著者
浮ヶ谷 幸代
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.205, pp.53-80, 2017-03

本稿では、まず日本の近代化のなかで「精神病」という病がいかに「医療化」されてきたのか、そして精神病者をいかに「病院収容化(施設化)」してきたか、その要因について明らかにする。諸外国の「脱施設化」に向かう取り組みに対して、日本の精神医療はいまだ精神科病院数(病床数)の圧倒的な多さと在院日数の顕著な長さを示している。世界的に特殊な状況下で日本の精神科病院数の減少が進まない要因について探る。精神医療の「脱施設化」が進まない中、北海道浦河赤十字病院(浦河日赤)では日本の精神医療の先陣を切って「地域で暮らすこと(脱施設化)」に成功した。浦河日赤の「脱施設化」のプロセスには二度の画期がある。第一は、精神科病棟のうち開放病棟が閉鎖となったプロセスであり、それを第一次減床化とする。第一次減床化のプロセスについて詳細に描き出し、減床化に成功した要因について明らかにする。第二は、精神科病棟全体の廃止に至ったプロセスであり、それを第二次減床化とする。そのプロセスに起こった政治的なできごとや浦河町が抱える問題をもとに、第二次減床化に進まざるを得なかった浦河日赤の置かれた状況について描き出す。この二度にわたる「脱施設化」のプロセスを描き出すために、エスノグラフィック・アプローチとして、医師や看護師、ソーシャルワーカーなどの病院関係者、社会福祉法人〈浦河べてるの家〉の職員、そして地域住民へのインタビュー調査を行った。精神科病棟廃止に対するさまざまな立場の人が示す異なる態度や見解について分析し、浦河日赤精神科の二回にわたる「脱施設化」のプロセスを描き出す。第二次減床化の病棟廃止と並行して、浦河ひがし町診療所という地域精神医療を展開するための新たな拠点が設立される。診療所が目指す今後の地域ケアの方向性を探る。そのうえで、診療所が目指す地域精神医療のあり方と海外の精神医療の方向性とを比較し、浦河町の地域精神医療の特徴と今後の課題について考察する。最後に、今後のアプローチとして、精神障がいをもちながら地域で暮らす当事者を支えるための地域精神医療を模索するために、「医療の生活化」という新たな視点を提示する。This paper first examines how psychiatric disorders have become medicalized in the process of modernization in Japan. It then analyzes how and why mental patients have become institutionalized. While there has been a growing trend in many countries to deinstitutionalize mental patients, Japan's mental health sector is characterized by its great number of asylums (beds) and extremely long hospitalization period. In light of these particularities, this study explores reasons why the number of asylums (beds) has not decreased in Japan. While deinstitutionalization has not progressed much in Japan's psychiatric medicine, Urakawa Red Cross Hospital (hereinafter "Urakawa Hospital") in Hokkaido, Japan, has led Japanese psychiatric facilities in shifting to community treatment (deinstitutionalization). There were two milestones in this process. The first one was the closedown of the open ward in the psychiatric ward, which is called the "first reduction of institutionalization" in this paper. This step is examined in detail to reveal factors that can be attributed with having promoted deinstitutionalization. The second milestone was the shutdown of the entire psychiatric ward, which is called the "second reduction of institutionalization" here. By examining the political developments and problems faced by Urakawa town during the second step, this paper reveals the situation that forced Urakawa Hospital to shut down the psychiatric ward. In order to illustrate this two-stepped process of deinstitutionalization, this study takes an ethnographic approach by conducting interviews with hospital staff, such as psychiatrists, nurses, and social workers, staff of the social welfare corporation Urakawa Bethel's House, and local residents. The various ideas and opinions of different people about the shutdown of the psychiatric ward are analyzed to describe the two-stepped process of deinstitutionalization at Urakawa Hospital. In parallel with the second reduction of institutionalization (the closedown of the entire ward), a new medical facility, Higashi-machi Clinic, was established to provide community psychiatric treatment. This paper explores the direction the Clinic should take to provide effective community care. It then compares the Clinic's ideal form of community psychiatric medicine with the direction being taken by overseas psychiatric medicine to analyze the current features and future problems of the community psychiatric medicine of Urakawa town. In conclusion, this paper proposes a new, final approach of "Life-style priority Treatment" (to maintain one's lifestyle while receiving treatment) as a way to find a community psychiatric treatment able to support psychiatric patients living in the community.
著者
浮ヶ谷 幸代
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.205, pp.53-80, 2017-03-31

本稿では、まず日本の近代化のなかで「精神病」という病がいかに「医療化」されてきたのか、そして精神病者をいかに「病院収容化(施設化)」してきたか、その要因について明らかにする。諸外国の「脱施設化」に向かう取り組みに対して、日本の精神医療はいまだ精神科病院数(病床数)の圧倒的な多さと在院日数の顕著な長さを示している。世界的に特殊な状況下で日本の精神科病院数の減少が進まない要因について探る。精神医療の「脱施設化」が進まない中、北海道浦河赤十字病院(浦河日赤)では日本の精神医療の先陣を切って「地域で暮らすこと(脱施設化)」に成功した。浦河日赤の「脱施設化」のプロセスには二度の画期がある。第一は、精神科病棟のうち開放病棟が閉鎖となったプロセスであり、それを第一次減床化とする。第一次減床化のプロセスについて詳細に描き出し、減床化に成功した要因について明らかにする。第二は、精神科病棟全体の廃止に至ったプロセスであり、それを第二次減床化とする。そのプロセスに起こった政治的なできごとや浦河町が抱える問題をもとに、第二次減床化に進まざるを得なかった浦河日赤の置かれた状況について描き出す。この二度にわたる「脱施設化」のプロセスを描き出すために、エスノグラフィック・アプローチとして、医師や看護師、ソーシャルワーカーなどの病院関係者、社会福祉法人〈浦河べてるの家〉の職員、そして地域住民へのインタビュー調査を行った。精神科病棟廃止に対するさまざまな立場の人が示す異なる態度や見解について分析し、浦河日赤精神科の二回にわたる「脱施設化」のプロセスを描き出す。第二次減床化の病棟廃止と並行して、浦河ひがし町診療所という地域精神医療を展開するための新たな拠点が設立される。診療所が目指す今後の地域ケアの方向性を探る。そのうえで、診療所が目指す地域精神医療のあり方と海外の精神医療の方向性とを比較し、浦河町の地域精神医療の特徴と今後の課題について考察する。最後に、今後のアプローチとして、精神障がいをもちながら地域で暮らす当事者を支えるための地域精神医療を模索するために、「医療の生活化」という新たな視点を提示する。
著者
浮ヶ谷 幸代
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.3, pp.393-413, 2013-01-31 (Released:2017-04-10)
被引用文献数
2

本稿の目的は、近代以降の医療・福祉をめぐる制度的専門家(以下医療専門家と表記)が臨床現場で抱えるサファリング(苦悩)の様態を明らかにし、医療専門家が自身のサファリングに向き合いながら、現場から編み出した対処の術(すべ)について明らかにすることである。1970年代以降、人文社会科学分野の医療化批判論や医療専門家内部での批判的検討を受けて、医療現場では問題解決志向システムという考え方に基づいて医療システムや医学教育を改革し、医療実践にかかわる監査委員会の設置など、改善策を打ち出してきた。度重なる医療改革や監査システムの強化は、医療専門家にとって臨床現場で新たな問題を生じさせるとともに葛藤や苦悩をも生み出してきた。他方、医療化批判論や医療人類学分野の病者のサファリング研究の文脈では、病者の苦悩のみが扱われ、医療専門家が抱える苦悩は看過されてきた。また、医療専門家自身も社会や患者からの期待に応えるように、自らの苦悩を隠したままであった。そこで、本稿では、医療人類学における病者のサファリング研究を敷衍して、医療専門家が抱えるサファリングについて記述、分析するとともに、近代の医療の専門性研究に新たな視座を提示することを試みる。具体的には、日本の看護師、精神保健福祉士、成年後見人という3種の専門家の事例を提示し、そこに見られる多職種間連携の分断化の問題や臨床現場での患者、利用者、依頼人との距離感という問題に伴うサファリングを明らかにする。そのうえで、医療専門家自らが編み出したサファリングへの対処の術としての知恵や技法、そして臨床現場で形成されたサファリングを共有する場について検討する。結論として、医療専門家が経験するサファリングは否定されるべきものでも排除されるべきものでもなく、サファリングと向き合うことこそが、サファリングに対処するための新たな術を生み出すという創造性の源泉となることを明らかにする。
著者
浮ヶ谷 幸代
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野
雑誌
コンタクト・ゾーン = Contact zone (ISSN:21885974)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2018, pp.186-209, 2018-06-30

本稿は、医療人類学におけるナラティヴ・アプローチの批判点を踏まえつつ、非言語的活動としてのパフォーマンス活動を通して、参与観察とインタビューとを併用させた調査方法により、聴き取る側の構え(態度)とその記述について人類学的研究の可能性に挑戦するものである。本稿で取り上げる事例は、精神医療を専門とする北海道浦河ひがし町診療所(以後、診療所)のナイトケアで繰り広げられる「音楽の時間」でのパフォーマンス活動である。浦河町では国際的に評価を得ている<浦河べてるの家>の当事者研究があるが、それは言語的表現が前提となる。ところが、診療所の当事者メンバー(以後、メンバー)には人前で話すのが苦手である、もしくは語る言葉を獲得できない人たちがいる。彼らにとって非言語的活動としてのパフォーマンスは、「生きていること」を実感できる活動となっている。診療所ではスタッフもメンバーもコーディネーターも「音楽活動はセラピーではない、プロを目指すわけではない」という理念を共有し、参加者は「音楽はコミュニケーションである」という命題のもと、みる、きく、たたく、わらう、おどる、という身体表現が創出する場として「音楽の時間」を享受している。パフォーマンス活動に参加するメンバーの「生」を描き出すために、「ミュージッキング」(クリストファー・スモール)と「生きていること」(ティム・インゴルド)という概念を参照枠とし、パフォーマンスそれ自体がメンバーの「生」の表現の一つであり、それが日々の暮らしを「生きていること」と連続していることを示す。さらに、語り手と聴き手との関係性を描き出しながら「聴き取ること」の相互行為性について考察し、語り手の「生」と聴き手の「生」が地続きであることの可能性について考察する。本稿でのアプローチは、ナラティヴ・アプローチの批判を回避すると同時に、近代社会の二元論的思考を瓦解する試みとなることを示す。
著者
岩崎 弥生 張 平平 浮ヶ谷 幸代
出版者
千葉大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2011

本研究は、精神保健医療福祉資源の乏しい地域におけるメンタルヘルスの関連要因を、個人的資源および社会文化的資源の視点から明らかにして、資源の乏しい地域におけるメンタルヘルス支援の開発を検討したものである。メンタルヘルスの関連要因として、身体的健康状態、対処スキル、農業生産性、地域の世代内・世代間交流、共同体の信頼・結束などが示され、メンタルヘルス支援の開発において、コーピングスキルや地域の世代内・世代間交流などを活用・強化する対象者との協働による対話型のアプローチの重要性が示唆された。