著者
武石 典史
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.25-45, 2010-11-30 (Released:2014-07-03)
参考文献数
41

教育社会学的な歴史研究は,官僚群との対立や青年将校運動といった昭和陸軍の動きを,「陸軍将校=農業層」「帝大生・官僚=新中間層」という階層的差異をもとに葛藤モデルから論じてきている。しかし,そこでは陸軍将校の有力構成員たる陸幼組は分析対象から捨象されがちだった。本稿は,陸軍将校を「陸幼組/中学組」という二つの集団に分けつつ,その選抜,学歴キャリア,昇進の諸構造を検討したうえで,昭和陸軍の動向に考察を加えるものである。 陸軍将校を構成する陸幼組と中学組は社会的背景の重なりは小さかった。また,前者が陸士,陸大の成績が良かったゆえ,昇進でも(農業出身の多い)後者より優勢だった。すなわち,学歴・成績主義を原理に形成される将校集団の構造は,上層において農業色が弱化し都会色が強まるという傾向を帯びていたのである。 大正後期以降の政治的変化のなかで,陸軍は自己益と国益を,統帥権という威力に拠って重ね合わせていこうとする。統帥権の顕在化,および軍事専門職としての強い自覚を促すという,新たな社会状況のなかで始動した昭和陸軍の主力は,農業出身層ではなく,二・三代目の武官たちであり,官・軍エリートの衝突もこの文脈で把握されるべきだと思われる。 確かに,農業層出身の陸軍将校は少なくなかった。しかし,彼らは昇進構造において傍流に位置し,影響力をもちえなかったのである。
著者
武石 典史
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.25-45, 2010-11-30

教育社会学的な歴史研究は,官僚群との対立や青年将校運動といった昭和陸軍の動きを,「陸軍将校=農業層」「帝大生・官僚=新中間層」という階層的差異をもとに葛藤モデルから論じてきている。しかし,そこでは陸軍将校の有力構成員たる陸幼組は分析対象から捨象されがちだった。本稿は,陸軍将校を「陸幼組/中学組」という二つの集団に分けつつ,その選抜,学歴キャリア,昇進の諸構造を検討したうえで,昭和陸軍の動向に考察を加えるものである。陸軍将校を構成する陸幼組と中学組は社会的背景の重なりは小さかった。また,前者が陸士,陸大の成績が良かったゆえ,昇進でも(農業出身の多い)後者より優勢だった。すなわち,学歴・成績主義を原理に形成される将校集団の構造は,上層において農業色が弱化し都会色が強まるという傾向を帯びていたのである。大正後期以降の政治的変化のなかで,陸軍は自己益と国益を,統帥権という威力に拠って重ね合わせていこうとする。統帥権の顕在化,および軍事専門職としての強い自覚を促すという,新たな社会状況のなかで始動した昭和陸軍の主力は,農業出身層ではなく,二・三代目の武官たちであり,官・軍エリートの衝突もこの文脈で把握されるべきだと思われる。確かに,農業層出身の陸軍将校は少なくなかった。しかし,彼らは昇進構造において傍流に位置し,影響力をもちえなかったのである。
著者
武石 典史
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.100, pp.265-284, 2017-07-28 (Released:2019-03-08)
参考文献数
39

本稿は,近代日本における官僚の選抜・配分構造を,東大席次・高文席次に着目しながら検討したうえで,昭和期の官僚機構について考察するものである。 高文体制というべき官僚選抜システムが成立して以降,成績上位層を引きつけた内務省は就職先序列構造において頂点に位置したが,大正期以降になると人材が各省に分散し威信が低下していく。この動きと並行的に,各省の要職に占める内務出身者の割合が減少するという配分面での変化も生じ,人事の自律化が定着した。各省は「位負けしない」生え抜き官僚を有することになったのである。 脱内務省化は非内務官僚の「専門性」意識を醸成した。これにより,各省の「専門性」と内務省の「総合行政」志向との間に葛藤関係が生じ,専門分業化の潮流のなかで専門官僚が主流となっていく。こうして内務省の優位性は選抜,配分,行政機能という三つの面で弱化し,同省を中心に安定が保たれてきた官僚機構の秩序(「内務省による平和」)は動揺した。各省割拠の時代が到来するのである。 セクショナリズムにより官僚集団の一体性は解体へと向かい,軍部に対抗しうる勢力にはなりえなくなったと考えられる。これを敗戦にまでつながる流れとみるならば,両席次と密接に結びついた「官僚の選抜・配分構造」の変容は,それを不可逆的に加速化させる要因の一つとして作動していた,といえよう。
著者
広田 照幸 武石 典史
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.76, no.4, pp.400-411, 2009

本稿は、90年代以降の教育政策の決定過程を取り巻く諸動向を、マクロな政治構造の変容の中に位置づけるという作業を通して、政治変動によって直面するであろう、教育政策をめぐる新たな対立的事態の一つの捉え方を提示する。すなわち、自明性を失いつつある単純な「大きな政府/小さな政府」的把握を超えた、各アクターがどういう社会モデルのもとで教育政策案を形成しているのかという認識枠組みが有効性を持ちうると考えられる。
著者
武石 典史
出版者
聖路加国際大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2013-04-01

本研究は、政治・政治家が教育政策過程においてどのような役割を果たしたのかを分析しつつ、教育と政治の関係性を考察したものである。政治変動により内閣と党との力関係が教育政策を左右するようになったため、内閣府が主導権を握った2000年代は、文教族による教育政策への関与が限定的となったことをあきらかにした。併せて、連立政権下において選挙協力が重視され、教育政策が選挙結果の影響力を強く受けはじめたことにより、文協族の影響力が低下したことを指摘した。また、2000年代の野党民主党における教育政策の策定過程を検討し、政党間競争・政党内競争という野党をも含めた教育政策分析の視点を提示した。
著者
武石 典史
出版者
東京大学大学院教育学研究科
雑誌
東京大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13421050)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.87-96, 2006-03-10

This paper probes which kinds of educational institutions developed from schools in the miscellaneous category into junior high schools by analyzing the current of secondary education in the early years of the Meiji Era Tokyo. In the first decade of the Meiji Era, private schools teaching the study of Chinese classics were predominant over those giving Western study. However, the trend gradually turned from the former (""classical knowledge"") to the latter (""modern knowledge""), as national institutions of higher education attached importance to modern knowledge in their entrance examination. In this situation some schools that offered modern knowledge and preparatory education for the entrance examinations developed into junior high school. And many aspirants desiring social success left their hometowns for Tokyo, especially such the schools, to acquire the knowledge. In conclusion this paper proposed that the strong point of the schools played a key role as centripetal force of modem Tokyo
著者
武石 典史
出版者
聖路加国際大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2016-04-01

平成29年度は、陸軍における人材の選抜・配分の傾向と大正末期頃から陸軍で進行する権力の分化とが、どのような関係にあったのかという点を検討した。単に陸軍の動向をあきらかにするのではなく、文官官僚との比較をとおして、さらにはチリやブラジルといったラテンアメリカ諸国の政軍関係の研究成果を参考にしながら、後発国の軍部の特長について検討した。具体的には次の通りである。①『日本陸海軍総合事典』および『官報』に記載された情報を基礎資料とし、回顧録、新聞・雑誌記事の徹底的な分析をとおして、「陸軍内の選抜」と「諸ポストの階層性」との対応性の解明を試みた。なお、陸軍将校およびその関係者によって刊行された『偕行社記事』、『偕行』の網羅的な調査を実施した。②Leonard A. Humphreys, The way of the heavenly sword: the Japanese Army in the 1920's, Stanford University Press, 1995 や Edward J. Drea, Japan's Imperial Army: Its Rise and Fall, 1853-1945, University Press of Kansas, 2009、Meirion and Susie Harries, Soldiers of the Sun: the Rise and Fall of the Imperial Japanese Army, Random House, 1994 をはじめとする、外国人研究者の手による日本陸軍の研究群を綿密に検討し、その知見と考察を整理した。また、Alfred C. Stepan, The Military in Politics: Changing Patterns in Brazil, Princeton University Press, 1971 や José Nun, ‘The Middle-Class Military Coups,’ in Abraham F. Lowenthal, and J. Samuel Fitch, ed., Armies and politics in Latin America, Holmes & Meier, 1986 の分析結果の一部を、日本の比較材料とした。③上記の①と②の双方のデータを突き合わせ、相互に資料批判させるプロセスを経ながら、昭和期における陸軍の動向を検討した。