著者
植野 弘子
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
no.41, pp.p377-411, 1992-03

本稿は、台湾漢民族における死霊と土地の超自然的存在との関連についての一試論である。漢民族においては、祖霊と死霊は明確に区別されている。死霊―「鬼」は、子孫をもたず、あるいはこの世に恨みを残して死んだものであり、冥界で不幸な境遇にあるとされる。こうした「鬼」はこの世にさまよい出で人々に不幸を振りまくことになる。しかし、「鬼」は可変的性格をもち、祖先にも神にも変化する存在である。これまでの研究においては、「鬼」は霊的世界のアウトサイダーであり、「鬼」を無体系なものとみなしてきた。しかし、「鬼」はけっして混沌たる世界を漂漾しているのではない。人と「鬼」との交信には「鬼」を統轄する神々が登場する。この神々は陰陽両界に関わるとともに「地」に関わる神であり、「鬼」が昇化して神になったものもいる。落成儀礼〈謝土〉において、人は建造物を建てた土地から邪悪なものを払い、その土地を「陰」の世界の土地の持ち主〈地基主〉から買い取らねばならない。〈地基主〉とは、かつての土地の持ち主で死後その霊がその土地に残ったものとされている。つまり「鬼」であり、「鬼」が土地の主となるのである。土地は「陰」から「陽」の世界のものとなって初めて人が住むのにふさわしいものとなる。土地は陰陽の両界をつなぐ場である。人と死霊は「地」に関わる超自然的存在によって媒介され、人はその住む地によって冥界と切り放せない現世を知るのである。漢民族は冥界をこの世と同様にリアルに描いている。そして、冥界と地とを結び付けることによって、また「鬼」という浮遊性をもつ超自然的存在に一定の秩序を与えることによって、人が他界を生活の中に感じ、また解釈を与えているのである。This paper is a hypothesis on the relationship between the ghosts and the supernaturals of the earth in Taiwan Chinese society.In Chinese society the spirits of ancestors and ghosts are clearly distinguished. Ghost-"Gui" ("kui") are considered to be spirits of those who died without descendants, or, those who died leaving a bitter grudge in this world. They are seen as being in an unhappy state in the otherworld. So such ghosts haunt this world spread disaster. However, the ghost has a changeable character, he can change into either an ancestor or a god. In preceding studies a ghost is regarded as an outsider of the spiritual world, those who has no systematic structure. But in this paper it is clear that the ghost is never wander in a chaotic world.Gods who control ghosts appear in communications between men and ghosts. These gods are not only concerned with the otherworld and this world (yin-yang worlds) but also with the earth world. Some ghosts have risen to become such gods, but the gods still have ghost's characters.In the completion ritual called "Xiedu" ("Siatho"), or thanks to the earth, the man who builds the construction has to clear off the evil from the site, and purchases the site from the site-owner spirit "Dijizhu" ("Tekico"), or foundation spirit. The Dijizhu is considered to be the former site-owner, whose spirit remained on the site after his death. In other words, Dijizhu is originally a ghost, and the ghost becomes the owner of the site in yin world. Dijizhu is an ambivalent category of spirit, he has two kinds characters of god and ghost.A site becomes fit for human habitation only after it shifted from yin world to yang world. The earth has the function which links yin and yang worlds. Men and ghosts are intermediated by the supernaturals of the earth. Through the earth on which they live men can understand that this world cannot cut away from the other world. In Chinese society yin world is recognized having same systems of this world. By connecting yin world and the earth, and by giving a certain structural order to the ghosts who have a drifting character, man can feel and interpretate the supernatural world in his everyday life.
著者
植野 弘子
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.377-411, 1992-03-31

本稿は、台湾漢民族における死霊と土地の超自然的存在との関連についての一試論である。漢民族においては、祖霊と死霊は明確に区別されている。死霊―「鬼」は、子孫をもたず、あるいはこの世に恨みを残して死んだものであり、冥界で不幸な境遇にあるとされる。こうした「鬼」はこの世にさまよい出で人々に不幸を振りまくことになる。しかし、「鬼」は可変的性格をもち、祖先にも神にも変化する存在である。これまでの研究においては、「鬼」は霊的世界のアウトサイダーであり、「鬼」を無体系なものとみなしてきた。しかし、「鬼」はけっして混沌たる世界を漂漾しているのではない。人と「鬼」との交信には「鬼」を統轄する神々が登場する。この神々は陰陽両界に関わるとともに「地」に関わる神であり、「鬼」が昇化して神になったものもいる。落成儀礼〈謝土〉において、人は建造物を建てた土地から邪悪なものを払い、その土地を「陰」の世界の土地の持ち主〈地基主〉から買い取らねばならない。〈地基主〉とは、かつての土地の持ち主で死後その霊がその土地に残ったものとされている。つまり「鬼」であり、「鬼」が土地の主となるのである。土地は「陰」から「陽」の世界のものとなって初めて人が住むのにふさわしいものとなる。土地は陰陽の両界をつなぐ場である。人と死霊は「地」に関わる超自然的存在によって媒介され、人はその住む地によって冥界と切り放せない現世を知るのである。漢民族は冥界をこの世と同様にリアルに描いている。そして、冥界と地とを結び付けることによって、また「鬼」という浮遊性をもつ超自然的存在に一定の秩序を与えることによって、人が他界を生活の中に感じ、また解釈を与えているのである。
著者
植野 弘子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.75, no.4, pp.526-550, 2011-03-31

父系社会である台湾漢民族社会における親と子のつながりを、娘を視点として再考することを、本論文の目的とする。娘としての女性の生き方に注目することは、婚姻を契機として所属集団を変更する女性にとって、その一生にわたる家族との関係を見直すことになる。また、変化する家族関係の有り様を、継承・相続の権利義務から除外されてきた娘の役割の変化から、より端的に描き出すことが可能である。漢民族の親族に関する従前の研究は、父系出自イデオロギーの優位を前提とした枠組みで考察される傾向にあり、母方親族関係・姻戚関係の研究も行われてはきたが、これらの関係を繋ぐ女性が果たす役割、女性の娘としての役割に関しては、十分な研究はなされてこなかった。本論文では、まず、台湾における伝統的家族慣行にみられる娘の役割を、その儀礼的側面を考慮に入れて再確認する。さらに、日本による植民地統治下における近代的な学校教育、とくに高等女学校教育を受けた女性達の語りを通して、親と娘とのつながりを変化する時代の日常から探っていく。彼女たちは、旧来の家庭の倫理と近代教育がもたらす知識や理念を習得し、さらに日本化の狭間の中で生きたのであり、植民地統治によって変動した台湾社会の有り様を象徴する存在である。また、変化した現代女性の原型ともいえる。こうした女性は、その親や出生家族の表象としての役割を果たし、婚出後にも娘と親の関係は維持されていく。日本統治終了後における女性の教育と就職の機会の拡大は、女性の生き方に変化をもたらし、また、娘と親との関係は、より緊密にみえる様相を呈してきた。子どもとしての娘と息子の役割の差異は、今後、より減少していくことが予想され、家族関係における娘の役割を考えることの意味はさらに増してゆこう。