を根拠に医療現場で輸血を拒否することが、さまざまな国で社会問題になった。日本では、1985年交通事故に遭った小学生の輸血を両親が拒否し死に至ったことがマスコミで報道され、エホバの証人、信者である両親、輸血を強行しなかった医師等が非難の的となった。1990年前後から、輸血拒否問題をめぐる状況は大きく変わり始める。患者の自己決定権、インフォームド・コンセントといった概念が社会的に認知されるようになってきたが、これらの考え方はエホバの証人の輸血を拒否し「無輸血治療」を選択するという主張と合致するものであった。一方、薬害エイズ問題等で輸血や血液製剤の危険性が改めて注目されるところとなり、その回避にもつながる新しい薬剤や技術が開発されはじめる。その結果、輸血は人の生死を分ける唯一の選択肢ではなくなった。また協会はそのころ、新しい技術や無輸血治療に理解を示す医師等についての情報を信者に提供するなどして信者と医療の架け橋の役割を果たす、医療機関連絡委員会等の部門を設置する。結局、医療側とエホバの証人は、それぞれがいだく信念の直接衝突を避け、インフォームド・コンセントの枠組みを最大限に利用し、その場面でなされる利用可能な技術の選択という一般的なテーマに輸血拒否の問題を解消させる。その結果この文化摩擦は解決する方向に向かっているといえる。
著者
星野 晋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.3, pp.435-455, 2013-01-31 (Released:2017-04-10)

病むことに苦しむ患者を前にして、医師は対象を客観化し科学的にアプローチすることと人間として気遣うことという、二つの相矛盾する要求にさらされる。医師たちはどのようにこの二つの要求の折り合いをつけているのだろうか。医学教育において、この難問に正面から向き合うことになる最初の体験が肉眼解剖実習である。医学的には「人体の構造と機能の関連を理解する」ことを目標とする解剖実習は、実際の遺体を扱うという感情の起伏をともなう非日常的体験であり、医師になることが強く自覚される機会であるため、職業的アイデンティティが形作られるイニシエーションと位置づけられる。実習が進むにつれ、感情を排除し対象を医学的人体としてとらえる「解剖実習モード」が形成され、医学生たちは「日常生活モード」と自在に切り替える術を身につける。その過程で、解剖の対象はヒトでもモノでもない「ご遺体」としかいいようのない何かになっていく。かつては医学的人体であることを強調するドイツ語由来の「ライヘ」という表現が用いられていたが、「ご遺体」という独特の言い回しが一般化した背景には、解剖体が引き取り手のない遺体から献体によるものに変わったことも影響していると推察される。このことにより、学生は喪服を着て火葬に参列するなど、遺体をヒトとして扱うことへの要求は以前よりも増しているといえる。ところで、解剖実習モードへの切り替えの技術は、臨床における医師のまなざしや態度につながっていく。医師は「臨床モード」と「日常生活モード」を切り替えながら、二つの要求に対応するようになる。そして医療の対象はヒトでもモノでもない「患者」となる。近年医学教育や臨床過程において、これまで現場で経験知として学ばれ、実践されていたことがらは、可視化され標準化され、評価システムに組み込まれる傾向にある。教育や臨床の現場において、このことが一方で現実とのギャップを生み、他方で専門職のタスクを不必要に増大させていることが危惧される。こうした現状にあって、イニシエーションであり、古典的ともいえる体験学習スタイルを保持している肉眼解剖実習は、再評価されてしかるべきであると筆者は考える。
著者
星野 晋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.460-481, 2002-03-30 (Released:2018-03-27)

本研究は、エホバの証人の輸血拒否を、新しい医療技術の開発によって医療現場で生じた文化摩擦であると位置づけ、この問題をめぐる日本の医療環境の変化の過程を見ていくことにより、医療と技術と文化の関係を検討することを目的とする。エホバの証人(法人名、ものみの塔聖書冊子協会)は、19世紀末にアメリカで誕生したキリスト教系の宗教団体であり、血を食べてはならないという聖書の記述を根拠に医療現場で輸血を拒否することが、さまざまな国で社会問題になった。日本では、1985年交通事故に遭った小学生の輸血を両親が拒否し死に至ったことがマスコミで報道され、エホバの証人、信者である両親、輸血を強行しなかった医師等が非難の的となった。1990年前後から、輸血拒否問題をめぐる状況は大きく変わり始める。患者の自己決定権、インフォームド・コンセントといった概念が社会的に認知されるようになってきたが、これらの考え方はエホバの証人の輸血を拒否し「無輸血治療」を選択するという主張と合致するものであった。一方、薬害エイズ問題等で輸血や血液製剤の危険性が改めて注目されるところとなり、その回避にもつながる新しい薬剤や技術が開発されはじめる。その結果、輸血は人の生死を分ける唯一の選択肢ではなくなった。また協会はそのころ、新しい技術や無輸血治療に理解を示す医師等についての情報を信者に提供するなどして信者と医療の架け橋の役割を果たす、医療機関連絡委員会等の部門を設置する。結局、医療側とエホバの証人は、それぞれがいだく信念の直接衝突を避け、インフォームド・コンセントの枠組みを最大限に利用し、その場面でなされる利用可能な技術の選択という一般的なテーマに輸血拒否の問題を解消させる。その結果この文化摩擦は解決する方向に向かっているといえる。
著者
星野 晋太郎 楠瀬 博明
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.27-33, 2016-01-05 (Released:2017-04-22)
参考文献数
53

低温で電気抵抗が突如として消失する超伝導現象は,その発見から今日に至るまで多くの人々の心を惹きつけている.この現象の本質は1957年に提出されたBardeen-Cooper-Schrieffer(BCS)の理論によって解明され,物理学全体に影響を与える重要な概念となっている.例えば,2012年から翌年にかけて標準理論の最後のピース,ヒッグス粒子が発見されたことは記憶に新しいが,その着想にBCS理論が多大な影響を与えたことをこ存じの方も多いだろう.超伝導の研究分野では,ヒッグス場の役割を果たす電子ペア凝縮体の多様性が大きな興味の1つであり,その中でもひときわ風変わりな超伝導状態が本稿の主題である.超伝導は,格子振動などによって媒介される引力によって結びつけられた電子のペア(クーパー対)が位相をそろえて量子凝縮した状態と考えられている.ヒッグス粒子のスピンはゼロと同定されたようだが,BCS理論で想定されたクーパー対も等方的な(s波)スピンゼロ(1重項)状態である.この状態は元素で言えば軌道やスピンなどの自由度をもたない希ガス(閉殻構造)にあたる.周期表には内部自由度をもつ遷移元素や希土類元素もあり,多彩な物性の源になっている.局所的に強い斥力が働く系では,粒子はお互いに避け合って空間的に離れたクーパー対ができやすく,その波動関数は2つの粒子の相対座標の原点に節をもつ(異方的超伝導).実際,銅酸化物高温超伝導体や液体^3Heではd波1重項やp波3重項のペアが実現していると考えられている.では,空間的にではなく時間的に避け合ったペアは可能だろうか?このような新しいペアは1974年に液体^3Heを対象としてBerezinskiiによって提案された.そのペア波動関数は時間方向に節をもつ奇関数であり,そのフーリエ変換は奇周波数成分によって特徴づけられるため,奇周波数超伝導と呼ばれている.ペアの結びつきが時間とともに振動し,同時刻では消えてしまうという奇妙な状態である.奇周波数超伝導という物質の新しい量子状態には様々な驚きが潜んでいると思われ,これまでに理論・実験両方の観点から議論されている.しかしながら,この時間方向に「異方的」なペアに対して従来の超伝導理論の処方箋を適用すると,熱力学的に不安定で,かつ従来とは逆符号の電磁応答を示すなどの非物理的な解が得られることが指摘され,研究者を悩ませてきた.本稿では超伝導体に対して通常仮定される2つの条件を個別に見直すことにより,熱力学的不安定性の問題が解決されることを示す.第一に見直す点は,ペアを特徴づけるギャップ関数に対して暗に仮定されている「エルミート性」である.これにより,奇周波数超伝導は熱力学的に安定な状態となり,正しい電磁応答係数を得ることができる.また第二の解決策は,「エルミート性」の仮定はそのままに,クーパー対の重心運動量がゼロという通常用いられる条件を見直すことである.実際に,局所電子相関を厳密に取り扱う手法を用いて重い電子系のモデルを解析することで,有限の重心運動量をもつ奇周波数クーパー対が安定に存在することが示される.このように最近の研究の進展によって,奇周波数超伝導の本質的な理解を妨げていた問題点が解決されるとともに,その特異な物性が具体的なモデル計算により明らかになりつつある.
著者
沖田 一彦 小林 弘基 星野 晋
出版者
理学療法科学学会
雑誌
理学療法科学 (ISSN:13411667)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.61-65, 2004 (Released:2004-04-08)
参考文献数
6

代替医療を利用し運動療法に対するコンプライアンスの低さが問題となった症例に対し,インタビューを実施してその理由を質的に分析した。症例は,62歳の左下腿開放性骨折の男性であった。手術後,理学療法室での積極的な運動療法が開始されたが,担当理学療法士の指示を守らず自己流の運動を行なう,院内において民間療法である軟膏を利用するなどが問題となった。非構造化インタビューの結果,患者には,軟膏の効果に関する言説をもとに,それを塗ることで生じる皮膚の変調と症状の軽減とを因果的に結びつけて考える認知構造が存在していると考えられた。代替療法の利用は医療全体の問題となっているが,そのような患者の行動の背景には,感覚,意味付け,身体イメージの形成をキーワードとした認知機構が横たわっていると考えられた。
著者
星野 晋
出版者
日本臨床麻酔学会
雑誌
日本臨床麻酔学会誌 (ISSN:02854945)
巻号頁・発行日
vol.26, no.3, pp.296-302, 2006 (Released:2006-05-26)
参考文献数
2

本論では, エホバの証人の輸血拒否を新しい医療技術をめぐる文化摩擦と位置づけ, 文化人類学の視点から検討した. エホバの証人の輸血拒否の基礎となる世界観や宗教集団としての特徴には, 異常性は見出せない. 彼らは, 輸血や血液製剤の副作用が社会問題化したのを背景に, 患者の自己決定権という新しい思想に沿ってこの問題の解決を図ろうとしてきた. また, 血液成分の一部の利用を個々の信者の判断にゆだねるという歩み寄りもみせている. 異文化としての彼らの価値観を許容する以上, 親としての判断能力を否定することはできず, 子供のみを彼らの社会から引き離して輸血を行うことは難しいと考えられる.