- 著者
-
王寺 賢太
- 出版者
- 東京大学
- 雑誌
- 特別研究員奨励費
- 巻号頁・発行日
- 2000
1)「哲学的歴史」と考証学レナルの「哲学的歴史」は、ベイルらの「歴史の懐疑主義」の提起したユダヤ-キリスト教的な世界観の批判、あるいは王と信仰と法の統一性の証明を志すべくベネティクト会士の考証学の批判を受け入れたところから出発する。しかし、レナルにとって一層重要なのは、「歴史の懐疑主義」による歴史認知一般の真理妥当性の否定を退け、「蓋然性」にもとづく歴史認識を理論的に擁護したのみならず、新旧論争における相対主義の提起、聖書の創造譚を規範とする中国の歴史的・民俗学的叙述の批判を行った碑文アカデミーの考証学者フレレである。だが、キリスト教的な世界観にかわる近代的な世界観を示唆したフレレも、過去の事実の検討に目標をおく考証学の言説の内部では、新たな歴史叙述の枠組み自体を示すことはできなかった。世紀中盤考証学の忠実な読者であったレナルが近代ヨーロッパの歴史叙述を選択する背景には、十八世紀の考証学の認識論的な発展によってあきらかにされたその限界を乗り越えようとする企図が控えている。2)「哲学的歴史」と法思想マキャヴェッリの政治思想とベイルにいたる懐疑論の継承者であるレナルは、ストア=キリスト教的な目的論的枠組みのなかで、「真正な理性」や「社交性」から絶対王政の法秩序を導き出す自然法思想を否定する。また、当時「書かれた理性」ないし自然法を体現するとみなされていたローマ法については、フランス王国を近代におけるローマの帝権と法の継承者とみなすボシュエやデュボスの「ロマニズム」をしりぞけ、ブーランヴィリエの「ゲルマニスム」をうけてローマ帝国と近代ヨーロッパ諸国家の断絶を強調する。レナルにおいて法の起源は理性にではなく社会内部の権力関係にあり、近代の王国の政治的秩序は、とりわけ暴力装置と所有の分配の変動を通じて歴史的に生成したものなのである。この認識はモンテスキューによる法についての歴史的で政治的なアプローチを受け継いだものだが、さらにレナルは、「法を歴史によって、歴史を法によって説明する」モンテスキューを批判して、実定法以前にある多数者の意思とその間の社会的な諸関係の存在を強調する。そこで歴史は法を特権的な参照項として叙述されるものであることをやめ、法体系に断絶さえもたらしかねない、社会的な諸関係総体の変動として把握されることになるのである。以上2)の研究内容は、4月25日、パリのフランス国立科学研究所において開かれる『十八世紀における法学的知の形成』研究会で発表される。