著者
瀬戸 真之 西 克幸 石田 武 田村 俊和
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2007年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.88, 2007 (Released:2007-04-29)

I.はじめに 郡山・猪苗代両盆地の分水界に位置する御霊櫃峠(海抜約900m)には一種の「階状土」が発達し,少なくともその一部では現在も礫が移動していることが知られている(鈴木ほか,1985).田村ほか(2004)は,この微地形を「植被階状礫縞」と呼び,その形態的特徴を調査した.この植被階状礫縞は,基岩の岩質,節理の方向と斜面の向き,強い西風とそれによる高木の欠如,および少ない積雪等が要因となって形成され,維持されていると推測され,植被の部分的欠如には人為の関与も疑われる.その後,隣接する強風砂礫地で礫の移動状況や各種気候要素の観測を行っている(瀬戸ほか,2005, 2006; Seto et al. 2006). 今回,この植被階状礫縞を掘削してその断面を観察し,成因の考察に有用なデータが得られたので報告する.なお,本発表においても,植被階状礫縞という名称を用いる.II.植被階状礫縞の概要 植被階状礫縞が発達しているのは,海抜925mのピークの南側(長さ約200m),西側(40m),北側(30m),北東側(40m)にかけての,傾斜10~20度(南側)および10~20度(南側以外)の,やや凸型の縦・横断面形をもつ斜面である.基岩は中新統大久保層(北村ほか,1965)の緑色凝灰質砂岩で,平行な細かい節理が発達し,薄く剥がれやすい.年間を通して強い西風が卓越する.積雪はかなり少ない模様である.その強風のせいもあってか,稜線部の植生は高木を欠き,高さ数10cmのツツジ群落,あるいはササ草原(ピークの北側斜面のみ)となっている. 植被階状礫縞は,扁平な角礫が露出した幅数10cm~2mほどの「上面」(tread)と,ツツジ(北側斜面ではササ)に覆われた比高・幅とも30cm~1.5m程度の「前面」(scarp)で構成される.この「上面」と「前面」の列は,ピークの南側から西側さらに北側の斜面ではほぼ東西にのび,しばしば分岐し,合流して,西方に向かうと階状より縞状の形態が明瞭になる. III.植被階状礫縞の断面 北側斜面に位置する植被階状礫縞で,階段を横断する方向に約150cmの長さの溝を掘削して観察した(図). 植被階状礫縞の「上面」では,地表に径15cm前後(最大径20cm)の扁平礫がオープンワークに堆積し,その下位には小角礫を大量に含む暗褐色腐植質砂壌土~壌土がある.この層の厚さは20~40cmで,基底面は斜面の一般的傾斜と調和的に10~20度ほど傾き,「前面」の地表下ではツツジの根やササの地下茎が密である.最下位には薄く剥がれやすい基岩が出現する. IV.植被階状礫縞の形成プロセス 断面の観察から,階段状の形態を呈するのは地表面だけで,堆積物直下の基岩は階段状を呈さず,「上面」の部分でも「前面」の部分でもほぼ一様の傾斜を示すことが明らかになった.また,「前面」の部分にはツツジ群落が付き,その根やササの地下茎が堆積物の中にまで及んでいる.さらに,地表面の礫がツツジ群落中へ入り込んでいる様子も認められる. これらの特徴から,下記のプロセスが継起したことが窺われる:(1)高木がなくなり裸地となる;(2)植生が斜面最大傾斜方向と直行する向きに帯状に発達する;(3)礫が最大傾斜方向へ向かって斜面上を移動し,帯状植生によって堰き止められる;(4)礫が裸地と帯状植生の境界部分に堆積し,最終的には細粒物質も堰き止めるようになる;(5)裸地と帯状植生の境界部分で堆積物の層厚が厚くなる この一連のプロセスによって礫地は徐々に水平になり,帯状植生の部分は基岩とほぼ同じ傾斜を維持して,最終的には階段状の微地形を形成したと考えられる.植被のない方向には傾斜に沿って礫が連続的に移動し,縞状になったのであろう.V.今後の課題 植被階状礫縞の断面から,その形成プロセスの一部を推定した.しかし,高木が失われた原因や,低木・草本植生が帯状に発達したプロセスは,今のところ明らかではない.帯状植生については近くの斜面で裸地上の礫が帯状に黒っぽく変色し,この部分に発芽が認められる箇所が存在する.この黒色に変色した部分は何らかの原因で地表・地中の水分条件が周囲の斜面とは異なると推定される.今後は,強風などの気象条件とも関連させて帯状植生の成因を探ることが,植被階状礫縞の形成プロセスを考える上で重要になると思われる.
著者
瀬戸 真之 須江 彬人 石田 武 栗下 正臣 田村 俊和
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.83, no.3, pp.314-323, 2010-05-01 (Released:2012-01-31)
参考文献数
27
被引用文献数
5 2

福島県の御霊櫃峠(約900 m)には,西北西の強風にさらされることが多い斜面に構造土が存在する.この構造土は,扁平礫が露出した帯と植生が密生した帯とが,数十cm~2 mほどの間隔で交互に配列している.両方の帯とも傾斜方向にかかわらず,ほぼ西北西–東南東の卓越風向に伸びる.伸びの方向が最大傾斜方向と直交する所では階状土,一致する所や傾斜が緩い所では縞状土の形状を示し,本稿では「植被階状礫縞」と呼ぶ.本研究では,低標高山地斜面に構造土が発達する点に注目し,その詳細を記載した.階状土部分の断面では,階段状を示すのは堆積物上面のみで,堆積物と基岩との境界面はほぼ一様の傾斜で,地表の礫は植被に乗り上げている.植被階状礫縞は,強風により積雪を欠く裸地で植被が卓越風向に平行な縞状に発達し,凍結・融解で傾斜方向に礫が移動し,卓越風向にほぼ直交する向きの斜面では植被に堰き止められ,ほぼ一致する向きの斜面ではそのまま移動して形成されたもので,現在も発達中と考えた.
著者
瀬戸 真之
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.77, no.4, pp.209-218, 2004-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
34
被引用文献数
2 1

足尾山地北部の古峰ヶ原高原において,斜面堆積物の特徴に基づいて斜面の不安定期と岩塊堆積物の形成プロセスを検討した.調査地には,花闘岩のコアストーン起源の岩塊,トア,および岩塊が集積した地形(岩塊流)がみられる.また,粘土やシルトなどのマトリックスと岩塊,角礫,最終氷期中に降下したテフラ (Ag-KP, Nt-I) を含む相対的に細粒な斜面堆積物もみられる.後者の堆積物は,基岩風化層上面の凹凸に支配されずに広く堆積していることから,線的な動きではなく,最終氷期後半の面的なマスムーブメントによって形成されたと考えられる.一方,岩塊堆積物の形成プロセスは,水流による風化層からの岩塊の洗い出しと,緩速度のマスムーブメントによる岩塊の移動の組合せと考えられる.岩塊堆積物は,細粒の斜面堆積物を刻む谷の中に堆積していることから,最終氷期末期以降に形成されたと考えられる.
著者
清水 長正 宮原 育子 八木 浩司 瀬戸 真之 池田 明彦 山川 信之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2016年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100044, 2016 (Released:2016-11-09)

東北地方では福島県と並んで山形県に風穴が多い。天然記念物にも指定された著名な風穴がある。これまでに確認された風穴から山形の風穴マップを作成した。県内の風穴は、自然風穴(地すべり地形・崖錐斜面などで自然状態にある風穴)、人工坑道の風穴、明治・大正期の蚕種貯蔵風穴跡(石垣囲)などに大別され、それらを2.5万分の1地形図索引図に示した。あわせて、各風穴の概要なども展示する。
著者
岩船 昌起 瀬戸 真之 田村 俊和
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100011, 2016 (Released:2016-04-08)

【はじめに】本稿では,高台への津波からの「立ち退き避難」に係る実歩走行実験と,被災者からの実際の避難行動の聞き取り調査を報告し,避難路の移動環境と避難者の体力との関係等を総合的に考察する。【避難行動にかかわる実走行実験】山田町各地区での「避難のしやすさ」を検証するために,海や川に近い「逃げ難い場所」を避難開始地点,実際に避難した場所等を避難完了地点として歩走行での移動実験を2015年12月30・31日に実施した。被験者は,年齢48歳,身長170㎝,体重66㎏の健常な男性である。ランニング中心の中高強度トレーニングを週5日以上1日約1.5時間実施しており,自転車エルゴメーターでの運動負荷検査で心拍数から推定した最大酸素摂取量が60ml/kg/min程度である。「健常な高齢者の体力」を再現するために,スポーツ心拍計(Polar S710i)で心拍数を1分間約100拍に抑えて歩走行し,「避難場所等」と「浸水域の境界の高さ(浸水高)」までの所要時間等を計測した。  その結果,⑯小谷鳥「ミッサギ」を除いて他の16区間全てで10分より短い時間で「浸水高」に達し,かつ「避難場所等」に到着可能なことが確認できた(表)。2011年3月11日には14:46の地震発生から約30分後の15:15以降で山田町各地区に津波の押し波が到達した事実にも基づくと,発災時に海沿いの「避難し難い場所」に居ても,地震が収まってから直ちに出発して適切な避難場所等に向かえば,「歩ける」高齢者を主体として考えれば,時間的体力的に余裕を持って「津波浸水域」外に脱出できる「避難環境」であることが分かった。【避難行動の聞き取り調査】発災当日の避難行動について,2014年10月~2015年11月に地区ごと数名に1人当たり1~2時間の聞き取り調査を行い,山田町全体で39事例54人(40~80歳代)の結果を得た。行動空間については「住宅地図レベル」で訪問場所や移動経路を逐一確認して,その場での時刻に係る情報をできる限り収集した。 1つの事例の「一部」を紹介する。  …(前略)…一方,妻IKさん(当時73歳)は,FI宅前(地点⑤)で地震を感じた。自宅(①)を自転車で出てしばらく走行した直後であり,地震の揺れで転んだのか,自転車を降りたか分からないが,「ひっくり返った」状態で我に返ったという。そこから立ち上がり,自転車を引いて約220mの道のりを経て自宅に戻った。その間「ずっと揺れていた」という。自宅(①)に戻ると,休日に車で出かける直前だった娘IM(当時46歳)が居た。そして「津波が来っから逃げびす!」と言われ,「1週間前に起ぎた地震で準備していだリュックサック」と毛布を車に積んで,「家に戻ってから5分くらい」で出て,「大沢林道」の駐車場(⑥)に車でたどり着いた。…(後略)… 年齢や性別等から話者の体力を推定し,このような聞き取り結果で分かった避難経路の道のりや傾斜も考慮して歩走行速度等を区間ごとに算出し,経過時間ごとの「滞在・移動」場所を検証した。また,避難行動は,本稿執筆時点で取りまとめ中であるが, A「浸水の恐れがある自宅等からできる限り早く立ち退く」,B「自宅等に長く残り,浸水の直前に避難行動に移る」,C「『津波がここまで来ない』と考えて自宅等に残る」,D「『津波で浸水する恐れがない場所』で地震に遭っても『浸水する恐れがある場所』にわざわざ降りる」,E「『津波で浸水する恐れがない場所』で地震に遭ってそのまま安全な場所に滞在または移動する」等に類型化できる。特に浸水域に残る/向かう理由として,「人間的な事情」に起因して (1)高齢者や乳幼児等の肉親の安否確認・救出,(2)貴重品等の確保,(3)店や自宅の戸締り,(4)船の沖出し,(5)海を見に行く等が挙げられる。【総合考察の一例】表の⑫船越「家族旅行村」は,「健常な高齢者」が避難する際には,「浸水高/秒」0.090で,時間的に効率よく「高さ」を得られる避難路であるが,道のり約500m高低差約40mの傾斜路(平均傾斜約4.57°)で,車イス移動では屋外基準1/15(傾斜約3.81°)を超える「移動できない道」と判断できる。この避難路の途中には,震災当日に約9mの津波で利用者74人と職員14人が死者・行方不明となった介護老人保健施設SKがあった。震災以前の想定ではSKは「予想される津波浸水域のギリギリ範囲外」にあり,有事にはスロープを通過して標高約7mの避難場所に移動する避難マニュアルが準備されていた。 シンポジウムでは,このような避難路の移動環境と避難者の体力との関係や「人間的な事情」も加えて避難行動を総合的に考察したい。
著者
瀬戸 真之 西 克幸 石田 武 田村 俊和
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.88, 2007

<BR>I.はじめに<BR> 郡山・猪苗代両盆地の分水界に位置する御霊櫃峠(海抜約900m)には一種の「階状土」が発達し,少なくともその一部では現在も礫が移動していることが知られている(鈴木ほか,1985).田村ほか(2004)は,この微地形を「植被階状礫縞」と呼び,その形態的特徴を調査した.この植被階状礫縞は,基岩の岩質,節理の方向と斜面の向き,強い西風とそれによる高木の欠如,および少ない積雪等が要因となって形成され,維持されていると推測され,植被の部分的欠如には人為の関与も疑われる.その後,隣接する強風砂礫地で礫の移動状況や各種気候要素の観測を行っている(瀬戸ほか,2005, 2006; Seto et al. 2006).<BR> 今回,この植被階状礫縞を掘削してその断面を観察し,成因の考察に有用なデータが得られたので報告する.なお,本発表においても,植被階状礫縞という名称を用いる.<BR><BR>II.植被階状礫縞の概要<BR> 植被階状礫縞が発達しているのは,海抜925mのピークの南側(長さ約200m),西側(40m),北側(30m),北東側(40m)にかけての,傾斜10~20度(南側)および10~20度(南側以外)の,やや凸型の縦・横断面形をもつ斜面である.基岩は中新統大久保層(北村ほか,1965)の緑色凝灰質砂岩で,平行な細かい節理が発達し,薄く剥がれやすい.年間を通して強い西風が卓越する.積雪はかなり少ない模様である.その強風のせいもあってか,稜線部の植生は高木を欠き,高さ数10cmのツツジ群落,あるいはササ草原(ピークの北側斜面のみ)となっている.<BR> 植被階状礫縞は,扁平な角礫が露出した幅数10cm~2mほどの「上面」(tread)と,ツツジ(北側斜面ではササ)に覆われた比高・幅とも30cm~1.5m程度の「前面」(scarp)で構成される.この「上面」と「前面」の列は,ピークの南側から西側さらに北側の斜面ではほぼ東西にのび,しばしば分岐し,合流して,西方に向かうと階状より縞状の形態が明瞭になる.<BR> <BR>III.植被階状礫縞の断面<BR> 北側斜面に位置する植被階状礫縞で,階段を横断する方向に約150cmの長さの溝を掘削して観察した(図).<BR> 植被階状礫縞の「上面」では,地表に径15cm前後(最大径20cm)の扁平礫がオープンワークに堆積し,その下位には小角礫を大量に含む暗褐色腐植質砂壌土~壌土がある.この層の厚さは20~40cmで,基底面は斜面の一般的傾斜と調和的に10~20度ほど傾き,「前面」の地表下ではツツジの根やササの地下茎が密である.最下位には薄く剥がれやすい基岩が出現する.<BR><BR>IV.植被階状礫縞の形成プロセス<BR> 断面の観察から,階段状の形態を呈するのは地表面だけで,堆積物直下の基岩は階段状を呈さず,「上面」の部分でも「前面」の部分でもほぼ一様の傾斜を示すことが明らかになった.また,「前面」の部分にはツツジ群落が付き,その根やササの地下茎が堆積物の中にまで及んでいる.さらに,地表面の礫がツツジ群落中へ入り込んでいる様子も認められる.<BR> これらの特徴から,下記のプロセスが継起したことが窺われる:(1)高木がなくなり裸地となる;(2)植生が斜面最大傾斜方向と直行する向きに帯状に発達する;(3)礫が最大傾斜方向へ向かって斜面上を移動し,帯状植生によって堰き止められる;(4)礫が裸地と帯状植生の境界部分に堆積し,最終的には細粒物質も堰き止めるようになる;(5)裸地と帯状植生の境界部分で堆積物の層厚が厚くなる この一連のプロセスによって礫地は徐々に水平になり,帯状植生の部分は基岩とほぼ同じ傾斜を維持して,最終的には階段状の微地形を形成したと考えられる.植被のない方向には傾斜に沿って礫が連続的に移動し,縞状になったのであろう.<BR><BR>V.今後の課題<BR> 植被階状礫縞の断面から,その形成プロセスの一部を推定した.しかし,高木が失われた原因や,低木・草本植生が帯状に発達したプロセスは,今のところ明らかではない.帯状植生については近くの斜面で裸地上の礫が帯状に黒っぽく変色し,この部分に発芽が認められる箇所が存在する.この黒色に変色した部分は何らかの原因で地表・地中の水分条件が周囲の斜面とは異なると推定される.今後は,強風などの気象条件とも関連させて帯状植生の成因を探ることが,植被階状礫縞の形成プロセスを考える上で重要になると思われる.